もし、世の中で石油を節約するのが普通になったら、事態はがらっと変わり、再生可能エネルギーと呼ばれるエネルギー源が実用化に大幅に近づくだろう、と私は考えています。

現時点で実用化に最も近づいているのは風力発電だと私は考えていますが、話の流れとブログの目的を考えて、ここでは自動車の液体燃料の話をします。

仮に、世のあらゆる自動車メーカーが、ハイブリッドガソリン車・ハイブリッドディーゼル車ばかり製造するようになったと仮定しましょう。

また、常に軽量化に励むようになったと仮定しましょう。

そして、高速道路で速度制限が普通に課されるようになったと仮定しましょう。

そうすると、現在の消費量の7割→6割→5割(究極的にはこのくらい?)と、次第に燃料の消費量(カロリーベースで)が減っていきます。

そうなれば、現在は「ガソリンと軽油ばかりだった自動車用燃料」を「植物から採ったバイオ燃料」で置き換えることが、量的に見て相対的に容易になっていきます。必要量が減るということは、少ない供給しかできないエネルギー源が相対的に重要な存在になり得る、ということを意味しています。
従前の設備 - 安く大量に手に入った時代の石油を燃料として消費する設備 - は、「石油をたくさん使ってもいいから、とにかく所定の性能を出すこと」を念頭に作られていました。

不正確ですね、この表現は。もっと正確に表現しましょう。

正確に言うと、「石油は安く豊富に手に入ったので、節約しながら所定の性能を発揮する二律背反の実現など、最初から考える必要も無かった」のです。石油文明をリードしたアメリカ社会は特にそうでした。

自動車もそうでしたし、冷暖房もそうです。冷蔵庫などの家電もそうでしたし、航空機もそうです。金のある人に限定されているとしても、個人用の航空機がかなり普及している社会ですよね、アメリカは。

地味ですがアメリカと張り合っていた旧ソ連も結構じゃぶじゃぶエネルギーを使う方した。今のロシアもそうだそうですが、都市ガスを何時間も連続して使っても、ガス料金が変わらないのだそうです。従量制じゃないわけです。

私の勤務先が関わっている世界 - 化学産業 - も伝統的にはそういう世界です。原料も石油ですが、その原料を加工する方法論も「石油から取り出したエネルギーをがんがんつぎ込む」ことによるものです。

原料に高温・高圧をかけて、化学反応をおこさせるわけです。エネルギーをがんがんつぎ込んで、強引に化学変化を起こさせます。プラスティックは石油の塊ですが、単に「原料が石油である」ということ以上の意味を持っているわけです。

こういう社会が現在の地球上で前提とされている社会です。もちろん、70年代の2度の石油危機を教訓に、部分的に変わって来ています。それでも、まだまだ cheap oil 時代の惰性がたっぷり残っています。

「たっぷりエネルギーを使う」前提でいるがために、再生可能な自然エネルギーはなかなか石油を代替できるだけの規模に達しません。石油系エネルギーの規模があまりにすごいので、適わないわけです。

しかし、もし、「cheap oil 時代の惰性」が変わってしまったら、もしも、「世の誰もが節約するようになったら、あらゆる企業がエネルギーを節約する努力を常にするようになった」としたら、何が起こると思いますか?

「考えたことがない方」は少なくないかもしれませんね。

私が思うに、そこに「見落としがちな前提」が隠れているのです。我々の無意識の意識の中に。

現在の社会が当然の前提としている、「石油や天然ガスをじゃぶじゃぶ使う状態がそのまま続く」、「その状態から人々は変えられない」ということを前提として、代替エネルギーを見つめていませんか?

では、「ある程度モーダルシフトを導入したりするのは良いとして、人々が分散化した自由度の高い輸送手段を(少なくともそれなりに)確保できる状態を維持しつつ、ガソリンや軽油を非石油系の何で代替するか」について、私の見方を綴ってみましょう。

私達が代替エネルギーについて考える際、ある前提を当然のこととして、私たちは考えています。そのことから書きましょう。

石油を代替する新エネルギー源について論じるとき、「広く拡散しすぎている」とか、「間欠的にしか得られない」といった欠点が上げられることがしばしばです。

風力発電や太陽電池が良い例です。広い広い場所に設備を設置して、それでも火力発電所に電力生産量が適わない現実があります。

バイオ燃料もそうです。広大な土地で植物(作物)が育って、それを収穫して燃料工場まで運んで、それではじめてまとまった量の燃料を生産できます。しかし、その量たるや、油田で生産される液体には全く適いません。

