2+2と2×2が同じ4になることに違和感がある友人がいるという書込みがtwitterにあった。
「同じ数」に「違う計算」をしているのに「同じ答」になることが釈然としないということだろうか。
https://twitter.com/earlayFCA404/status/1173063814532624384
「違う数」に「同じ計算」をして「同じ答」になることはある。
1-1=0
2-2=0
3-3=0
……
1÷1=1
2÷2=1
3÷3=1
……
「違う数」に「違う計算」をして「同じ答」になることもある。
8+8=4×4
18+18=6×6
32+32=8×8
……
「同じ数」に「違う計算」をして「同じ答」になる他の例を探すと、
2+2=2×2
3+3+3=3×3
4+4+4+4=4×4
A+A+A+A+A=A×A ではなく、5A
5は、(任意の)Aを1として、(Aを)1,2,3,4,5と数えた5を表す。
では、2+2と2×2は、どこが違うのか? どこも違わないのだろうか。
2+2=2×2
3+3=3×2
4+4=4×2
5+5=5×2
A+A=A×2
……
と並べてみると、2+2=2×2の4つの2の違いが見えてくる。最後の2だけが、他の3つの2と違うのだ。
最後の2が1としているのは、足し算の2で、その2が2つあるということなのだ。3×2の2が1としているのが、足し算の3で、その3が2つあるということのように。
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かけ算(被乗数×乗数、乗数×被乗数)の乗数は曲者なのだ。
3+4 =7 3×4=12
同じ3と4から生じる7と12の違いは何に由来するのだろうか。
「3+4」では、3が1とするものと、4が1とするものは同じである(同じでなければ「足す」ことができない)し、足した結果の7が1とするものも、当然同じである。
かけ算はどうか。3×4 は「3の4倍」と解釈できるが(3が被乗数、4が乗数 )、3×4を「3倍の4」(4の3倍)と解釈することもできる(3が乗数、4が被乗数)。
どちらも積は12だから、
3(被乗数)×4(乗数)=3(乗数)×4(被乗数)
この式の両辺を「被乗数×乗数」の順序に整えると、
3(被乗数)×4(乗数)=4(被乗数)×3(乗数)
これが数学的に正しい伝統的な「交換法則の式」の理解だった。
つまり 3個×4=4個×3 が交換法則の式で、
3個×4=4×3個
被乗数×乗数=乗数×被乗数 は、正統な交換法則の式とは認められていなかった。
しかし、実用数学(日常算数や受験算数)ではそんなことは知っちゃいないし、現在の欧米では、むしろ「乗数×被乗数」の順序が主流となっているようだし、被乗数・乗数の区別をせずに、因数として、
3(因数)×4(因数)=4(因数)×3(因数)
と理解することもある。 乗法の交換法則の理解としては、これが正解らしい。
しかし、この式の意味を理解するには、被乗数・乗数の概念は必要となる。
(直前アーテイクル で既述)
3×4を「3の4倍」と解釈する場合、被乗数「3」の1倍は3、つまり、3を1つ分(1あたり量)として、その4つ分(4倍)は12と理解する。つまり、乗数の「4」は3を1と数えていることになる。被乗数の「3」が1とするものと、乗数の「4」が1とするものは 違うことになる。
「3+4=7」の加法の3つの項(3、4、7)の数は、1とするものが同じである。
しかし、「3×4=12」の乗法では、×の左右の2つの因数(3、4)が1とするものは異なる。異なるから、被乗数、乗数と言う異なる性質の数となり、積の12が1とするものは、被乗数が1とするものと同じになる。
つまり、かけ算の答の単位は、×の前の数の単位と同じになるわけで、最近の算数教育では、これを「サンドイッチ方式」と呼んで、一部から失笑を買っているが、戦前の算術では、「積の名数は被乗数の名数と同じになる」ことは常識であって、高木貞治も書いていることである。
(『新式算術教科書』1911年21頁 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16 )
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2㎝×3㎝=6㎠ のように、2つの因数が1とするものが同じで、積が1とするものが異なる場合も、4㎞/時×3時間=12㎞ のように3つとも1とするものが異なる場合もある。
しかし、かけ算の3つの項(被乗数、乗数、積 )がそれぞれ1とするものが同じになることはないのだろうか。
アレイ図はどうか。
