2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。
余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の奇跡の記録です。2023年他界。
◇経緯に関する記事のリンク◇
続きです。
(2010年の出来事です。)
老婆は、
孫は2ヶ月前から、
一歩も外に出られなくなったんだ。
なんて可哀想な子なんだろう。
と悲しげに言いました。
私は、
それは大変ですね。
母が孫娘さんに暴言を吐いたのは、
いつ頃だったのでしょうか?
と訊くと、老婆は、
先月だよ!
と怒鳴りました。
ん?
2ヶ月前から一歩も出られなかったのに、
先月母が追いかけ回したの?
ものすごく矛盾してませんか?
(心の声)
すると、奥さんが、
ハッとした表情をした後、
とーにーかーく!
うちは生活を脅かされてるの!
今すぐ謝罪しなさい!
土下座して欲しい位だわ。
母は、泣き崩れたままでした。
爺さんが口を開きました。
ところで、ババアの病気って何だ?
と聞いてきたので、
脳腫瘍です。
と嘘偽りなく答えました。
爺さん:
そんな風には見えないがな!
どこの病院に行っていて、
主治医は誰だ?
私:
◆□◇■病院
の、中田先生(仮名)です。
爺さん:
中田病院?そんな病院無いだろ!
やっぱり仮病だな!
私:
◆□◇■病院です。
と再び答えるもスルー。
いやいや、主治医の苗字を、
勝手に病院名にしないでよ。
ちゃんと総合病院の名称伝えたのに。
一家揃って訳が分かりません。
爺さんは、
仮病は分かったからサッサと謝れ!
と言ってきたので、私は、
ハサミを置いて挨拶しなかった事は、
母も悪かったと言っています。
と言うと、
何と、老婆は、
とんでもない事を口にしました。
それは、私とお腹の子の尊厳まで
傷付けられる内容でした。
もうすっかり過去の事で、
乗り越えられたからこそ、
こうして文章にできますが、
当時は精神的にぼろぼろでした
とても長い話なので、
記事を複数回に分けて書いています。
ネガティブな記事な上、
なかなか終わらずごめんなさい