プロムナード -33ページ目

プロムナード

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明日の第5回AKB48総選挙の前に、これまでの票の「ばらけ方」について調べてみた。

2011年については1-40位までのデータしかないので、2012年についても同様に1-40位で比較する。


この「ばらけ方」を見るためには、票数について単純に平均の値を取るのではなく、二乗平均平方根というアルゴリズムで票の分布をみる方法が効果的である。この方法を使うと、票が特定のメンバーに集中しているかどうかが分かる。

つまり、票の分布状態がわかるのだ。

例えば、5人の平均を取るとした場合、全員の得票数がそれぞれ10票だったとすると平均の値は10票となる。しかし例えば1位が20票、2位が15票、3位が10票、4位が5票、5位が0票であった場合でも、単純な平均(相加平均という)を取れば同じ10票と計算されるので、その数字で見る限りは前者でも後者でも値に差はない。しかし、票の分布としては大きな違いがあるのだ。

この差異を表示させるためによく用いられる計算方法が二乗平均平方根という計算方法で、これを使うと「ばらけ方」が表現できる。

この方法で計算すると、先の例では、12.24票となる。この値が相加平均とどれだけ離れているかで、ばらけ方が判る。例えば、極端な例として一人で50票を獲得し、残りは0票であった場合を考えると、単純平均は10票となるが、二乗平均平方根では22.36票となる。先の例の12.24と比べると単純平均との乖離が大きい、つまり票が特定の人にのみ集中しているといことが理解できるわけだ。

具体的な二乗平均平方根の計算方法については、以前のブログに書いたが、要はそれぞれの値を二乗して足して平均値を出し、その値の平方根を取るというやり方だ。二乗平均平方根の数字が単純平均の値に近いほど票のばらつきが分布しているということになる。

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11484089694.html

さて、この方法を使って計算してみると、2011年と2012年では少し様相が異なる。

2011年:
1-40位   相加平均         27,033
1-40位   二乗平均平方根  40,636  
相加平均との開き       1.50

2012年:
1-40位   相加平均         28,025
1-40位   二乗平均平方根  36,823  
相加平均との開き       1.31

これを見ると、2012年は2011年と比べて票数が増え、票が広く分布していたことが分かる。つまり2011年のときは票が特定のメンバーに集中していたということだ。実際、1位票数は3位のおよそ2倍ぐらいの票を得ている。これを2012年で見ると、1位と3位の差が縮まったことからも票が分布していることもわかる。

さて、今年はどうなるか。このブログでも何回か取り上げたが、この一年間でAKB48という仕様に合う若年層も多く出現してきた。総選挙での票獲得数は必ずしも人気と合致するものではないために、頑張っているという姿に対する応援手段として、人気とは別の次元で投票されることも多々あるので、更に票割れが進むことも大いに考えられる。

どうなるか、明日それが判明する。


今回、カリフォルニアのベイエリア、シリコンバレーに出張して、思いのほか、電気自動車がかなり普及していることが分かった。

San JoseのSantana Rowという高級ショッピングモールにあるTESLA SHOP

これまでもプリウスの様なハイブリッドカーについては日本よりも見かけることが多かったのだが、こちらではLEAFはもとより高価格であるテスラモーターの電気自動車も走っていた。聞くところによると、テスラの株価が急上昇しているという。

ところで、電気自動車の普及について現地の何人かに聞いてみたのだが、どうやら彼らの意識の根底にあるものは、地球環境への配慮というよりもペイバックを鑑みて、というところが本音のようだ。つまり、太陽光発電などの方法で蓄電・充電することが前提であり、これまでのガソリン代と比較すると「おつりがくる」というそろばん勘定結果として購入したというケースが多そうなのだ。

これは、提供する側からすれば、市場の活性化に対する正しいアプローチでもある。

逆に言うと環境問題への配慮というのは、ある種、会社としての「CSR的な行動」であって、それが個人レベルの場合だと、環境に配慮するということは、ある意味見栄的な「綺麗ごと」であり、それが少しの出費であれば我慢できるとしても、少なくとも大多数が賛同するという様な社会現象が伴わない限りは個人としての投資対象として難しい決断となる。例えば、買い物でのエコバッグの使用といった草の根レベルの環境改善行動であれば大衆が賛同して共に行動することは可能であるが、もっと大きな出費を強いる環境配慮行動については、法規制でもされないと無条件に行動する様になるとは考え難い。

