1986年にアメリカのモス・ランディング海洋研究所のジョン・マーティン博士が「鉄仮説」と呼ばれる仮説を発表しました。

以下が「鉄仮説」の骨子です。

(1) 世界の海には、海水中に「栄養ミネラル類は全般的に多いのに、鉄分が不足しているために光合成がほとんど行われず、植物プランクトンがほとんど繁殖しない海域」が広範に存在する。

(2) この海域に鉄分を補給してやれば、海中での光合成量を爆発的に増加させることができる。補給量は「比較的僅かでよい」。

(3) これによって、大気中の二酸化炭素濃度を大幅に減少させることができる。

これの前提となっている事実を二つまず説明しておきましょう。

化学や生物学で習ったことを覚えていらしたら思い出してください。

鉄原子は二価になったり三価になったりします。鉄は比較的珍しい元素で、電子を放出したり吸収したりして、「他の原子と結びつくときに必要な手の本数」を二本にしたり三本にしたりします。

みなさんや私も含めて、生物は鉄のこの性質を利用して生きています。これを利用して酸素を取り込んだり放出したりしています。呼吸できるのは鉄が存在するからです。

呼吸だけでなく光合成にも鉄が必要で、細胞内で光合成を行う葉緑体に含まれている葉緑素は鉄原子を含む化合物です。葉緑体の中で、鉄が光エネルギーによって電子を取り込んだり放出したりすることによってブドウ糖が生産されているのです。

前提となっているもう一つの事実は、海水中にはもともと鉄はあまり豊富ではなく、海水中の鉄は主に陸地から供給されている、ということです。

河川水が重要な供給源です。海水中の鉄分濃度が高い海域は、陸地の周辺が多いです。

これは、「光合成が盛んになりやすい海域 = 植物プランクトンが繁殖しやすい海域 = 魚が繁殖しやすい海域」が陸地の周辺に多い、ということも意味しています。

陸地から遠く離れた海域や、あるいは陸地が近くても例えば気温が低すぎて河川水がいつも凍っているため河川水が海に流れ込まない海域は、鉄が欠乏しやすいわけです。

海水への鉄分の供給源としてもう一つ重要なのは、沙漠などから飛んでくる砂です。

黄砂なんかもそうです。太平洋のかなり奥深くまで鉄を供給しています。

とても面白い本を見つけました。

「鉄理論=地球と生命の奇跡」(矢田浩著、講談社現代新書、2005年)

著者の矢田さんという方は、長年新日鉄に勤務され、現在は静岡理工科大学の名誉教授をされている、鉄の専門家です。

なんと、鉄を海に撒くことによって大気中の二酸化炭素濃度を下げることができる、というのです。

それを「鉄仮説」或いは「鉄理論」と呼びます。英語だと "The Iron Hypothesis" で検索すると結構色々なサイトが出てきます。

しかも、90年代からすでに実験を何度もやっていて、その仮説が正しいことそれ自体は検証済みなのだそうです。(だから「仮説」から「理論」に昇格したのだそうです)

昨日の投稿では、「水素経済」について、全く述べませんでした。

「水素経済」というのは、「単体の水素をエネルギーの媒体として全面的に利用する社会・経済」のことです。

水素は単体ではよく燃える物質で、燃料にすることが可能です。

単体の水素なら燃やしても二酸化炭素を排出しませんから、もし単体の水素を二酸化炭素を排出せずに入手できれば、いくらエネルギーを消費しても「地球温暖化」を気にする必要がなくなるはずだ、と考えている人がいるわけです。

しかも、水素は化合物の形態で地球上にたくさん存在します。みなさんや私の体の中にも水素がたくさん含まれています。海水は「水素の塊」みたいなものです。化石燃料と違って「事実上無尽蔵な資源」だと捉えている人がいるわけです。

「水素経済」論者が具体的にどういう将来像を描いているか少し書いてみましょう。

① 当面、天然ガスを分解して水素を製造する。

② 将来的には水を分解して単体の水素を得る。水を分解する方法論として想定されているのは以下4種類。

・高温ガス炉という1000℃級の高温ヘリウムガスを得られる原子力発電所で高温を得、その熱で分解する。
・風力発電・太陽電池など再生可能エネルギー源で生産した電気エネルギーで水を電気分解する。
・水を分解する光触媒を水中に浸した状態で太陽光にさらし、水を分解させる。
・クラミドモナスという水を分解して水素を生産する藻類が存在する。その藻類に水素を生産させる。

