仕事で山道を12キロメートルほど歩くことになった。今回の山行では、ザックのなかに10キログラム程度の荷物しか入れる予定はなかった。その昔、大学時代には40キログラムの荷物を持って、山登りをしたこともあるのだから、こんな山行は楽勝だ、と登る前は思っていた。


8人のパーティーでリーダーは今年から社会人になったばかりの新人だった。装備表が何もなく、地図も持とうとしなかったので、とりあえず怒った。
「地図とコンパスを持たずに山に登るな。」
「でも、ルートはしっかりついていて、1本道だと聞いています。」
「そうかもしれないけれど、とりあえず2万5000分の1の地図をパソコンから打ち出して、俺と自分の分だけ印刷をしておけ。コンパスも忘れるんじゃないぞ。」と言っておいた。


「誰かが体調を崩すことも考えて、トイレットペーパーも1ロール、会社から持って行け。」と言ったのだが、故意なのか過失なのか、結局、忘れたようだった。コンパスも買わなかったようだった。


登り初めて2キロメートルほどで、大きな分岐に出た。
「一本道じゃなかったのか?」
「そう聞いていたんですが…。」


久し振りに地図とコンパスでルートを確定した。分岐はその後、3カ所にわたってあった。パソコンから打ち出した2万5000分の1の地図はまったく信用できない代物で、地名もほとんど落ちておらず、分岐もまったく載っていなかった。ルートも現実との乖離が大きかった。一応、全体的な方角からルートの確定をしたが、「運次第」という面は多分にあった。
「やっぱり、きちんとした地図を買っておくべきだった。」
肝心な部分を部下頼みにした自分に対して反省をした。今までの山登りで、いったい何を学んでいたのだろう?


このルートは、毎年、会社の誰かが歩くことになっていた。昨年、リーダーを担当した部下は、昼ご飯と雨具をコンビニの袋に入れて、それだけで山に登ったらしい。
「地図はどうしたんだ?」
「必要ないですよ、一本道だし。」


おそらく、彼が登ったときも分岐はあった。ただ、パーティーに同じコースを登った経験者がいて、どちらに行くべきなのか問題にならなかったため、一本道なのだと思いこんだのだと思う。


不幸なことに、今回のパーティーにはこの道を歩いた経験者がいなかった。たまたま運がよく、3つの分岐全てで正解のルートを見つけられたが、パーティー丸ごと遭難、ということも可能性としてはあった。


そして今回の山行では、僕自身が信じられないくらいにバテた。ルートが見つからなくて遭難した場合、最初の犠牲者は俺だと思った。一応、万が一のために最後尾をずっと歩いていたのだが、他のメンバーを見守るというよりも付いていくのがやっとだった。登り道では体中から汗が噴き出した。頭にかぶったキャップ全体が汗で濡れ、ひさしの先から、汗がポタポタと流れ落ちた。全身、汗まみれで、自分がいかに水太りをしているのか自覚せざるを得なかった。


昼にはメンバーに、作ってきたサンドイッチなどをあげたけれど、サンドイッチを渡しに行くのもおっくうだった。体力の限界を感じていた。


山道は落ち葉がクッションのように衝撃を吸収してくれた。だから、膝や腰を痛めるということはなかったが、足の裏は薄い中敷きが原因なのか、痛くて仕方がなかった。


夕方、4時過ぎになんとかゴールにたどり着き、出迎えの人たちと会った。疲れていたけれど、体から余計な水が抜けたせいか、多少心地よかった。


この山行があと3日続けば、俺もかつての体力を取り戻すことができるだろうな、という気がした。それから、でも、3日続くことはないから、やっぱりまた水太りするのだろうな、と思った。


+++


金曜日の夜、台風27号の影響で、雨がかなり降った。
夜10時30分頃に、ある家に呼ばれた。同僚と急行すると、その家では、雨水が敷地内に溜まっていた。ざっと見たところ、水の逃げ道がないようだった。


それで、業者に来てもらって、雨のなか、ポンプで水出しをした。
台風のせいで風が強く、寒くて震えていた。もう少し、きちんと雨対策をすればよかったと後悔をした。
一通りの作業が終わったのは日付をまたいだ12時30分頃だった。


+++


そしてまた、土曜日は台風27号が接近し、朝から職場に呼び出された。危険箇所のパトロールなどをして、夕方4時頃まで仕事をしていた。


+++


ようやく予定の入っていない手つかずの日曜日が来て、今日こそは勉強しようと、朝からコーヒーを作って準備をしていた。


9時頃に電話が来て、朝、災害が起きて、施設に被害が出たと報告を受けた。仕方がなく、また職場に行った。午後1時30分頃まで様々な対応をして、それから家に帰ることができた。


時間に余裕があれば、前の職場で会社祭をしているので行こうかと思っていたが、結局、それもかなわなかった。


もう子供ではないので、勉強ができないのを何かのせいにするつもりは全くない。むしろ、僕の場合は、何かを(例えば映画や読書を)犠牲にしてその分勉強するというのは無理で、「何もかもやる。当然、勉強もする」というスタンスが正解のように思っている。


だから、文句は言わない。ただ、今週も思ったより勉強できなかった、というだけの話しだ。この埋め合わせは必ず、将来の僕がしてくれると思う。


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ジェフリー・アーチャーの「時のみぞ知る(下):クリフトン年代記 第1部 」(新潮文庫)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-onlytimewilltell

解説を読んだら、この第2次世界大戦直前の年代から、2020年までを描こうとシェフリー・アーチャーは考えているらしい。


それは、とてつもなく長い小説になるなあ、と思いながらも、読んじゃうんだろうなあ、と諦めに近い気持ちで思った。


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NHKのドキュメント番組「人は走るために生まれた ~メキシコ山岳民族・驚異の持久力~」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-born to run

この番組は、クリストファー・マクドーガルの著書「BORN TO RUN」からその着想を得ている。


http://www.ted.com/talks/view/lang/ja//id/1067
▲クリストファー・マクドーガル自身の講義はこちら。この講義が俺はとても気に入った。


メキシコ奥地にララムリという民族が、とても足が速く、おまけに疲れ知らずであるということから、この物語は始まる。
その食生活は豆とトウモロコシだけ。


厚生労働省はバランスよく種類多く食べないと病気になると脅すが、ララムリはこの食生活にも関わらず健康で、50歳台でも80キロメートルを超えるウルトラマラソンに参加する。


ランニングシューズも履かない人が多い。ほとんどの人は、古タイヤを切って作ったワラジのようなものを履いて走る。ランニングシューズよりも裸足の方がいいらしい。


クリストファー・マクドーガル自身の講義によれば、彼らは、スペイン人が侵入してきたとき、「逃げた」のだという。そして生き延びたのだ。


生き延びるため、速く走る訓練をすると同時に、これは僕が勝手に思ったのだが、襲われないように「裕福な生活を求めない」ことにしたのだと思う。誰も、トウモロコシと豆しか持っていない人を、手間暇かけて襲おうとは思わないだろう。


NHKの番組では、「ここはすべてが正常だ」というララムリの言葉が印象的に使われている。


「200万年前に人類が誕生し、2万年前の石器時代まで、人はどうやって食料を得てきたのか?」という疑問に、クリストファー・マクドーガルはこう言う。「獲物が死ぬまで、集団で延々と追いかけたのだ」と。「だから、人間は、他の動物と違って発汗機能が優れていて、いつまでも走れる体を持っているのだ」と。


こういうSFがかった話しは「たまんねえな」と僕は思う。それで、すごく疲れていたのだけど、ついつい興奮してしまい、走りに行った。1キロメートルくらいで、車の多さと人の目の多さにうんざりしてやめたけど。


「人の体は走るようにできているんだ」という理屈を僕はとても気に入った。今まで、走ることが大嫌いだったけれど、少しは好きになれるような気がしてきた。

転勤をしてきてから1人のクレーマーに振り回されていた。彼については、前任者など数年前からの記録があって、なかには胸ぐらをつかまれたなんてものもある。僕も何度か電話で話しをした。本人は冷静な意見を言っているつもりなのだろうが、偏っている。気に入らないことがあると簡単にキレて、電話でも大半は暴言の嵐、ということになっていた。


