Googleの議論は続く。
以下、4人の場合についての議論。
ワイネフさんから次のような問題が出題された。
==========引用開始=============
1日目。
妻、Aさんから
(BCD)=(●●●)が見えています。
Aさんからは「?」人の黒が見えています。(問1)
またBさんからは
(CD)=(●●)が見えています。
Bさんからは少なくとも「?」人の黒が見えています。(問2)
Cさんからは
(BD)=(●●)が見えています。
Cさんからは少なくとも「?」人の黒が見えています。(問3)
Dからは
(BC)=(●●)が見えています。
Dさんからは少なくとも「?」人の黒が見えています。(問4)
以上のことをAさんは知っています。
まとめると、4人の妻Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの誰もが
少なくとも黒が「?」人いることを知っています。(問5)
==========引用終わり============
答は、問1.3人。問2から問4までが2人。
問1は、Aの認識を問い、
問2は、ABの「共通認識」、問3は、ACの「共通認識」、問4は、ADの「共通認識」を問うています。
「共通認識」と言うわけは、たとえば、問2「Bさんからは(CD)=(●●)が見えています」というのは、Aが見ているBさんについて言えることです。Cさんから見ているBさんが見ているのは、(AD)=(●●)です。どっちにしろ、2人ではないかと言いたいのでしょうか。しかし、「外部」の私たちが見るBさんは、(ACD)=(●●●)の3人を見ています。主体Aの視点を外している、と言うのでしょうか。では、Aの視点にいるCさんから見ているBさんは、(AD)=(?●)となり、●1人しか見ていないのではないですか。
そして、問5.
「まとめると」の意味が分からない。誰もが最初から「2人以上」の●を知っていることを、4人全体の共通認識、同意事項に出来るという意味なんだろうか。それは「客観的事実」ではないかと言いたいのでしょうか。(もしも、それが言えるとしたら、「ワープ」も可能だと思えるのですが・・・)
しかし、1日目でも女王宣告前であれば、「2人」というのは、個人が特定された「2人」となる。
Bが2人を見ていることをAが同意しているなら、その2人とはCDであり、Bが2人を見ていることを全体で同意しているなら、CDも同意しているわけで、その時点で自分の●が分かってしまう。
ワイネフさんは、問5.の答を「2人」としたいのでしょう。
確かに、Aから見れば、どいつもこいつも2人の●を見ているではないかと言いたいところですが、Aは自分の●を知らないのですから、Aがもしも自分を○と考えたら、同じく自分の●を知らないBが、Cについて、Dの●1人しか見ていないかもしれない、と考えると考えるはずです。Bから見ればCが見ている●は、ADの●ですが、Aは自分の●を知らないのですから。(何行か前に書いたことの繰り返しになりましたが)
だから、「誰もが少なくとも黒が2人いることを知っています」(これ自体は「客観的事実」ですが)は、4人全体の「共通認識」とはなっていないのです。(もしも、そういう「共通認識」があったら、そこまで「ワープ」できるはずなのですが・・・。100人の場合の「98日目ワープ説」、だから4人の場合の「1人以上知っている説」については、否定的ですが、再考の必要性を感じてはいます。)
問5のような設問を見ると、ワイネフさんが、「客観的事実」と「共通認識」の違いをどのように理解しているのか、分からなくなるのですが、「共通認識」はドロ沼と呼ばれていますし・・・。
客観的事実と、
客観的事実を、誰が、どこまで、認識しているか、と
客観的事実を、誰と誰が、どこまで、共通認識としているか、
を区別しなくてはならないと思うのです。
客観的事実が、(ABCD)=(●●●●)の場合を考えます。
この事実を認識しているのは、「私たち」、つまり、ABCD4人の「外部」にいる「私たち」です。「客観的に」というのは、「ABCDの外から見ると」という意味になります。
では、客観的事実の「内部」にいる人は、その事実をどこまで認識しているでしょうか。(これは、「女王宣告」のある前の時点について、です。以下同じ)
Aは、(?●●●)と認識しています。(ということを、私たちも認識しています。)
Bは、(●?●●)と認識しています。(ということを、私たちも認識しています。)
Cは、(●●?●)と認識しています。(ということを、私たちも認識しています。)
Dは、(●●●?)と認識しています。(ということを、私たちも認識しています。)
客観的事実は「4人の●」でしたが、AもBもCもDも、事実の一部である「3人の●」を認識しているだけ、ということを認識しているのは、私たちです。
「自分が3人の●を認識しているように、他の3人も3人の●を認識している」かどうかは、4人の誰も分からないし、「4人全体の共通認識」にもなっていません。
Aの視点から考えてみましょう。Aは、他のBCDを見るために、BCDの「外部」に出ます。「私たち」が、ABCD4人の外部にいるように、Aは、BCDの外部にいます。A(BCD)。
Aは、「内部」のBCDについて、BがCDの●を見ていることを見ます。CがBDの●を見ていること、DがBCの●を見ていることも見ます。
Aは、Bがどのように認識していると、認識するでしょうか。つまり、AとBの「共通認識」はどうなるか。
BはAを見ているが、どう見ているかは、Aには分からない。また、BはB自身については分からないのだから、AがBについて分かることは、BがCDをどう見ているかだけです。
CDを見ているBは、CDの「外部」にいます。A(B(CD))と考えても良いし、BがAと同じ「外部」に出たと考えても良いでしょう。AB(CD)です。
このとき、Aから見たBの認識が(??●●)であることを、Aと私たちは知っているし、Bから見たAの認識が(??●●)であることを、Bと私たちは知っています。つまり、AとBの「共通認識」は、(??●●)、「CとDの黒」であることを、AとBと私たちは知ります。
同様に、AとCの「共通認識」は、(?●?●)であることを、AとCと私たちは知っているし、AとDの「共通認識」は、(?●●?)であることを、AとDと私たちは知っています。
では、BとCの「共通認識」についてはどうか。BCがADの「外部」に出ます。BC(AD)。
BとCの「共通認識」は、(●??●)、「AとDの黒」ですが、このことを知っているのは、BとCと私たちです。Aは知りません。
(同様に、BとDの「共通認識」が(●?●?)であることを知っているのは、BとDと私たちで、Aは知らず、CとDの「共通認識」が(●●??)であることを知っているのは、CとDと私たちで、Aは知りません。)
では、Aは、BとCの「共通認識」についてどう認識しているのか。BCがAを見ていることは知っていますが、どう知っているかは分かりません。ただ、BCがDの黒を見ていることは分かります。これが、AとBとCの「共通認識」になります。(???●)。ABCがDの「外部」に出ています。ABC(D)。
そして、最後、AとBとCとDの「共通認識」はどうなるか。(????)です。Dも外部に出てきます。ABCD( )。何も分からず、何も見えない。そして、女王の宣告。「1人以上の●がいる」。かつ、もともと存在していた掟「●は夫を殺せ」。こうして、4人全体の「共通認識」(????)は、「客観的事実」(●●●●)を立証することになる・・・