祭りの準備は、ずっと続いていた。それでも金曜日までに御輿や飾り付けは終わった。


金曜日は午前中休んで、家にいた。診療情報管理士の基礎過程の科目試験があって、自宅で試験を受けなければならない。


この科目試験は9月11日に郵送されてきて、9月20日までに提出しなければならない。
20日というのは必着日なので、正確には19日までに郵送で発送しなければならない。
3連休が間に入るので余裕だが、僕はこの3連休のうち2日間は祭りでつぶれてしまう。
また、台風が接近しているので、仕事上、その対応もしなければならない。


いろいろ考えていくと、どうしても前倒しで科目試験を終わらせる必要がある。
それで、13日の金曜日の午前中は休んで、自宅で試験を受けることにしていた。


もちろん自宅試験なので、教科書も読めるし、インターネットも使える。手間さえかければ、誰でも解ける問題だが、その手間がかなりかかる。


金曜日の午前中には、それでも半分くらいは終了した。なんとなく、全体のボリュームが把握できて、これなら、なんとか3連休中には終わらせることができそうだと思った。


金曜日の夜は安全祈願祭があって、法被(はっぴ)を着て出かけていった。夜は酒宴で、ビールなどいろいろと飲んだ。多くの人はここからまた飲みに行ったらしい。
僕は家に帰って、1問でも多くと科目試験の問題を解いた。だんだんと要領がわかってきて、スピードが速くなってきた。


土曜日は、法被のほか、どんぶりと呼ばれる前掛け、それから股引を穿いて朝9時前から集合場所に行った。足下は地下足袋で、生まれて初めて履いたのだが、とても履きづらく、面倒だった。片足につき12カ所も止め金具を止める必要がある。みんなに靴下を履いて、それから地下足袋を履いた方がいいと聞いていたけれど、履いてみたら思いの外、地下足袋が小さくて、僕は諦めて、素足に地下足袋を履いた。


集合場所に着くと、樽酒が用意されていて、鏡割りをするというので、その準備をした。釘抜きと金槌で、ふたをこじ開ける。
鏡割りで木槌でフタを割るのはパフォーマンスで、もともと割っておく必要があるということを初めて知った。本当に樽酒のフタを力任せに割ったら、フタが粉々になって、酒のなかに落ちて、飲むのに苦労するらしい。
準備が終わったあと、朝9時30分からの出陣式で鏡割りをして、御神酒をいただいた。


それから当然のようにまたビールを飲んだ。朝のビールが意外と飲めるのに驚いた。そう言えば、最近、朝からビールを飲むなんてことはないからなあ、と思った。


それからいよいよ出陣となった。
御輿を担いで地区内を練り歩き、ご祝儀をいただく。ご祝儀をいただいた家の前で、御輿を持ち上げて、鬨の声をあげるのだ。そしてご祝儀をいただいた方には御神酒も振る舞う。僕はその係だった。


御輿は重く、また練り歩く距離も長いので、ずっと御輿を担いでいることなど不可能だ。地区内を歩いていると、コースの所々に休憩をさせてくれるお宅があって、お酒が振る舞われる。食べ物も用意してくれていて、漬け物や豚汁などを出してくれる。


9月だというのに、日中は日が出て暑かった。出る前から「最初のうちはいいけれど、だんだんとビールよりもお茶が飲みたくなる」といろんな人に言われていたけれど、そのとおりで、行く先々で紙コップにビールが注がれると「正直、もう勘弁してくれ」と思った。


アイスキャンディーを出してくれた家もあった。その頃には疲れ果てていて、もうビールは全く飲めなくなっていた。お茶をどれだけ飲んでも、渇きは癒されないような感じだった。


夕方、また出発した集合場所まで戻ってきた。そこでもまた祝宴があったが、僕は疲れ切っていて、参加しなかった。小学生がたくさん来ていたので、小学生が樽酒が載っているリヤカーにいたずらしないように、見張るということを口実にして、地面に両足を投げ出して座っていた。実際、昨年は小学生にリヤカーのタイヤの空気を抜かれてしまったらしい。
素足に地下足袋を履いていたので、足の裏にマメができて、痛かった。でも、地下足袋を脱いで、治療をして、また履くほどの気力はなかった。それに治療すると言っても薬も何もないのだ。


45分ほど祝宴として休むと、今度は神社に向けて出発する。小学生の御輿、中学生の御輿のあと、大人の僕たちが御輿を担いでいく。僕は樽酒担当なので、ずっとリヤカーと同行していた。