農耕可能な広大な平原を有する世界最大のバイオ燃料生産国ブラジルですら、30年かけてやっとこさ、自動車用燃料の数10%を供給できるまでになった、という段階です。

自動車以外にも色々使われているものまで含めて石油系燃料を全部代替するなど、それも全世界規模で行うなど、今のところは全く現実的には見えませんね。

しかし、そこには見落としがちな前提があると私は考えています。

「節約の方法論を考えることとは別に、そもそも自動車への依存度を今のまま維持するのか下げるのか」について検討することが、「真の問題」のうちの1つだと申しました。

前述しましたように、自動車は分散化された輸送手段です。鉄道のように集約化された輸送手段より燃費は悪いわけです。

しかし、分散化されているために、

・旅客や荷物を小分けにし、様々な目的地別に向けて別々に輸送すること

・旅客や荷物を小分けにし、時間差をつけて別々に配送すること

が可能になっています。鉄道や船舶は、この点に関する自由度がずっと低いです。

特に鉄道には、敷設した線路上しか走れない、という重大な制約があります。もちろん線路だけでなく、車両にエネルギーを供給する設備 - 変電所や架線や燃料タンク - なども必要で、それにアクセスできない場所では列車は走れません。

自動車も、舗装した道路上しか普通は走りませんし、ガソリンスタンドが全く無い地域では短時間しか走れませんが、鉄道ほど厳しい制約でないことは明らかですね。

それに道路は、各家庭の目の前まで続いています。"Door-to-door" が実現できるわけです。

おまけに、自家用車なら、見知らぬ他人と行動を共にする必要がありません。

鉄道と大型船舶などの公共交通機関にはこういう自由度はありませんね。

ですから、「鉄道や船舶への依存度を政策的に上げよう」と政治家が意図することは、人々の生活の自由度を下げることに直結します。

そう簡単には立法化されないでしょうね。

でも、エネルギー危機が来たら、話は別です。

また、これは二酸化炭素排出量削減を意図した自発的な動きですが、一部の企業 - トヨタ自動車が特に熱心なようです - は「モーダルシフト」と呼ばれる、「鉄道や船舶による商品や部品・資材の輸送を優先的に選択する」ことを実施し始めています。

こういうのを参考にして政策化される日がいずれは来るかもしれない、と私は考えています。繰り返しますが、「先にエネルギー危機が来て、後から政策化される」というのが、私が想定している事態です。
#213で述べた(1)「当面の対策」についてです。

自動車の利用に際しての液体燃料節約の方法論は、すでに世の中でそれなりに実現しています。

真の問題は、

・節約の方法論をもっと普及させること

・節約の方法論を考えることとは別に、そもそも自動車 - 燃費効率の本質的に良くない分散化された輸送手段 - への依存度を今のまま維持するのか下げるのか、について検討すること

だと私は考えています。

すでに存在する節約の方法論は以下のようなものです。

(a) 車体を軽くする。(軽くすると危険な場合も想定され得るので、できる車種とできない車種と区別する)

(b) ガソリンハイブリッド車、ディーゼルハイブリッド車を徹底的に導入する。大都市圏に特に重点を置く。

(c) 建設機械・輸送機器にもハイブリッドシステム(モーターと回生モーターと蓄電池の組み合わせ)をできる限り導入する。

(d) 輸送にはできる限り鉄道や船舶を使う。都市間の輸送においては特にそうする。

(e) 高速道路において速度制限を導入する。

(f) 燃料への課税を強化する。

(g) 燃費の悪い車両への課税を強化する。

私は、これら(a)~(g)を全て徹底的に実行するべきであり、日本においてはいずれ実現するだろう、と考えています。

問題は、そう簡単に普及させられない、ということです。

個人の選択肢を制限する側の変化ですから。深刻な事態が来ないと素早い変化を招来できないと私は考えています。

ですから、私が思うに「速やかな普及には、エネルギー危機が必要」です。

逆に言うと、「エネルギー危機が来れば皆すぐに対応しようとする。そのとき相対的に損する人がたくさんでるが、それは仕方がない。それが人間の本質で、それが普通の人間の普通の行動というものだ」というものです。