③ パイプライン/都市水素ガス配管網を建設し、商業施設・住宅・事業用建物や自動車給水素ステーションに水素ガスを供給できる体制を整える。

④ 商業施設・事業用建物・住宅の光熱や自動車の動力を水素を燃料とする燃料電池にて供給する。

多分、「オール電化社会」を想定しているんでしょうね。「船舶と航空機はどうするんだ?」という疑問が湧いてきますが、とりあえず放置しておきましょう。上記の4段階だけ考えることにします。

私は上記の4つの段階のうち、最も critical なのは、①と②だと考えています。「どうやって単体の水素を手に入れるのか?」が最も critical だ、と申し上げたいのです。

ピークオイルは英語ではしばしば、"Peak Oil & Gas" と呼ばれています。液体の炭化水素だけが問題になっているのではありません。天然ガスもいずれは全世界規模で減退する、と述べているのです。天然ガス生産量のピーク時期については諸説ありますが、早い見解で2030年ごろ、遅い見解で2090年ごろのようです。遅い側は実現可能性は低いと私は思いますけどね。現在の天然ガス消費量を前提にしている見解ですから。石油が減退したら、天然ガスにみな飛びついて消費がぐぐっと増え、減退が想像している以上に早くやってくるはずですよ。

このことを考慮すると、①が理由となって、初期段階の水素経済は「石油が減退した後どうするか?」という対策としては不十分な持続性しか無いことがわかります。

現実の問題としても、#82で2006年9月15日の日経産業新聞記事の引用(インドネシア・北アチェ州の化学肥料工場の操業停止)で述べましたように、天然ガスが枯渇して一部の化学工業が操業不能に陥る、という事態がすでに発生した事例もあるわけです。

①のように「当分水素で」という考え方自体が甘いのではないか、と私は考えています。別に水素燃料のためだけに天然ガスを使うわけではありませんからね。上述のように肥料の生産にだって使います。石油が減退すれば、天然ガスからプラスティックを製造することも起こり得ます。技術的には可能ですし、使っている場合も実際にありますから。

次に②について述べましょう。

高温ガス炉は現在研究開発中の原子炉です。ドイツが特に熱心です。今のところ開発が順調に進んでいるとはとても言えないのですが、そのことは棚上げし、仮に高温ガス炉の実用化に成功した、と仮定してみましょう。

それでも、高温ガス炉による水の分解は、天然ガスの減退 = Peak Oil & Gas によって制限を受けます。

どうしてかって? よく上の②を読んでください。

ヘリウムガスを使うって書いてあるでしょう? ヘリウムガスは実は天然ガスから抽出してるんですよ。

天然ガスでも世界中どこでも豊富に含んでいるわけではないらしく、北米の天然ガス田からの産出が最も多いようです。

でも、北米の天然ガスが生産ピークにさしかかっているんです。ですから、アメリカではヘリウムガスを充填した風船 - お祭りには不可欠な存在 - を作るのに困り始めているようです。

このあたりの事情はSGWさんが詳しいので、お訊ねになるとよろしいかと思います。

ここで申し上げたいのは、天然ガスがいつか枯渇するために高温ガス炉で水を分解することはできなくなる日がやってくる、ということです。

次に、残りの3種類の話です。

この3つ - 電気分解・光触媒による分解・藻類による分解 - は、どれも十分な生産性を確保できていません。

電気分解だと投入する電気エネルギーに対して取り出せる水素(に含まれる化学エネルギー)が少なく12%程度だそうです。仮に太陽電池で生産した電気エネルギーで電気分解するとします。太陽電池の光電変換効率を高めに見て20%としましょうか。そうしますと、

20% × 12% = 2.4%

と計算できます。これはつまり、「もともとの太陽の光エネルギーの2.4%を単体水素の化学エネルギーとして取り出すことに成功した」という意味です。

低いでしょう? 次に述べる光触媒も同レベルで低いですが、この程度だと現実に化石燃料には全く対抗できてませんし、そもそも太陽電池で生産した電気エネルギーをそのまま使う方がよほどまし、ということですね。