エネルギー問題もしかり。電気自動車がどんなに地球環境に良いかということを説得したところで、「その代りに個人の出費は多いです」では、個人レベルでの普及はあり得ない。

太陽光発電も同様で、導入した家庭における導入理由は、環境配慮というより売電による利潤という損得勘定に他ならないわけだから、電気自動車の導入についても同様のアプローチが奏功する。

要は、新技術を導入することで儲かるかどうか?が判断材料なのだ。

環境問題に関するメリットなどについては四の五の言う必要はない。ある意味アタリマエだろう。会社単位であれば、CSRとして社会的なインパクトが大きいから、その部分で損が生じたとしても見返りは大きなものが得られるわけだから、いきおいCSRもペイバッグの計算が伴うだろう。

まぁ、そういうつぶやきはともかく、現地で見る電気自動車、特にテスラのMODEL Sは相当にカッコよかった。

Winchester Garageにある充電スタンドのTESLA MODEL S

スポーツカーというと、派手にカラーリングされて、爆音を立てて疾走するといった、ある意味チャラチャラした車が多いのだが、MODEL Sの場合、なんというか、「大人のスポーツカー」といった風情が精悍だった。カラーリングも地味で音も静か、さりとて一度走りだせば、圧倒的な加速で疾走する。車に対して求められる本来の性能をすべて踏襲しつつ、環境への配備もされ、しかもガソリンに比べて出費が少ないとなれば、いうことなし、なわけだ。

ただし、こういう車のオーナーは、ひょっとすると「アース・コンシャス」をステータスとして見せたがる様な、つまり見栄っ張りなIT系のCEO等が好んで乗っている様な気もする。というのは、すこしひがみっぽいかな?

テスラは試乗したわけではなく、走っている姿やSan JoseのSanta NarowにあるTESLA SHOPを見ただけの感想なのだが、LEAFについては、所有している現地の人のLEAFに試乗して運転させてもらったので、これまでのイメージを払拭するだけの運動性能を確認することができた。

これは、現地でLEAFに乗っている人に試乗させてもらったときのインパネ。

とにかく、「電気自動車は、ありだな」というのが感想だ。

ただし、充電インフラの整備が重要だろう。また、個人レベルでも太陽光発電による蓄電設備などの装備がないと、ペイバックを鑑みる上で導入は難しい。また、そもそも家の立地条件なども絡んでくるだろう。この辺りの諸問題をどのように解決していくかが電気自動車普及への関門だ。

当分の間、電気自動車は誰でも買える車ではない。それは車両価格の問題というよりも充電インフラの問題だ。その充電方法についても、非接触充電などの様々な方法が提案され、改善され、とどまるところがないから、技術革新を待ちたいという買い控えも普及を妨げる障壁となるだろう。

しかし、長いスパンで考えると電気自動車の導入は一つの大きな流れであると考える。小生の場合、仕事的にはこの非接触充電部分や車両の中のエネルギー変換効率改善などに関わってくることだろう。したがって、ここ暫くは動向についてじっくりと見ていきたいところだ。


地熱発電をもっと熱くすべきだと思うのだ。

我国における現在の地熱発電の発電量はたった原発一基分程度。アメリカ、インドネシアに続く世界第三位の地熱大国であるにも拘らず、だ。これはいかがなものか?

もちろん国立公園法や温泉街の懸念等々、発電所建設が思うように建設できない理由は理解しているが、観光資源的には、発電に伴う排熱による大規模な温泉ぐらい建設できそうな気がする。


宮城県鬼首 地熱発電所

地熱は、地球活動による副産物であり、火力発電や原子力発電の様に人工的にエネルギーを造り出すのとは根本的に異なる上、天候に左右されることなく安定的にエネルギーを取り出すことができる唯一のエネルギー源だ。その量は、太陽光に比べれば、無尽蔵ではないものの、地球規模の歴史を鑑みれば、人類がどうのこうのという間に枯渇するエネルギーではないのだから、ゼッタイに活用すべきと思う。