クレーマーは全員そうだと思うが、自分が正しいと思いこんでいるのがやっかいだ。僕の感覚だと、自分が正しいと無条件で信じ込むあたりがそもそも間違っている。例え中学生レベルの問題であっても100点はなかなか取れない。自分は間違える可能性があるということを認識していることは、どんな立場でも必要だと思う。


詳細を書くことはできないが、このクレーマーに関する問題は、なんとか解決することができた。それまでの理論武装には多くの友人の力も借りた。


正直、アポ取りをしてから会社での面談当日まで、ずっと気が重かった。それでも、Tどん夫婦との楽しい旅行があったり、長野への出張があったり、台風26号が来て徹夜をしたり。やるべきことがたくさんあって、あまり悩んでいられる時間が少なかったことは幸いだった。


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金曜日の夜、伊那市で「第12回伊那街道12蔵 秋の吞みあるき」という伊那街道の酒造メーカーが勢揃いするというイベントがあった。僕は日本酒が好きというわけではなかったのだが、上司に誘われて、参加することになった。


My Kiasu Life in JAPAN-nomiaruki

定時に仕事を終えた後に向かったので、会場に着いたのは6時過ぎだった。もう辺りは暗くなっていた。決まったお猪口を持って、無料券の札を首からぶら下げて、いろんなブースに行ってお酒を飲んだ。飲みやすいお酒が多かったが、日本酒の味の良し悪しが今ひとつわからないので、お店の人が勧めてくれるお酒を「ふーむ」などと言いながら飲み、よくわからないが、これがうまいのだろうと思いながら飲んだ。


吞みあるきの会場は午後8時にお開きになる。そんなにたくさんの量が飲めたわけではないので、「亀」という居酒屋に行って再び飲み始めた。
http://www.valley.ne.jp/~ina-kame/


この店のつまみがどれもうまかった。特に締めで食べた「からつゆそば」は、しゃもじにつけて焼いた味噌をつゆに溶かして食べるもので、つゆが香ばしくなって、うまかった。


この日は、伊那市で泊まることにしていたので、夜は12時過ぎまで飲み歩いていた。伊那の飲み屋街は明るく、雰囲気も楽しかった。
「亀」から出た後も2軒ほどはしごをした。よく飲んだけれど、記憶をなくすほどではなく、翌日の2日酔いも軽かった。


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土曜日は松本に行った。パルコの地下の書籍売り場を歩いていたら、ジェフリー・アーチャーの新作「時のみぞ知る(上):クリフトン年代記 第1部 」(新潮文庫)が売られていたので、手に取った。


My Kiasu Life in JAPAN-onlytimewilltell

調べてみたら、「時のみぞ知る」だけでなく、「死もまた我等なり」という本も既に翻訳されて出版されていた。


ときどき僕がジェフリー・アーチャーの本に会わなかったら、どんな人間になっていたのだろうかと考えることがある。毎日、少しでもいいから勉強をしようとは、おそらく彼の本を読んでいなかったら、思わなかったのではないかと思う。


初めて彼の名前を聞いたのは、東京で大学浪人をしていたときだった。新宿の高層ビルのエレベーターのなかで、友だちが「ケインとアベル」の話しをしていた。僕が「その本を読んだことがない」と言うと、友だちはかなり驚いたようだった。
「読んだ方がいい?」
「絶対に読んだ方がいい。もう当然、読んでいると思った。」
それがきっかけで、それからは彼の本のほとんどを僕は読んでいる。


「時のみぞ知る(上):クリフトン年代記 第1部 」は読み終わった。ベースとなる思想は、これまでの作品と変わらない。ただ、年を取ったせいだろうか?苦難に満ちた小学生の主人公に、かなり多くの優しい手を伸ばしている。


それにしても、小学校の優等生の気持ちをここまで再現できるご老人の(ジェフリー・アーチャーの)能力におそれを感じた。結局のところ、彼も日々、努力を重ねているのだと思う。


この本を人に勧めるかと聞かれたら、何とも答えがたい。まだ下巻を読んでいないし。


でも、「ケインとアベル」を読んでいないようだったら、それは絶対に読んだ方がいい。「めざせダウニング街10番地」や「チェルシー・テラスへの道」も必読だ。


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トム・ティクヴァ監督のドイツ映画「ラン・ローラ・ラン」を見た。
http://youtu.be/1tIuD5aqc4o

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=3ea0mG4ahRk
My Kiasu Life in JAPAN-runlorarun

最近、太り気味で、スポーツマンの同僚に「どうしたらいいか」聞いてみた。今の職場にはスポーツマンの同僚というのが、実に数多くいて頼もしい。


彼の話では「やっぱりジョギングが一番」だという。理由は「今からでも十分に能力が伸びるから。」なのだそうだ。「昨日より今日、今日より明日、だんだんと体が変わっていきます。」


それでも僕はジョギングに抵抗がある。走ることが大嫌いだ。


それで、走ることをテーマにした映画を観ることにして、選んだのがこの「ラン・ローラ・ラン」だった。


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10万フランを用意しないと、恋人が殺されてしまう。20分後に、恋人はスーパーに強盗に入る決意をしてしまった。ローラは走る。20分間で10万フランを用意するために。頼めるのは銀行員の父だけ。でも、断られたら。


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ローラのみならず、様々な人の人生が錯綜する。ローラはどう生きればいいのか。ローラの20分間が、受話器を置いた瞬間から始まる。(何度も。)


見て、どうのこうのいう難しい映画ではないけれど、時間がテーマの映画は僕は大好きなので、いろんな意味で面白く見ることができた。ただ、これを見て走ろうとは思えなかったけれど。

火曜日に新人の歓迎会があった。歓迎会は飲み会と大体決まっている。


とはいうものの、肝心の新人はお酒が飲めず、それでいて、新人からも会費を徴収するという「それではありがた迷惑なのではないか」と思うような会ではあった。


まだ火曜日なんだから、そんなに飲まないようにしようと心に固く誓って飲み会に参加したが、やはり飲み過ぎてしまい、結局、4次会まで行ってタクシーで帰ってきた。帰った頃には12時を過ぎ、もう翌日になっていた。こういう飲み方はどうにかならないものかと思うが、どうにもならない。仕方がない。


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福島のTどん夫婦が週末に長野に遊びに来るというので、付き合うことにした。Tどん夫婦は結婚してまだ1年ほどしか経っていない。


「福島の夫婦が長野に来るので、そのアテンドをする」と姉に言ったら、「それは迷惑なのでは」などと常識的なことを言われたが、Tどん夫婦の桃太郎電鉄の相手としてのご指名だったので、そんなに迷惑にはならないはずだった。


3連休ということもあって、手ごろなホテルは満室だった。それで、長野市の繁華街である権堂にあるホテルに連絡したら、8畳の和室とシングル1室を借りることができそうだった。値段が驚くほど安い。3連休中なのに1人3,500円なのだという。大丈夫なのかなあ、と不安に思ったが、Tどんがそこでいい、というので、予約した。


土曜日の12時に須坂で待ち合わせをした。間に合う自信はあったけれど、一応9時頃に家を出た。


高速道路で、工事による車線規制をしていて、麻績インターの手前から1キロほどの渋滞になった。冷静に考えれば、1キロくらいの渋滞ならそのまま走っていればそれほど時間がかからず通過できるはずだった。どころが、あまりに動かない渋滞だったこともあって、つい、麻績インターで降りてしまった。


そこから、更埴インターまで普通の道を走ったのだが、途中、聖高原なども通過する、かなり急な山道で運転は大変だった。回り道になったことは間違いがなく、時間は余計にかかった。


そんなこともあったけれど、12時に須坂の待ち合わせには、なんとか間に合わせることができた。


Tどん夫婦も事故渋滞に巻き込まれたらしい。待ち合わせには20分くらい遅れて着いた。
そこに、車を置いて、それから僕の車に移って、3人で小布施に行った。


小布施の街は人が込み合っていて、駐車場も随分と遠くでなければ止めることができなかった。でも、Tどんが言うように、観光地を歩いている人は笑顔の人が多かった。観光地が「いい」のは、そこを歩いているときに、笑顔になっているからなんだろうな、と思った。