光触媒は太陽光が持つエネルギーの3%程度を水素に変換できるようです。これも最大で3%。太陽電池だと性能が悪いものでもその倍、宇宙開発に使うような変換効率の高いものなら10倍以上の変換効率です。

藻類の変換効率がどのくらいか数値は存じませんが、「藻類がたっぷり入った池からぶくぶく水素の泡が湧いてくる」という状態からはほど遠いです。一時世間を騒がせたクラミドモナスによる水素製造の研究は、現在では全く関心を集めていません。

一言で言うと、「太陽光の光エネルギーを水素に変換するのは効率が悪い」ということです。あっ、風力発電→電気分解の場合は別ですね。その場合は「太陽の熱エネルギーを水素に変換するのは効率が悪い」と表現すべきです。

私は今のところ「水素経済」の実現可能性については、否定的です。正確に言うと

・天然ガスが十分手に入る間は水素経済は成立する。従い、「水素経済」は燃料電池を利用することによって天然ガスをより効率よく利用する社会である、と考える方が良い

あるいは

・万一、水を分解する工程のエネルギー消費効率を大幅に改善しつつ、水の分解によって水素を大量生産できるようになれば、その場合は水素経済は将来成立し得るだろう

ということです。

燃料電池の理論上の熱効率は80%程度ですから。ディーゼルエンジンの40%の倍です。燃料電池がその理論上の熱効率を実現できたら、水を分解する良い方法を見つけられなくても、水素経済を構築することに一定の意味はあるでしょう。天然ガスが十分に手に入る限りにおいて。

もちろん、それでは長期的に見て「ピークオイル対策」にはなりません。

そこで、

「政治的な大変革を回避しつつ、石油を代替して車社会/近代産業社会を成り立たせるにはどうしたらよいか?」

これを当面の命題としましょう。

以下が命題に対する私の答えです。

(1) 当面の対策: 節約にまい進する。ガソリンハイブリッド車、ディーゼルハイブリッド車を全面的に導入する。速度制限の厳格化と燃料への課税の強化も有力な選択肢となる。

(2) 長期的な対策: バイオ燃料の開発を推進する。ターゲットは「セルロース系燃料」或いは「植物に油脂を大量に合成させる」のいずれか。

(3) 側面の対策: 電気エネルギーによって置き換えられる動力源はできるだけ電気エネルギーに置き換える。その場合の電気エネルギーの供給源をできるだけ、風力・太陽光・水力などの再生可能資源とする。

いくつか、説明しておきましょう。

まず、電気エネルギー源には、「原子力」は当然含まれています。

私は近い将来人類が原子力を使わなくて済むとは思っていません。自然エネルギーで賄えない電力供給量が相当出てくると思います。そこは原子力で埋めることになるでしょう。このことについて、私自身不安に思うところが全く無いわけではないですが、人類は使い続けると思います。

また、同じく電気エネルギー源には、「化石燃料やバイオマスを燃料とする分散型電源」も当然含まれます。これも利用が広まるだろうと私は考えています。

ただ、電力供給量で見ると、

原子力>風力・太陽光・水力>分散型電源

或いは

原子力>分散型電源>風力・太陽光・水力

のどちらかになるだろうと思っています。

次に期間について。

ここで言う「当面」とは、「今後20年以内」という意味です。

ここで言う「長期」とは、「今後30年間、或いはもっと長い期間」という意味です。

気の長い話ですね。そう、気の長い話です。

でも、昨年年末に私がここでやったようにエネルギーの歴史を振り返ると、10年は一瞬でしかないことがすぐ分かります。

エネルギー源の交代には時間がかかるのです。IT技術のように「3年経ったらがらっと変わる」という分野ではありません。

これはつまり、「車に依存している現代社会を石油減退時代ににどうするのか? そのまま続けるのか? それとも別の何かに再構成するのか? (後者なら)何に? (どちらにするにせよ)どうやって?」ってことですね。

