昨年に続いて観劇=感激してまいりました。
ストーリーの大筋は変更されていませんが、役者や細かな“エピソード”に手が加えられていて90分もあっという間に過ぎてしまう程楽しく過ごさせていただきました。
昨年は青空、星空チームの両方を拝見したので、今年は青空のみで申し訳なかったのですが、通算3度目の観劇となると、余計なことまでじっくりと考えながら見てしまいます。
例えば登場人物達は子供ばかりで、その設定上大人・・・つまり日常生活上に存在するはずの親や学校の先生なんかの気配が微塵も感じられません。これは、勿論、元々テアトルアカデミーは子役養成所という事も大きく影響しているのでしょうし、物語の根幹に「甘酸っぱい青春物語」的なプロットが腰を据えているので当たり前と言えば当たり前なのですが、ワタシはついついキャラクターの具体的な背景なんかを妄想してしまいました。
ここからは、その「妄想」の一部です。
主人公のアカリの5歳年上の姉、ソラは、アカリにとって母親的な存在でもあるので、身の回りの世話は大抵ソラが担っています。見落としているかもしれませんが、何かしらの理由で母親がいない設定になっていますね。
また、メグミの世話好きな性格はソラとも被る部分がありますが、彼女の場合はそのエネルギーが友人のミカに一方的に向かったり、周囲に気を遣ってしまう余りどうやら自分自身を抑えて道化に徹してしまう性格の様で、実は自分の家庭にさえ居場所がない様な気がします。
ところで、アカリからは「完璧だ」という存在であるはずの姉も、もしかするとメグミと同じ様な問題を抱えていたかもしれませんね。メグミとアカリが再開することでストーリーが展開し始めるところで、メグミがソラのオマージュ的な存在としても映りました。
さて、ミカには親の離婚か、あるいは転勤が原因で転校を余儀なくされたふしがあります。どうやら周囲に流されて翻弄されやすく、結局は確固たる自分自身が見つけられない優柔不断な性格として描かれます。自分自身を消している点で自分と似ているメグミとは惹かれ合うわけですが、そんな二人を邪魔しようと例の3人組が登場します。
彼女たちは「嫉妬心」から仲の良い二人を引き裂こうと躍起になっている様です。
ゴンはメグミの男の子版。幼少期はアカリとソラと一緒に、少年期はリョウと一心同体の様に過ごしていて、帰宅するシーンでは少し寂し気な様子も見受けられました。
いじめっ子の3人も含め、其々に「孤独」を抱えていて、寂しくて辛い「今」を何とかやり過ごしている風にワタシには映ります。つまり、頼るべき大人が不在という現代の若者の悩みがストーリーの根底に座している様な気がしたのです(こうして考えると、一番バランスの良いキャラクターがリョウということになるんですが、まぁ役者の雰囲気にもよるのかもしれません)。
こんな風に想像すると、折角テアトルアカデミーにはエイジレス(大人)のコースもあるので、其々の家族のドラマがスピンオフされると嬉しいとまで思ってしまいます。
見どころはやはり“女優”の皆さんの迫真の演技・・・ソラとアカリ、メグミとミカのシーンはクライマックスに向けて切なさを増長させ誰もが涙を堪えることができなくなります。これはあどけない幼少期の様子から成長して哀しみを背負った現代までの場面が繰り返し繰り返し登場することで胸がいっぱいになり、感極まったところに彼女たちの本気の涙が起爆剤となって観客の涙腺を崩壊させていくのです。
一方、この物語に不可欠なゴンとリョウの絡みも健在。思わず「プププ・・・」と笑ってしまいます。我が息子のエガちゃんみたいな演技も許してもらえるのかしらw
昨年同様に窪島さんや中村くんに絡んでいただきまして本当にありがとうございます。
妄想ついでなのですが、このストーリーの中にある2つのメッセージは、実は役者に対してのものでもあると感じました。
1つは「空の色が青から赤、そして黒に変化する様に、今見えているものだけが全てではない」ということ。もう1つは「自分にしか見えない色で空を表現することが大切なのだ」ということ。
野本先生がこの物語で伝えたかったことは一般的な捉え方だけに留まらず、これから厳しい役者の世界で生きて行こうとする子供たちにも通じるものがあると思うのです。
大好きなことに夢中になっていると周囲から疎んじられることがあるかもしれませんが、そんなことはさておき、自分の色を前面に出して表現し続けていくことこそが大事なのだと、ワタシは勝手ながら親として、芸能を志す息子を鼓舞しつつ応援し続けていきたいと思いました。