AKB48の第二象限  -奏功した「マジすか学園」という実験 | プロムナード

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賛否両論あるも、小生はAKB48が体当たりで演技したあの不朽の名作(迷作?)、マジすか学園というドラマは、相当に秀逸な作品だったと考えている。

その後に続く「マジすか学園2」とか「3」も決して悪くはなかったのだが、「2」は「1」のサブセット版、また「3」は舞台が全く異なるために別物だと考えると、はやり「1」はアイドルに与えられたアタリマエの役割という予定調和からの意図的な逸脱という意味合いも含めて、成功であったと思う。



具体的なストーリ内容については、ここでは述べないので、まだ見たことのない人は是非全編を通して見て欲しい。要は写真の様な。。。


演出的に、色々な個所で後々の展開に対する布石が仕組まれているところも、手が込んでいて趣があるからじっくりと見ると良いと思う。

物語の展開としては「腕力でてっぺんを取ろうとするヤンキー同士のつばぜり合い」という、ありきたりのヤンキーものとしての導入から始まり、その深層にあるものとしての友情や絆、そして登場人物のそれぞれが抱えている過去やそれによるトラウマなどと、生きていくうえでどの様に対峙していくのかといった展開をさせていくドラマで、物語の進行に従って、当初の乱闘シーンからは想像を絶する「青春もの」へと話がシフトし、70年代のスポーツ根性ドラマを彷彿とさせる展開となっている。というより、70年台のドラマの方が、わざとらしい設定が奏功しているせいか、今見ると、かなり喜劇に見えることに対し、マジすか学園は、おそらく何年経っても、陳腐化しないまま存続する気がする。

セリフについても、前半のセリフがありきたりなセリフが多いのに比べ、後半になるに連れて言葉の重みといったことにも重点が置かれ、名言がたくさん出てくるようになる。特に「優子先輩」や「ネズミ」のセリフにこの傾向が顕著である。暗示的なセリフなど、言い方がダサいと間抜けなものとなってしまうが、あの二人はそういうセリフをキチンとこなし、大人の会話的な意味奥深い暗示などをじっくりと語る、名役だった。

また、興味深いところとしては、乱闘シーンといっても、基本は拳だけであり、机や椅子といった道具以外の凶器は出てこないし、ヤンキーにつきものである喫煙やアルコールは全く出てこない。このあたりは、いかにヤンキーものといえども、さすがに「国民的アイドル」が法に背くことは如何なものかという配慮が働いている気がする。いわば、ここで繰り広げられるケンカや暴力は、いわばスポーツとして定義されていると理解することも可能だ。

一方、乱闘シーンについては回を重ねるに連れ、演技力も度胸もついたせいか、激しさが増してきてスゴイことになってくる。実際、ゲキカラのシーンでは、さすがに血糊べったりシーンが矢継ぎ早に表れることが問題視されたらしく、再放送ではシーンカットやモノクロでの放映となったらしい(DVDは原作のまま)。まぁ、青少年への影響を鑑みてということらしいが、そもそも放映時間は真夜中だったから、問題ではないとおもうのだが、時代は変わったということかもしれない。

秋元康氏が放映前の談話として、「おそらくメンバーの中には元ヤンキーがいたかもしれません。そういう子は過去がバレないように、また、そうでない子はいかにしてヤンキーっぽく振る舞うか、そういうところも見どころの一つです(笑」といったコメントが紹介されているが、そのあたりの探りも、ファンの楽しみ方の一つでもあった。

ところで、当時「マジすか新規」という言葉が流行った。つまりマジすかを機会としてAKBのファンになった人のこと。

確かにこれをきっかけとしてファンになった人は非常に多くいると思う。実際、このドラマに出てくる彼女たちと、別のバラエティ番組での「す」とのギャップは、それこそ天と地ほど違っていたから視聴者はさぞかし驚いたことだろう。と同時に、彼らがこういう二面性を演じることができる彼女達のとりこになって行ったということは想像に難くない。

今、活躍しているAKB48のリーダーやリーダー格は、みなあのドラマで主役脇役として活躍した子たちだおそらく、マジすかを演じたことで大きな自信を得たのだろうと思う。

であれば、マジすかは、AKB48の登竜門としてとてつもなく大きな役割を担っていたということになる。

写真は、役者として秀逸だったラッパッパ部長「優子先輩:大島優子さん」、情報工作の覇者「ネズミ:渡辺麻友」、そして狂気乱舞の「ゲキカラ:松井玲奈さん」。そして、マジすか学園3で、優子先輩に匹敵する存在感を出していた「アンニン:入山杏奈さん」。

よく見ると、みな眼光が鋭い。ヒタっと見る目が「マジ」だ。


    


「アイドルが、アイドルという設定で、アイドルとして振る舞うドラマ」では、成長を望むことは難しい。

アイドルが、自らの手でアイドルというポジションを壊すドラマの方が、成長させるということだ。


今日びのアイドルは、古(いにしえ)の時代のアイドルの仕事内容とは異なり、カワイイだけでは務まらない。歌踊りといった本来の歌手としての素養以外に、トークといった要素も必要だ。しかも、最近では、通常だったら恥ずかしくてできないこともやってのけるという「プライドのハードルを下げる能力」も必要となっている。それをできることが、常人と異なるスキルなのだろう。

こういった能力の育成は、マジすか学園の様な型破りドラマで培われるものなのかもしれない。