地熱発電をもっと熱くすべきだと思うのだ。
我国における現在の地熱発電の発電量はたった原発一基分程度。アメリカ、インドネシアに続く世界第三位の地熱大国であるにも拘らず、だ。これはいかがなものか?
もちろん国立公園法や温泉街の懸念等々、発電所建設が思うように建設できない理由は理解しているが、観光資源的には、発電に伴う排熱による大規模な温泉ぐらい建設できそうな気がする。
宮城県鬼首 地熱発電所
地熱は、地球活動による副産物であり、火力発電や原子力発電の様に人工的にエネルギーを造り出すのとは根本的に異なる上、天候に左右されることなく安定的にエネルギーを取り出すことができる唯一のエネルギー源だ。その量は、太陽光に比べれば、無尽蔵ではないものの、地球規模の歴史を鑑みれば、人類がどうのこうのという間に枯渇するエネルギーではないのだから、ゼッタイに活用すべきと思う。
いうまでもなく建設や運用に関するリスクはあるだろう。しかし、エネルギーを取り出すためには、原発ほどではないにしても、リスクは避けられないと思う。しかし、それをどのように削減するか、その研究こそ必要だ。優等生的に言われている太陽光発電にしても、発電量1TW/h当たりの死亡率は0.44人という数字が出ている。それを言い出せば、原子力はなんと0.04人。火力に至っては数百人の規模となる。とにかく絶対安全な方法というのは存在しないのだ(ソース:http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11213772260.html)
自然界は、良いものと悪いものが平均値を基準としてバランスされているために、つまり物理的にアイソスタシーとして平均されている。
「人類に良いもの」を取り出せば「人類に悪いもの」も同時に取り出されるか、或いは生成されてしまうことも理解しておく必要がある。
電力に頼らない世界を作る。しかしそうはならないわけだから、我国が資源のみならず電力まで輸入するような体たらくになるのは避けなくてはならない。どの方法だって一長一短なのだから、地熱発電についても短所だけをクローズアップして否定し続けることよりも、短所をなるべく削減し、長所を伸ばすことを考えるべきだろう。
言わずもがな犠牲の発生は避けるべきだが、とはいえ「万が一という可能性も完全に抹消すべき」ということになれば、日本でエネルギーを生成させることは不可能だ。しかも、その一方でその万が一というリスクを他国に押し付け、生成リスクが除去されたエネルギーだけを買う。それが日本のあるべき姿、というのは如何なものか。