現代の交通機関、というより社会全体で、もっとも石油を多く食っているのは自動車です。

一番無駄が多いのは乗用車です。バスやトラックはまだ効率が良いほうです。

乗用車はたった一人の人を運んでいることが少なくないですからね。一人の移動距離に対する燃料の消費は多くなる傾向にあります。

バスやトラックだと、業務上必要なところへしか行きませんが、乗用車はそんなことないですよね。あてもなく走ることもありますし、道を間違えることもしょっちゅうですよね。タクシーも乗用車ですけど、客を求めて空車で走っていることも多いですし。

前述した「移動手段の分散化の度合いが大きくなるほど、エネルギー消費の無駄は多くなる」傾向がある、ということですね。

交通・輸送・物流などの本質を考えると、必ずしも「何が何でも乗用車(特に自家用車)を社会に広く各個人向けに行き渡らせている現状を維持しなければならない」わけではありません。「もっと集約化しろ」という主張は可能です。

しかし、それは個人の自由を制限する方向への変化です。

現実に「全ての人が(集団用の)公共交通機関を利用する」なんて社会へ変化させることを、今の日本で考えられるでしょうか?

かなり難しいですね。

例えば私が独裁権力を持ったとしましょう。そうすれば多分実現します。(^^;)

おそらく国家権力で強制しないとだめでしょうね。

そうしますと、政治体制を変更しない限りは困難ということになります。

私の考えでは、こういう強制化は「資源不足に人々が直面して始めて可能になる」性質の変化です。そこまでいかないと、人々は受け入れないと思います。

ガソリンをはじめとする化石燃料系液体燃料がいかに便利なものかについて、電気エネルギーと比較しながら述べてきました。

こういうことを考えてくると、私はこう言いたくなります。

「いやぁ~、石油ってほんっとに素晴らしいものなんですねっ!」 (水野晴郎風に)

いや、ほんとに。

しかし、減退するとなると、感嘆ばかりもしていられません。

どうやって代替するか、ガソリン車・ディーゼル車について、私の考えを述べていくことにしましょう。

ガソリン車を走らせるインフラについて述べていたときは、

・ガソリンスタンドの地下に設置されたタンク

・自動車内のガソリンタンク

について述べました。

電気自動車について述べたときは、

・充電スタンドの地下に設置された蓄電池

については述べていません。

まず、この点が気付いていただきたい一点目です。

次に二つ目。

・自動車車内の蓄電池

については、書きました。

そこで、思い出してください。化石燃料系液体燃料の優位性の二番目についてです。

エネルギー密度が高いんでしたよね、液体燃料は。

電池はぜんぜんかなわない、ということでした。

「仮に自動車の車内で電気エネルギーを蓄えたとしても、航続距離は知れている。長い距離を走れるようにしようと思ったら、自動車を徹底的に軽く作らなければならないし、それでもガソリン車には全くかなわない」

ってことです。

おまけに電池は重いです。燃料を満載したタンクよりずっと重いです。

電極は金属でできているのが普通です(炭素電極もありますけど)からね。化石燃料系液体燃料は水より比重の小さい物質なんですよ。金属と電解液でできた電池が不利なのは明白です。

車体が重くなると、自動車はスピードを出せませんね。上述したように長い距離も走れない。

ある程度エネルギーを蓄えられるようにしようとしたら、蓄える装置(電池)が大きくなってしまい、人間が乗るスペースも狭くなります。

もう一つ、上の一点目から派生する話です。

仮に、充電スタンドの地下に電池を設置したとしましょう。そこに発電所から電気が送られてきます。

で、地下に貯蔵したとしましょう。

それを自動車に全部充電したとします。

そうしたら、その充電量は、最初に発電所から電力供給を受けたときのエネルギー量の9割以下です。確実に。

電気エネルギーは貯蔵時に損失してしまうんですね。もったいない話ですが、どうしようもありません。

ちなみに、この損失は、自動車の車体に装着された電池についても、もちろんあてはまります。

自動車を充電すると、電力ロスがその時点ですでに発生しているわけです。また、長い間駐車場に放置しておいたら、時間が経つ間に放電してしまい、ここでも電力ロスが発生するわけです。