桜井甘精堂の泉石亭で昼食の予約をして、それから北斎館の前の店で栗ソフトを食べた。Tどんはソフトクリーム好きなので、だいたいソフトクリームを食べさせておけば文句は言わない。なかなかおいしかった。


それから北斎館に行った。北斎の才能には、来るたびに圧倒される。
http://hokusai-kan.com/


北斎の時代、モデルというシステムがあったのか、なかったのか。人間の老いゆく姿を描いた絵には、リアリティがある。


ピカソが絵を描くときにモデルを使ったというのも、別の意味で驚きだが(あの絵にモデルが必要なのか?と)、北斎の絵はモデルが存在しえない想像上の竜なども生き生きと描かれている。


今回、晩年に描いた「富士越龍図」を見られなかったのは残念だったが、この北斎館に来ると、人間の能力のものすごさを再認識させられる。俺も、まだまだやれるよなあ、という気になる。


それから、桜井甘精堂の泉石亭に戻って栗おこわを食べた。いつもの味でおいしかった。
http://www.kanseido.co.jp/shop/senseki/


そのあと、車に乗って、高山村にある雷滝を見に行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E6%BB%9D


My Kiasu Life in JAPAN-kaminaritaki

この滝は、意外な穴場で、見るとちょっと感動する。僕は夜中にも行ったことがある。その時は、何も見えなかったけれど。


Tどん夫婦も喜んでくれたみたいでよかった。Tどんの奥さんは、全然怒らない人で、物事の良い面を見る能力に長けている。すごく優しい。Tどんは幸せそうだったが、ときどき、甘やかされ過ぎだ、と俺は思った。


それから、長野市にある「裾花峡天然温泉 うるおい館」の温泉に入ってから、ホテルに行った。
http://www.uruoikan.com/bath/


ホテルは「ニューやま」というホテルだった。
http://www.yama39.com/hotelnew/


古かったが、部屋も広く、全く問題がなかった。これからも、長野に泊まるときはここを使おうと思った。一番の利点は飲み屋街に近いことと、善光寺までも15分くらいで行けることだ。


唯一、残念だったのは、旅館のテレビにPS3の接続ができなかったことで、それで桃太郎電鉄の夜は過ごせなかった。そもそも、桃鉄のために一緒の宿舎にしたのに、申し訳ない気持ちだったが、結局、諦めるしか仕方がなかった。


それから、夕食の場所を探しにいろいろと歩き回ったが、結局、ホテルから歩いて3分程度の「二本松」という飲み屋に行った。
http://tabelog.com/nagano/A2001/A200101/20006904/


おいしくて、食べて飲んだ。Tどん夫婦も喜んでくれたみたいでよかった。
2人とも「長野はいいなあ。」と1日のうちに何度も言うので、「何か福島で嫌なことでもあったのか?」と聞いたけれど、そういうわけでもなさそうだった。


それから、ホテルに戻って、Tどんがビールを買ってくれて飲んだ。それから、夫婦に「おやすみなさい」と言って部屋を出て、それからどこに行ったかは内緒だ。


翌朝は7時30分に起きて、善光寺に参拝した。
http://www.zenkoji.jp/


My Kiasu Life in JAPAN-zenkohji

以前、Tどんと2人で善光寺に行ったことがある。そのときはTどんは戒壇巡りが怖かったらしく、戒壇巡りのあと「こんな建物、消防法違反です。もう2度と善光寺なんか来ない」と本気で怒っていて俺は笑ってしまった。


でも、今回ははじめから暗闇のなかを歩く、と知っていたので、Tどんも心の準備ができていたようだった。


暗闇のなか、右の腰辺りの壁を探っていくと、大きなドアノブみたいなものを握ることができる。これが錠前だ。
Tどんも奥さんも、今回はしっかり握れたようでよかった。


「どうだった?戒壇巡り?」Tどんに感想を聞いたら「戒壇巡り、面白いです」なんて言っていたので笑った。


それから、戸隠神社に行った。
http://www.togakushi-jinja.jp/shrine/index.html


もうパワースポットブームは去ったのかと勝手に思っていたが、すごい人出で驚いた。戸隠中社の広い駐車場にも駐められず、戸隠スキー場の駐車場に駐めて、そこからシャトルバスで戸隠奥社入り口に向かった。


奥社入り口にある「戸隠奥社前食堂 なおすけ」で、早めの昼食を食べてから、とりあえず随神門まで歩いて行くことにした。
http://tabelog.com/nagano/A2001/A200101/20000534/


My Kiasu Life in JAPAN-zuishinmon

▲随神門


途中で、Tどんが奥さんに「随神門まで行って、帰りたくなったら、帰ろう」なんて言っていたので、奥さんが「帰ろう」って言うかどうか気になっていた。

My Kiasu Life in JAPAN-suginamiki
▲杉並木

随神門で写真を撮って、奥さんにTどんが「行く?」と聞いたら、「ここまで来たら行く!」と即決し、Tどんは少し驚いていた。


随神門から奥社までは、杉並木のなか、ちょっときつめの上り坂が続く。休みながら、それでも登っていく。だんだんとみんな無口になってしまう。


My Kiasu Life in JAPAN-togakushirenpoh
▲戸隠連峰が望める。急峻な地形だ。


奥社まであと少し、というところで、順番待ちの渋滞になってしまった。Tどんが「写真を撮って帰ろう」なんて提案をしたけれど、奥さんは「せっかくここまで来たのだから」と最後までお参りすることを選択した。


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▲長い行列


それから15分ほど待って、奥社と九頭龍社にお参りをすることができた。



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▲九頭龍社


それから、また「戸隠奥社前食堂 なおすけ」まで戻ってソフトクリームを食べた。ここのソフトクリームもおいしかった。ソフトクリーム好きのTどんも当然、喜んでいた。


それから「どこか食事か温泉でも」なんて思ったけれど、適当な場所がなく、結局、そのまま帰ることになった。


須坂まで2人を送っていき、2人とはそこで別れた。


そして、それから高速道路を走って、また実家に帰ってきた。
家に帰って、風呂に入りながら、この1泊2日の旅行のことを考えた。


奥社まで歩いたこともあって、とても疲れたけれど、なんだかすごく充実した時間を過ごしたような、そんな気がした。


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「完全なる報復」を見た。
http://rakuten.ptn.woopie.jp/video/watch/18b6ed010b1b4277


My Kiasu Life in JAPAN-lawabidingcitizen


自分の妻と子供を殺した犯人を、徹底的にやっつけるアクション映画だと思っていたら、かなり強烈なサスペンス映画だった。「ファニーゲームU.S.A.」がトラウマになっていて、強烈なサスペンスからは距離を取りたい時期だったんだけれど。。


My Kiasu Life in JAPAN-lawabidingcitizen1

犯人は随分と早い時間に、完膚無きまでにやっつけられてしまい(体を麻痺させたうえで、気絶しないようにアドレナリンを注射された後、自分がよく見えるようにと、鏡がセットされる。目をつぶらないようにとまぶたを切られ、手足を切られ、ペニスを切られ、となるらしいが、さすがにセリフだけで映像はなかった。ほっとした。)、あとはどうするんだろう?と思いながら見ていた。


My Kiasu Life in JAPAN-lawabidingcitizen2

妻と子供を殺された被害者の男性は、今度は、司法取引をした判事、弁護士、検事、検事を任命した市長など、次々に殺していく。対象がどんどんと拡大していくので大変だ。


それなりにサスペンスとして楽しめる映画だったが、得たものはあまりなかった。フグ毒であるテトロドトキシンは、体は麻痺させるが、神経は麻痺しないので、痛みはそのまま感じるという、おそらく一生使わない知識くらいが収穫だった。

以前、「大きく振りかぶって」というマンガを同僚の女性に貸していた。
彼女の息子は、野球をしていないというので、「どうして?」と聞いたら、「だって、砂とかで汚れるじゃん」と言う。彼女の息子は、バスケをしているのだそうだ。


水曜日の夜、野球の練習があった。毎週、練習があるらしいのだが、僕は今まで参加したことがなかった。あまりに練習参加者が少なく、「今日は30分間キャッチボール一本勝負だ」と監督が言っているというのを小耳に挟んだので、「そういうことなら行こう」と思って、ワイシャツ姿のまま練習に行った。


