東海道東下り 十三回目 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

東海道東下り 十三回目

           島田宿~藤枝宿~岡部宿

 

東海道 街道歩き十三回目行ってきました。前回の最後 大井川を渡り

島田駅までいきました。今回は藤枝宿から岡部宿あたりまで行ってみよう

と出かけました。大井川の見どころ 蓬莱橋があります。

東海道から少し離れますが幕末の最後職を失った方がたくさんいました。

そんな氏族はじめたくさんの方たちを救ったのが 茶畑の開墾でした。

そこで川を渡るのに橋がない 不自由を解消するため明治12年一月完成した

木造の歩道橋が 蓬莱橋です。

全長897,4m 幅 2.4mの 木造橋です

平成9年12月世界一の長さを誇る木造歩道橋としてギネス社に認定されました

長生き 長生きの橋として 897、4 やくなしのごろ合わせで人気の橋です

 

歩いた日  2023年11月2~3日 快晴 

経路    静岡県 島田市 藤枝市 岡部

距離    16.5キロ

 

蓬莱橋 からスタートです

大井川を渡る 手前が島田宿 対岸は牧之原大地 茶畑開墾した大地が

広がる。 当時は農作業に従事した人々が往来した。

 

 

 

勝海舟 銅像

  江戸幕府の最後 江戸城を 無血開城した。明治新政府でも

要職を務め 咸臨丸でアメリカへも渡った。

職を失った幕府の再雇用につとめ この地の茶畑開墾に尽力した

甘露の井戸水  大井川の伏流水 飲んでみた おいしかった

栃山橋 寛永12年1635年田中藩主水野監物忠義は水不足に悩む

村々のために大井川から取水した水路を開削した。

農民は大変感謝をし水路の名前を 藩主の名を冠した

松並木 処どころ松並木が大切に保存され街道の雰囲気があります

天保四年1833年建立の秋葉山常夜灯を納めている

並びに明治天皇御小休所の碑がある

千貫堤  寛永十二年1635年田中藩主水野監物忠義は

領内を大井川の洪水から守るため銭千貫を費やして大堤を築いた

松並木がのこっています

古東海道 跡

瀬戸の山越えと呼ばれる古東海道であった

東海道が新設されても大井川の洪水があれば 

旅人はこの道を通った

鏡池堂 竜神が棲む鏡池から士現したという 六地蔵を安置して

いる。三十三年に一度開帳される

田中藩領 傍示石

傍示石にいは 従是東田中領 と刻まれ掛川藩領との境であった

 

田中城と家康

元和二年1616年一月家康は鷹狩の帰路田中城に立ち寄り

茶屋四郎の供した興津鯛の天ぷらを食べすぎ 体調をくずし

四月駿府城で亡くなった。享年七十五歳であった。

 

二日目開始

 

志太の一里塚   江戸日本橋より五十里 

勝草橋  勝軍 かちいくさ をもじった

大慶寺  日蓮上人お手植えの松がある 樹齢七百余年 手前

上伝馬 問屋場跡

慶長六年1601年徳川家康は宿場を置き旅人や荷物を次の宿場まで

運ぶ継立と通信業務のため人馬や飛脚をそろえた。

これを伝馬制といいその業務を扱う場所を問屋場といいました。

歌川広重 藤枝人馬継立 問屋場風景

下本陣跡 歩道タイルに表示してありました

 

若一王子神社御神燈

藤枝白子町由来

本能寺にて明智光秀の謀反により殺された織田信長 その時徳川家康は

大阪堺で物見遊山見物でいた。光秀の追ってが迫る中最大の危機が

せまった。その時のわずかなお供が本田忠勝、本田正信、服部半蔵

茶屋四郎などであった。服部半蔵の機転で伊賀忍者200名など

集め決死の工程にて山越えを成功させ三重の白子町まで逃げのびた

しかしここで盗賊の落ち武者狩りに家康とみやぶられ最大のピンチと

なったが農民小川孫三の機転に助けられ白子湊から三河へ船で送り

届けられた。その後孫三は白子の自宅に追手が詮索して帰ることができなくなった。

それを知った家康は孫三にここ藤枝に領地に与え諸役を免除 朱印状を与えた。

以来ここが 藤枝白子町となった。

現在は十五代目の子孫にあたる方が小川医院をされています。

須賀神社  御神木の大クスは推定樹齢五百年

八幡橋

岩村藩領傍示杭 跡  

岩村藩領傍示杭跡

岐阜県美濃岩村城の飛び地が駿河の国に十五か村五千石あった

その領地を示めしたもの

 

 

東海道 岡部宿にはいる

五智如来

田中城主の姫君は口が不自由であった。阿弥陀に願をかけ一心に

祈ると満願の日に治癒したと言う。

 

初亀酒造  創業寛永十二年1635年 銘酒 初亀 蔵元

姿見の橋  小野小町は晩年旅の途中川面に姿を映し老いの身

      を嘆き悲しんだ

岡部宿本陣門 復元されている 内野家が務めた 徳川十四代将軍

       家茂や明治天皇が休息した

大旅籠 柏屋 天保七年1836年築 山内家は問屋、年寄、

    宿役人をつとめ 質屋を兼業した

本日の最後藤枝駅に到着です

今回は街道歩き途中に地元の人々と沢山交流も出来静岡の
みかんをいただき それも二人の方々から 楽しく歩き 出来ました

 

終わり