ガソリンを給油する場合は、こんな心配をする必要はありませんね。ガソリンは給油中に蒸発しますが、電力ロスに比べれば無視できる程度、ほんの僅かです。

もっとも、街中の充電スタンドについては、蓄電設備を設置しない、という手があるのかもしれません。

家庭のコンセントと同じ方式です。みなさんのご家庭に、家電製品に電力供給するために一旦電気エネルギーを蓄えておく蓄電池がありますか? 多分ありませんよね。京セラの「サムライ」でも備えつけてれば別なのかもしれませんけどね。

こういう場合、本当のところどうなのか、私には今のところわかりません。

発電所から送られてきた電力を蓄電せずにすぐ自動車に供給する場合を考えてみると、その場合の問題の可能性は、「電圧・電流の変化がどのくらい大きいのか?」というところに集約されるでしょうね。

自動車が常に充電スタンドの設備につなぎっぱなしなわけはありません。

代わる代わる充電スタンドに自動車が入ってきますが、「つないでは、はずし、またつないでは、またはずし」と、断続的に自動車に接続・充電することになりますね。

そのたびごとに電流・電圧が変わるはずです。

一日の時間帯や季節によって電流・電圧が変わるはずです。

もちろん、電力会社の家庭向け電力供給だって、家庭電化製品が作動したりしなかったりで、やはり電圧・電流に影響を受けているはずです。が、電力会社はそういう変動を考慮して発電しています。需要の変動に巧妙に合わせて供給(発電)しているのです。

ただし、夜間だけは供給過剰になります。火力発電所の火を完全に消してしまうと機械が冷えてしまい、再稼動するのに時間とエネルギーを要するので、夜間に止めないようにある程度の出力で稼動させています。そうすると、電気が余ります。それは放電しているわけです。捨てているんですよ。

だから夜間電力は安いわけです。

ちなみに、需要の変動に合わせて発電するため、電力会社としては、原発だけで電力供給するのは、おそらく非常に難しいはずです。発電量を自在に制御できる水力と火力を維持する必要が今のところあります。

ですから、原発だけを想定した前回の想定は、この点では非現実的です。

風力や太陽光だけで発電する社会も、同様に、現時点では非現実的な想定です。

さて、電気自動車に充電する充電スタンドの話に戻りましょう。

街全体で自動車に電力供給し、その供給が断続的にあちこちで発生したら、電力系統にどういう問題をあたえるか、ということです。

どうなんでしょうね。

発電所と変電所が耐えられなくなるほどの電流・電圧の変動なのかどうか、そこが問題です。もしそうなるのなら、電気自動車の普及は、難しくなると思います。

ただし、もし「充電スタンドで電力貯蔵する必要が無ければ、電力貯蔵は自動車に積載する電池だけの問題となる」ということです。

ちょっと分かりにくくなってきました。まとめてみましょう。

電気エネルギーを利用する場合、貯蔵が必須となると、貯蔵する入れ物の性能が問われるわけです。

「電気の入れ物」は「油の入れ物」と違って、性能悪いんですね。

① 入れ物に入れるとき、および入れ物に入れている間に、少なくとも1割損失してしまう。(時間が長ければ、おそらくそれよりずっと多い損失となるでしょう。数割?)

② 入れ物の容量が小さい。「油の入れ物」の1割以下。(正確な数値を入手したわけではありませんが... 先述のエネルギー密度の数値を見る限りはそうです)

この2つが、「自動車充電スタンドの地下」だろうが、「電気自動車に搭載された電池」だろうが、とにかく電力貯蔵を行う設備において必ず問題となるわけです。

んー。やっぱり石油にはかないませんねぇ。

特に①は非常に重要です。石油系液体燃料はどんな形のどんな大きさのタンクにも入れても、ほとんど損失しません。

その背景には、「電気エネルギーを貯蔵するときは、電気エネルギーそのもの以外の形態のエネルギーに電気エネルギーを変換しなければならない」という重要な原因があります。

例えば、電池に充電したら、その電池の中では「化学エネルギー」として貯蔵されているわけです。その「化学エネルギー」が持つ「電位差」を後で電流として取り出すわけです。ですから、電池にエネルギーを貯蔵すると、

