9日も休みが続くなんて、どれだけいいことだろうと休みになる前は思っていた。
この休みの間に、このくらいは勉強を進めることができるだろうと、日々の勉強プランも立てていた。


ところが、全然、勉強は進まなくて、予定していた量の半分くらいしか進まなかった。泣きたい気分だ。


連休中、勉強以外ではほとんど何もする必要がなかった。大掃除もめんどくさいのでやめにして、正月飾りも飾らなかった。当然、おせち料理なんて食べず、正月は朝からレトルトのカレーを食べていた。災害が発生したら、職場に呼び出されることはわかっていたけれど、穏やかな日々が続いて、呼び出されることもなかった。


紅白歌合戦も見なかったし、初詣も行かなかった。正月らしいことと言えば、年賀状を出したことくらいだった。思いがけず、多くの年賀状を頂いたので、返事を書くのがたいへんだった。なかには僕がよくわかっていない人もいる。何を書いたらいいのかわからないなあ、と思いながらそれでも出した。


そういうことだったので、勉強が進まなかったのは、ただ自分の精神力が弱かったからとしか言いようがない。残念だが、でも仕方がないと今は諦めている。一方的に休みの間の自分に期待していただけで、はじめから無理な話だったのかもしれない。


気をつけたいのは、自分の精神力が弱くてできなかったことを、人に無理強いしないようにすることだ。本来は自分を責めるべき時に、人を責めてしまうということが、ときどき人にはあるように思うし、自分に対しても危うさを感じている。


人には厳しすぎず、自分に対しても真面目すぎないように、今年もダラダラと頑張りたい。


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2日の日に、友だちというには年が離れすぎている仲間?に松本で会った。もともと彼は僕のかつての上司の息子さんだ。初めて会ったのは、僕が落語の台本を書いて賞をもらったときだった。彼はお笑い好きで、それで上司が息子さんを紹介してくれたのだった。


彼は今、旧東側国家の某国に留学をしている。今は一時帰国をして、東京でとりあえず1年間、働いているのだという。


彼が留学をしているその国は、とにかく美人が多い国らしい。
「それも国を選ぶときの理由のひとつだったの?」
「それは、5%くらい。」
美人だらけの国で、勉強しているという彼の人生が少しうらやましかった。


日本人は働き過ぎだということを、彼は以前から話していた。そういった話をベースにした短編小説を英語で書いて送ってきてくれたこともある。甘いなあ、とは思ったけれど、正直、小説としてはまあまあ面白かった。


「確かに、仕事で得たことと、仕事で失ったことを比較したら、多くの日本人は相当、赤字だよ。」スターバックスでコーヒーを飲みながら、僕は話していた。
オーストラリアを旅したときに、僕は多くの国民がそんなに頑張らなくても生活をしていけるということを感じていた。オーストラリアで店が5時に閉まるということは、5時には店の戸締まりをして鍵をかけることを意味する。それは、彼が留学している国でも同じことのようだった。


管理職が忙しいのは世界共通の話で当たり前の話だが、管理職でもない普通の国民が、朝早くから夜遅くまで自分の生活を犠牲にして仕事をするのは、中国や日本などアジアに限られる文化だと思う。


ただ僕はその状況を諦めて受け入れているので、彼の主張が正しいことはわかっていたけれど、「でも仕方がないよ」としか思えなかった。


彼の言う、本当に好きなことを仕事にできている人が、世の中にはどのくらいいるのだろう?


先日、ディスカバリー・チャンネルで、地元の気候が大嫌いでロサンゼルスに来た男のことを放送していた。彼は、最初、俳優を目指したが挫折。サーフィンを始めて大好きになり、サーフボードを手作りすることを考える。


そして今、彼のサーフボードは高く売れ、従業員を雇い、ビジネスは大成功を収め、彼自身、幸せなのだという。


そういう人生もあるのかもしれない。彼にとってのサーフボードのような、何かが頭のなかでカチッと鳴るものが、僕の人生にはない。


ただ、自分のやりたい仕事でもないし、向いているとも思えないけれど、僕は与えられた仕事をするし、自分でもできると思っている。いつもどこかで挑戦者のような気持ちでいる。そんな乾いた心を持っている間は、自分では大丈夫だと、なんとなく思っている。


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その仲間の彼と初めて会った日の夜、一緒に飲んだ。そのとき、彼が熱心にブログを書くことを勧めてくれた。当時、僕のまわりでも何人かブログを書いていたけれど、僕はそれまであまり書くつもりがなかった。


ブログのために「普通の生活を送っていくのに必要がない何か」を敢えて自分でやる、というタイプのブログをいくつか見ていて、そんなムリをしなくてもなあ、と思っていた。


彼はブログの作り方まで丁寧に教えてくれた。それでブログを書くことを始めた。ただ、僕の場合は最初から、目的は「記録を残すこと」だったので、ブログのために何かをするつもりは全くなかった。


それから、もう何年も経った。彼自身はもうブログは書いていない。僕もブログを書くのをやめる理由なんかいくらでも考えつくけれど、まだ書いている。考えてみると不思議な話だ。


昔、高校の英語の教師が「作家になろうなんて思うやつは、基本的に不幸だと自分で思っているやつだ」なんて言っていたのを思い出す。別に僕は作家ではないけれど、文章を書き続けると言うことは、つまりはそういうことなのかもしれないな、と思う。


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2日の夜は、姉の夫婦の家に招いてもらった。姉の手作りのおせち料理が並び、日本酒やビールをたくさん飲んだ。


そして当然のことながら、重い二日酔いになり、3日の午前中はほとんど寝て過ごした。


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ケーブルテレビで黒澤明監督の「乱」を見た。


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http://youtu.be/v8SSR_qcql8


高校時代にも見たが、あの頃にはこの壮大な世界観も凄まじいばかりの表現も、仲代達也の演技のすごさもわかってはいなかった。


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結局、僕はシェークスピアは読まないまま一生を終えるのだと思う。この映画のベースがリア王だといわれても、僕には未だによくわからない。それからピーターの演技のよさも未だにさっぱりわからない。


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この映画の「乱」は英訳するとカオスなのだ、と聞いて、その点はすごく納得がいった。

僕は高校時代、この映画を見た後、将来は映画監督になろうなんて思った。でも、いったいこの映画のどこを見ていたのだろう。普通の人なら、この映画を見たら「映画監督にはなれないな」とため息が出るだろう。


構成力や構想力も、何もかもがすご過ぎる映画で、見終わってぐったりと疲れた。


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そんなわけで、休みの間、ほとんど勉強は進まなかった。半ば開き直り、半ば後悔をしているところだ。


明日からまた仕事が始まる。今年もきっと仕事上の問題がいっぱい出てくるだろう。それも仕方がないことだ。


試験も落ちる可能性が高まった。でも、それも仕方がない。
干支は変わったが、僕自身はそう便利に変われない。今年も歯を食いしばって頑張っていくしかない。ダラダラと。

火曜日に長野市で会議があった。前日の月曜日(祝日)のうちに長野まで行って、温泉に泊まることにした。


予約をしたのは2週間ほど前だった。それから仕事上の問題がいくつか浮上してきていた。つらいなあと思ったときもあったが、そんなときに、温泉宿に泊まることを考えると、つらさも少しは軽くなったような気がしていた。


長野駅から電車に乗って、最寄り駅に向かう。最寄り駅からはバスが出ているようだったが、時刻表を見たら2時間も待たなければならないことになっていたので、諦めてタクシーに乗った。


その温泉では、地元の人たちも夜の9時頃までは日帰り入浴ができることになっていた。
フロントで、宿泊だと言ったら怪訝そうな顔をされたので「宿泊のフロントは別なんですか?」と聞いたのだが、どうやらそういうことではなく、ただ単に、宿泊客というのが珍しいだけの話しだったようだ。


確かに中年の男が1人で来て、温泉宿に泊まるなんていうのは珍しいのかもしれない。つげ義春のマンガのようだ。なんとなく「絶望」といった漢字が頭に浮かぶ。


gensenkansyujin


宿泊する部屋まで案内してくれた仲居さんは、日本語が苦手のようで中国人のようだった。「歓迎、○○様御一行一名様」とドアの入り口の脇にでかでかと書かれた紙が貼ってある。「御一行一名様」というのが、なんとも「たまんねえな」という気分にさせられる。


部屋は暖房が効いた暖かな部屋で、もう布団が敷いてあった。


夕食は頼んでいなかったので、温泉に入ることしかすることはなかった。大きな温泉が旅館のなかに2カ所あって、その両方に入った。


10時を過ぎると、日帰り入浴客がいなくなる。その時間帯に露天風呂に入りに行った。もうその時間では、誰1人として温泉に入っている人はいなかった。


刺すような冷たい空気を顔に感じながら、暗い景色のなかに、温泉の白い蒸気が上がっていくのをぼんやりと見る。軽い硫黄のような刺激臭があるが、不快ではない。「来てよかったなあ」と思いながら温泉につかっていた。


たぶん多くの人は明日仕事だから、こんな日に温泉に泊まる人は少ないだろうと僕は思っていた。読み通りにガラガラで「本当に来てよかった」と思いながら、曇りで星も見えない空を眺めた。


翌朝、起きた後、朝食前に温泉に行った。1人のおっさんが温泉にいただけだった。そのおじさんが出て行くと、また貸し切り状態になった。朝の露天風呂も気持ちよかった。


朝食は7時からだった。食事に行くと、少し年配の仲居さんが待っていてくれる。
「今日、朝食を食べるのはお客さん1人だけです。」と言う。
「俺しか泊まっていないの?」
「もう1人いますけど、その方は素泊まりで朝食を食べないんです。」
「俺1人のために仕事してもらっちゃって申し訳ないね。」
「いえいえ。貴重なお客さんですから。」