いうまでもなく建設や運用に関するリスクはあるだろう。しかし、エネルギーを取り出すためには、原発ほどではないにしても、リスクは避けられないと思う。しかし、それをどのように削減するか、その研究こそ必要だ。優等生的に言われている太陽光発電にしても、発電量1TW/h当たりの死亡率は0.44人という数字が出ている。それを言い出せば、原子力はなんと0.04人。火力に至っては数百人の規模となる。とにかく絶対安全な方法というのは存在しないのだ(ソース:http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11213772260.html)

自然界は、良いものと悪いものが平均値を基準としてバランスされているために、つまり物理的にアイソスタシーとして平均されている。

「人類に良いもの」を取り出せば「人類に悪いもの」も同時に取り出されるか、或いは生成されてしまうことも理解しておく必要がある。

電力に頼らない世界を作る。しかしそうはならないわけだから、我国が資源のみならず電力まで輸入するような体たらくになるのは避けなくてはならない。どの方法だって一長一短なのだから、地熱発電についても短所だけをクローズアップして否定し続けることよりも、短所をなるべく削減し、長所を伸ばすことを考えるべきだろう。

言わずもがな犠牲の発生は避けるべきだが、とはいえ「万が一という可能性も完全に抹消すべき」ということになれば、日本でエネルギーを生成させることは不可能だ。しかも、その一方でその万が一というリスクを他国に押し付け、生成リスクが除去されたエネルギーだけを買う。それが日本のあるべき姿、というのは如何なものか。

 
AKBメンバーから会社社長へという展開に、相当大きなギャップが見えるのだが、在籍当時から卒業した2009年までの間、「いずれは社長になりたい」と語っていたのだから、確実に夢を実現しつつあるのだろう。

http://antiminss.jp/

小生、残念ながらファッションには疎いので何がすごいのかよく判らないのだが、とにかく創立3年にして売上1億というのは大したものだ。

そろそろAKB48恒例の総選挙が始まる。上位常連たちには「AKB48というブランドを担う」という責任があるから、順位を競うということは、彼女たちが好むと好まざるとに拘らず、与えられたミッションだ。ファンの希望に対してどこまで対応できるか、またどの程度までAKB48という仕様に合致しているかどうかが試されるということなのだが、そうは言っても所詮はゲーム。上位常連たちは、競うことについて「ゲームとして楽しむ」というスタンスで臨めばいい。

一方、下位、特に圏外となるメンバーたちも、その順位について決して落胆する必要はない。早い話、AKB48のファンの需要にミートしていないというだけであって、素質や能力、才能といったスキルを否定されたと考えるべきではない。圏外というのは飽くまでもAKB48という「箱」の中での順位であり、違う評価基準で評価されれば、別の結果が出るということは十分あり得る。

先に述べた川崎希さんのごとく、卒業後に大成する子だってたくさんいるはず。

要は向上心を持っているかどうかだ。

Wikiで調べてみると、川崎希さんについてこんな風に紹介されている。

[ 趣味 ]   宇宙研究、薬局巡り、スペイン語、映画鑑賞
[ 資格 ]   JAXAクラブ名誉会員(宇宙検定)、英検準一級、
       スキューバダイビング、世界遺産検定3級
[ その他 ]  カナダに短期留学経験あり

やはり、好奇心やチャレンジ精神が旺盛で、精力的に動くことが好きなのだろう。

実際、もちろん運というものもあるにせよ、AKB48の1期にオーディションを受けたということだけでも、ベンチャースピリットに満ち溢れている姿が見えてくる。つまり、メジャーになってからオーディションを受けてくる子たちとは、異なる価値観を持っていたのかもしれない。物怖じしないというか、或いは背中を御されればどんどん前に出ることができるというところは、凡人とは異なる素養を持っていたと考えられる。

かつてモーニング娘。の中澤裕子さんが3期生メンバーに対して「あんたらが売れてるんじゃなくて、モーニング娘。が売れてんよ。勘違いしたらあかんで」みたいな説教をしているシーンを見た記憶がある。けだし名言だと思った。

つまりチャレンジ精神を持つ人は、逆にリスクについても理解しているということだろう。

紅白歌合戦まで出場した後に卒業して起業した川崎希さんも、チャレンジとリスクに関するバランス感覚を持っていたということなのだと思う。その結果として別のチャレンジでの可能性追究に踏み切ったわけだ。そこでの葛藤は計り知れないものがあったと想像できる。