電気エネルギー → 化学エネルギー → 電気エネルギー

と最低2回変換を起こした上で、ようやくそのエネルギーを本来の目的(この場合は、自動車の原動機を動かすこと)に使うことが出来るわけです。

もし、「発電所→充電スタンド→電気自動車」という logistics を経て自動車が走るのなら、エネルギーの変換は少なくとも4回起こるわけです。もっともったいないですね。

これは③と番号をつけるべきかもしれませんが、その「エネルギーを貯蔵するタンク」を色々な方法で運ぶことができることも、エネルギーを利用する上では重要です。タンクの形状を自由に変えられるのも大きい利点です。飛行機の主翼に合わせて燃料タンクの形状が作られているのなんか良い例ですね。

その上、タンクをたくさん並べ、小分けにして配達することもできるわけです。

こういった性質は、移動手段を自動車(特に自家用車)に依存する社会 - 移動手段が分散化している社会 - にとっては必須です。

鉄道のような「集約化された移動手段」だと、電力のような損失しやすい、小分けに配達しにくい、そういったエネルギー源を動力源とするのがずっと容易になります。

このように、石油系液体燃料は、自由度がとても大きいエネルギー媒体なわけです。

今度は、電気自動車の電力logistics について考えてみましょう。

まず、電力をどこかの発電所で「生産(発電)」します。

この場合、本質的には発電所は何発電所でも構いません。原発でも風力でも石炭火力でも水力でも構いません。

今のところは、現実問題としては、石炭火力・石油火力・天然ガス火力・原子力が中心でしょう。一部補助的に水力と風力が存在しています。大規模な太陽光発電は実験段階です。

とりあえず原発を例にとりましょうか。

原発で発電するためには、燃料が必要です。ウラン燃料ですか。

まず、例えばカナダにある鉱山でウランを掘り出し、カナダ国内で途中まで精錬します。この段階は陸路です。Logistics も、液体の炭化水素と違いますね。基本的に「箱詰め」ですね。放射線を遮蔽できる箱ですけど。

フランスへ送って更に加工します。Logistics は「海路+陸路で箱詰め」ですね。

加工した半製品を日本まで海路(海路箱詰め)輸送し、日本国内で原子炉に入れられる燃料棒にまで加工します。

原子炉まで運んで(陸路箱詰め)、原子炉内に装着します。

そうしたら、発電所が発電しますね。

その電力は送電線を伝って、消費地まで送られます。この logistics は液体燃料とはだいぶ違いますね。

仮に街中に「電気自動車用充電スタンド」がたくさん立ち並んでいる社会が実現したとしましょう。

そうすると、「消費地=街中の充電スタンド」まで送電線を伝って送られてきた電気エネルギーが、自動車に充電されるわけですね。

自動車の中には「電気を蓄える入れ物」、蓄電池が入っているわけでしょう。そういう社会だったら。

さて、みなさん、何かお気づきではありませんか?

石油系液体燃料が logistics においていかに便利か、このことに気付くととてもよくわかります。

#182で述べた石油系液体燃料の電気エネルギーに対する優位性を2つご紹介しました。もう一つありましたね。

「(液体)燃料は扱いやすい」

これは、「貯蔵のし易さ/輸送のし易さ/配送・分配のし易さ」と言い換えても構いません。英語にはもう少しぴったりした短く表現できる言い方があります。"Easy logistics" とでも言いますか、そういう側面です。

ブログテーマに「貯蔵・搬送・積載」というのを設けてありますが、このことを意識しているものです。

「貯蔵・搬送・積載」という表現は少し長いので、しばらく"logistics"(ロジスティクス)という表現を使うことにします。

ガソリン車の燃料が減ってくると、給油所へ行って給油しますね。

普段の生活で意識している logistics はこれだけです。でも、ガソリン車の燃料 logistics がこれだけで成り立っているわけではありません。

Logistics は産油地から始まっています。

採掘した原油を港までパイプラインで運びます。

パイプラインで港まで運んだら、一旦タンクに貯蔵します。

タンカーが入港したら(実際には港の外の給油施設までしか来ないようですが)、タンクからタンカーに油を移します。

タンカーは例えばペルシャ湾を出、インド洋を通り、マラッカ海峡を通って南シナ海を北上し、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を通って太平洋へ出、日本の(例えば鹿児島県などにある)石油基地に運ばれます。

