1986年にアメリカのモス・ランディング海洋研究所のジョン・マーティン博士が「鉄仮説」と呼ばれる仮説を発表しました。

以下が「鉄仮説」の骨子です。

(1) 世界の海には、海水中に「栄養ミネラル類は全般的に多いのに、鉄分が不足しているために光合成がほとんど行われず、植物プランクトンがほとんど繁殖しない海域」が広範に存在する。

(2) この海域に鉄分を補給してやれば、海中での光合成量を爆発的に増加させることができる。補給量は「比較的僅かでよい」。

(3) これによって、大気中の二酸化炭素濃度を大幅に減少させることができる。

これの前提となっている事実を二つまず説明しておきましょう。

化学や生物学で習ったことを覚えていらしたら思い出してください。

鉄原子は二価になったり三価になったりします。鉄は比較的珍しい元素で、電子を放出したり吸収したりして、「他の原子と結びつくときに必要な手の本数」を二本にしたり三本にしたりします。

みなさんや私も含めて、生物は鉄のこの性質を利用して生きています。これを利用して酸素を取り込んだり放出したりしています。呼吸できるのは鉄が存在するからです。

呼吸だけでなく光合成にも鉄が必要で、細胞内で光合成を行う葉緑体に含まれている葉緑素は鉄原子を含む化合物です。葉緑体の中で、鉄が光エネルギーによって電子を取り込んだり放出したりすることによってブドウ糖が生産されているのです。

前提となっているもう一つの事実は、海水中にはもともと鉄はあまり豊富ではなく、海水中の鉄は主に陸地から供給されている、ということです。

河川水が重要な供給源です。海水中の鉄分濃度が高い海域は、陸地の周辺が多いです。

これは、「光合成が盛んになりやすい海域 = 植物プランクトンが繁殖しやすい海域 = 魚が繁殖しやすい海域」が陸地の周辺に多い、ということも意味しています。

陸地から遠く離れた海域や、あるいは陸地が近くても例えば気温が低すぎて河川水がいつも凍っているため河川水が海に流れ込まない海域は、鉄が欠乏しやすいわけです。

海水への鉄分の供給源としてもう一つ重要なのは、沙漠などから飛んでくる砂です。

黄砂なんかもそうです。太平洋のかなり奥深くまで鉄を供給しています。