もし、押しメンが卒業して販売会社を設立したとしよう。その会社で販売しているものが他社と比較してほぼ同等の価値だとすれば、ファンだったら必ずその会社から買うだろう。それが人脈というものだ。社会の構造というのはそういうものだ。

世の中、知名度は高いが影響力の高い人というのは意外と少ない。

「あいつがxxを始めるそうだ」
「へぇ、お手並み拝見だね」

ということが圧倒的に多い。これが、

「あいつがxxを始めるそうだ」
「だったら、あいつのためにひと肌脱いでやるか」

これが本当の人脈だ。小生のいる電子技術業界だって全く同じ。

ファンとは、CDを買ったりステージで演技する姿にサイリウムを振るといったことではない。

頑張る姿に対して応援したいと思う本当のファンにとっては、押しメンが卒業して一人で何かを始めたときに、初めて「直接的に応援すること」が可能となる。

将来何かをしたいと考えているメンバーは、今からそういう人脈作りを習得すると良いと思う。尤もこれはAKB48だけに限った話ではないけれどね。


賛否両論あるも、小生はAKB48が体当たりで演技したあの不朽の名作(迷作?)、マジすか学園というドラマは、相当に秀逸な作品だったと考えている。

その後に続く「マジすか学園2」とか「3」も決して悪くはなかったのだが、「2」は「1」のサブセット版、また「3」は舞台が全く異なるために別物だと考えると、はやり「1」はアイドルに与えられたアタリマエの役割という予定調和からの意図的な逸脱という意味合いも含めて、成功であったと思う。



具体的なストーリ内容については、ここでは述べないので、まだ見たことのない人は是非全編を通して見て欲しい。要は写真の様な。。。


演出的に、色々な個所で後々の展開に対する布石が仕組まれているところも、手が込んでいて趣があるからじっくりと見ると良いと思う。

物語の展開としては「腕力でてっぺんを取ろうとするヤンキー同士のつばぜり合い」という、ありきたりのヤンキーものとしての導入から始まり、その深層にあるものとしての友情や絆、そして登場人物のそれぞれが抱えている過去やそれによるトラウマなどと、生きていくうえでどの様に対峙していくのかといった展開をさせていくドラマで、物語の進行に従って、当初の乱闘シーンからは想像を絶する「青春もの」へと話がシフトし、70年代のスポーツ根性ドラマを彷彿とさせる展開となっている。というより、70年台のドラマの方が、わざとらしい設定が奏功しているせいか、今見ると、かなり喜劇に見えることに対し、マジすか学園は、おそらく何年経っても、陳腐化しないまま存続する気がする。

セリフについても、前半のセリフがありきたりなセリフが多いのに比べ、後半になるに連れて言葉の重みといったことにも重点が置かれ、名言がたくさん出てくるようになる。特に「優子先輩」や「ネズミ」のセリフにこの傾向が顕著である。暗示的なセリフなど、言い方がダサいと間抜けなものとなってしまうが、あの二人はそういうセリフをキチンとこなし、大人の会話的な意味奥深い暗示などをじっくりと語る、名役だった。

また、興味深いところとしては、乱闘シーンといっても、基本は拳だけであり、机や椅子といった道具以外の凶器は出てこないし、ヤンキーにつきものである喫煙やアルコールは全く出てこない。このあたりは、いかにヤンキーものといえども、さすがに「国民的アイドル」が法に背くことは如何なものかという配慮が働いている気がする。いわば、ここで繰り広げられるケンカや暴力は、いわばスポーツとして定義されていると理解することも可能だ。

一方、乱闘シーンについては回を重ねるに連れ、演技力も度胸もついたせいか、激しさが増してきてスゴイことになってくる。実際、ゲキカラのシーンでは、さすがに血糊べったりシーンが矢継ぎ早に表れることが問題視されたらしく、再放送ではシーンカットやモノクロでの放映となったらしい(DVDは原作のまま)。まぁ、青少年への影響を鑑みてということらしいが、そもそも放映時間は真夜中だったから、問題ではないとおもうのだが、時代は変わったということかもしれない。