確かに練習に来ていたのは僕も含めて6人しかいなかった。僕はソフトボールの感覚があって、軟式のボールを投げづらい。それで、キャッチボールをしっかりやって、軟式のボールを投げる感覚を身につけたかった。


それから、昔からショートバウンドの取り方がでたらめで、手元でバウンドした球は、基本的に体で止める以外の方法を知らなかった。だからいつもソフトボールの試合のときは、そういった処理が基本的には不要なピッチャーばかりをしていた。ピッチャーだったら体でバウンドを止めれば、褒められることはあっても、誰も技術がないと文句を言わない。


キャッチボールをしながら、隣で鮮やかにショートバウンドを処理しているキャプテンに、ショートバウンドの取り方を聞いてみた。


「基本的にはボールのバウンドに合わせるっていうことなんですけれど、難しいですよね。要は、飛んでくるボールから見て、最も面積が大きく見えるようにグローブを出すっていうことなんです。」


今まで、なんとなくキャッチボールをしていたけれど、「飛んでくるボールから見て最も面積が大きく見えるように」というように説明をされると自分でも捕り方がいいのか悪いのか判断ができる。いいことを教えてもらったと思った。


軟式ボールの投げ方は、未だにしっくりこない。どうしても山なりのへなちょこボールになってしまう。力いっぱい投げると、暴投か遠投をしてしまいそうで、これは慣れしかないように思う。


練習は、その後、トスバッティング、ノックと続いた。どうもそれが普通の練習メニューのようで、結局、キャッチボール一本勝負、ということではなくなっていた。


トスバッティングも今ひとつ感覚がよくわからない。よくわからないので、ボールが当たった瞬間にバットを止めた。そうすると中途半端なフライになるので、これでいいんだろう、と勝手に思ってそうやっていた。


ノックでは、僕は完全に息が上がってしまい、胸にライナーでも受けたら死んでしまうような気がした。俺、限界を超えたな、と思った。でも力一杯走って、ボールがグラブに納まっているのを見ると、なんとも嬉しい気分になり、ついつい走ってしまう。走った後、死ぬほど後悔する。


試合後のグランド整備でトンボをかけているときも、疲れ切っていた。


なんとか家までたどり着き、シャワーを浴びることにした。ワイシャツは汗と砂にまみれ、クリーニングから戻ってきたばかりだったズボンも砂だらけで、すぐにまたクリーニング行きの袋に入れた。砂だらけになった靴下を脱ぐときに、「だって、砂とかで汚れるじゃん」と言っていた同僚の女性の顔が目に浮かび、「まったくなあ。」と思って苦笑いをした。


+++


土曜日の夕方は仕事で、車を1時間ほど走らせて、作業現場まで行った。
作業が完了しているかどうかの検査をして、現場の写真を撮って、会社に送る。会社からOKが出れば仕事は終了だ。


約束の時間よりも30分も早く着いてしまったが、天気がよかったせいか、仕事も順調で、僕が行ったときにはもうほとんど作業も終わっていた。


現場の人たちにあいさつをして、写真を撮る。
それから、車で広い場所に出て、そこからパソコンを開き、カメラのデータを取り込んで、USBモデムを使って、会社に写真を送る、はずだった。


実は心のどこかで予測していたことだけど、USBモデムが電波を拾えない。こんなことなら、携帯電話で写真を撮るんだったと少し後悔したけれど、やはり大事な写真を携帯なんかで撮るわけにはいかない。


それで、電波が届く場所まで、車を走らせた。その間に、会社には事業終了の電話を入れたけれど、確認の写真はもう少し待て、と伝えていた。


広いスーパーの駐車場で、ようやく電波を拾えて、そこから送った。パソコンの電源を入れっぱなしだったので、バッテリーが底をつきそうだった。


あらかじめ下書きとして会社あてのメアドを記載したまま寝かしておいたメールを開き、そこに写真を添付する。
本文を記入しているうちに電源が切れてしまうことを考えて、本文をつけずに送信した。


会社に電話をして、OKをもらい、それから真っ直ぐにまた家まで帰った。こういう何でもない仕事が、俺の手にかかると、毎回、冷や汗ものの仕事になってしまうのはどういうわけなのか、いろいろと考えたいと思った。


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F・ゲイリー・グレイ監督の映画「be cool」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-be cool

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=YKj3n9sUjCw


「ゲット・ショーティー」の続編ということだが、僕はその「ゲット・ショーティー」を見ていないので、今ひとつ登場人物に思い入れをすることができない。


My Kiasu Life in JAPAN-be cool1

1人の女の子を歌姫にするまでの、プロデューサー(ジョン・トラボルタ)の活躍を描いた映画だが、映画に引き込まれることは全くなく、ひどい展開だな、とそれこそcoolに見ていた。


My Kiasu Life in JAPAN-be cool2

しかし、なんだかんだ言いながらも、結局、最後まで見てしまい、それなりに面白かったと感想を持った。人には勧めないが、こういう映画が好きだという人がいても、そんなに不思議ではないような気がした。


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従兄弟から1年間も借り続けていた、山崎正和先生の「山崎正和著作集 戯曲(2)」(中央公論社)をようやく読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-masakazu yamazaki

この戯曲は「芸術としての戯曲」なので、笑いはほとんどなく、読んでいる間、僕はかなりつらかった。でも、最後まで読み切って、「俺は山崎正和の戯曲のうち、全集に載っているものは全部読んだ」と言えるようになった今は、少し誇らしい気持ちがする。


これらの戯曲は「人は努力すればいつかは報われる」というものではない。むしろ優秀な人たちが、努力を重ね、人生を賭けても、それでもなお負けてしまった時代や政治が描かれている。


この作品が書かれた60年代の空気を、僕はこれらの作品を通じて、嗅いだ気がした。あの頃は、もっと女の子が優しく、そして社会は今よりも酷だった。俳優たちは芸術家であることを目差した。


会社にパソコンどころか電卓もなかったあの時代。リアルが全てだった時代に描かれた脚本は、知的な戦いのなかに、生々しさがある。僕がこの時代に生きたら、きっと苦労をしたと思うけれど、この時代の女の子はなんとも魅力的で、読みながら何度も「いいよなあ」ってそれだけは思った。

先日、大規模避難訓練の見学や現場検証などで若い部下と半日の間、出張した。
避難訓練の間に、何度も「今、何時ですか?」と聞いてくるので、「腕時計を持ってないのか?」と聞いてみた。


「あんまりしないんですよ。」
「高校に入学したときとか、親や親戚が腕時計を買ってくれなかったのか?」
「そういう文化はなかったんですよね。」
確かに小学生が携帯電話を持つ時代に「高校入学時に腕時計をプレゼント」という時代ではないのかもな、とは思う。


「何にも買ってもらわなかったのか?入学祝いで。」
「そうですね。でも、強いていえば、ゴムを買ってもらいました。」
「ゴム?なんで?」
「女の子と旅行に行くと言ったら、たくさんくれました。」
「…。そうなのか。」
なんだか、とてもうらやましい気がした。腕時計よりもずっといい。こうして年寄りはひがみっぽくなるのだと思った。


+++


週末は名古屋に行った。以前、名古屋で働いていたことがあって、その同窓会だった。
全国から、当時の仲間達が集まってくる。


その当時、人当たりのいい、ちょっとイケメンの先輩がいて、彼は「専門員」と呼ばれていた。ずっと、そういう肩書きなのだと思っていたのだが、そうではなくて、女性の扱いが慣れているということで「女性専門員」というのが語源なのだと初めて知った。


9.11のアメリカ同時多発テロの日は、ちょうど僕がオーストラリアの友だちの家から日本に帰る日だった。
「アメリカの上空を飛べなくなりました。だから、グアム上空を飛べません」という機内放送が流れて、僕の乗った飛行機は、いったんフィリピンに着陸して、それから再び成田空港を目指した。
その長いフライトの最中に、名古屋で働いていた頃、一緒によく麻雀を打っていた先輩とばったりと会った。