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縦一列に3個ずつ、横一行に4個ずつ、全体で12個おはじきが並んだアレイ図で、かけ算の式は、
3×4=12
3が1とするものも、4が1とするものも、12が1とするものも、おはじき1個という同じもののように見える。しかし、問題が二つある。
縦3個、横4個を数えるとき、どの列、行を数えても、必ず1個はだぶって数える。だぶって数えていいのか、という疑問が生じる子供はいる。(私は、そういう子供だった。)
二つ目は、単位(助数詞)を付けて式をかくと、3個×4個=12個 々。積の12は個々数というわけのわからないものになる。
正しい単位(助数詞)の付け方は、
3個/列×4列=12個
3行×4個/行=12個
なのだ。3が一列のおはじきの個数なら、4は列数にしなくてはならず、4が一行のおはじきの個数なら、3は行数にしなくてはいけないのだ。だから、おはじきをだぶってかぞえることにはならない。だぶってかぞえてはいけないのだ。
最近の教科書は、行ごと、列ごとにおはじきを囲って、そういうことをちゃんと教えている。
(東京書籍『新しい算数2下』平成23年発行、20頁)
このように、どちらかの数は、列数か行数でなくてはいけないということは、並んでいるのがおはじきではなく10円玉にするとよくわかる。縦に10円玉3枚30円、横に4枚40円並んでいるとする。全部でいくらか。30円×40円=1200円、ではない。(単位の「円々」は不問)30円/列×4列=120円、または、3行×40円/行=120円などと計算しなくてはいけないのだ。
アレイ図の見た目は、被乗数、乗数、積の3つの数が同じ1を数えたもののように見えるが、実はそうではなかった。
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被乗数、乗数、積の3つの数が1としているものが同じ1ということはありえないのだろうか。
デカルトの『方法序説』を序論とした本論の一つ『幾何学』の冒頭に、乗法の積を作図で求めている図がある。 (原亨吉訳『幾何学』ちくま学芸文庫8頁)
AB=1とし、BD=m、BC=nを実寸でとれば、BE=m×nも実寸で求められる。このとき、m、n、m×nが1としているものは同じである。
しかし、AB=1、BD=mを実寸でとり、BCを任意の値Pとすると、BEは、Pのm倍、P×mとして表される。Pが被乗数で、mが乗数で、mは、P×mのPを1としたときの値となる。つまり、乗数mは被乗数P「を」1としているから、P「が」1としているものとは異なることになる(P=1でなければ)。
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つまり、かけ算の式で、乗数は被乗数「を」1とした数だから、被乗数「が」1とするものとは異なる(被乗数が1でなければ)。例えば、被乗数×乗数の順とすると、3.2×2.4=Xの式で、乗数2.4は被乗数3.2を1としたときの倍数(比の値)を示しているから(X:3.2=2.4:1)、被乗数3.2が1とするものとは異なる。
2×2の式でも、乗数の2が1としているのは被乗数の2だから、被乗数の2が1としているものとは異なる。同じ2でもそれぞれの2が1とするものが違うことになる。
このことは、ヘーゲルが『論理学』で夙に指摘していたことで、私もヘーゲルを読んで気づかされたことだった。
ヘーゲルは、「数の概念の規定は集合数と単位であり、数そのものは両者の統一である」(岩波文庫『小論理学』松村一人訳309頁』)と言い、さらに「(乗法では)掛け合わす二数のいずれを単位とし、いずれを集合数とするかは、どうでもよいことである。例えば三の四倍(引用者註:原文はviermal drei 四倍の三 )といっても(この場合には四が集合数で、三は単位である)、また逆に四の三倍(引用者註: dreimal vier 三倍の四)といっても、どちらでもよいのである。」『大論理学上巻の二』武市健人訳39-40頁。
「単位」が「1あたり量」「被乗数」であり、「集合数」が「いくら分」「乗数」ということになる。
この後ヘーゲルは、集合数と単位の二つの規定から、算法は、加減と乗除と乗冪の3種類しかないと叙述を進めるのだけれど、よくわからない。加法、乗法、ベキと帰納的な定義で構成してきた方式を延長できるのでは、と思ったし、『現代数学小事典』(講談社ブルーバックス、1977年)の94頁に同じようなことが書いてあったのを見つけたときは嬉しかった。
2+2=2×2に対する違和感の考察から、ずいぶん遠くに来たもんだ。