それからその仲居さんは「やっぱり普通の皆さんは、大切なクリスマス・イブですから、来られないみたいです。」とつい本音を言ってしまい、それから「しまった」という顔をしていた。
「そうだよね。」


朝食はまあまあおいしかった。俺1人のためだけに、貴重なクリスマス・イブに仕事させてしまって申し訳ないなあ、と皮肉抜きに思った。


食後にもう一度だけ、風呂に入りに行った。今度は誰にも会わなかった。


会議に行く前に、以前の職場が近くだったので寄ってみた。みんな親切で嬉しかったし、多くの人が一緒に飲みたがってくれた。
今の職場が男ばかりの所で、女性が少ないせいもあるけれど、随分ときれいな女性がいるところで仕事していたんだなあ、と思った。


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木曜日は課の忘年会で、昼神温泉に行った。僕は幹事だった。
何か演し物をしてくれと前日の夕方5時に言われて、それから部下2人をフルに使って、ネタの仕込みをさせ、僕自身は演し物のシナリオを作った。


演し物は想像以上にうまくいった。でも、やはり想像以上に飲んでしまい、翌朝は朝食を食べた後、風呂に入ったら、もう動けなくなった。


午前中は休みを取っていたので、チェックアウトの10時近くまで寝ていた。
幹事の部下が各部屋を見回りし、缶ビールの缶を集めたり、ゴミを回収している。
俺が寝ているのを見ると「まだ寝ているんですか。」なんて言う。
「寝てないよ。」
「寝てるじゃないですか。」
「寝てるんじゃなくて、君を応援しているんだよ。頑張れって。」


昼前には職場に行った。最終日なので、鰻重が配られることになっている。
あまり食欲はなかったが、美味しいので食べてしまう。


午後はその鰻重のせいで、多くの人が二日酔いがさらに深まったようで、課全体がどんよりとしていた。


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28日から冬休みになった。1日をムダにしないように、毎朝5時30分に起きて温泉に行くことにしていた。


朝風呂がこんなに疲れるものだとは。温泉から帰ってくると、午前中いっぱい眠ってしまい、午後もひたすらダラダラとしていた。


改めて、試験までもう1か月を切ったことを思う。この休みのうちになんとか体勢を立て直して、頑張りたいと思う。

水曜日に職場全体の飲み会があった。
先週ものすごく2日酔いがつらかったので、僕は「絶対に2次会以降には行かない」と月曜日から宣言していた。
でも、やっぱりというか、情けないことに、僕が家にたどり着いたときには午前2時頃になっていた。


でも、宣言の効果か、そんなに深酒にはならなかった。睡眠不足はあったが、木曜日は普通に仕事をした。木曜日には出張先で会議があり、その帰りに「どうですか?」と飲み会の誘いを受けたが、それは断った。


木曜日の夜、いったん家に帰った後、温泉に行った。それから帰ってきて寝たら、すごくよく眠れた。しっかり眠った翌日の朝、頭がすっきりとして、自分がすごく賢くなったような気がした。


来週は温泉に泊まりがけの忘年会がある。こちらは2日酔いになるのが仕事のような飲み会だ。注意するだけムダだが、飲み過ぎないように気をつけたい。


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気象予報士の試験を受けるのに、ディバイダーという道具が必要らしい。試験会場にも持ち込むことができる。


それで、同じ職場にいる技術系の部下に、冗談半分で「もしディバイダーっていう道具を持っていたら、貸してくれ」と言ってみた。
「ディバイダーですか?コンパスの両方が針みたいなやつ?地下の倉庫の不要品入れに入っていましたよ。」
それからしばらくして、彼がディバイダーを持ってきてくれた。
「これがディバイダーかあ。」確かにコンパスの両側が針になっているようなものだ。
それにしてもこんなものが普通にあるなんて、すごい職場だなあ、と思った。


先日もリサイクル用の紙がストックされている中に、何かメモ書きが書いてあったので、「なんだろう?」と思ってよく見たら、積分記号のインテグラルが書いてあって、誰かが手計算をした跡だった。


「この職場には、積分計算を普通にする人がいるんだ。」
積分計算など、理系の人にとっては当たり前なのかもしれないが、絶対にできない僕は「すごいなあ」と思ってしまう。


誰かはわからないが、なかにはすごい人がいるんだってことを、この職場にいるとよく感じる。


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「すごく好きになってしまった人がいて、振られてしまった。どうしたらいいか、わからない。私はどうしたらいいんでしょう?」
なんて恋愛相談をメールで受けた。悩みが真剣であればあるほど、俺に相談することは間違っていると思う。


心をこめて「わからないっぺ。お大事に。」と返事を書いた。


「その彼が住んでいるのが近くなので、来年の秋ごろ、そちらに行ったら観光案内してくれますか?」なんてメールも来た。


来年の秋?それは随分と先の話だなあ、と思った。その頃、僕はどこで何をしているのかもまだよくわかっていない。それにその頃には、俺も結婚しているかもしれないのに、と思って、そう返事を書いた。


そしたら「絶対独身でいると思うので、結婚の心配は全くしてません」って返事が来た。その自信ありげな宣言に「ほほお。」とは思ったけれど、その理由が何なのかは、怖くて聞けなかった。


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昔からよくプロレスを見ていた。最近は会場に行くことは少ないが、家のケーブルテレビでWWEやドラゴンゲートの試合を見ている。


職場にダニエル・ブライアンに似た部下がいて、ヒゲを生やし始めたらますます似てきたので、いい仕事をしたときなど、ときどき「イエス!イエス!」と声をかけたくなる。


残念なのは、職場では唯一、19歳の他部署の部下がダニエル・ブライアンを知っているだけで、ほかに誰もダニエル・ブライアンを知らないことだ。


http://youtu.be/4cdjKaM5ZRY
▲赤いパンツがダニエル・ブライアン。両手で上を指さし「イエス!イエス!」と叫ぶパフォーマンスで、今年、ファンの心を鷲づかみにした。


ドラゴンゲートの試合も目が離せない。急角度のブレイン・バスターや、連続したパワーボムなど、昔では考えられないような大技が、高速で展開する試合のなかで繰り出される。


ファンの目に焼き付くような試合を、レスラー達がキャリアと命をかけて取り組んでいる姿は、WWEでもドラゴンゲートでも変わらない。運動能力も桁外れだが、単純に、技を出し、技を受ける勇気に対してプロレスラーを僕は尊敬している。


権力闘争や確執なども、演出としては欠かせない。WWEもドラゴンゲートも、やっていることはとても似ているのに、WWEが巨大な企業なのに対し、どうしてもドラゴンゲートは中小企業といった感が否めない。


ドラゴン・ゲートでの大っぴらな反則攻撃が、一般の人や子供から距離を取られてしまうのかもしれない。ただ、この2つの団体の試合を見比べて、最も感じることはファンのノリの差だ。日本のファンはプロレスの試合を見るときにおとなしい。プロレスは喧嘩ではなく、エンターテイメントだ。


ファンもプロレスを見る目はすごくあると思う。いい試合を求めるファンが、ここまで高度な試合を日本でも作り上げたのだと思う。でも、もっとファンは声を大きく、積極的に応援したらいいと思う。そして、レスラーもファンが一体になれるパフォーマンスをもっと考えてくれたらいい。ファッションも、ファンが街中でも着られるようなものを考えてくれれば、それを着るファンもいるだろうし、裾野が広がると思う。


CMパンク、シールズ、ジョン・シナ、そしてダニエル・ブライアンとWWEには好きな選手がたくさんいる。ドラゴンゲートの土井、吉野、ヤマト、ハルクも見逃せない。もっと多くの人が、プロレスを見たらいいのになあ、と思う。


そうしたら、俺の「イエス!イエス!」っていうパフォーマンスも誰かがわかってくれるのに、と思う。


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土曜日は松本のパルコに行って、村井昭夫の「雲のかたち立体的観察図鑑」(草思社)と「ニューワイド学研の図鑑 地球・気象」(学研教育出版)を買ってきた。


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気象予報士の試験まで、あと1か月ほどになってしまったが、試験のための勉強は遅れている。年末年始の休みの間、しっかりと勉強をしたい。


そして今さらだが、こういった一般向けの本や子供向けの図鑑が様々な現象に対する理解を深めてくれると信じたい。


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日曜日の夜は、親戚のお通夜に出席した。
そしてその後、直会があってビールを飲んだ。いろんな人から注がれて、かなりの量を飲んだが、ビールだけにしておいてよかった。
月曜日の朝、起きたとき少し気分が悪かった。


出棺は朝7時からだった。僕は姉と葬儀場に行き、火葬場に向かう車を見送った。
見送った後、少し「しん」とした気分になった。


家に帰って着替えたら、緊張の糸が切れたのか、途端に気持ち悪くなって少し眠った。

先週の日曜日には、地域の若者が集まって、日帰りの京都旅行に行くことになっていた。


朝6時に出発する。往復のバスのなかでは、僕は本を読んで勉強をするつもりだった。ところが出発と同時にビールが配られ、乾杯があって、飲んでしまった。朝のビールはきつく、それからしばらくは眠たくて仕方がなかった。


後部座席がサロンのバスになっていた。バスガイドさんがいて、まだ19歳だという。
後部座席では机を囲んで皆がトランプをしている。ときどき歓声が聞こえてくる。バスガイドさんの話を全く聞いていない。あそこには近づかないようにしようと思っていた。そうしたら、マイクで名前を呼ばれて、後部座席に来るようにと言われた。