秋元康氏が放映前の談話として、「おそらくメンバーの中には元ヤンキーがいたかもしれません。そういう子は過去がバレないように、また、そうでない子はいかにしてヤンキーっぽく振る舞うか、そういうところも見どころの一つです(笑」といったコメントが紹介されているが、そのあたりの探りも、ファンの楽しみ方の一つでもあった。

ところで、当時「マジすか新規」という言葉が流行った。つまりマジすかを機会としてAKBのファンになった人のこと。

確かにこれをきっかけとしてファンになった人は非常に多くいると思う。実際、このドラマに出てくる彼女たちと、別のバラエティ番組での「す」とのギャップは、それこそ天と地ほど違っていたから視聴者はさぞかし驚いたことだろう。と同時に、彼らがこういう二面性を演じることができる彼女達のとりこになって行ったということは想像に難くない。

今、活躍しているAKB48のリーダーやリーダー格は、みなあのドラマで主役脇役として活躍した子たちだおそらく、マジすかを演じたことで大きな自信を得たのだろうと思う。

であれば、マジすかは、AKB48の登竜門としてとてつもなく大きな役割を担っていたということになる。

写真は、役者として秀逸だったラッパッパ部長「優子先輩:大島優子さん」、情報工作の覇者「ネズミ:渡辺麻友」、そして狂気乱舞の「ゲキカラ:松井玲奈さん」。そして、マジすか学園3で、優子先輩に匹敵する存在感を出していた「アンニン:入山杏奈さん」。

よく見ると、みな眼光が鋭い。ヒタっと見る目が「マジ」だ。


    


「アイドルが、アイドルという設定で、アイドルとして振る舞うドラマ」では、成長を望むことは難しい。

アイドルが、自らの手でアイドルというポジションを壊すドラマの方が、成長させるということだ。


今日びのアイドルは、古(いにしえ)の時代のアイドルの仕事内容とは異なり、カワイイだけでは務まらない。歌踊りといった本来の歌手としての素養以外に、トークといった要素も必要だ。しかも、最近では、通常だったら恥ずかしくてできないこともやってのけるという「プライドのハードルを下げる能力」も必要となっている。それをできることが、常人と異なるスキルなのだろう。

こういった能力の育成は、マジすか学園の様な型破りドラマで培われるものなのかもしれない。


ハステとワステ。

このタイトルを知っている人はAKB48のファンであると同時に、BKA48も知っている人たちだね(^^;


これは、以前、めちゃイケで放映されたBKAセンター決定で、英語の和訳問題「Haste makes waste(急がば回れ)」を「ハステとワステが仲良く作った」と訳した川栄李奈さんの珍回答がそのまま曲のタイトルとして採用されたと言うものだが、アイドルのバリエーション形として、ネガティブファクタをポジティブ化させ、曲のタイトルにまで適用させた秋元康氏の戦術はいつもながらスゴイと思う。

めちゃイケについては、以前、こんな風に紹介してある。

    AKB48の仕様 - 「常識外れ」というパフォーマンス
    http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11517088264.html


この中で、小生は、

とにかく、バカといわれようがなんだろうが、そういう評価を武器に転化し、更なる活動に邁進している姿は、誠に頼もしい。

と書いたのだが、AKB48のメンバー以前に、プロデューサがそれを自ら実践しているってことなのだろう。

アイドルというカテゴリに於いては、この様な「後ろ向き要素」を全面に出すということはリスクも大きいと思う。実際、この展開を面白いと思うのはAKB48のファンのみであり、一般人にとっては、「キワモノ」としか思われない可能性が高い。しかし、要はファンにウケればいいわけで、万人受けする必要はないという論理にて選択し、集中させた結果なのだろうと考える。

学生の頃、コンパなどの席上で小生と友人は、「バカやるやつ」と「そのバカをみんなに説明するやつ」という役割分担を行い、バカをやるということは相当にオイシイ存在であると同時に必ず拾ってくれる人が必要であるということを体得した。学生の頃に得た知識のうち、今でも通用する重要な知識の一つでもあるのだが、ハステとワステも同様に拾う人がいたから、或いは拾い方が良かったから秋元氏へと伝達したのだろう。そしてこの流れを一つのモメンタムとしてキープすべきと直感した秋元氏が、この事象が風化してしまう前に、ファンに対して軌跡として残しておこうと決断したと考えておかしくない。