「こんな飛行機のなかで会うなんて。」
そのときはとても驚いた。そして、その先輩もこの同窓会に来ていた。久し振りに会った先輩は、相変わらず話しが面白く、自分は1回離婚して、再婚をしていないのに、僕に何度も「1度は結婚した方がいい」と言うのだった。「でも1度すれば、2度はしなくていい」と言う。


「別れるときはエネルギーがいるんだ」とその先輩は言う。「離婚届が郵送で送られてきたんだ。でも面倒だろ。だから放っておいたら、銀行の口座に80万円が振り込まれていた。これは早く印鑑を押せっていう意味なのかなあ、と思って急いで押して送り返した」らしい。


「もうちょっと放っておけば、また振り込みが。」
「ははは。どうかなあ。」


そういう話しをいっぱいしてくれる。それでいて「結婚しろ」と言う。どういうことなのかよくわからない。


昔、いっしょに働いていた女の子達にも会った。もうみんな子供がいて、もう「女の子」ではないのだが、2次会の薄暗い会場で、少し酔っぱらってから見たときには、みんなきれいだなあ、と思った。こんなにきれいな人たちと仕事をしていたのか、と。


あの頃、結婚なんて他人事で、それから相手なんかいくらでも見つかるような気がしていた。それから後の人生が示すように、それは大間違いだった。


「一人暮らしだと、掃除とか大変でしょ?」
「大変だよ。今は一軒家だし、そこに一人で住んでいるからどんどん汚れちゃって。掃除のためだけに3人くらいと結婚したい。」と言ったら「そんなこと言っているから、結婚できない」のだと言われた。俺もそう思う。


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2次会のあと、ホテルまで行く途中で「あと少しなら飲んでもいいな」と思っていた(この時点で大間違いではある)。
それで、客引きのお兄さんに連れられて、ガールズバーに行った。


入った瞬間、失敗したなあ、と思った。
メイド服やAKBが着ているようなユニフォームを着た女の子がカウンターのなかに立っていて、「お帰りなさい、ご主人様」と声をかけてくれる。


今まで、そういうところがあると知っていたけれど、本当にそういうことを言うんだ、と思った。


「私、オタクで、暗いアニメとかが好きで、ものすごく詳しいんです。」という女の子と、ジブリの映画ですらよくわからない僕が、話しをかみ合わせることは至難の業だ。中学生の頃ならともかく、今ではアニメそのものに興味がない。基本的にずっと「そうなんだ。ふーん。うんうん。」と言っていた。


その女の子が商業高校で簿記と情報処理の勉強をしていた、という辺りからなんとか話しの切り口が見つかって、それからはなんとか話しを回すことができた。


今回、僕がこのガールズバーで学んだことは、彼女たちのユニフォームは、バイトの女の子達が着回している、ということと、それが嫌な子は自前でメイド服を買うのだが、メイド服は3000円程度で買える、ということだった。俺は一生着ないと思うので、何の役に立つ情報なのかはわからないけれど。


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泊まりはアパホテル名古屋栄だった。よくアパホテルに泊まるが、この名古屋栄は初めてだった。


ホテルの部屋にはいると、シングルなのにベッドが大きく、とてもきれいだった。引き出しにバラエティ・アートワークスの「アパホテル」 (まんがで学ぶ成功企業の仕事術)(朝日新聞出版)というマンガが置いてあったので、最後まで読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-apahotel


時代を振り返ると、バブルの崩壊は当たり前だが、あの時代にその崩壊を読み切っていた人はそうはいないと思う。歴史は後から見ると簡単で当たり前だが、未来はなかなか読めるものではない。


だから、このアパホテルを経営している夫婦が、バブル崩壊を読み切って(あるいはたまたま運が良かっただけかもしれないが)、高騰していた時点で所有していた不動産を売り切って現金化していたことは、経営者としてとても優れていたと思う。


僕自身はアパホテルのCMがいいと思ったことは1度もないが、それは「認知度を上げるため」のアパホテルの戦略だったらしい。嫌われるのも、強い印象を残すひとつの手段なのだと、アパホテルは考えたのだという。


読んでいて、ふーんと思ったし、実際にアパホテル名古屋栄が、随分ときれいだったので、アパホテルもいいなあ、なんて思った。


名古屋からは、翌日の日曜日の午前中に帰った。二日酔いはほとんどなかった。


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マーク・ローレンス監督のラブコメディ「ラブソングができるまで」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-musicandlylics

http://www.youtube.com/watch?v=CZE8Y4ckd34
僕はヒュー・グラントのようになりたいとよく思う。もちろん、彼のような二枚目になるのは無理だけど、彼が演じる、才能あふれる優しさとユーモアを兼ね備えた男というのを目指したい。


My Kiasu Life in JAPAN-musicandlylics1

この映画の中でも、ヒュー・グラントはどんなときもユーモアを忘れない。映画を見ながら、何度もこういう感じのいい人になりたいと思った。そして、彼がこの映画の中で何度もするセクシーダンスを覚えようかと思ったが、挫折するのに30秒もかからなかった。意外と難しい。


My Kiasu Life in JAPAN-musicandlylics2

この映画で、人生の何かを学ぶことはあまりないけれど、見ていて少し、幸せな気分にはなれるかもしれない。


もう10月まであとわずか。これからは気象予報士の勉強もしっかりと頑張りたい。

週末、野球の試合があった。僕は野球部の応援団なのだが、いつの間にか2軍ということになっている。今回、出場選手が少ないということもあって、1軍のユニフォームを受け取った。


もちろん選手層が厚いので、1軍のユニフォームを着たとしても試合に出られるわけではない。それでも万が一のことを考えて、平日の間に2回ほどバッティングセンターに行って、120球ずつ打った。


手のひらの皮がめくれて痛かったけれど、最近、薬局で目にしていたクイックパッドというのを貼ると痛みも軽減する。今までは息を殺してコロスキンを塗り、瞬間的な痛みに耐えていたけれど、そんな痛みもなく、耐久性もコロスキンよりもずっといいような気がした。


試合会場は、僕たちの職場から車で3時間くらいかかる距離だった。朝8時45分に試合会場に集合だというので、僕は朝5時10分に家を出た。僕以外に3人をピックアップする必要があった。


1人目は補欠の選手で5時20分にピックアップした。まだあたりは暗かった。


2人目はキャッチャーで、何があっても彼だけは連れて行かなくてはならない。5時30分にセブンイレブンの前でピックアップという約束だった。


ところが、彼が来ない。何度、携帯電話にかけても反応がない。補欠の選手がキャッチャーが住んでいるアパートを知っているというので、その宿舎に行った。どういうわけか表札がどの家にもかかっていなかったけれど、野球部の道具がドアの前に置いてあったので、たぶん、ここが彼の部屋だと思って、呼び鈴を何度も押して、名前も呼んだ。でも、反応がなかった。ドアにある郵便受けを開けて「野球だ!」って怒鳴ったけれど、やはり反応がない。


5時40分にはレフトの選手もピックアップする必要があった。彼にも携帯で電話をする。ところが、その彼も電話に出ない。


「どうなっているんだ?いったい!」


とりあえず、レフトの選手をピックアップしようと待ち合わせの場所に行く。ところが誰もいない。途方に暮れていたら、キャッチャーから電話があった。


「グッド・モーニング」とりあえずあいさつした。
「いやあ、すみません。目覚ましが鳴らなくて。」
「うるせえ。今から迎えに行く。」
「まだ何にも用意してないので、20分くらいあとに。」


キャッチャーを迎えに行く途中、レフトからも連絡があった。
「すみません。やっぱり今日は自分の車で行きます。」
「心配しなくていいから。寝坊で遅刻したのは君だけじゃないから。」
「でも、今から準備をするので、10分はかかるんです。」
「同じことをもう1人も言っていたから大丈夫。」


もうあたりはすっかり夜が明けていた。キャッチャーのアパートの前で補欠とストレッチをしながら待つ。ようやくキャッチャーがやってきた。


「すみません。目覚ましが鳴らなくて。どうしたのかな?」
「知らねえよ。」
「それにしても、よく目が覚めたなあって。なんだか目が覚めたんですよね。」
「うるせえよ。何の自慢だよ。」


