ベアトリーチェ・チェンチの肖像  - 絵が語るということ | プロムナード

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小生、高校時代、自慢するほど古文・日本史・美術という学科が苦手だった。嫌いでも成績はいいという教科がある中、この三つは成績も最低だった。だって、生活に関係ないんだもん。どうも、そんな理由で興味が持てなかったのだと思う。

もちろん、はっきり言ってその三つの教科、今でも苦手。日本史など、正直いって「常識といわれること」すら理解も記憶もしていない。知識の差としては、拙宅の子供達がほんのガキンチョだったころから、西暦の年数以外のことについて彼等に負けていた。

美術についても、しかり。まず、描くことが苦手だ。但し正確な描写は好きだから、顕微鏡や望遠鏡で見た通りに書くとかは好きだった。小学校の時、自分の家の絵を描かされた時に、自宅のちゃぶ台とテレビを描いたのだが、アンテナ線と電源ケーブルをそれぞれ書き分け、電源ケーブルにはACコンセントとテレビの間に中間スイッチ(テレビのスイッチが故障し、コタツのスイッチでおなじみの中間スイッチが入っていた)をきちんと描いたので、担任の先生から「細かいところまで描かれてるね」と褒められた記憶はあるが、それ以外に褒められたことは皆無。

だから、美術系は苦手である。見ることもあまり興味が無い。

しかしそんな小生だって、心に残る絵に遇う事はある。ベアトリーチェ・チェンチがそれ。フェルメールの作品である、あの有名な「真珠の耳飾の少女」のモチーフになったと言われる作品。


この絵に描かれている人も作者もこれまで全然知らなかったが、描かれている子がちょー可愛い子であることと、それとは別になんとも言えない翳りみたいなのが感じられて、以前からこの絵だけは知っていた。

微笑んでいるというわけでもなさそうだし、怒っているわけでもない不思議な表情。

しかし、最近になって、ベアトリーチェの悲惨すぎる生涯や、特にターバンを巻いている驚くべき理由を知って愕然となった。

その話、マジすか??知らなかった方が良かった。。。

それ、最近になって後付された話であるという説もあるようだが、しかし、そもそもそういう時代背景の中で生まれた作品なんだろうし、とにかく「カワイイだけじゃない」というところが刺さった。翳りを感じさせたのはそのせいだったのかもしれない。