実際、
これまでのライトなファンに対し、この番組を以って「川栄李奈」というメンバーについて、強烈なインパクトを伴って記憶させたに違いないし、楽曲まで展開されれば「歴史」としてディスコグラフィー上に残るのだ。スゴイことなのである。
以前から秋元氏は、「自分が面白いと思わないものは企画しない」と言い切っていたが、逆に言えば「ハステとワステは面白い」と思ったということだろう。

しかし、その企画を実行へと結びつかせた最も大きな理由は、川栄李奈さんのAKB魂とでもいうべきか、大島優子さんなどがその最右翼だが

自分の持つプライドの閾値(しきいち)を、一般人に比べて驚くほど低く設定できる能力

があったからに他ならないのだ。


川栄李奈さんの、その能力を見出したスタッフの能力は極めて高いものだと感心する。
逆に、そういう能力が欠落する場合には、AKB48の中にあってはメンバーとしての存続に支障をきたす可能性もあるかもしれない。

とにかく、

適材適所という言葉があるが、適所に適材を投入すると言う方法もありそうだ。

今後の川栄李奈さんの活躍に期待したい。



昨日は雨上がりの初夏、大変気持ちのいい日だったなぁ。


ということで、相棒のバイクと一緒にプロムナード。

ここは拙宅からさほど遠くないところにある田んぼの風景。ちょうど田植えを終えたばかりで、送電線の鉄塔が「逆さ鉄塔」になっていた。

これ、この季節しか見れない風景。

なんか、こんなの見ると、得した気分になれた。

こういう送電線もいい(^^)

送電線に関する注釈:
この鉄塔は、東京を囲む様に東西に横たわる東電275kVの東京中線から埼玉県桶川市の加納で分岐し、埼玉新都心方面へ送電を行う上尾変電所から更に分岐して一端地中を通り、伊奈町で地上に引き上げられ、東北縦貫道や東北新幹線を縦断しながら北埼玉地方へ給電を行う154kVの「蓮田線」。


100均には、優れたものがある。今回はニッケル水素充電池の充電器。

これ、家電量販店などで買えば数千円はする代物だけど、なんとダイソーでは100円で手に入る。となれば、いったいどうなっているのか、だれでも気になるところだ(と、思う)。


ということで、こいつも分解させて頂きました(^^)

まず、外箱から。

見ると、裏ぶたにはPSEマークがついているし、JET認証のロゴも印刷されている。立派なもんだ。ウソじゃないよね?ね?中には、ペラモンとはいえ使用説明書が入っている。この手の説明書、安い機器の場合だと大体にしておかしな日本語だったり、風変りなフォントが使われているケースが散見されるが、この製品の説明書はゼンゼンまともな日本語で書かれている。誤使用があると発煙したり、破裂することもあるからきちんと書かれているということだろう。好感が持てる。

分解前の所見。作りはかなりしっかりしていて頼もしい。充電中の電池を保護するための透明プラスチックケースも完備。まさか電池が破裂したときの防御策というわけじゃないよね?また、電源プラグが折り畳み式となっていて携帯には便利なつくりとなっている。まさに100円とは思えない作りだ。

しかも、筐体がねじ止めとなっている。コストダウンをもくろむのであれば、パチンとはめる程度の作りが普通なのに、ねじ止めとは驚きだ。100V直接印加だから、安全上の観点からしっかりと締めてあるということなのだろう。部品コストも工数もかかるのに原価に余裕が感じられて、わくわくする。

ねじをはずすと基板とトランスが見える。トランスは一次側100VAC、二次側は定電圧ACのトランス。電圧は後で計るとして、とにかくこのトランスだけでも100円では手に入らないから、オドロキだ。実際、ちょうどそういうトランスが欲しかったので、大変役に立つ。

充電する電池ホルダは、ばね式の端子でしっかり固定できるようになっている。通常は金属片が持つ形状記憶的な復帰能力をバネ替わりとしているケースがほとんどだが、接触不良を防ぐという意味でばね式を用いるというあたり、優等生だ。

  