それからレフトを迎えに行った。ようやく全員揃った。


インターから高速に乗る前に、スーパーで選手全員分の昼食の買い出しをしていたので、高速に乗ったのは当初の予定よりも50分くらい遅かった。


それから、僕はちょっと車のスピードを出したような気がする。途中のサービスエリアで15分間の朝食を摂ったけれど、それでも目的の試合会場には3分しか遅れなかった。


それから練習をした。久し振りに軟式のグローブをはめてキャッチボールをする。今までソフトボールを扱うことが多かったので、軟式のボールはあまりに小さいような気がする。


試合では、僕は監督の指示で1塁のコーチをした。盗塁のバックとGO!を指示した。


基本的に盗み放題のピッチャーが多かったので、1塁まで来た選手はだいたい2塁にまで進塁させることができた。


全ての試合が終わったのは午後3時頃だった。僕たちは準優勝で優勝はできなかった。
決勝のときの相手チームのピッチャーは、球の種類によってフォームを変えるという超変則ピッチャーだった。そしてコントロールもよかった。


負けて残念だったし、代打にも出されなくてそれも残念だったけれど、それから2日経った月曜日の今でも肩や腕が痛いことを考えると、試合に出なくて正解だったような気もする。日曜日は疲れ果てていて、姉の家に行って祖父の美術品を買うかどうかの話し合いをしただけで、あとはダラダラと過ごしてしまった。


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ダニエル・コーエン監督の「シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-chef

http://www.youtube.com/watch?v=6RMrAB8UyEU
「ファニーゲームU.S.A.」なんて強烈な映画を見た後だったので、笑えるコメディ映画が見たかった。


My Kiasu Life in JAPAN-chef1

それで、まあまあ笑えるフランス映画だった。
特に競争相手のレストランを探るために日本人に変装した場面は笑った。

My Kiasu Life in JAPAN-chef2

この映画に、何かを求めても無駄だけど、それなりにほのぼのとした気分にはなる。
それから、うまい肉料理がとても食べたくなる。


でも、実際に自分で肉を焼くのかというと、一人だと買い物から後片付けまでを想像しただけで面倒で、結局冷凍食品になっちゃうんだよなあ。困ったものだ。

祭りの準備は、ずっと続いていた。それでも金曜日までに御輿や飾り付けは終わった。


金曜日は午前中休んで、家にいた。診療情報管理士の基礎過程の科目試験があって、自宅で試験を受けなければならない。


この科目試験は9月11日に郵送されてきて、9月20日までに提出しなければならない。
20日というのは必着日なので、正確には19日までに郵送で発送しなければならない。
3連休が間に入るので余裕だが、僕はこの3連休のうち2日間は祭りでつぶれてしまう。
また、台風が接近しているので、仕事上、その対応もしなければならない。


いろいろ考えていくと、どうしても前倒しで科目試験を終わらせる必要がある。
それで、13日の金曜日の午前中は休んで、自宅で試験を受けることにしていた。


もちろん自宅試験なので、教科書も読めるし、インターネットも使える。手間さえかければ、誰でも解ける問題だが、その手間がかなりかかる。


金曜日の午前中には、それでも半分くらいは終了した。なんとなく、全体のボリュームが把握できて、これなら、なんとか3連休中には終わらせることができそうだと思った。


金曜日の夜は安全祈願祭があって、法被(はっぴ)を着て出かけていった。夜は酒宴で、ビールなどいろいろと飲んだ。多くの人はここからまた飲みに行ったらしい。
僕は家に帰って、1問でも多くと科目試験の問題を解いた。だんだんと要領がわかってきて、スピードが速くなってきた。


土曜日は、法被のほか、どんぶりと呼ばれる前掛け、それから股引を穿いて朝9時前から集合場所に行った。足下は地下足袋で、生まれて初めて履いたのだが、とても履きづらく、面倒だった。片足につき12カ所も止め金具を止める必要がある。みんなに靴下を履いて、それから地下足袋を履いた方がいいと聞いていたけれど、履いてみたら思いの外、地下足袋が小さくて、僕は諦めて、素足に地下足袋を履いた。


集合場所に着くと、樽酒が用意されていて、鏡割りをするというので、その準備をした。釘抜きと金槌で、ふたをこじ開ける。
鏡割りで木槌でフタを割るのはパフォーマンスで、もともと割っておく必要があるということを初めて知った。本当に樽酒のフタを力任せに割ったら、フタが粉々になって、酒のなかに落ちて、飲むのに苦労するらしい。
準備が終わったあと、朝9時30分からの出陣式で鏡割りをして、御神酒をいただいた。


それから当然のようにまたビールを飲んだ。朝のビールが意外と飲めるのに驚いた。そう言えば、最近、朝からビールを飲むなんてことはないからなあ、と思った。


それからいよいよ出陣となった。
御輿を担いで地区内を練り歩き、ご祝儀をいただく。ご祝儀をいただいた家の前で、御輿を持ち上げて、鬨の声をあげるのだ。そしてご祝儀をいただいた方には御神酒も振る舞う。僕はその係だった。


御輿は重く、また練り歩く距離も長いので、ずっと御輿を担いでいることなど不可能だ。地区内を歩いていると、コースの所々に休憩をさせてくれるお宅があって、お酒が振る舞われる。食べ物も用意してくれていて、漬け物や豚汁などを出してくれる。


9月だというのに、日中は日が出て暑かった。出る前から「最初のうちはいいけれど、だんだんとビールよりもお茶が飲みたくなる」といろんな人に言われていたけれど、そのとおりで、行く先々で紙コップにビールが注がれると「正直、もう勘弁してくれ」と思った。


アイスキャンディーを出してくれた家もあった。その頃には疲れ果てていて、もうビールは全く飲めなくなっていた。お茶をどれだけ飲んでも、渇きは癒されないような感じだった。


夕方、また出発した集合場所まで戻ってきた。そこでもまた祝宴があったが、僕は疲れ切っていて、参加しなかった。小学生がたくさん来ていたので、小学生が樽酒が載っているリヤカーにいたずらしないように、見張るということを口実にして、地面に両足を投げ出して座っていた。実際、昨年は小学生にリヤカーのタイヤの空気を抜かれてしまったらしい。
素足に地下足袋を履いていたので、足の裏にマメができて、痛かった。でも、地下足袋を脱いで、治療をして、また履くほどの気力はなかった。それに治療すると言っても薬も何もないのだ。


45分ほど祝宴として休むと、今度は神社に向けて出発する。小学生の御輿、中学生の御輿のあと、大人の僕たちが御輿を担いでいく。僕は樽酒担当なので、ずっとリヤカーと同行していた。


神社前での御輿の荒ぶり方はすごかった。右へ左へ全力で御輿が動き、一斉に持ち上がる。
見ていてすごく感動した。


My Kiasu Life in JAPAN-matsuri

※こんなに迫力が伝わらない写真も、そうはないと思う。

その後、小学校のグランドまで行った。ここで花火を見るのだという。
「花火は、さっきから神社の横で上がっているじゃん。」
「ここには仕掛け花火があって、このグランドのなかで打ち上げるんだ。」
「こんな距離でいいの?」
観客席から仕掛け花火が設置してある装置まで数10メートルしかない。
「いいのかなあ?よくわからないけれど。仕掛け花火が、すごいんだよ。本当に。」


仕掛け花火が上がるのを待つ間は休んでいた。ほかに飲み物もなかったので、缶ビールを飲んでいた。そのときに、どこかのおっさんが私服で来た。
「どうした法被は?」
周りのおっさんたちに聞かれている。
「昨日、うちの息子が安全祈願のあとに街へ飲みに行った。そして帰りのタクシーのなかで法被に吐いてしまって、今日の朝、俺の法被を貸してくれと言って持って行ってしまった。」と言う。それを横で聞きながら、笑ってしまった。


仕掛け花火がすごいと聞いていたけれど、実際に見たとき、こんなにすごいのかと驚いた。これだけの花火を、地元の、それも祭りに関わっている人だけで見るのはものすごい贅沢だと思った。
「ちょっと贅沢すぎるよな。」
なんて友達と話していた。地元の底力を垣間見たようで感動した。


それから、最後の仕掛け花火が上がる間に、各地区の御輿がこのグランドで練り歩いて競演をするのだと聞いた。
「いってらっしゃい。」
手を振っていたら、「御輿を担がないなんてダメだ」と言われて、無理矢理、御輿のなかほどに連れ込まれた。


