先ずは,「この本面白いから読みなよ」と言ってワタシのデスクに置いてくださった先輩同僚。
ご厚意は有り難いのですが,正直に言いますと・・・
ワタシは元々読書家ではありませんし,稀に見る「スローリーダー」なので・・・
いざ,読書の時間となると数時間を要しますし,優先順位でも自分から積極的に選んだ本でなければすっと後になってしまって,最悪数年は“積読(つんどく)”の仲間入りとなる可能性が高くなります。
ま,今回は初めてのことでしたので,「乱読」させていただきました。
・・・が,今後はきっぱりお断りしていく所存です。
ところで,この先輩はあちこちの同僚達に本やCDを「面白い」と言っては貸し出してる様なんですが,そもそも「面白い」と思う内容には個人差もありますからね。
下手をするとワタシ以外にも「有難迷惑」と考えている人もいるかもしれません。
あるいは,やはりワタシにとってココ(4月からの異動先)は水の合わない場所なのかもな・・・。
・・・だからといって,無理矢理自分の生き方を見直すつもりは毛頭ございませんが・・・。
いずれにしても,此度の感想は以下の通りでございます。折角,時間を掛けて読んだので,まぁ私なりの解釈をまとめておきました。
そもそも「農耕民族型理念」が色濃い日本社会に「狩猟民族型理念」が受け入れられ始めたのは折しも1999年にカルロス・ゴーン氏が日産の最高執行責任者に就任した際に,彼が日産の立て直しの為に取り入れた経営方針に端を発しているのではないでしょうか。
一応「経営学」とやらは大学で1年ほど受講したのですが,専門外であったのは勿論,私は優秀な学生ではありませんでしたから,単位修得を目的にするという大抵の大学生と同じような時間の過ごし方をしており,今ではいったい何をどう学んだにかさえ記憶にない次第でして,細かな分析や解説はできません。しかしながら日本社会の歪みの原因とはこの相容れない2つの理念が混在していることであると勝手に思っています。
何だか格好良く「農耕民族型理念」「狩猟民族型理念」などと大それた表現をしておりますが,例えば前者は“チーム重視型”で後者は,どこかのスポーツ選手が提唱していた様な,“個人重視型”と言えば分かってもらえるでしょうか。
現在日本の「正社員」には,あのアスリートが仰っていた通り「個の実力が上がればチームの実力が上がる」という狩猟民族型理念を押しつけられているとも言えるでしょう。
ところが,学校教育現場では概して農耕民族型理念の呪縛から抜け出せず,ともすると,そうした色合いを更に濃くしつつある様に見受けられますから,そんな教育を9年から16年も受けた若者が,その呪縛からの解放と同時に,いきなり狩猟民族型理念の巣窟とも言える社会に突如として放り込まれれば,その“生き辛さ”たるや想像を絶するはずです。
私は更にもう1つ,この農耕民族型理念を主軸に政策を押し進める政治家たちが,若者の“生き辛さ”に拍車を掛けていると見ています。
この本では,私がここで述べている理念については(まぁ素人の勝手な発想ですから)全く触れられていませんが,冒頭でも触れた日本社会の歪みの原因とは次の様なことが原因だと分析しています。
1. 農耕民族型理念に基づく教育を受ける子供達
制服に代表されるような画一的な価値観の強制などによって「出る杭は打たれる」的発想に支配された集団構成員として洗脳を受けた子供たちが,現在の“正社員”の大部分を占めています。この状況に順応できなかった一部の存在の中から,狩猟民族型理念を奉ずる新しいリーダー達が輩出されている事にも注目せねばなりません。しかしながら学校教育現場では「どうやって順応させるか」という事ばかりに重点を置き,それをもってして形だけの“手厚い”対応ばかりに始終しております。もしかすると,それによって本来活かさなければならない“個の実力”をも潰している可能性すらあるのです。
2. 企業の狩猟民族的理念に基づく経営方針への転換
カルロス・ゴーン氏の日産立て直し劇で一躍脚光を浴びる様になった成功報酬の拡充と責任の明確化という方針が現代日本に押し寄せた黒船とも取れます。これが日本の企業経営のあり方を根底から覆した様に語られることが多いのですが,当のゴーン氏自身が仰っていますように,これは「古来より日本文化にも存在していた」理念とも言えそうです。彼は,自ら提唱した“コミットメント”について侍の時代の“腹切り”だと喩えました。つまり会社を城と考え,そこに「ご恩と奉公」があって然るべきだという発想こそ現代の経営理念の本流であると心得るべきだということなのです。
3. 農耕民族型理念の申し子達を救済するべく講じられる政策
ほぼ9割方狩猟民族型理念にシフトしてしまった状況に順応できない人材をどうにか救済しようとして講じる政策は,教育現場同様に農耕民族型理念のみが色濃く残ったものになっている為,空回りすることが多く悪用される隙も大きい。政治が本来手を加えるべきところは,農耕民族型理念を擁護し保つ為の全体救済ではなく,狩猟民族型理念を後押しするための“個的能力”の開発を目標とした教育の改革と国民意識の啓発なのではないでしょうか。
かつて「チームワーク」を旗印にバランス良く成り立っていた日本社会という大きな船は今や西欧文化の価値観という波に呑まれて沈みかけています。私は日本社会ほど“社会主義”を具現化したものはないと信じておりますが,もはやそれも“個人主義”に打ち消されようとしているわけです。
この本では企業や政治を批判して何の解決も見いだせない曖昧な結論に達していますが,今やかなり先の方まで進んでしまった日本社会のパラダイムシフトに対して大きく遅れを取ってしまった教育と政治が如何に転換すべきかを考える岐路にあるのだと私は思います。さもなければ,世界経済において圧倒的メジャーとなる「狩猟民族型理念」に対抗し生き残る路は日本経済には残されておりません。
・・・と,ココで,今一度冒頭の“有難迷惑”の話題に返りますが・・・
思えば我が職場は「農耕民族型」なのでしょうな・・・。“みんなで仲良く”的なw
ワタシは職を転々としてきましたから,根本的に「狩猟民族型」なんでしょうね。
さすれば水が合わんのも納得(爆
嗚呼すっきりした。