もし、人より先んじて実行する余裕と意志をお持ちの方は、早めに実行される方がよろしいかと存じます。もちろん、個人で実行可能な部分だけですが。

#215から#220で述べた「鉄理論」は、今のところ直接バイオ燃料やバイオマテリアルの生産には役立ちません。

しかし、光合成における鉄の重要性はよく分かりましたね。

ということは、地上のバイオマス生産量増大を考えるにあたって鉄分(二価の鉄)をどうやって供給して光合成量を増加させるか、が考えるべき重要な点の一つかもしれないということです。

#143「鉄(1)」と#145「鉄(2)」で述べたように、沙漠緑化にあたって鉄について考えるべきかもしれないわけです。

また、植物プランクトンを増やせるのなら、その植物プランクトンに油脂や蛋白質や炭水化物を合成させるというやり方で、鉄の効果を享受できるかもしれません。

少し希望が湧いてきました。

前掲書の著者、静岡理工科大学の矢田浩名誉教授は、鉄を撒布するにあたって、以下のような提言をしています。

(1) 撒布する鉄には産業廃棄物を充てればよい。アルミニウム精錬業や製鉄業から出る廃棄物が考えられる。

(2) 例えば、アルミニウムの原料たる鉱石「ボーキサイト」は12~16%の酸化鉄を含む。ボーキサイトを精錬してアルミナ(酸化アルミニウム)を除いた残渣(赤泥)は現状厄介者で海洋に「不法投棄」されているが、これは鉄を豊富に含む(だから赤い)上にアルミナは水に溶けず、アルミニウム以外の成分は毒性の心配はないので、鉄撒布に使える。

(3) 全世界で年間約2000万トンのアルミニウム地金が生産されており、その2.2倍の重量(4400万トン)のボーキサイトが消費されている。その量のボーキサイトに含まれる鉄の量は400万トンを超える。

(4) マーティンの計算では、南極海で不足している鉄の量は「たった30万トン」に過ぎない。上記(3)で理論上得られる鉄の量よりはるかに少ない。

(5) 日本鉄鋼協会の試算では、日本で1年間に高炉から排出される残渣(スラグ)1000万トンのうちの8%を海に撒布すれば、日本の鉄鋼業界に要求されている二酸化炭素削減量1700万トンを達成できる。

矢田先生は、「地球温暖化対策としては、鉄の海洋撒布だけが、間に合う対策である」と書いています。

提言内容で「大気中の二酸化炭素濃度を低下させられる」ほどの効果を発現できるのかどうか、私としてはまだ定かではありませんが、そこまで行けるのなら素晴らしい話ですね。

鮪の数も増えそうですしね。

今のところ、鉄理論は検証が続けられている段階です。

鉄撒布の効果が実験によってばらつきがあるためです。まだまだ解析が行われている段階です。

それでも、大きな希望だと私は思います。

鉄を海に撒くことによって植物プランクトンを確実に大発生させることができるようになれば、

(1) 二酸化炭素を海中に固定でき、大気中の濃度を下げることができる

(2) 水産資源の増殖をはかることができる

という、2つの利点を得られる可能性があるからです。

前掲書「鉄理論=地球と生命の奇跡」の102ページには、これまで10回行われた海洋鉄撒布プロジェクトが掲載されています。

1993年、1995年、1999年、2000年、2001年、2002年(3回)、2004年(2回)

2001年、2002年の3回目、2004年の2回目の各プロジェクトには、日本人も参加しています。

この結果、鉄の補給後に

(1) 植物プランクトン(特に珪藻)が大発生すること

(2) 表層海水中の二酸化炭素濃度が低下すること

(3) 炭素を含む粒子が沈降すること

が確認されています。

前回述べた「鉄が不足しているために植物プランクトンが繁殖しにくい海域」は、主に以下だそうです。

・南極海
・北太平洋のおおむね北緯50度以北
・東部太平洋のエクアドル沖赤道直下の海域

また、マーティン博士の計算によると、南極海に30万トン程度の鉄を撒けば(1980年代半ば?の時点における)二酸化炭素排出量の半分を吸収できるそうです。

興味深いことに、この仮説に基づいた実験が1990年代から今世紀にかけて実施されました。

その結果この仮説の正しさが証明され、「仮説」は「理論」へと昇格したのです。

また、繁殖した植物プランクトンの相当部分が沈降し、二酸化炭素を海中(海底)に固定できることも判明しています。