最初は無視していたが、何人かに個別に声もかけられたので、後部座席に向かった。それから簡単なルールの説明を受けて、トランプを始めた。
それから、京都に着くまで、窓の外を見ることはほとんどなかった。


トランプの勝ち負けは、僕はさほどでもなく、とんとんといったところだった。


最初に行ったのは、石清水八幡宮だった。


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石清水八幡宮は男山の上にあり、ケーブルカーに乗って行くことになっている。この八幡宮が、僕の家の近くにある八幡様の勧進元ということになっているらしい。


ケーブルカーを降りてから、石清水八幡宮まで少し歩く。石清水八幡宮がたいそうきれいなのに驚いた。皆、おみくじを引いたりお守りを買ったりしていたが、僕自身はあまりお守り等に興味がないので、ただ見ていただけだった。


再び、ケーブルカーに乗って、男山を下り、そこからまたバスに乗って月桂冠の大倉記念館というところへ行った。


記念館では、日本酒造りの歴史といったものが学べるようになっている。日本酒のもとになる地下水も飲めるようになっていて、飲んでみた。ほのかな甘さが感じられたが、メンバーの1人が正露丸を持っていたので、その香りのせいで、なんだかよくわからないものになっていた。


その後、またバスに乗って昼食を食べに行った。和食のなんだかすごそうな料理店の前にバスが止まった。バスを降りて、玄関に入ると「離れに行くので、靴を持参するように」と言われる。


靴を持つと、裏庭に通される。離れはその裏庭の先にあるのだという。離れまで、思ったよりも距離があった。


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紅葉の舞った裏庭を歩きながら「このまま、外に出されるのでは」と誰かが行った。「制服を着た人が出てきて、デニーズへようこそとか。」笑ってしまった。


会席料理で、料理は素晴らしかった。ここでも飲み放題ということで、ビールや日本酒を飲んだが、最初、コップが出て来なくて「京風の飲み方」といったものがあるのだろうか?なんて思ったりもしたけれど、そうではなくて、ただお店の方が忘れていただけだった。


ゆっくりと食事をした後、清水寺へ行った。


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数年前も行ったことがあるが、休日に来たのは初めてだった。こんなに人がいるのかと驚いた。
職場にお土産を買って、ついでに豆腐入りの豚まんを買って食べて、銀行員のメンバーの人と「これだけ人がいれば、どんな商売をしても儲かるよね」なんて話しをしていた。


清水寺が、最後の観光地だった。それから、またバスに乗って、ビールを飲みながらトランプをして帰ってきた。旅行は終わった。バスガイドさんはきれいだったけれど、大して話しもしなかった。夜の8時過ぎに家に着いた。それから、勉強しようかと思ったけれど、とてもできなかった。


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月曜日の午前中、旅行の疲れを取るためと、スタッドレス・タイヤに履き替えるために休みを取った。


ガソリンスタンドにスタッドレス・タイヤを持ち込んで、履き替えてもらった。作業終了後、店員に「このスタッドレス、もう限界ですよ。」と言われてしまう。「スリップサインが出ているし、固いし。」


そういうことは、作業の終わる前に言ってほしかった、と思いながらお金を払った。


月曜日の夜、職場近くのイエローハットへ行った。僕の車のタイヤは18インチで扁平な形をしている。
「そうですねえ。今、その型の在庫はないですけれど、大体20万を超えるくらいですね。」なんてことを言われる。
「20万円?ホイールはいらないんだよ。」
「ホイールなしで、そのお値段です。」
なんてこった、と思った。僕はタイヤは1つ2万円くらいで買えるものだと思っていた。


翌日、職場の同僚にこの話をする。部下の1人が、「インドネシア製なら18インチで1万円っていうのもあります」と教えてくれるが、さすがにそれは履く気にならない。


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気象予報士のテキストを読んでいたら、普通の地上天気図も書けるようにしておいた方がいい、と書いてあった。確かに、今はアムール川中流がいったいどこにあるのか、といった基本的なことがよくわかっていない。ハバロフスクってどこにあるんだよ、といった感じだ。


それで、昼休みに近所の文房具屋へ行って、店員の人に「天気図用紙をください」と言ったら、「何ですか?それ。」と言われた。


「文房具屋に行って天気図用紙くださいって言ったら、「何ですか?それ」って言われたよ。普通、中学校で書くよなあ、天気図。」
「書いたことありませんよ。」と部下が言う。「何ですか?天気図用紙って?」
「ラジオの第2放送で流れてくる「那覇では風力3、1013ヘクトパスカル」ってやつを聞き取って天気図にする、そのための用紙だよ。」
「係長のころは天気図がなかったんですか?」
「あったよ。うるせえよ。あったけど、自分で書いたんだよ。」


今年から社会人になった新人にも聞く。
「天気図書いたことある?」
「ありません。さっきから聞いてましたけど、ラジオの第2放送って何ですか?」
「そこからかよ!」


結局、天気図用紙はアマゾンで取り寄せることにした。最近、実技の勉強をしていると、トレース用紙だの、ディバイダーだの、謎の道具が必要なことがだんだんとわかってきた。
ディバイダーは普通の文房具屋に売っているのだろうか?


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木曜の夜、忘年会があってまたも飲み過ぎた。朝の3時まで、5次会まで行って、翌朝はへろへろだった。
それでも3回の出張があって、行かざるを得なかった。


1回目の出張では雪道で2度も転んだ。まだ酔っているという状態だったのかもしれなかった。2回目の出張では、相手との交渉はうまくいったが、その後、気持ち悪くなって、職場に着くなり吐いてしまった。


3回目の出張は、出張先で会議があった。1時間ほど経った後、どうしようもなく吐きたくなり、席を外して吐きに行ったけれど、吐けなかった。


こんなに苦しい思いをするってわかっているのに、どうして飲んでしまうのか?
酔いから醒めた今は、バカだったとしか言いようがない。出費も(俺にとっては)信じられないような額で、頭を抱えた。


来週も危険な忘年会が続く。猛省がいつまで続くのか、自分のことながら興味深い。


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同じ職場の先輩が、土曜日に電話をくれた。最高級のスタッドレス・タイヤを2台分買ったら、安くしてくれたらしい。それで、僕も紹介してくれるのだという。一応、僕のタイヤサイズは先輩に伝えてはいた。


「俺のは最高級でなくていいよ。」
「係長のタイヤの型は、最高級のクラスしかもう作っていないんだって。」
「そうなんだ。」
「全部コミコミで16万円にしてくれるって言っているけれどどうする?」


迷ったけれど、買うことにした。いろんなネット・ショップで買おうとしたけれど、タイヤの型が合わなくて買えなかったので、最高級クラスしか作っていないというのも、嘘ではなさそうだった。


日曜日の朝に、取り寄せておいてくれたタイヤショップに行って、タイヤを交換してもらった。精算の際、「ここだけの話しですが、業者価格です。こんなに安くは他の店では絶対に買えません」と言われた。同じ型ではないが、似たような型がネットでも20万円を超えていたので、そうだろうなとは思っていた。


店を出るときに、店員に「前のスタッドレスタイヤは固かったですけれど、今度のはかなり柔らかいので、運転しやすいですよ。それから、燃費もよくなるんです。」と声をかけてもらった。


帰り道に、ちょっと運転してみたら、確かに乗り心地が違う。いい感じがした。


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土曜日に、アマゾンから天気図用紙が届いたので、実際に書いてみた。今はラジオの原稿が、気象庁のHPに掲載されている。


http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kurashi/tenkizu.html
▲この画面の下の方に「各地の観測値と低気圧や前線の位置」ということで、NHKラジオ第2の「気象通報」の放送で使われたデータが載っている。この観測値データや低気圧や前線の位置データから、天気図を作る。


http://www.asahi-net.or.jp/~tx6f-nkmr/meteorology/weathermap.html
▲こんな感じで作る。


まだ2枚しか作ってないけれど、出来はひどいものだ。
まだまだ、低気圧や高気圧の影響がどこまで及ぶのか、よくわかっていない感じがする。


ただ、昔、山登りしていたときは、ラジオで聞き逃すとアタフタして余計に聞き取れなくなったものだが、「気象通報」データを見られるなら、天気図作成もそんなに壁は高くない。
ルドナヤプリスタニってどこのことだよ、なんて「ウォーリーをさがせ」気分でチャレンジできる。

夢を見た。
僕は新幹線の「のぞみ」が来るのを待っていた。
ドア付近にはいたのだが、どういうわけか乗ることができなかった。
新幹線は駅を出てしまい、僕は慌てて貨物車両の手すりをつかんで、屋根に登った。


新幹線の速度が上がっていく。でも僕は、この新幹線がすぐそばの駅にもう一度だけ止まることを知っている。その駅に止まったら、屋根から下りて、客車に移ればいい、と考えている。


貨物車両の屋根から地面を見下ろすと、数10メートルの高さであることに気がつく。ここから落ちたら、死ぬだろうな、と思う。屋根の突起を握る手に力が入る。落ちたら間違いなく、新聞記事になるだろう、と思う。


それから、そもそも貨物列車の屋根に登ったことをとがめられる可能性もあるよな、などということを考える。駅が近づいてくる。駅員と目が合う。俺は、なんとかこの駅員の目をごまかすことができるのだろうか、と思ったところで目が覚めた。


起きてから、夢なのに「死ぬんじゃないか」と思ったり、夢の中の駅員にびくついたり、俺はなんてだらしがないんだ、と腹が立った。もっと強くなってもいいような気がした。


そんなわけで、その夢を見た日は、現実社会のなかで僕は妙に強気だった。こんなところで夢の効果が出るなんて。「こっちは現実なんだから、もう少し慎重でもいいんじゃないのか?」と普段よりもずっと強気な自分に対して思った。


