「夜叉の如く鬼の如くあらわれるのは仏の化身」
澤谷先生から、教えていただきました。
今目の前にある、どうしようもないような問題や人は、実は、自分のために存在してくれる「仏の化身」だというのです。
以前、ウルトラの父さんが、澤谷先生のブログで
「本来瓦なら、これを何百年磨いても鏡にはならない。
素晴らしいダイヤモンドは最初からダイヤモンドである。
泥にまみれていても、ダイヤモンドだから磨けば燦然(さんぜん)として光明を放つ。」
と書かれていたことがありました。
本来人はダイヤモンドであるからこそ、その周りについた泥のようなエゴを打ち破って、ダイヤモンドの原石にカットをつけていかなければなりません。
本当の自分として輝くために・・・!
「夜叉の如く鬼の如くあらわれるのは仏の化身」
この言葉を聞いて、いつも思い出す仏教説話があるのです。
それは「雪山童子」というお話です。
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昔、雪山(ヒマラヤ)に雪山童子と呼ばれた若者がいた。
人のためになるならばと、自分を犠牲にしても、修行を積んでいた。
そんなある日、山の中で素晴らしい偈文が聞こえてきた。
諸行無常 (しょぎょうはむじょうなり)
是生滅法 (これしょうめつのほうなり)
「こ、これは・・・!」
雪山童子は衝撃を受けた。
それはまるで、溺れた人が船に出会ったような衝撃の悟りの言葉だった。
雪山童子が辺りを見渡すと、恐ろしい鬼がたたずんでいた。
まさかとは思ったが、童子は鬼に訊ねた。
「鬼よ、あなたがこの偈文を唱えたのですか?」
「そうだ。」
「なんと・・・。
もし・・・もし、残りの偈文を説いてくれるならば、私は終生あなたの弟子になります。
先ほどの偈文だけでは字句も不完全だし、義も尽きてはいません。
どうかどうか、残りの偈文を教えてください。」
「出家者よ、私は飢え、疲れているから説くことができないのだ。」
「鬼よ、あなたは何を食べるのですか?」
「私の食べ物は人肉だ。飲み物は、人の生き血だ。」
「・・・・話は分かりました。
残りの偈文を聞くことができたら、私は、この肉体をあなたに差し上げましょう。
たとえ天寿を全うしても、どうせ私の死体は獣か鳥に食われるだけです。
しかも、食われたからといって、何の報いがあるわけでもありません。
それならば、悟りの道を求めるために、この身を捨てる方が良いでしょう!」
「では何か。わずかな偈文のために、肉体を捨てようと言うのか・・・!
お前が本当にその身を捨てるというなら、残りの偈文を説いてやろう。」
鬼は、厳かに残りの偈を説いた。
生滅滅已 (しょうめつめっしおわりて)
寂滅為楽 (じゃくめつをらくとなす)
鬼は、約束通り、雪山童子の肉体を求めた。
「願いはかなえられたのだから、約束通り、私に肉体を施してくれ。」
雪山童子は覚悟の上のことだから、肉体を捨てることに何のためらいもなかった。
しかし、このまま死んでしまっては、他の人々のためにはならない・・・。
そこで、辺りの石や壁、道や樹木に手当たり次第に、この偈文を書き留めてから高い木に登った。
そして、鬼との約束を守って、迷うことなく地上へと身を投げた・・・!
ところが・・・!
雪山童子の身体がまだ地上に落ちないうちに、鬼は帝釈天の姿に還り、空中で童子の身体をふわりと受け止めた。
そして・・・帝釈天は足下にひれ伏して、童子にこう言った。
「あなた様こそは、真の菩薩です。
そんなあなた様を苦しめたのも、ただただ、仏の大法を愛すればこそです。
どうか、私をお許しください・・・!
そして、未来に悟りを得られた暁には、私の事もお救い下さい!」
半偈のために身を捨てた苦行外道の雪山童子は、後の世の、お釈迦様だと言われている。
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今まさに、ものすごい課題となってあらわれているものは、本当に仏の化身かもしれません!
雪山童子のように「迷うことなく素直に」その課題に100パーセントチャレンジした時に、初めて鬼は帝釈天に姿を変えるのかもしれません。
あなたの前に現れているのは、鬼ですか?夜叉ですか?
私の前には鬼(課題)がいっぱいだ~~~!!!
挑戦しましょう~!
「迷うことなく素直に」・・・!