そして、そこから「わっしょい」のかけ声とともに左右に振れながらの全力疾走になった。グランドを半周ほどしたところで、僕はさっきビールを飲んだことをすごく後悔した。空気が薄くなって、酸欠になっているような気がした。息ができない。


よっぽど御輿から外れて、外に出ようかと思った。でも僕は抜け出せる位置にいなかった。
「グランドあと半周だ。」
そう思ったら、少し力が出てきた。自分でも驚くほどの声で「わっしょい。」とかけ声をあげていた。


だからグランド1周では終わらず、もう1周するのだとわかったときは、泣きたくなった。


それでも、最後まで走りきった。何度も死ぬかと思ったけれど、走りきって嬉しかった。
自分がここまでと設定をしていた限界を超えた気がした。


御輿を下ろしたとき、周りにいた人と、誰彼かまわずハイタッチをして、健闘をたたえ合った。僕は決して祭り好きじゃないけれど、来年もこの感動を求めて、あの地味な御輿作りの作業を、またみんなでやっていくんだろうなあ、と思った。


その後、また慰労会があって、そこでもかなり飲んだ。家に帰ってきてから、ずっと浴びたかったシャワーを浴びた。


翌朝の日曜日、朝5時台に起きて、科目試験のラストスパートをした。この日もまた集合して、10時からの後片付け、昼食、飲み会、反省会と続く。酒を飲まない朝のうちに科目試験を仕上げて、郵便局に持ち込むつもりだった。


なんとか7時頃には試験を終わらせて、それから車を運転して郵便局にまで行った。簡易書留で発送をして家に帰ると、ようやく試験も終わったという開放感があった。


それから10時からの後片付けに行った。
ほとんどの人は10時前から作業をしていた。片付けが終わったあと、恒例となっているというカツ丼を食べて、ビールを飲んだ。


反省会では「御輿がギシギシいうんですが、強度は大丈夫ですか?」という質問に「おまえの家からも3日に1回くらいギシギシって音が聞こえてくるぞ」なんてヤジが飛んで、なかなか質問も出しづらい雰囲気になった。僕は質問とヤジがおかしくて笑ってばかりいた。


家に帰ったあと、缶チューハイを飲んだ。すぐに眠たくなって、寝てしまった。起きたらもう夕方の6時だった。その日の夜は、深夜12時頃にまた寝た。


そして、月曜日は、雨の音で目が覚めた。
休日だったけれど、台風が直撃したものだから、当然のことながら職場に呼び出された。情報の整理等の仕事を、怒号が飛び交うピリピリとした空気のなか、夜の8時過ぎまでした。


嵐のような3日間で、大変だった。でも、この間にちゃんと科目試験も終わらせたし、今週末はなかなか偉かったなあ、と思った。

今週から来週の土曜日に行われるお祭りの準備が始まった。御輿の組み立てや飾り付けを行う。
生まれて初めて御輿の組み立てをする場に立ち会ったが、組み立てるのも、御輿に紅白のサラシを巻くのも、実際にやってみると大変な重労働だった。


そして準備の後には飲み会が必ずある。
僕はノンアルコールビールを飲んでいたが、役員の人は毎日、飲み続けだ。それだけでも大変なことだと思う。「来年は年齢的に、役員だよ」といろんな人が僕に言う。
強制ではないが、それでもみんなが作業していると思うと出て行かないわけにはいかない。
夜7時になると、集会場に行って御輿づくりを手伝った。


夜7時からの御輿作りは来週の本番まで続く。


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金曜日の夜、職場の人たちに誘われて、麻雀を打ちに行くことになった。祭りの手伝いとで迷ったが、たまにはいいやって自分を許して麻雀を打ちに行った。


ネット麻雀は今でもほぼ毎日しているが、本当に牌を握る麻雀をしたのは、もう何年前になるのか覚えていない。7年前か、8年前なのか。雀荘に最後に行ったのはいつだろう?


だから「焼き鳥表示」とか「チップ」なんて制度もすっかり忘れていた。裏ドラ載ったらチップ1枚、なんて、昔は確かに当たり前のようにしていたような気がする。でも、そんなことも全て忘れていた。
最初に牌をどういう順番で4つずつ持ってくるのか、なんてこともよく覚えていなかった。
きっとリハビリっていうのはこんな感じなんだろうなあ、と思った。


そんな違和感もあって、最初の半荘は箱下になって当然、最下位だった。
それでも、ネット麻雀よりもスピードは遅いし(僕はネット麻雀でのツモ切り速度は平均1.285秒と早い)、まだまだ逆転はできると思っていた。
時間をかければ、河もゆっくりと眺めることができるし、いろいろと考えることもできる。


2回目の半荘で四暗刻をあがってトップになって、その後も負けなかった。最終的にはトップになってほっとした。終わったのが夜の11時30分だった。


毎日、このくらい緊張しながら勉強していればなあ、と思ったが、自宅での勉強時にはこんなアドレナリンは決して分泌されることがない。


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土曜日は松本に行って、少し買い物をして、それであとは料理を作って食べて寝ていた。


日曜日もダラダラと過ごした。昼頃に以前来た結婚紹介所の人がまた来て、「まだ独身なのか」確認をしに来た。「気になりましてね」と言う。紹介料の50万円が手に入るかどうかが気になるんだろ?と思ったけれど、「とりあえず、結構です」とだけ言った。こういう人の応対はそれだけで疲れる。


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ミヒャエル・ハネケ監督の「ファニーゲーム U.S.A.」を見た。映画芸術を深く理解したい人は、一度は見なくてはならないと言われている映画だ。


My Kiasu Life in JAPAN-funnygamesus

しかし、内容的にはひどい映画で何度も見ることに耐えられなくなり、見るのをやめようかと何度も思った。


幸せな家族が、2人の一見、礼儀正しそうな青年にボロボロにされてしまう。精神的にも、そして肉体的にも。


My Kiasu Life in JAPAN-funnygamesus2

演技はどの役者もすばらしく、とりわけナオミ・ワッツはいい。でも、この映画には救いがない。見終わって、こんなに不愉快になる映画もそうはないと思う。それでも、この映画は「すごい」映画だと認めざるを得ない。本当に悔しいが「すごい」映画だ。


My Kiasu Life in JAPAN-funnygamesus1

見終わった後、あの家族が逃げる道はあったのだろうかと、ゆっくりと考えてみた。
最初の卵を借りに来たときに、全ての卵を渡したら、逃げられなかったのだろうか?とかナオミ・ワッツは真っ先に隣家を目指すのではなく、駐車中の車に入っている夫の携帯電話を取りに行くべきだったのではないか?とか。


考えどころが多い映画が、いい映画だと、僕は思っている。だから、この映画はいい映画だ。でも普通の生活をしている人には決してお勧めしない。むしろ「やめた方がいい」と忠告をしたい。

27日から29日まで、名古屋にある愛知県産業労働センターで、診療情報管理士のスクーリングがあった。
27日は朝9時からオリエンテーションがあるということだったので、僕は26日にの仕事が終わったあと、高速バスに乗って名古屋に行き、ホテルに泊まった。


今回から専門課程が始まる。基礎過程で挫折した人もいるだろうし、基本的に働いている人は平日の受講は無理だろうから、きっと会場はがら空きだと勝手に思っていたけれど、全くそんなことはなく、会場となった愛知県産業労働センターの小ホールは、授業の開始時間になると受講生でいっぱいになった。


今回は教科書以外にもICD10の索引と内容例示集という電話帳のような大きな本2冊と、ICD9CMというこれまた索引と内容例示集2冊の計4冊を持っていく必要があった。これがかさばるうえに重い。電子辞書にしてしまえば薄く、持ち運びやすく、また検索時間も短くて済むと思うのだが、そういうわけにはいかないらしい。もともとが厚生労働省が考えていることなので、診療情報管理士受験生の健康管理にも気を配って、体力作りを兼ねているのかもしれない。


初日のオリエンテーションで、この重い4冊の本は3日目の最終日にしか必要がないということだった。この本をまたホテルまで持って帰る気力がわかず、愛知県産業労働センターの地下1階にあったコインロッカーに突っ込んで、3日目に取り出すことにした。