+++


小さな頃からシュロの木が庭に生えていた。どうもいろんな人の話をまとめると、父親が昔、植えたらしい。シュロの木はお寺の鐘を突く棒として使われる木で、管理が容易で、丈夫な木ということになっている。


もう数10年を経た木なので、高さは6メートルくらいある。いつの頃からか、家とぶつかるようになってしまい、雨どいをひどく壊しているような気配があった。


「このまま放っておいたら雨どいだけではなく、屋根も壊れてしまう」と姉が言うので、何軒か知り合いの建築士にも話しをしてみたが、シュロの木は切るのが難しいという。
シュロの木は幹の全てが毛に覆われているので、チェーンソーなどでは毛が巻き付いてしまい切れないらしい。


そんな話しを職場でしていたら、リンゴ農家をしているという同僚が「俺が切ってやる」と言ってくれた。もっとも彼自身はシュロの木を切ったことはないらしい。
でも、一通り道具は揃っているし、毛の部分をナタで切り落として、チェーンソーを使えば切れるだろうという。


切った後の幹は、姉の知り合いの人が、木工芸品を作っていて、一度シュロの木を扱ってみたいというので、その人に渡すことになった。ただ、1メートルごとに切ってほしいというオーダーだった。


そして、幹以外の葉の部分は、リンゴ農家をしているという同僚が、家に持ち帰って畑で焼いてくれるという。


木というのは、好き勝手に切るとたたりがあるのだという。切ると言ってくれた同僚も、「ちゃんと親父さんに切らせてもらいます」と報告をした方がいいというので、一応、仏壇に線香を上げて報告をした。


切るのは土曜日だった。そして、その日はたまたま姉が旅行に行っていて、いない日だった。


金曜日に僕が仕事に行っている間、姉が家の掃除をしてくれた。メモが置いてあって、切る日の朝、シュロの木にお酒をかけた方がいいと書いてあった。理由はよくわからないが、かけた方がいいのなら、かけることにする。


土曜日の朝、金箔入りのハーブ酒(シュペヒト ピュアゴールド)をシュロの木の根元にかける。ついでに少し飲んでみた。僕にとってはかなり甘い味がする。


My Kiasu Life in JAPAN-specht pure gold

同僚が来てくれて、ハシゴをかけて屋根に登る。毛の部分をナタで刈ってくれるが、思いの外、葉の茎も硬く、なかなか仕事が進まない。作業しながら「手強いなあ」と言う。


My Kiasu Life in JAPAN-syuro

「毛も茎も硬くて、チェーンソーは難しい」というので、毛の部分をナタで刈った後、僕の家に置いてある、のこぎりで切ることにする。
シュロの木は、上の方から順番に、1メートルずつ切ることにした。


切ることにしたといっても、実際に切るのは同僚だ。屋根の上で、黙々と作業をしてくれる。


「そろそろ切れるから、少し離れていてくれ。初めて切る木だから、どんなタイミングで落ちるかよくわからない」と言う。


それから数分して、大きな葉の部分が地面に落ちてきた。葉をゴミ袋に入れるため、茎を剪定ばさみで切って幹から外そうとするが、硬くてなかなか切れない。この難しい作業を屋根の上でやってくれた同僚に、申し訳ないなあ、という気持ちがわいてくる。


同僚は、また1メートル下の毛の部分を刈り、のこぎりで切ってくれる。感覚がわかってきたのか、スピードが速くなっている。
次の1メートルは、思ったより早く切り落とされてきた。


最後の1メートルは、毛の部分を刈った後、「やっぱり最後は自分で切った方がいいよ」とのこぎりを渡された。思いの外、幹も硬い。汗が噴き出る。この作業をよく屋根の上でやってくれたと思う。5分ほどで切り倒した。


屋根を見上げると、雨どいはシュロの木につぶされて、割れていた。姉が「シュロの木が屋根も壊してしまう」と言っていたとき、大げさだなあ、と心の片隅で思っていたが、結構、リアルな話しだったんだ、と自分の思慮の浅さを反省した。


それから、葉を集めて、同僚は帰っていった。最後まで、すごく親切で体力があった。ありがたいなあ、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-syuro2

幹は山積みにしていたが、午後になって、姉の知り合いの人が引き取りに来てくれた。


夕方になって、切り株に、再び金箔入りのハーブ酒(シュペヒト ピュアゴールド)をかけた。切り株には年輪がなく、きれいな白い色をしていた。


我が家の家族の人生を見ていてくれたんだなあ、と思ったら、感慨深いものがあった。


+++


日曜日は、地域の若者たちの集まりで(俺は若者ではないが)、京都に日帰りで行くことになっている。朝5時30分に家を出る。


京都旅行に行くのか?俺が?
少し信じられない気分だが、世の中には、どういうわけかそういう流れの時がある。
勉強をしなくていいのかと、いつも思うが仕方がない。

金曜日に飲み会があって、ひどく飲み過ぎた。
土曜日は吐くほどではなかったが、一日中気持ちが悪く、頭のなかもぼんやりとしていた。
今週末は気象予報士の勉強をするつもりだったが、土曜日は勉強には手が出ず、ほとんどを寝て過ごした。


ひどく飲んだ日の翌日、起きて真っ先に思うのが「俺は酔っていた間にいったい何をしゃべっていたのか」ということで、そのことを目をつぶって真剣に考え出すと、体調的には気持ち悪くなくても吐きたい気分になる。


俺の場合、今まで取ってきた資格の話しなど苦労しただけに、ついつい人に話していそうで怖い。そういう実生活に必要のない資格を取ったなどという自慢話は聞かされる方は地獄だということも容易に想像できるので、できる限りしないようにしたいといつも心がけてはいる。それから、夜の街の冒険談。冷静な頭で考えたとき、世界で一番軽蔑される冒険だったりする。


「また、得意げになってくだらない話しをしていたのではないか?」などと疑問がわき出すと、見苦しくないようにどこか高いところから飛び降りたいような衝動に駆られる。
また、明らかに場違いな発言など、断片的に記憶がよみがえってくると、わあっと叫びながら10キロくらい走りたいような気分にもなる。


世の中には、酔って何をしても平気な人がいるし、また芸能人は「あのときは飲み過ぎて」などと謝罪会見をする人もいるけれど、勇気があるよなあ、といつも感心する。俺は飲酒が原因で鬱病になるんじゃないかと思うほどだ。


年を取るにつれて、酒を飲むことがだんだんと怖くなってくる。酒で意識が飛んだ後の自分の行動が不安でならない。その昔、「原因において自由な行為」(責任のない行為は刑罰を科せられない。例えば覚醒剤を打った後、無意識状態で人を殺した場合には、原則通りだと無罪になってしまう。それをなんとか処罰したいと刑法学者が考えだした理屈のこと。)などを刑法で勉強していたときには他人事の感覚でいた。でも、犯罪まではさすがに犯さないとしても、俺にも十分に関わりのある話しだよなあ、と最近は思うようになってきた。上司に暴言を吐く程度のことは、僕はいつでもしかねない。タクシー代をきちんと払っただろうか、というレベルでも記憶が飛んでいるために不安に駆られる。


そしてまた、いったいいくつになったら、僕はお酒の適量というのを認識するのだろうか。毎回毎回、こんなに飲み過ぎていたら、体がいくつあっても持たないような気がしてきた。


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日曜日は、起きて、それでも少しは気象予報士の勉強をした。いい加減、本気を出さないと、とても試験に間に合わない。
「ノット」という単位は、秒速にするときには半分に、時速にするときは倍にすると、近似値が出るということがわかって、「おおっ」と思った。
(例えば10ノットは、秒速5m、時速20kmになる。)
ちなみに、1ノットの60倍が地球の経度1度分に相当する。だから、それを360倍すると、地球の大きさがわかる。1ノットは1852mなので、経度1度は60倍して、11.112km。地球全周は360倍して約4万kmになる。まあ、地球が一周4万キロだって小学校の頃から知っていたけどなあ。
逆に1ノットは4万キロを360で割って、更に60で割ればいい。こっちの方が意味があるかもしれない。


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そして、やる気はあったのだが、ちょっとテレビをつけたら、TBSのドラマ「SPEC」の再放送なんかしていて、ついついそのまま見続けてしまった。こういう超能力ものって面白いよなあ。ちょっと冷静になるとバカバカしいんだけど、バカバカしいって視点もしっかり描いてあって、脚本家は優秀だなあって思った。


My Kiasu Life in JAPAN-spec1


http://www.tbs.co.jp/spec2010/


My Kiasu Life in JAPAN-spec2


見終わったら、もう勉強のことが遠くに行ってしまったような気がした。

月曜日はもめた案件があって忙しかった。ぎりぎりまで仕事をしていたが、定時に仕事を切り上げて、羽田空港に向かった。ずっと「あの案件は大丈夫なのだろうか?」と心配をしていたが、旅行の行程を正確に辿ることに神経がだんだんと集中していった。現実感は、いつだって、自分の置かれている場の方にある。


品川までの山手線内では、2人の酔っぱらいが「奥さんの難産について」大声で話していた。酔うと聴覚が真っ先に衰えるから、人は大声になるらしい。


妊娠してからは運動しろという人や運動するなという人がいて、どちらもそれなりに根拠がある、と2人は話していた。それで、大事なのは妊娠する前に身体を鍛えることなのだそうだ。「ふーん」とは思ったけれど、こんな話を聞かされてめんどくさいなあ、とも思った。俺には今のところ、関係ない話だし。正直、とても疲れていた。


