東海道東下り 十四回目  | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

東海道東下り 十四回目

           岡部宿~丸子宿~府中宿

 

東海道 街道歩き行ってきました

出発日 2023年12月21日、22日 快晴強風 

経路  岡部宿 から 丸子宿 宇津ノ谷 峠を経て安倍川を渡り

    府中宿まで 14.3キロ 

今年最後の街道歩き出かけました。弥次さん 喜多さんの弥次喜多

道中膝栗毛にも紹介される駿州の旅味わいながら今回はとろろ汁の

老舗 丁子屋の食事と宇津ノ谷峠の明治のトンネルを楽しみに出発です

 

 

前回の最後 岡部宿本陣門跡

 

大旅籠 柏屋

 

岡部宿 岡部川 東海道

 

 

十石坂観音堂 徳川家より十石の寺田を拝領した。堂内に二基

厨子が安置され境内には多数の石仏、石塔がある

 

藤枝 一号線バイパス 多数の車が通行してます

 

 

明治の道にはいりました。秀吉は小田原攻めに際し大軍を通すため

新道を開削しこれが東海道になった。それ以前は蔦の細道が

本道であった。

 

歌舞伎蔦紅葉宇津の谷峠

伊丹屋十兵衛は同宿となった盲目の文弥が大金をもっていること

を知ると言葉巧みに昼なお暗い宇津の谷峠に誘い出し殺して

大金を奪った。

 

 

明治のトンネル   明治9年11月に完成した。日本初の

有料トンネルとして技術的のも高く近代化の象徴であった

 

 

東海道宇津の谷峠越え 江戸時代の道

 

間の宿 立場茶屋が並ぶ集落で難所宇津の谷峠を控え賑わった

 

お羽織屋 天正十八年 1590年 小田原攻めに出陣した秀吉が

当家に立ち寄り馬の沓くつわを所望すると主人は三足しか渡さなかった

訳を問うと四は縁起が悪い一足はここに置き勝利を祈願すると答えた

秀吉は気をよくして勝利し帰路に羽織をあたえた。

 

 

藤枝バイパスの宇津野や峠出口と道の駅

 

丁子屋 創業慶長元年 1596年 名物 自然薯のとろろ汁

の老舗 芭蕉句碑 『梅わかな鞠子の宿のとろろ汁』がある

歌川広重 東海道53次 丸子名物茶屋 弥次喜多が茶屋で

とろろ汁をすすっている ところが描かれている。

このあたり自然薯芋がとれ芋を掘る道具を持った男が描かれている

この日は朝早く開店まえでとろろ汁頂けなく残念でした

 

 

細川幽斎 歌碑  秀吉の小田原攻めの先陣として丸子川を

渡るさまを詠んだもの

 

丸子宿 脇本陣跡

 

創業明治四十年 銘酒 『鞠子の里』の蔵元

 

安部川橋

明治七年1874年代々川越総取締役を務めた宮崎家が私財を

投げうって川越人足の失業対策として安水橋を架橋した

 

弥次喜多道中 安部川の水量がおおく川越人足に高い渡し賃

を払った。すると人足はすぐ上の浅いところを渡って戻って

言ったとさ。

 

安部川義夫之碑

旅人がおとした財布を安部川の人足が拾い宇津の谷峠まで

追いかけて渡した。お礼に礼金を渡そうとしたがその人足

喜兵衛は受け取ろうとしない、困った旅人は町奉行に訳を話し

奉行から褒美として渡した

 

創業文化元年1804年 元祖安部川餅 の老舗

家康にきな粉をまぶした 金な粉餅 と称して献上すると

縁起が良いと喜び安部川餅と命名した 砂糖が庶民にゆきわたった

のが1800年ごろのようです。

 

 

しろいお餅がわさびでいただきます。その当時を思い出すかの

ようかの味わいでした。左があんこときなこです。

 

府中宿にはいり札の辻に俯瞰する地図がありました

みどり色が東海道です

 

西郷 山岡鉄舟 会見碑

慶応四年 1868年幕臣 山岡鉄舟は 東征軍 参謀西郷隆盛

と会見し徳川慶喜の処遇、江戸城明け渡し等の根回しを行った。

 

本日の最後静鉄線 音羽町駅 です。

おわり