しかしながら、プリント基板を見て少々がっかりした。はっきり言って、はんだ付けは素人レベルだ。というか、イモハンやハンダクズがあちこちに飛んだまま。電圧は高々5V程度だからショートして危険ということはないにしても、これらの粗悪ハンダ付けは経年劣化に影響を及ぼす。信頼性とか品質という基準は、こういうところで評価されるべきだと思う。


回路はいたってシンプル。図の様に、半波整流した電流をそのまま充電池へ逆バイアスで注入するだけというもの。急速充電とか充電制御、また、充電が終わったら電流を停止する機能などは全くなし。まぁ、100円ですから、無理でしょ、それ。

付いているLEDも、充電終了を知らせるものとかじゃなく、単に充電池が挿入され、電流が供給されているということを示すだけ。このあたりは少し消費者の思い込みに反するために、勘違いする人がいそうだ。LEDの機能については取説に書いてはあるが、いちいち読まないだろうし、複数の人が使用する場合には、ゼッタイ勘違いが起きそうだ。

このように、充電制御は何もないから、つまり「どんどん充電」することになるから、ふつうに使うためには注意が必要だ。タイマーなどを別途設けて規定時間を過ぎたら自動的に停止する、といった機能と並行させた方がよいだろう。

ところで、この回路、よくできていると思ったのは、2つの充電池に対し、半波整流の正位相と逆位相の各々で個別に充電をおこなっているところ。このやり方だとトランスへの負荷もバランスされ、実際の効率も良いだろう。

分解してからの感想としては、とにかく前から欲しかった100V入力5V出力のトランスを入手できたことが大変ウレシイ(^^)

アキバで買えば、数百円はするはず。しかも電車賃を鑑みれば、大変お得な買い物となる。自宅のオシロスコープで計測したところ、無負荷状態でVp-p約14V。つまり実効値換算すると、14/(2×√2)=4.95Vの出力だった。誤差1%。合格だ。

それと、やはりこの手の商品には安全設計が重要なので、本製品は緊急用としての使用にとどめた方が無難かと思えることだ。ただし、急速充電の様な厳しい充電方式ではないから、充電池にとっては「優しい充電方式」とも言えなくはない。ま、いずれにしても自己責任で、というところか。

この製品に代表される様に、100均には電子機器に限らず、驚く様な機能を実現している製品がある。

消費者にとっては大変望ましい商品展開でもあるわけだが、使用リスクが削除されている点については、先んじて理解しておく必要があるだろう。

ただし、電子工学の教科書に書かれている原理をそのまま実現した勉強用キットだと割り切れば、大変役に立つ商品だ。


最近、フェイスブックなどのSNSが相当に一般化してきており、ネットリテラシーの低い人達が、自分の知らないうちにガセや悪意のある情報を「善意でまき散らす」という、忌々しき事態が生じている。


小生、かつては2ちゃんねるなどの掲示板でカキコを行う際にIPが晒され、「服着れば?」などとアドバイスを受けたり、或いはネット情報や悪サイトを踏むという「修行」を何度も積んだ経緯があるので、ネット遊びに対しては相当慎重に対応することが身についているが、昨今のフェイスブックのコメなどを見ると、素人がいとも簡単に罠にかかる様が散見され、嘆かわしい。

少し前、「血液型が特殊であるために輸血の出来ない子供を助けてください。連絡先はxxx-xxxx。シェアして頂けると助かります」みたいなカキコがあり、ターゲットとなった病院では、そんな事実は全くないにも拘らず電話が鳴りまくっててんてこ舞いだったという事件があったが、これなどは愉快犯としては軽微な方で、もっと悪質なものも氾濫しているようだ。

普通だったら、「アヤシイ」と思うはずだし、シェアする前に別のソースを確認するといった態度が著しく欠落しているといえる、更に問題なのは、シェアする本人が至って真剣であり、人命救助に貢献していると「勘違い」していることだ。

カキコを行っている人の性別や年齢、国籍すらわからないのに、そこから出る情報を何の疑いもなく信じてしまう。

そこにネットの大きな落とし穴がある。

これは実際に体験してみないと理解し難いかもしれないが、まずは疑ってかかるという態度が必要だ。こと日本人は「お人好し」が多いので、尚更意識してそういう対応方法を取る必要がある。特に最近SNSに参加した人は十分に警戒して対応することが大切だ。