神社前での御輿の荒ぶり方はすごかった。右へ左へ全力で御輿が動き、一斉に持ち上がる。
見ていてすごく感動した。


My Kiasu Life in JAPAN-matsuri

※こんなに迫力が伝わらない写真も、そうはないと思う。

その後、小学校のグランドまで行った。ここで花火を見るのだという。
「花火は、さっきから神社の横で上がっているじゃん。」
「ここには仕掛け花火があって、このグランドのなかで打ち上げるんだ。」
「こんな距離でいいの?」
観客席から仕掛け花火が設置してある装置まで数10メートルしかない。
「いいのかなあ?よくわからないけれど。仕掛け花火が、すごいんだよ。本当に。」


仕掛け花火が上がるのを待つ間は休んでいた。ほかに飲み物もなかったので、缶ビールを飲んでいた。そのときに、どこかのおっさんが私服で来た。
「どうした法被は?」
周りのおっさんたちに聞かれている。
「昨日、うちの息子が安全祈願のあとに街へ飲みに行った。そして帰りのタクシーのなかで法被に吐いてしまって、今日の朝、俺の法被を貸してくれと言って持って行ってしまった。」と言う。それを横で聞きながら、笑ってしまった。


仕掛け花火がすごいと聞いていたけれど、実際に見たとき、こんなにすごいのかと驚いた。これだけの花火を、地元の、それも祭りに関わっている人だけで見るのはものすごい贅沢だと思った。
「ちょっと贅沢すぎるよな。」
なんて友達と話していた。地元の底力を垣間見たようで感動した。


それから、最後の仕掛け花火が上がる間に、各地区の御輿がこのグランドで練り歩いて競演をするのだと聞いた。
「いってらっしゃい。」
手を振っていたら、「御輿を担がないなんてダメだ」と言われて、無理矢理、御輿のなかほどに連れ込まれた。


そして、そこから「わっしょい」のかけ声とともに左右に振れながらの全力疾走になった。グランドを半周ほどしたところで、僕はさっきビールを飲んだことをすごく後悔した。空気が薄くなって、酸欠になっているような気がした。息ができない。


よっぽど御輿から外れて、外に出ようかと思った。でも僕は抜け出せる位置にいなかった。
「グランドあと半周だ。」
そう思ったら、少し力が出てきた。自分でも驚くほどの声で「わっしょい。」とかけ声をあげていた。


だからグランド1周では終わらず、もう1周するのだとわかったときは、泣きたくなった。


それでも、最後まで走りきった。何度も死ぬかと思ったけれど、走りきって嬉しかった。
自分がここまでと設定をしていた限界を超えた気がした。


御輿を下ろしたとき、周りにいた人と、誰彼かまわずハイタッチをして、健闘をたたえ合った。僕は決して祭り好きじゃないけれど、来年もこの感動を求めて、あの地味な御輿作りの作業を、またみんなでやっていくんだろうなあ、と思った。


その後、また慰労会があって、そこでもかなり飲んだ。家に帰ってきてから、ずっと浴びたかったシャワーを浴びた。


翌朝の日曜日、朝5時台に起きて、科目試験のラストスパートをした。この日もまた集合して、10時からの後片付け、昼食、飲み会、反省会と続く。酒を飲まない朝のうちに科目試験を仕上げて、郵便局に持ち込むつもりだった。


なんとか7時頃には試験を終わらせて、それから車を運転して郵便局にまで行った。簡易書留で発送をして家に帰ると、ようやく試験も終わったという開放感があった。


それから10時からの後片付けに行った。
ほとんどの人は10時前から作業をしていた。片付けが終わったあと、恒例となっているというカツ丼を食べて、ビールを飲んだ。


反省会では「御輿がギシギシいうんですが、強度は大丈夫ですか?」という質問に「おまえの家からも3日に1回くらいギシギシって音が聞こえてくるぞ」なんてヤジが飛んで、なかなか質問も出しづらい雰囲気になった。僕は質問とヤジがおかしくて笑ってばかりいた。


家に帰ったあと、缶チューハイを飲んだ。すぐに眠たくなって、寝てしまった。起きたらもう夕方の6時だった。その日の夜は、深夜12時頃にまた寝た。


そして、月曜日は、雨の音で目が覚めた。
休日だったけれど、台風が直撃したものだから、当然のことながら職場に呼び出された。情報の整理等の仕事を、怒号が飛び交うピリピリとした空気のなか、夜の8時過ぎまでした。


嵐のような3日間で、大変だった。でも、この間にちゃんと科目試験も終わらせたし、今週末はなかなか偉かったなあ、と思った。