石油基地でタンカーは原油を石油基地のタンクに積み替えます。

石油基地のタンクから、ときどき小型のタンカーに原油を移し替え、製油所のある場所(川崎とか)までその小型タンカーが原油を運びます。

到着したら、原油を製油所のタンクにタンカーから移します。

製油所のタンクから製油所の精製工程に原油を通すと、ガソリン、軽油、ケロシン、ナフサ、重油などの製品が得られます。それらの製品をそれぞれ用のタンクに貯えます。

ガソリンならガソリンをその製油所タンクから「タンクを背負った自動車」タンクローリーに詰め替え、タンクローリーはガソリンスタンドまで運びます。

ガソリンスタンドの地下にはガソリンタンクがあります。タンクローリーからガソリンを地下のタンクへ移し替えます。

みなさんが自動車に給油するとき、その地下のタンクからガソリンをみなさんの自動車に移し替えているわけです。

そしてみなさんの自動車の中にも小型のタンクがあります。その小型のタンクから少しずつガソリンをエンジンに送り込み、エンジン内で爆発反応を数限りなく起こすことにより、自動車は走っているわけです。

以上述べてきた全ての過程は"logistics"の範疇です。

この燃料 logistics の全過程を見ると、「タンク」という単語が何度も繰り返されてますね。

そもそも、タンカーって"tanker"で、「tankするもの」ってことですしね。

要は、"logistics"のキモは「入れ物に入れておくこと」なわけです。

もう少し正確に表現すると、「入れ物に入れ、そのまま入れておき、取り出したいときに取り出すこと」なわけです。

「入れ物に入れやすいもの」は「ずっととっておくに便利」なわけです。

「入れ物に入れやすいもの」は「運びやすい」わけです。

「入れ物に入れやすいもの」は「配ったり詰め替えたりするにも便利」なんですよ。

これは上の3つの特徴の結果ですが、「入れ物に入れやすいもの」は「必要なところだけに配り、そうでないところには配らない」という選択の自由も与えてくれます。

そうでしょう?

「遠い将来」の連載が長く時間がかかってしまっていますが、まだまだ先は長いですよ。(^^;)

今のうちに、「mattmicky なりに考えた結論」を結論だけ、その根幹だけ述べておきましょう。

#202で述べたことと関連しますが、私は今、こういう仮説を立てています。

仮説1: 石油と天然ガスの減退によって引き起こされるエネルギー危機・物的生産危機(化成品の不足)・食糧危機は、最終的には主に「バイオテクノロジーとバイオマス利用」によって「生物の持つ能力を最大限に引き出す」ことにより解決する。

仮説2: 解決策の主流となるかどうかは分からないが、太陽光・風力・水力なども解決策としてそれなりに大きな役割を果たす可能性は一応ある。場合によっては水素が媒体として重要な役割を果たす可能性はゼロとは言えない。しかし、今のところは難しそうに見える。

仮説3: 「バイオテクノロジーとバイオマス利用」によって「生物の持つ能力を最大限に引き出す」ことの重心は「コンピュータの利用」にある。「システム生物学」こそが生物の可能性を引き出して問題解決を可能にする上でもっとも critical な道具である。

仮説4: 「バイオテクノロジーとバイオマス利用」による解決は、生物の可能性を最大限に引き出すことではあるのだが、同時に「自然界では自ら一定の抑制を自らに課している生体が、人工的に暴走させられる」ことを意味してもいる。従い、「反応をどうやって制御するか」、「人工的におこさせた変化を一定の空間に閉じ込め、元々の自然を隔離してとっておくにはどうしたらよいか」を考えることが重要になる。

仮説5: 「バイオテクノロジーとバイオマス利用」による解決に至る前に、「超重質油・深海産石油・天然ガス・石炭・ウラン+太陽光・風力・水力・バイオ燃料+あの手この手で省エネ推進」時代が来るだろう。その時代は、「明るい将来を予測しにくい、不安に感ずる時期」だろう。

これだけでも、お分かりいただける方にはお分かりいただけるかもしれません。もちろん、反論のある方もいらっしゃるでしょう。

どうやって「解決」がなされると想定しているのか。それについては追々述べて行きます。