飛行機は午前1時からのフライトだった。

34番搭乗口が1階だったので、バスで行き、タラップを上るのだろうと予想はしていた。


My Kiasu Life in JAPAN-plane

▲こんなどうでもいい写真を撮ろうとしていたら、警備の人に怒られてしまった。


隣にきれいなお姉さんが座っていることを期待していたが、そんなことは全くなく、おっさんだった。向こうもがっかりしている空気があった。


飛行機に乗っている間、日本人の男性高齢者が多いことに気がついていた。24億円の使途不明金を生み出し、逃亡した男も、潜伏先はタイだった。タイは古き良き昭和の日本を感じるのだろうか?なんてことを考えていた。


日本が寒かったので、僕はセーターを着ていた。羽田空港で半袖のシャツに着替えようかとも思っていたが、めんどくさくなってやめてしまった。飛行機のなかが思ったよりも寒かったので、セーターを着ていて正解だった。


タイの空港には8時頃に着いた。タクシーよりも電車の方が便利だとガイドブックに書いてあったので、電車で行くことにした。
電車乗り場に行き、自動販売機で切符を買おうとしたのだが、タイ語が全く読めない。字を字として認識する能力をゲシュタルトと言うそうだが、タイ語に関しては、僕は全くゲシュタルトが崩壊している。


近くにいた駅員に駅の名前を言うと、自販機のボタンを押してくれて、切符を買うことができた。切符はプラスチックのコインで、最初出てきたとき、お釣りかと思い「タイの硬貨はプラスチックなのか」なんて思った。大間違いだった。タイの硬貨も金属でできている。


改札口から入るときは、日本のSuicaのように、そのプラスチックのコインを磁気感知部分にタッチするようになっていた。そして駅を出るときには、貯金箱のようなスロットが改札口についていて、そこに入れるようになっている。


その後、もう1本電車を乗り継ぐ必要があった。荷物を持っているし、セーターも着ているので、汗だくになりながら、英語表示の自販機に並んで切符を買った。今度はカード式の切符だった。切符に路線名や駅が書いてあってわかりやすかった。


電車自体は山手線のような内装で、テレビがついている。手すりは山手線のように1本の棒がポールダンスの棒のように設置してあるものではなく、外国によくある支柱が途中で3本に分かれているものだった。すぐに電車が来るせいなのか、あまり混んでいると乗らず、次の電車を待つ人が多くいた。


見ていて思ったのが、タイは美人が多いなあ、ということ。でも、基本的にみんな下を向いて携帯電話をいじっている。このあたり、昨晩、日本の山手線のなかで見た光景と変わらない。


ホテルについたのはまだ10時前だった。宿泊の手続きはできたが、部屋には入れなかった。荷物を預け、チェックインタイムの2時にまた来ると話をして、大きな荷物だけ預けた。


道路は交通渋滞がひどく、その隙間を250ccのバイクが勢いよく走っている。250ccのバイクの後部座席に乗っている人はヘルメットを被っていない。よく見てみたら、それはお客で、運転手はお客からお金をもらっているようだった。そういった単車がセンターラインや測道、場合によっては歩道も走っている。見ていると「危ないなあ」と思うが、それが当たり前の光景になっている。


My Kiasu Life in JAPAN-bike taxi

信号機が機能していない交差点もあった。日本だと警察に「信号の変わるタイミングが悪い」などという苦情が来るそうだが、そういう人はあまりタイにはいないようだった。



My Kiasu Life in JAPAN-bad maintenance
▲日本ではあり得ない道路補修。穴が開いたところにベニア板を張り、上からアスファルトの合材をかけてある。この歩道をバイクが走ることもあり、すぐに壊れることは誰でもわかる。でもまあ、あまりにひどくてなんだか笑える。


最初はホテルの周りを散歩することにしたが、信号も壊れているし、4車線もあるので渡る勇気がでない。若い女の人が、車やバイクが来るのも平気な顔で渡っているのを見たときに、僕にはとても無理だと思った。酔っぱらいが4車線の道路を渡るクロス・ハイウェイというゲームウォッチのことを思い出していた。

My Kiasu Life in JAPAN-cross a road
▲リアルなクロス・ハイウェイ


http://youtu.be/CJKfKec8Vpw
▲これがクロス・ハイウェイというゲームウォッチ。酔っぱらいが道路を横切る。電車が来ているときにちょうど渡れると高得点が出る。素朴なゲームだった。


それで、またホテルの近くまで戻ってきたときに、ピンク色をしたカローラのタクシーの運転手に呼び止められた。英語が通じそうだったので話してみる。


My Kiasu Life in JAPAN-taxi and tuktuk
▲タクシーはピンク、黄色、緑等の原色でよく目立つ。近くなら、どこでも大体200円くらいあれば連れて行ってもらえる。


2時までチェックインできないので、どこか観光に連れて行ってくれ、と頼んだ。そうしたら、タイの文化を知ることができるからと「ダムヌンサドアク水上マーケット」を勧められた。僕は巨大な寝釈迦像があるワット・ポーも行きたいと言ったら、「両方連れて行く。たぶん2時か3時くらいまでかかる。タクシー代は4000円くらいだ」と言う。そのときはタクシーを5時間も拘束して4000円は安いと思っていたけれど、タイの相場ではどうやら高かったらしい。


いずれにしても、そんなわけで、この運転手に連れられて、「ダムヌンサドアク水上マーケット」に行った。途中で、運転手がいろいろと説明をしてくれるのだが、今ひとつよくわからない。僕のしゃべる英語も、彼にはなかなか通じない。


それでも、片道1時間以上はかかる道なので、いろいろと話をした。彼は娘が1人いて、毎日携帯電話が彼女から来て「早く帰ってきて」と言うのだ、と嬉しそうに話していた。


彼の運転するピンク色のカローラは、スピードメーターが時速240kmまである。でも、ハイウェイを走るときも、せいぜい時速120km程度しか出さない。まあ、そうだろうなとは思った。その後、いろんなタクシーに乗ったが、どのタクシーにも時速240kmまでのメーターがついている。これがタイのトレンドなのかと思った。ちなみに僕の日本の車は180kmまでしかメーターがない。でも十分だ。150kmまででもいいくらいだ。


日本では、今は運転席までスモークを貼ることは禁止されているが、タイはそのような規制がないらしく、未だに運転席までスモークを貼っている車が多く走っていた。


首輪のない犬がフラフラと歩いているのも、日本にはない光景だ。日本ではすぐに保健所に通報されてしまう。



My Kiasu Life in JAPAN-dog with no collar
▲こんな犬があちこちにいる。犬嫌いの人は大変だと思う。


ココナッツ畑だと彼が指を指した。ココナッツの実がどのようになっているのか、今まで知らなかった。ココナッツは椰子の実のように、高い枝の中心部にまとまって実がなっていた。「ダムヌンサドアク水上マーケット」はココナッツ畑のなかにあった。


My Kiasu Life in JAPAN-coconuts farm
▲これがココナッツ畑。どうやってあんな高いところからココナッツを取ってくるのかは不明。高所作業車は入り込めそうにない。


僕1人のために船を一艘と操舵手がついて、コースを回る。


My Kiasu Life in JAPAN-floating market1

自然のなかをかなりのスピードで走るのは爽快だったが、水上マーケット自体は基本的にお土産物を売っているばかりで、買いたくなるようなものはなかった。そのお土産の質も今ひとつだった。


My Kiasu Life in JAPAN-floating market2

My Kiasu Life in JAPAN-floating market4

My Kiasu Life in JAPAN-floating market3
▲飲み物や食べ物も売っていたけれど、そんなに欲しいとは思わなかった。



My Kiasu Life in JAPAN-coconuts sugar
▲ココナッツ工場の見学、と書いてあったが、とても工場という感じではなかった。ココナッツミルクを煮詰めて砂糖を作っています、という感じだった。


それから、またバンコクまで戻って、寝釈迦像のあるワット・ポーへ行った。寝釈迦像は金色に光る巨大な仏像だった。足の裏に、いろんな模様が彫ってあった。何が彫ってあるのかは、僕には全くわからなかった。まるで足つぼの図を見ているようで、押したい衝動に駆られるが、当然のことながら禁止されている。


My Kiasu Life in JAPAN-watpho1

My Kiasu Life in JAPAN-watpho2

それからホテルに戻ってチェックインをした。


今回のホテルはそんなに高くもなく、一流のホテルではなかったが、それでも部屋は広く、ゴージャスだった。


My Kiasu Life in JAPAN-hotelbed1
なんのためにそうなっているか知らないが、大きなダブルベッドで、その隣についている木製のブラインドを開けると、ガラス張りのシャワールームやトイレが丸見えになる。このホテルは、もう一人連れてきてもOK!ということになっていた。つまりはそういう目的のものなのかあ。でも、バスタオルやほかのタオル類はそれぞれ1枚しかなくて、本当に呼んだら不便だよなあ、って思っていた。


My Kiasu Life in JAPAN-hotelbed2

ホテルのテレビをつける。ニュースキャスターが、冒頭で必ず手を合わせて頭を下げる。この国では、何かというと両手を合わせて頭を下げる。アイアコッカ(元クライスラー社長)が、「わが闘魂の経営」という本のなかで、手を合わせるだけでも、人は落ち着くものだというようなことを書いていたような気がした(うろ覚えだが)。それを国を挙げて実践しているのが、タイだ。


My Kiasu Life in JAPAN-praying
▲みんな手を合わせて頭を下げる。


夜、アロママッサージに行った。多くの若い女の子が「こっちに来て、お兄さん。」と呼んでくれる。大喜びで近くまで行ったら、すごい年配の女性につかまってしまい、彼女が担当することにされてしまった。


