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2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(グレード3から、グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

2009年6月末

 

紫陽花が咲く季節、

母が手術を受けた日の事です。

 

 

子供を主人に託し、

 

兄と私で母の元に行きました。

 

 

母はベッドに座っていました。

ちょうど清拭が終わったところでした。

 

 

特に具合が悪い訳ではなく、

顔色も良かったです。

 

 

それから間もなく、

母の兄弟(私から見て叔父・叔母)

が来てくれました。

 

母の兄弟はとても仲が良く、

誰かがピンチになると

必ずお互い駆けつけるのです。

 

そんな母達を見ていると、

兄弟っていいなぁ!と心から思います。

 

 

母は、よほど心細かったんでしょう。

叔父・叔母達の顔を見た瞬間、

とてもリラックスした表情になりました。

 

 

叔父も叔母も他愛のない雑談で、

母を和ませてくれました。

 

母だけではなく、

私達にとっても温かい時間でした照れ

 

 

そしていよいよ予定時間が近付くと

 

看護師さんがいらっしゃって、

 

 

○○さん、行きましょうかね。

 

と仰いました。

 

 

自分で歩いていく方も多いと思いますが、

母がお世話になった病院では、

ベッドのままの移動でした。

 

兄と私が、手術室前まで付き添いました。

 

専用のエレベーターに乗り込み、

手術室のあるフロアで降りました。

 

 

初めて見るフロアの廊下は、

まるで迷路のようでした。

 

 

やがて、

受付窓口がある場所に着きました。

 

その横には何重もの

扉があるのが見えました。

 

 

ご家族の方は、ここまでになります。

 

 

と言われたので、母に、

 

 

頑張ってね、

ずっと病院にいるからね。

 

 

と声を掛けたら、

 

ふふっ。頑張るのはN先生よニヤニヤ

 

 

とおどけたように母は言いました。

 

 

私たちは病室に戻り、

 

叔父・叔母たちに声を掛け、

 

家族の控室に移動しました。

 

それから、

長い長い時間を過ごす事になりました。