フェイスブックに掲示する写真も、見ているこちらの方がドキドキしてしまうほどの赤裸々な情報が描写されたものが掲示されていることも見られる。実際、所有する車のナンバープレートや、自宅の住居標識まで「公開」しているものもあった。さすがにそういう時には、警告を送る様にしているが、ネットをさまよっている人は、小生の様な善人(^^)ばかりじゃない。

また、フェイスブックの「いいね!」、ナニゲにクリックしている人も多いと思うが、相当に悪用されていることも理解しておく必要がある。発表によると、一日の数は27億回だそうだ。少なくとも、「いいね!」は、広告主からみれば、取りも直さず「推薦されている」と処理されるので、クリックした人のエンドースメント付きとして公開されることもあり得るということも知っておくべきだ。

更に、フェイスブックは実名での登録が基本なので、クリックした人の個人情報と共に嗜好や行動パターンが情報として集約され、悪意のある業者に転売されているとしてもおかしくない。ちょっとしたプログラムを作成すれば、ターゲットとなる人の「いいね!」を集約し、趣味嗜好の統計を取って分析することも可能だ。場合によっては潜在意識レベルまで分析されているかもしれない。しかし、それらの情報は飽くまでも個人が自ら発した情報なので、情報分析が罪に値することはないだろう。逆に言えば、そこに危険要素が潜在しているということになるのだ。

ネットに於いては、基本的に性悪説を取るべき。

これが結論である。そうでないと、個人情報がすっぽりと抜かれたり、悪意のある情報の中間宿主となって病原菌をまき散らす。特にネット初心者や子供たちに対しては、そういう危険性に関する教育を十分に施す必要がある。


最近の子供達の理科離れや計算能力の低下、これらは国の滅亡の前兆に他ならない。この流れを阻止し、我国が再び科学技術のトップに返り咲く様になるために、親は子供達に何をすべきか。

親と子供と、それぞれ理科が好きと理科が嫌いという2つの要素を含めて考察する。

親の好み        子供へ与える影響
 -------------------------------------------
親が理科好き   子供も好きになる可能性     高
親が理科好き   子供は嫌いになる可能性          中
親が理科嫌い   子供は好きになる可能性     低
親が理科嫌い   子供も嫌いになる可能性     高

子供が好きになる場合: 高+低子供が嫌いになる場合: 高+中

こうしてみると、世代を重ねるたびに理科好き子供の絶対数がどんどん減り、最後はゼロとなりそうだ(飽くまでも計算上の話だが)。

従って、理科好きを絶滅させないためには、親が理科嫌いであっても理科好きに育てるという「努力」が必要であることがわかる。

理科好きにさせる。実はその題材はたくさんある。要は、

親が子供に対して理系的な見方考え方を習慣づけさせることが出来るかどうかだ。

興味を持たせるというのは以外と難しいと思う。与える側が興味なければ尚のこと。何か題材を与えて、或いは見せて、「興味を持て」だけでは子供にとって苦痛だろう。

それよりも簡単な方法は、

子供達に「好奇心」を持たせることだ。そして解明したいと言う気持ちを持たせること。

理系というのは、物事の真理を、「観察することによって客観的な説明が出来る能力」を持つことや、理解できないことに直面した場合、「考察することによって、仮説を立てて立証していく能力を持つこと」であって、何も暗算が速いとかそういうことではない。

要は、センスの問題なのだ。


不思議なことや謎めいたこと。子供は、そういうものに対して本能的に敏感であるし、知ろうとする能力を持つ。赤ん坊が目の前にあるものに手を出すということは、それを手に取って確かめたいという意識に立脚した行動であり、何でも口に入れてしまうこともその表れだ。

従って、親は子供に「何を見るか、どこを見るか」を教えてあげればよいのだ。そして、なぜそうなのかを考えさせる。それが理系的な思考を育てる最も基本であり、かつ重要な指導だ。

ただし、親にばかり義務として託すのは酷じゃないかとも思う。親が理科が好きかどうかに拘わらず、子供に興味を持たせたり育むという環境を、国がきちんと用意できるかどうか、そして親がそういう環境を利用することが出来るということが、実は大切なのではないかと考えている。