でもタイ式マッサージが混ざった、ちょっと本格的なマッサージで、それで2000円もしないくらいだったので、とてもよかった。「ちんちんマッサージ」(そう彼女は日本語で言った。)は無料でしてくれると言ったが、それは頑なに断った。「よく眠れるのに。」と彼女は不満そうだった。


そして、その日の夜は、テキーラやらビールやらを飲んで楽しかった。そして、食事はホテルに戻ってから、ホテル併設の日本料理店で食べた。


My Kiasu Life in JAPAN-soi cowboy
▲このソイ・カウボーイで飲んでいた。昼間見ると、こんな感じだが、夜は女の子やおかまもいてものすごい。店に入ると、もっと凄いことになっている。凄すぎて写真を撮るのを忘れた。



My Kiasu Life in JAPAN-christmas tree
▲駅前にはクリスマス・ツリーがあった。


翌朝は起きてから、このブログを書いたり、日記を書いたりした。ちょっと2日酔い気味だったが、トイレットペーパーがなくなってしまったので、外に出ることにした。外出している間に、部屋を掃除してもらい、トイレットペーパーも補充をしてもらうのだ。外を歩くのもだんだんと慣れてきた。


心の底から面倒くさいと思っているが、職場にお土産を買って帰らなければならない。問題は、ドライマンゴーといったお土産は普通に日本のスーパーに売っているし、ほかに有名なお菓子がタイにはないということだ。北海道の「白い恋人」や善光寺にある「八幡屋磯五郎の七味唐辛子」といったものがない。30人分は買わないといけないので、スナック類も不可能だ。結局、選択肢は飴やチョコレートといったものに絞られる。


結局、ハーブの飴とチョコレートを買った。ほかにタイのものがなかったから仕方がない。日本やヨーロッパのお菓子は山のようにある。それから、特に職場で同じ係の人にはトムヤンクン味のプリッツを買った。グリコのタイの工場で製造しているみたいだった(タイ語が読めないのでよくわからないけれど。)。プリッツは、日本に帰るまでに粉々になっているとは思ったけれど、でも仕方がない。トムヤンクンのスープを買ってきてくれと頼まれた人だけには、インスタントのものを買った。


ホテルに戻ったら、すっかりきれいになっていた。スーパーで食事用に買ったものを食べて少し横になったら2時間ほど眠ってしまった。思ったより疲れているんだなあ、と思った。
それから、雑用をしてまた眠った。


夕方に起きて、少し遠くにあるマッサージ店まで歩いた。歩いているうちに汗だくになった。指を首の後ろで組んで行うマッサージでは、脇の下がちぎれるかと思うほど痛かった。それでも、日々のマッサージで、肩こりが解消されてきているように思う。


マッサージ店までの行きの道のりはまだ明るかったが、帰る頃には暗くなっていた。店の女の子が、道に酔っぱらいが出る時間になると危険だからタクシーで帰った方がいいという。それでタクシーで帰ってきた。


大渋滞だったので、20分近くかかったが、それでもタクシー代は200円もかからなかった。


夜はホテルに併設してある日本料理屋で軽く飲んで、刺身などを食べた。マグロの刺身とアボガド、ミントの葉、タルタルソース、これら全てを楊枝で刺して一品にした料理はとても美味しかった。


3日目の朝は、8時にホテルを出た。涼しくて動きやすいが、ほとんどの店が閉まっている。朝食をとるために辺りをウロウロと歩いた。近くにスターバックスがあったので、なかに入って、カフェラテを飲む。そして久しぶりに気象予報士の勉強をする。きっとタイにいる間にも勉強をするだろうと大量の本を持って来たが、1冊終わるかどうかも怪しい状態だ。たぶん、タイにいる間はその1冊も無理のような気がしてきた(気がしただけでなく、無理だった。)。


それから、ホテルに戻ってシャワーを浴びて、ひとつ先の駅の方まで散歩することにした。
多くの人に声をかけられる。とてもきれいなロシア人と思われる女性に、突然、「マッサージ?セックス?」なんてお誘いを受けたりする。「若い女、たくさん。見るだけ無料。セックス。どう?」なんておじいさんに声をかけられる。いろんな人がいるなあ、と思う。


道ばたの屋台では、定番の靴下などの屋台、果物の屋台、ちょっとした料理の屋台などのほか、おちんちんの形をした模型や、ヌードトランプ、ローターなどを売っている屋台もある。


そうかと思うと、ずっと路上でミシンを操っているおじさんやおばさんがいる。裾上げなどを頼まれてしているのだろうか?


My Kiasu Life in JAPAN-sewing machine1
▲足踏み式のミシンで何かを縫っている。



My Kiasu Life in JAPAN-sewing machine2
▲おじさんもいた。


果物は美味しそうで食べたかったが、量が多そうだったのでやめておいた。


それにしても不思議なのは、正直なところ不衛生なのにも関わらず、ハエや蚊があまりいないことだ。どういう仕組みになっているのだろう?


歩き続けて汗だくになったので、近くのマッサージ店に行って、またマッサージをしてもらった。このマッサージ店は少し高級店だったらしく、値段も高いし、若い女の子がいなかった。


年配の少し怖い顔をした女性が、マッサージをしてくれる。「ちんちんマッサージ」なんて言わないし、全裸ではなく、使い捨てのパンツも履かせてくれる。


ただ、最後の方になって、僕の肩がどうしても硬いのに頭に来たらしく、肩のツボを力一杯押すのにはまいった。呻き声を上げ、何度もベッドをタップしたいという誘惑に駆られた。でも我慢した。


それから、ホテルに戻ってまた寝た。


そして、夕方になって、またマッサージ店に行った。今度の店は若い女の子だらけで、最初に女の子が6人くらい並んで、誰か選べなんて言われる。すごくきれいな子が来てくれて、それはそれでよかったけれど、でもマッサージ自体はへなちょこだった。マッサージの間、何度も「次にタイに来るのはいつなのか?」と聞かれ、「わからない」と言うと、拗ねたりして(たぶん演技)、マッサージが中断してしまう。「あのなあ。」って思った。


夕食はいつものようにホテルで食べた。3日連続で食べている。美味しいが、いつも食べ過ぎてお腹がはち切れそうになって反省をする。


行き交う車をホテルの窓から見ながら、「もうタイもおしまいかあ。」と思った。もう2度と来ないかもしれなかった。


食事を終えて、ホテルの外に出ると、タクシーの運転手の一団がいた。そのなかに初日にタクシーで水上マーケットに連れて行ってくれた運転手がいた。名前はロンだ。
ロンはタクシーのなかで、「この辺りのマッサージは全然ダメだ。俺たちドライバーはもっといいマッサージ店に行く。」なんてことを言っていた。


明日は夜10時のフライトだったので、夜8時までに空港に行かなければならない。羽田空港だと、30分もあれば搭乗手続きが終わるが、初めての国はそれが読めない。フィリピンでは本当に2時間近くかかった。


チェックアウトは正午の12時だ。8時に空港に行くとして、8時間拘束しても、また4000円くらい払えば許されるだろう。


そう思ったので、ロンに「明日の12時にホテルに迎えに来てくれ。そして、タイのいいマッサージ店に連れて行ってくれ。フライトは8時だから、もっといい場所があればそこにも連れて行ってくれ」と頼んだ。ロンが頷いたので握手をした。ロンはすごく嬉しそうに、照れたように笑っていた。


翌朝は、7時過ぎに起きてシャワーを浴びたあと、部屋でパッキングをした。チェックアウトは12時だったので、時間がまだたっぷりあった。それで、チェックアウトの時間まで勉強することにした。でも、あまり進まなかった。


12時にチェックアウトをしたが、ロンは待っていなかった。何度もいろんなタクシーが来て「空港までなら連れて行ってやる」と言ったが、8時間もフリータイムがあるのに、空港に連れて行かれても困ってしまう。


何台ものドライバーに状況を英語で説明した。ようやく、何とか理解できるドライバーが現れた。本格的なタイ式マッサージの店と、王宮、それから伝統的なタイ料理の店に連れて行ってほしい。出発は10時だから、8時までに空港に行きたい。


値段は1時間250円くらい、ということで話がついた。ただ、この値段を記載しておかなかったので、後々、後悔することになる。値段交渉が終わったら、メモ書きでもいいのでその記録を残し、双方認識できるようにするべきだった。


本格的なタイ式マッサージの店は1時間500円くらいだった。今まで払ってきた額の5分の1の値段だった。


着替えるようにと上下の服も貸してくれる。今までは基本的にマッサージは全裸若しくはパンツ1枚だった。


ここのマッサージがとてもよかった。万年床のような薄い布団の上で、マッサージをしてくれるのだが、精神的にもすごく落ち着いたし、苦痛も少なかった。それでいて、ものすごく肩が軽くなった気がした。


できることであれば、ここでずっとマッサージを受けていたかったが、ドライバーが王宮が閉まってしまうからと、1時間しか許してくれなかった。


それから王宮と、エメラルド仏陀が安置されているワット・プラケオへ行った。
近くに駐車場がなく、タクシーの運転手が車を駐めたのは、王宮から10分くらい歩く必要のある所だった。


途中、何カ所か走ってくるトゥクトゥクやバイクタクシー、タクシー、バス、トラックを避けながら横切らなければならない道がある。こういう危険な道も、だんだんと慣れてきた。


王宮に入るとすぐに、数多くの兵士が出迎えてくれるが、こんなに兵士が余っているなら、路上に出して交通整理をさせればいいのに、と思う。信号機をつけたっていい。


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▲王宮の入り口。後ろの暗いところにも兵士がたくさんいる。



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▲いろんな場所に衛兵が立っている。勝手に記念写真を撮る人も。