初日の授業はオリエンテーションを含めると7時間もあって、途中、何度も睡魔に襲われた。それでも、我慢して目を開けていた。学生時代は遠慮なく寝ていたものだが、随分と大人になったなあ、と自分をほめてあげたかった。


初日の夜は、友達の弁護士の先生の元で働いている秘書さんと、スペイン料理を食べに行った。
こういう店が、ふんだんにあるということが「都会だよなあ」と思う。都会は食事に困らない。田舎は食事に行くにも、車に乗って行かなくてはならず、考えただけでいつもうんざりしてしまう。車で行くと、飲めないし。


楽しい食事をして、夜はホテルに帰って眠った。


翌日は6時間の授業で、これまた眠たかった。しかしジュビロ磐田のチームドクターをしているという講師の話はなかなか面白かった。


医師は病院では、看護師や技師や検査士の中心として働かざるを得ないし、そしてまた注目をされている。しかしプロのサッカーリーグでは中心人物はあくまで選手であり、チームドクターの存在感などほとんどないに等しく、トレーナーよりも立場は低いらしい。それで、その待遇に耐えられずに辞めてしまう医師が沢山いるのだという。「そういうこともあるんだろうなあ」と思った。


そして、この日の夜は、友達の弁護士の先生と焼鳥屋で飲んだ。短時間のうちにビールのほか、ワインを2本空けた。その後、もう1軒行ったのだが、このあたりが限界ということで、早々に切り上げて、ホテルに戻った。


3日目の授業は、あの重くてかさばる本を使った授業だったのだが、使えば使うほど、どうしてこれを電子化しないのか理解に苦しむものだった。それでも作業があった分、比較的睡魔に襲われずにすんだ。


この日は、弁護士の先生の事務所に、渡しそびれていたお土産を渡したあと、すぐにホテルに戻った。ここのところの飲み疲れもあって、午後9時には寝た。


一応、30日も休みを取っていた。これで、僕の夏休みはおしまいだ。
昼に弁護士の先生の事務所で秘書さんと食事をして、それからまた高速バスに乗って田舎へ帰った。


帰ってすぐに職場に行き、溜まっていた仕事を片付けた。優秀な部下に恵まれているおかげで、それほど多くの仕事は残っておらず、多くは自分たちで処理をしてくれたようだった。


日曜日は、朝から防災訓練があり、午後は地元で川の清掃やらお祭りの準備などがある。
夏休みがあっという間に終わってしまい、やらなければならないことが待ちかまえていることを考えると、「なんだか疲れるなあ」と思うが、仕方がない。


9月には診療情報管理士の自宅試験があり、同じ時期に地元のお祭りとも重なる。
お祭りもいろいろと役があって大変だ。
それが終わったら、本気で気象予報士の試験に取り組む。
そして、気象予報士の試験が終わったら診療情報管理士の試験も頑張りたい。


とにかく、いろいろと仕事もあるけど、まあ前向きに、頑張ろうと思う。


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山下淳弘監督の映画「リアリズムの宿」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-realismnoyado

原作はもちろんつげ義春。つげ義春の作品では、竹中直人が監督をした「無能の人」があまりにも素晴らしかったため、今回も期待をして見た。


無名の役者で(女優はかわいかった)、演技は今ひとつといった感じだったが「たまらんなあ」と思うシーンはいくつもあった。


My Kiasu Life in JAPAN-realismnoyado1

とても日本を代表しているとは思えない風景、会話、観光地。国際映画祭にはきっと出さない、日本国内での上映だけを考えた狭い世界観で、狭い世界を撮っている。主人公達は決して勝てない、勝ちがない世界で漂う。


My Kiasu Life in JAPAN-realismnoyado2

僕の家には、今、つげ義春の漫画は一冊もないが、それはあげたり貸したりしているうちになくなってしまっただけで、昔はよく読んでいた。


見終わって、特に感動もしなかったし、どうってことのない映画だとは思ったけれど、つげ義春の漫画の読後感って、こんな感じだったよなあ、と思いだした。


そういう風に考えると、この映画も「すごい」映画なのかもしれなかった。つげ義春は、いつだって俺にとっては、すごい。

高校野球でキャッチャーをしていた部下がいて、ときどき彼のところに野球のことを聞きに来る人がいる。


先日は、キャッチャーが急所を守るためのカップの話しをしていた。その人はカップとサポーターを貸してくれないかと頼みに来たのだ。


「あれは、あんまり貸し借りするものではなくて、自分用のものを買った方がいいですよ。」
なんて至極、もっともなことを言っているのが耳に入る。
「大きさとかもあるの?」
「一応、あると思います。」
「でもあんまり大きいと邪魔になるよね。」
「そうですね。」


ついつい口を挟んでしまう。
「遠慮せずに、でっかいのを買えばいいじゃん。角みたいなやつ。」
「角って、こういうやつですか?」
「そう。」
「そんなの買ったら、ユニフォームに入りきらないじゃないですか。」
「いいじゃん、チャックが閉まるところまで閉めて、あとは出しておけば。」
「バッターボックスに立ったときに、股間から角が出ちゃうじゃないですか。」
「いいじゃん。当たればデッドボールだぜ。」


こんな会話ができるのも、見渡す限り、男しかいない職場だからだ。
昨年までは女性が8割以上の職場にいたので、こんな話しは絶対にできなかった。


夢やロマンスはないが、そういう意味では気楽な職場だ。


仕事はストレスが溜まることも多いが、なんとかこなしている。


来週は火曜日から木曜日まで、名古屋で診療情報管理士のスクーリングを受けるので、その間、仕事ができない。仕事が量的にすごく溜まりそうで恐ろしいが、頑張りたいと思う。


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クリストファー・ノーラン監督のデビュー作「フォロウィング」をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-following

http://www.youtube.com/watch?v=5q8bBAKNSA8


この映画の出だしは、僕の理想だった。こんな形で始まる映画を、僕は無意識に待ち望んでいた。僕が無意識のうちに作り上げた映画であれば、本当によかったのだが(そんな気もした)、そんなことはあるはずもなく、この映画はクリストファー・ノーラン監督の映画だった。


My Kiasu Life in JAPAN-following1

1人の若い男が、暇と寂しさを紛らわすために、人の跡をつける。その人がどんな家に住んでいて、どんな生活をしているのか。


あるとき、ある男が気になって、彼を追いかける。ところが、その男は、彼がつけているのを知っている。そして、逆に彼はその男につけられ、利用されることになる。


My Kiasu Life in JAPAN-following2

謎の男は上品で、優雅なしゃべり方をする。僕はこの映画を観ながら、「人の使い方」について以前、読んだ文章を思い出していた。


その本によれば、人の使い方の最もへたな例は「無理やり言うことを聞かせること」で、2番目が「忠誠心を植え付けて、自然と言うことを聞かせること」。
そして最も賢い使い方は「本人は自分自身のために努力していると思っているが、それが上司のためであると気づかないようにする」方法なのだという。


それを読んだときは「ふーん。」としか思わなかったが、この映画に出てくる謎の男はこの最も賢い人の使い方をする男だった。そして決断力と実行力が悪い意味で並外れている。それから観察眼も。


この映画は2度見をした。1回ではよくわからない点が多かったからだ。白黒で粗い画像だが、それがまたよかった。脚本を書くなら、こういう低予算でできる脚本にまずは挑戦するべきだと思った。人には勧めづらいがいい映画だ。


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もう1本、バリー・スコルニックというあまり知らない監督の「ミーン・マシーン」というイギリスのサッカー映画も観た。


My Kiasu Life in JAPAN-meanmachine

http://www.youtube.com/watch?v=oc3LtcVT1WA


こちらの映画は僕にはバカバカしかったが、ファールのテクニックや説明はなかなかよかった。フリーキックの際、選手が股間を守る大切さもよくわかった。


My Kiasu Life in JAPAN-meanmachine1

My Kiasu Life in JAPAN-meanmachine2

音楽がよくなかったし、脚本も今ひとつスカッとしない脚本だったが(主人公が買収に対して弱すぎ。イライラした。)、まあまあ楽しい映画ではあった。