1998年2月23日 雨

 

フィレンツェ最後の朝は、雨だった。

 

ホテルでゆっくりと朝食をとる。窓際の席に案内され、フィレンツェを流れるアルノ川を眺めながら、バイキングの朝食を楽しんだ。

 

今日からアッシジへ向かうことに決めた。アルゼンチンの女性はシエナに向かうと言っていたので、もう一度会いたい気持ちもあったが、やめておいた。

 

午前8時30分、フィレンツェ駅に到着し、アッシジ行きの切符を購入。出発まで約2時間以上あったため、日本の様子が気になり、日本経済新聞を購入。そこで長野オリンピックで日本が金メダルを5個獲得し、22日にオリンピックが終了したことを知った。また、両親へ2回目の手紙を書いて送った。

 

午前11時15分、アッシジ行きの列車に乗り込む。アッシジに到着したのは午後1時32分だった。

 

アッシジは、これまでの旅行の中で最も小さい駅だった。荷物を駅で預け、市街地へ向かう往復バスのチケットを購入し、バスに乗り込んだ。バスには、列車で一緒だった男性もいた。

 

教会近くの広場で降りた。教会の前で、日本人らしき老人の神父さんを見かけた。教会の外観は工事中で見れなかったが、中に入ることはできた。しかし、教会の中は暗く、絵もよく見えず、地下もあって、なんとも表現しがたい怖さを感じ、すぐに出た。

 

アッシジには、教会らしき建物が3つあったが、いずれも工事中だった。丘の上には、ゴシック様式で知られるサンフランチェスコ聖堂も見えた。

 

 

おなかがすいたので、途中で昼食をとるため店に入り、前回の反省を生かして今回は定食を避け、いろいろなものを食べたかったが、24,000リラのツーリストセットに目が留まり、店の前で老人から「good and very cheap」という後押しを受け、それに決めた。

 

ミートスパゲッティとハムのように切られたローストビーフ、そしてほうれん草のような野菜。それから、ちょっと甘ったるいケーキと地酒のワイン。今回は美味しかった。

 

アッシジはとても人が少なくひっそりとしていて、人が住んでいる気配もない。しかし、雨も上がり、霧でかすんでいながらも、丘から見下ろす街はとてもきれいだった。

 

観光も一通り見終わったので、バス停で駅まで戻るバスを待っていたところ、日本人から、このバス停からローマへ向かうバスが出ていることを知り、次の目的地がローマだったので、これ幸いとローマ行きの長距離バスに乗り込んだ。

 

バスは乗り心地が良く、隣に座っていたイタリアのおばさんも英語を話し、明るい人だった。バスに乗って10分くらい経ったところで、アッシジの駅に荷物を預けていたことを思い出し、焦った。おばさんが通訳してくれ、事情を説明したところ、運転手は頭を抱えながらも途中で降ろしてくれた。

 

しかし、それからが大変だった。今いる場所がどこか全く分からず、バス停もタクシーもない。アッシジという標識を頼りに、バスが走ってきた方向に走ったが、どのくらいの距離なのか全く分からなかった。現在時刻は午後5時15分。ローマ行きの列車はアッシジ駅発が午後6時4分。

 

とりあえず、人に聞こうと思ったが、人は一人もいない。ヒッチハイクを試みるも、誰も止まってくれない。それでもアッシジ駅に向かい走りながら、車を見かけると手を挙げていたところ、一台のBMWが止まってくれた。話が通じたか分からなかったが、どうやら乗せていってくれるようだ。

 

助かったと思うと同時に、ヒッチハイクで有名になった『猿岩石』や『ドロンズ』もこんな気持ちだったのだろうか。車は20分近く走ってくれた。あのまま走っていたらとても間に合わなかっただろう。

 

車に乗っていた二人の男性にお礼を言い、駅で預けていた荷物を取って、列車は予定時刻どおりに出発した。午後8時ちょうどにローマに着く予定だったが、30分遅れて到着した。駅で7,900リラのビッグマックセットを買い、電話で駅近くのホテルを予約。1泊6万リラ。シャワーとトイレは別だった。しかし、シャワーを浴びようとすると蛇口が壊れてしまった。結局、顔だけ洗って、速攻で寝てしまった。