そういった感覚はこの国にはないらしい。ただ、そういった適当なところが魅力で、タイは多くの観光客を呼び込んでいるのだという意見には、頷かざるを得ないけれど。


最初にワット・プラケオへ行った。細かな細工に満ちていて、タイで最も神聖な場所というのもわかる気がする。基本的に寺院のなかはすべて土足禁止、帽子禁止、撮影禁止になっている。


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▲これがエメラルド仏陀。もちろん、なかに入っての撮影は禁止だが、外から窓を経由して見ることができる。


続いて、王宮も見た。武器庫にも行った。この国も多くの戦争を経験してきたのだと武器庫を見ながら思った。そして、監視役のおばさん達が携帯電話をいじっていたり、寝ていたりするのを見て、日本では考えられない話しだよな、と思った。


王宮のなかで、もちろん写真禁止なので見せられないが、女王の着ていた衣装を飾ってある場所にも行った。衣装といっても、外交では国力を見せつける舞台でもあるので、帯に細かな宝石が縫いつけてあったり、とても高価なものだ。すごいなあ、と思いながら見た。


そこでショートフィルムの映像を流していたので、見た。涼しくて暗いせいか、見終わったあとで振り返ってみたら、たくさんの観光客が椅子に座らず、通路に横になって寝ていたので少し笑ってしまった。


遠いタクシーが駐まっている駐車場まで歩いてくると、すっかり疲れて汗だくになった。
それで、タクシーの運転手にシャワーが浴びられる別のマッサージ店に連れて行ってもらった。


ここはよくある、若い女の子が選べる店で、マッサージはタイ式マッサージほど効果がない。でも汗が流せたのはよかった。


僕がマッサージを終えて出てくると、ドタクシーの運転手はビールを飲んでいた。僕が「危険じゃないのか?」と言っても「大丈夫、大丈夫」と言う。僕にも1本頼んで、それで乾杯した。しょうがないなあ、と思った。この費用も僕持ちだ。


辺りが暗くなってきた。タクシーの運転手にあまり高くない、タイの伝統料理の店に連れて行ってもらった。


本場のトム・ヤンクンは辛かったが、味わい深く、また他の料理も美味しかった。でもだんだんと辛さが募ってきて、それで、ビールもかなり飲んでしまった。途中から、運転手もやってきて、勝手にビールを飲み始める。


「明らかに酔った顔をしているけれど、大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。」


8時が近づいてきていた。
再びタクシーに乗り、高速を走る。しばらく走っているうちに、さっき飲んだビールのせいで、トイレに行きたくなる。ところが、高速にはサービスエリアやパーキングエリア、トイレらしきものが全くない。当たり前だが、チェーン着脱場みたいに車を待避させておく場所もない。


運転手に、トイレに行きたいから車を駐めてくれ、と言った。運転手は「俺も」と言う。そういえばさっきから激しく膝を動かしている。


高速道路は渋滞にはまりこんだり、また待避所がなく、なかなか路肩の空いたスペースにも近づけない。それでも、路肩に駐車している車の一群があったので、そこのなかに駐めることができた。


外に出て、立ちションをする。あまりに我慢していたせいで、腹が少し痛かった。


そこから空港までは幸せな気分だった。10分程度で空港に着いた。時刻は8時を少し回っていた。


空港に着いたとき、タクシーの運転手が荷物を下ろしてくれた。チップやお礼を込めて3000円近くを渡そうとしたら怒り出した。最初の約束では7000円だったと言うのだ。僕も頭に来たが、肝心なところになると相手は英語がわからないフリをする。


そのまま空港のなかに行ってしまってもよかった。でも、支払った。この辺りが俺は性格がへなちょこなのだ。こういう行動が、後々の日本人観光客に悪影響が出るのだろうと、頭ではわかっていても、支払ってしまう。


でもまあ、考えようによっては8時間拘束して7000円くらいというのは、そんなに暴利でもない(タイでは暴利だと思うけれど)。無事に観光もできたし、タイ式マッサージもよかったし、ガイド料だと思えばいいのか、と思った。でもなあ。


タイ空港の搭乗手続きはとてもスムーズだった。1時間もかからなかった。
それで飛行機が出るまで、搭乗口で1時間以上待っていた。


帰りの席も、隣はおっさんだった。お互いにがっかりしながら席に座った。


朝、羽田の空港を出て、電車に乗り込んだ。空気がひんやりとしていて、街がタイに比べればどこもきれいだった。


また日本の厳しい生活が始まるのかと思った。日本は気候が甘えを許さないっていう面が確かにあるようにも思った。この寒さでは、開放的になりたい女の子にも歯止めがかかるし、いい加減な仕事では、冬の寒さを乗り切れない。



ガンズ・アンド・ローゼズの「パラダイス・シティ」はこんな風に始まる。


俺をパラダイス・シティに連れて行ってくれ。
パラダイス・シティは芝生が緑で、女の子達がかわいい。
俺は、そこに連れて行ってほしい。
http://youtu.be/Rbm6GXllBiw


タイは「パラダイス・シティ」だった。高齢者達だけでもなく、俺にも十分にパラダイスだった。


長野行きの混み合った電車のなかで、いろんな仕事上のやっかいな案件が頭に浮かび、それから諦めにも似た気持ちで、そう思った。

今週は、日曜日に飲み会があり、月曜日にも飲み会があった。
それから木曜日に大きな仕事が1つ終わって、夜は打ち上げで、やっぱり飲み会になった。


かなり皆、忙しそうだったので、幹事は僕がすることになっていた。
出席確認やら案内状の通知やら会場の設定やら、今まで何十回とやってきたことなので、そんなに僕には負担にならない。
飲み会の後の会計も僕がした。どうってことのない仕事だった。


その後、二次会は別の店に行った。そちらは僕は幹事ではなく、上司の店だった。
そこで、僕は飲み過ぎて、翌日の金曜日は朝から泣けてくるほど頭が働かなかった。


金曜日の朝、僕が「ものが考えられない、吐き気がする」と言って涙ぐんでいたら、別の課の女の子が(といっても人妻だが)薬を持ってきてくれた。
「泣いているって聞いたものですから。でも、泣いていないですね。」
「さっきまで泣いてた。薬ありがと。マジで嬉しい。」


薬を飲んだら、職場内を走れる程度にまでは回復した。今までバカにしていて二日酔いの薬なんか見向きもしなかったが(飲んだ瞬間に吐くかも、とも思っていた)、こんなに効果があるのかと初めて知った。
ときどき、小さな波が襲ってきたが、なんとかやり過ごすことができた。
それよりも、仕事上、いくつかの問題が発生してその処理に追われることの方が大変だった。


午後、部下が早退するというので、「どうもお疲れ様でした。」と言ったら、「どうしてそんなに二日酔いがひどいのか教えてあげましょうか?」と言う。
「なんで?飲み過ぎじゃないの?」
「昨日、かなり飲んだ後、係長の水割りだけ、上司が水をほとんど入れずに、原液を飲ませていたんですよ。」
「マジで。そうかあ。なんだか濃い水割りだなあって思っていたんだよな。」
そういえば部下とくだらない話しをするのに夢中で、水割りの濃さを気にしていなかった。多少、腹が立ったが、今までもそういうことがあったのかもしれないなあ、なんて思った。気をつけようと思った。


+++


その日の夜、職場から歩いて10分ほどにある温泉に行った。
温泉の水温が高いのか、最初は熱くて入れなかった。でも、そのうちに、なんとか体が慣れてきて、肩まで入ることができた。


皮膚の表面がピリピリと痛い。体の表面もいろいろで傷ついているのかもしれないな、と思った。酒はしばらくやめたいな、と思った。


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随分と長く勤めたということで、5日間、連続して休んでいいことになった。もちろん、年休を消化するのだが、それでもありがたい。


ただ5日間も職場を留守にすると仕事が大変なことになってしまうので、4日間の連続の休みってところで手を打つことにした。土曜日は、災害出動日で、何かあったら出動しなければならないので、結局、火曜日から金曜日までがフリータイムだ。


そんなわけで、今度の月曜日は出勤して、夜、そのまま羽田空港に行くことにした。深夜1時に羽田空港から飛行機でタイのバンコクに行く。


そして、今度の旅行は、往復の飛行機とホテルを決めただけで、あとはノープランだ。もっとも最近はノープランのことが多い。男1人の観光旅行なんてこんなものだ。
仏像を見たり、マッサージを受けたり、ゾウに乗ったりするんだと思う。


ただ、あまりにいろいろ考えずに飛行機のチケットを取ったので、火曜日の早朝にタイに着いたところから「チェックインもできないし、こんな荷物を持って俺はどうするんだ」と途方に暮れている自分の姿が見えるようだ。でも、まあ、なんとかなるし、なんとかするんだろう。


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この休みの期間中は、当然のことながら、気象予報士の勉強もしなければならない。
本をタイに持って行って、向こうでも勉強はしたいと思う。


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マイケル・マッゴーワン監督の「リトル・ランナー」という映画を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-saintralph

見始めた頃、「この主人公を好きになれるのだろうか?」と疑問を持った。制作者もそのような疑問を持たせるのが狙いだったのかもしれない。
僕は例え不良であっても、何かしらの能力の高い人は尊敬できる。でも、この14歳の主人公からは何も感じ取れなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-saintralph1

