2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(グレード3から、グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

 

◇経緯に関する記事のリンク◇

・病院からの呼び出し

・恐れていた(てんかん発作

・脳腫瘍が自然に小さくなった!

・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍

・手術の日(前編)

・手術の日(後編)

・病理の結果。悪性度の高さに絶望

・余命宣告

 

 

 

放射線治療開始から、

およそ2週間ほど経った頃。

 

「とうとう、抜けてきたみたい。」

 

と、母。

 

枕に短い髪の毛がパラパラと

抜けて付いていましたショボーン

 

また、皮膚が赤みを帯びてきたのも、

同じくらいの時期でした。

 

ちょうど、日焼けのような赤さでした。

 

最初は違和感は無かったようですが、

 

やがて痒みが出てきたそうです。

 

 

ある日、回診の際に、

 

傷跡から青紫の糸のような物が

少し見えている事に、

先生が気付いたのですが、

 

「溶ける糸」が溶けきらずに、

皮膚に残っているそうで、

急遽抜糸する事になりました。

 

 

回診が終わると、看護師さんが、

道具が乗ったワゴンを

持ってこられました。

 

間もなく先生がいらして、

 

私は一時病室の外で待機しました。

 

 

あっという間に抜糸が終わり、

 

病室へ戻ると、

 

 

「痛くなかったよ。」

 

と、母は言っていましたニコニコ

 

 

 

毎日、髪は抜け、

 

放射線治療開始から

1ヶ月が経つ頃には、

 

放射線を当てた所の髪の毛は、

 

ほぼ無くなっていました。

 

 

見ていて心が痛みましたが、

 

母は気丈に振る舞い、

 

売店に行って新しいケア帽子や

お洒落なバンダナを買い、

 

「ほら、これ可愛いでしょ!

どう?似合う?ニヤニヤ

 

と楽しそうにコロコロ笑っていました。