東海道東下り 十回目 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

東海道東下り

      舞坂宿~浜松宿~新天竜川橋東口

 

 

新緑のすがすがしい季節五月 東海道に行って来ました

前回は 豊橋の東 二川宿から新居宿で新居関を見学し弁天島で宿泊

舞阪宿まで行きました。今回は舞阪より浜松、天竜川を超えたあたりまで

行ってみようと出かけました。

今年の大河ドラマは徳川家康です。 当然浜松城にもお邪魔してきました。

 

出発日  2023年5月11日~12日

経路    JR舞阪駅から天竜川東口

距離   約13KM

 

浜松城公園

前回の最後舞阪駅です

長池松並木 東口です

舞阪宿は今切渡しを控えおおいに賑わった。文政年間 1818~30年に海苔の養殖

が盛んになり舞阪宿の一大名物になった。 天保14年1843年東海道宿村大概帳

によると家数541軒本陣一軒 脇本陣二軒 旅籠二十八軒 人口2475人であった

最初の訪問地 春日神社です。 狛犬は左右一対の鹿 慶安元年1648年徳川三代将軍家光より朱印六石が下賜された。

麦飯長者跡  小野田五郎兵衛は旅人に湯茶の接待し麦飯を振舞った

地蔵院  本堂には家康の正室築山御前が守り本尊として肌身離さずに持っていた

     『 腹篭 地蔵尊』を安置している

秋葉山 常夜灯 

名残松  辺りには当時の面影はこの松しかない

 

二ツ 御堂 平泉の藤原秀衡が京で病に倒れると愛妾が京に向かいここで死去の知らせ 

      (誤報)を聞き阿弥陀堂を建立し亡くなった。 

若林の一里塚 江戸日本橋より六十六里目  当時は土手のある松並木がつずき

       塚木のエノキは旅人の道しるべであった。

平安末期に戒壇設置で争いになり比叡山の僧兵が押し寄せ鴨江寺側は水田に水を張り

鎧を着て迎え撃った。双方の戦死者約千人を鎧橋の北側に葬り千塚といった。

浜松城天守閣  天守門

浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で1570年六月に入城して17年間在城した。家康ののち城主は代々譜代大名が務め在城中に幕府の老中まで栄進した

人が多く出世城と言われた。水野忠邦は知られています

築城当時の天守台石垣 

埋門  

徳川家康 銅像

富士見櫓 跡  17世紀中頃に建てられたと推定されている。富士山を眺めながら

        茶の湯などが 催されていた

一日目終了です