しかし、彼の度重なる不祥事を見守り、彼の深刻な立場を知るうちに、だんだんと彼に共感を持てるようになってきた。


「危険を顧みず、ただ、奇跡が起きることだけを祈る。」


彼が家を失い、学校も何もかもを捨ててボストンマラソンで走っている姿を見たときには、涙が出てきて止まらなくなった。


My Kiasu Life in JAPAN-saintralph2

「奇跡は、起こすものだ。」
「おまえは奇跡を求めて危険を冒したことがあるのか。」


この映画を観て、僕は胸を打たれた。この映画は、みんなが思っているとおりの映画で、結末もみんなが思っているような結末だ。
だから、特にこの映画を薦めはしないけれど、僕にもし中学生の子供がいたら、一緒に見たいと思う。そんな映画だった。

昨年までの職場は女性が多い職場だった。だから僕はディフューザーを職場に持ち込んで、ときどきアロマの製油を入れた蒸気を出していた。。
女の子が時々来て、「いい匂いですね」なんて言ってくれる。まあ、そんな職場だった。


今年の職場はほとんど男しかいない。だからアロマディフューザーなんか持ち込まない。ただ、ときどき、微かにアロマの香りを身につけていることはある。


先日、俺の近くに来た部下が「なんだかいい匂いがしますね」と言う。
「そうか?」
「しないですか?」
「うーん。どうかなあ?」
「なんかカレーの匂いがしません?」
「君にとっていい匂いっていうのはカレーの匂いなんだ。」
「はい。まあ。そうです。」
まったくなあと思いながらも、そうだろうなあとも思い、笑ってしまった。


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今週末が休めないことは前からわかっていた。
土曜日は野球の試合があって、日曜日は仕事だ。
だから、平日はなるべく早く帰って、ゆっくり眠るつもりだった。


水曜日は朝から、仕事が忙しく、一日中バタバタしていた。夕方からは体調も今ひとつで、「今日は早く帰って寝てしまおう」なんて考えていた。


ところが、その日の夜、野球部の監督が僕の席まで来た。「今日は野球の練習に5人しか集まらない」と言う。「そうなんですか。」と答えていたら、その5人のなかには監督も、それから僕も数に入っているのだという。


仕事帰りに、運動をできる支度をしてグラウンドに行ったら、監督と僕以外は全員一軍のメンバーだった。
「俺、土曜日の試合は応援なのに。」そうキャプテンに言うと「どういうわけか、選手登録しちゃったんですよ」なんてことを言う。
「なんでだよ。ふざけんなよ。」「応援って言葉がパソコンで変換ができなくなっちゃって。」「ふざけんなよ。」
それでも、まあ他に15人は一軍の選手がいるわけで(選手層が本当に厚いのだ)、二軍の俺の出番はないはずだから、今日の練習は本当に僕にとっては体作り程度の意味しかない。


最初のキャッチボールの後のトスバッティングの守備で、僕はもう息が上がっていた。
仕事上の部下に「俺の秘密を教えてやる。もう俺は限界を超えた」と伝えると、「秘密になってないですよ。見ただけでわかります」と言われた。
僕は部下に言わせると「まるで1試合終えたかのように」もう汗だくになっていた。


トスバッティングを5人で2周して(バッターとピッチャーを除くと守備は3人しかいないから大変だ)、「今日は練習が厳しくて疲れたなあ」なんて言いながら、片付けに行こうとしたら、そこからノック練習が始まった。


監督が鬼のようなノックをする。5人しかいないし、1人はキャッチャー役になるから、守備は3人しかいない。順番に球を受けるが、すぐに自分の番になってしまう。


最初のうちこそ、キャッチャーが捕りやすい球を投げていたが、途中からは力一杯キャッチャーに投げ込んでいた。肉体的にも精神的にも限界を超え、ただ体の前でボールを受けて、キャッチャーに返すことしか考えられなかった。トンネルなんてしたら、そのボールを取りに走らなくてはならない。
「絶対に体の前で止める」
「キャッチャーにボールを返す」
僕が考えることができたのはその2つだけだった。走り込んできて力いっぱい投げつけるボールを、受けるキャッチャーも大変だったと思う。


練習が終わったときには、走りすぎて気持ちが悪かった。腹回りの余計な脂肪が憎くてたまらなかった。


それでもグランドにトンボをかけながら、高校時代、野球部だった人の話を聞くのは楽しかった。
「トンボって正式名称があるんですよ。忘れたけど。」
「そうなんだ。ドラゴン・フライとか?」
「英訳してどうするんですか。」
そんな話をしていた。後で調べたら、トンボの正式名称はグランド・レーキだった。


その日の夜は、まるで酒に酔ったかのようにフラフラしながら家に帰ってきた。
風呂に入ると、疲れていたけれど、ネット麻雀なんかをしてしまい、寝たのはやっぱり12時近かった。


金曜日は苦情の多い一日だった。仕事が終わると、どっと疲れが襲ってきた。
土曜日の野球の試合は遠くの会場で行われるので、朝6時には家を出なければならない。
早く帰って寝るつもりだったけれど、やっぱり一応、練習しようとバッティングセンターに行って120球くらい打った。
左手に軽いマメができたところでやめておいた。
それでも水曜日からの疲れの蓄積が大きく、早く休みたかった。
しかし、やっぱり寝たのは12時近かった。


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土曜日の試合は、ピッチャーのできがよくて、全2試合をあっさり勝って優勝した。
2試合の得点を合計すると19対1という笑っちゃうような強さだった。確かにほかのチームなら主力のメンバーが、こちらでは控えに回っているほど、選手層が厚い。


僕は打席も守備の機会もなかった。
打ちたかったけれど、仕方がない。他にも控えがいっぱいいるのだから。


今回、往復の運転は別の部署の人がしてくれた。
帰り道、助手席に座っていると、運転手が「携帯が鳴っている」と言う。
「バイブレーターが鳴ってますよ。」
「そうかあ?」
それで、よく音を聞いてみた。後部座席で疲れ果てて寝込んでいる一番若いやつのいびきだった。


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日曜日も朝から仕事だった。
仕事はいろいろあったけれど、結果的には上々だった。
それで、夜は飲み会になった。
飲み過ぎた。

ここのところ、週末も出勤していたので、今度の3連休は久し振りの休みだった。


客観的に見れば間違いなく、僕の気象予報士の試験対策は遅れていて、こんなことでは受かるはずがないと途方に暮れるような状況ではある。
そんななかでの3連休は、今までの遅れをわずかながらでも取り戻すためのいい機会だった。


ところが、とにかく勉強をしない。解いているのはもっぱら英語の問題集で、気象予報士のテキストには見向きもしない。
土曜日はそれで丸々1日、気象予報士の勉強以外のことを頑張っただけで、勉強はしないまま終わってしまった。
「翌朝は起きたら勉強だ」そう思って土曜日の夜は寝た。


人はストレスを感じるとよく眠るらしい。ベトナム戦争時、兵士達は戦場に行く前、よく眠っていたと聞いたことがある。
日曜日に、起きたのは9時を過ぎていた。10時間近く眠っていたことになる。


それでも、さすがに日曜日は勉強をした。勉強をし始めるとすぐに、焦りが出てきた。このままではとても受からないという気がしてきた。


焦ると、余計なことばかりが気にかかり、なかなか勉強が前進しない。庭に出て、草むしりをしたり、ちょっとした料理を作ってみたり。何かしら生活にプラスになることはしているが、今必要でないことに全力を出してしまう。


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幼稚園の頃、担任だったシスターが亡くなった。
姉がたまたま近くまで行っていたので、シスターが眠っている東京の教会に訪ねていった。
教会では、死は終わりではないことになっているらしく、悲しみにくれているという感じではなかったらしい。


その教会では、僕の家の近所の人がシスターとして働いている。僕も姉も彼女がシスターになったことは知っていたけれど、その東京の教会で働いているとは知らなかった。
そのシスターは僕より年齢が1つ上なのだという。


幼稚園に通っていた頃、僕は幼稚園の帰りに交通事故に遭った。大した傷ではなかったが、出血がひどく、僕は救急車で病院に運ばれた。


気がついて目を覚ましたとき、僕は病院のベッドの上だった。みんなが笑顔だったので、僕は少し立派なことでもしたような気になっていた。


そのシスターは、その事故の日、僕の手を引いて帰る役だったそうだ。だから、僕が交通事故に遭ったとき、多くの大人の人から怒られたらしい。
そんな小さな女の子を怒るなんて随分とひどい話しだ。


そんななか、僕の母親だけが「あなたのせいではない」と言ってくれて、「優しい人だな」と思ったらしい。
そんなことが起きていたなんて、僕は何も知らなかった。でも、母親の態度は、かなり立派だったと思う。


以前、これは母親自身から聞いた話だが、母親は車を運転していた人にも「この子の不注意です」と言って、父親に怒られたらしい。でも、僕にはそれが、好ましい態度のように思える。僕もできることなら、そんなときに、人をむやみに責める人にはならないようにしたいと思う。


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3連休の間、あまりにも集中力がなさ過ぎだったので、集中力を出すクセを作ろうと思った。それで、ニンテンドー3DSで、GAME BOYの「ドンキーコング」をダウンロードした。


My Kiasu Life in JAPAN-donkeykong

このGAME BOY時代の「ドンキーコング」は、アクションというよりは、パズルに近い。その昔、全面をクリアしたことがあるが、もうすっかり忘れてしまい「どうすればできるんだっけ?」と何度も途方に暮れた。


My Kiasu Life in JAPAN-donkeykong1

とても残念なことに、この「ドンキーコング」は3連休の間にクリアしてしまった。それも2度も。難所も時間をかけて、何とか解いた。まさかこんなことだけに集中力を発揮するとは。


2度目のクリアは余裕があった。そしてゲームのやり過ぎで、左手の親指が痛くて、キーを打つのにも抵抗がある。いったい、何に夢中になってるんだよ、と自分自身に対して溜息が出た。