はちまんMatsuiコラム

はちまんMatsuiコラム

一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414


私は日本を愛しています



私は近江八幡を愛しています



秀次だけでは見えない、

信長・秀吉が

天下のために作った近江八幡

 

~「秀次だけ」を見ていては分からない、真の歴史像~

 

近江八幡の歴史を紐解くとき、よく「豊臣秀次が八幡山城を築き、その下に城下町を作った」と説明されます。

しかし、当時の秀次に巨大な城や堀を設計・建設するほどの財力や技術的背景があったのか、また八幡山城が築かれたとされる天正13年(1585年)、秀次自身は四国攻めへ出征していたことなどを考えると、「秀次一人の力で城と町が作られた」と断定することには疑問が残ります。

もし「秀次という一人の武将が町を作った」という理解にとどまってしまうと、私たちは日本史の歴史上に起こった巨大な進化のドラマを見落としてしまうことになります。

近江八幡は、決して個人の胸三寸で突然生まれた町ではありません。織田信長から豊臣秀吉へと受け継がれていった「天下一統(天下統一)」という壮大な構想の中で計画された、次の時代へと進むための重要な歴史の転換点だったのです。

1. 信長から秀吉へ ――

「経済の力」で国を治めるという革命

武士が戦に明け暮れていた戦国時代、織田信長はまったく新しい国家の作り方を試みました。それが「安土」の町です。

強力な政治力や軍事力を維持・向上させるためには、莫大な資金が欠かせません。当時の他の武将たちが「お米(年貢)」を中心とした経済にとどまっていたのに対し、信長は海外貿易や陸上・水上の流通網を自ら確保し、その経済の力で国を圧倒的に豊かにしようと考えました。安土に城を建て、商人が自由に商売できる仕組み(楽市・楽座)を整えたのはそのためです。

この信長の挑戦を正統に継承し、日本全国の規模へと引き揚げたのが豊臣秀吉でした。

天正10年(1582年)の本能寺の変を経て、天正13年(1585年)、秀吉は「関白」という頂点の位に就きます。秀吉は朝廷を中心とした新しい政権を成立させるにあたり、都を守る鉄壁の体制を構築しました。

それが、都を中心に「西の守り」として巨大な大坂城を築き、「東の守り」として琵琶湖と陸路を押さえる近江八幡山城を築くという、本能寺以後の歴史の流れの中に位置づけられた戦略でした。日本の中心である近江に築かれた八幡は、まさに豊臣政権の命運を握る要衝だったのです。

2. 日本史の進化の現場と、秀次という男の実像

この近江八幡という「新しい時代の要衝」の統治を任されたのが、若き日の秀次(羽柴秀次)でした。

ここで重要なのは、秀次を「一人で八幡を発明したヒーロー」として持ち上げることでもなければ、「秀吉の威光に頼っていただけの身内」と見下すことでもありません。

秀次は、信長が授けた知恵を秀吉が進化させ、その「八幡堀」「街並み」「商売のルール」といった都市の仕組みを自覚を持って守り抜き、清須(今の名古屋)へと転封されるまで確かな成果を上げたリーダーだったのです。

八幡の町には、大坂からの水運を結ぶ八幡堀が掘られ、碁盤の目のようにきれいな街路が敷かれ、生活のための排水の仕組みまで完備されました。秀次は京都での政務などに多忙を極めながらも宿老たちと連携し、「八幡山下町中掟書(はちまんさんげちょうちゅうおきてがき)」というルールを徹底させて、商人や住民が安心して商売に励める環境を守り抜きました。

近江八幡で起こっていたのは、単なる城下町づくりではありません。「米と武力で支配する時代」から「広大な流通と経済の力で国を安定させる時代」への、日本史の決定的な進化だったのです。秀次はその進化の真ん中に立ち、自覚を持って成果を上げました。

3. なぜ秀次の「奥州平定」が歴史から消えかかったのか

近江八幡での優れた統治経験と実績があったから、のちに秀次は豊臣政権のナンバー2として、徳川家康をも従えて「奥州平定(東北地方の治め直し)」という天下統一の最終仕上げを成し遂げることができたと言えるのではないでしょうか。百戦錬磨の家康を含めた並み居る大名たちを指揮し、日本の北端まで天下の秩序を行き渡らせた実績は、まさにこの八幡での経験が下地にあったと考えられます。

それにもかかわらず、なぜ秀次は後世において「頼りない武将」のようなイメージで語られがちなのでしょうか。

秀次の最期については、自ら高野山へ赴かれたという当時の公家の記録などがあり真相は複雑ですが、江戸時代に出された書籍などによって「謀反人」としてのレッテルが貼られていった経緯があります。ここには、のちの「徳川史観(江戸時代に作られた徳川家に都合の良い歴史観)」の影響があったことに気づく必要があります。

徳川の時代になると、天下を統一した徳川家の正当性を強調するため、豊臣政権の功績や、家康の上に立って陣頭指揮を執った秀次の存在は小さく扱われがちになりました。江戸時代の書籍等による「謀反人」という偏った記述も重なり、後世の歴史の中で「欠陥のある人物」として語られやすくなってしまったのです。

私たちは、この後世に作られたメガネを一度外し、客観的な事実に基づいた歴史を捉え直す必要があります。

4. 正しい歴史を取り戻し、いま再び「町の力」を取り戻す

秀次が清須へ移り、八幡山城が廃城となった後も、政治の象徴である城こそ消え去りましたが、信長が着想し、秀吉が進化させ、秀次が守らせた「八幡堀」や「街並み」「商売のルール」という仕組みはしっかりと残り、八幡は「近江商人の町」へと発展して長く生き続けました。

しかし現代、時代の波の中で、かつて日本史の最先端を走っていたこの近江八幡も、衰退の波と無縁ではありません。

だからこそ、いま必要なのは「正しい歴史を取り戻すこと」です。

秀次を単なる悲劇の武将として片付けるのではなく、信長・秀吉から受け継いだ最先端の都市政策を動かし、のちに天下平定の一翼を担った人物として正当に「再評価」すること。そして、この近江八幡が日本の歴史を大きく進化させた舞台であったという誇りを胸に刻むことです。

徳川史観によって覆い隠されてきた正しい歴史を取り戻すことこそが、この町が本来持っている「たくましい町の力」を再び呼び覚ますための、大きな原動力となるのではないでしょうか。

おわりに ―― 近江八幡の未来へ

近江八幡の町を歩くとき、そこには先人たちが紡いできた豊かな歴史の息吹が満ちています。

  • 信長から秀吉へ、そして秀次へと受け継がれた「経済と流通で国を豊かにする」という情熱

  • 西の大坂城、東の八幡山城という、関白秀吉が敷いた都防衛の鉄壁の布陣

  • 信長の知恵を秀吉が進化させ、それを現場で守り抜き、清須へとつないだ「秀次というリーダーの実像」

  • 家康らを率いて天下統一を完成させていく過程で見せた、再評価されるべき秀次の功績

過去の偏った見方をリセットし、信長・秀吉・秀次へと続く大きな歴史のバトンタッチの中に近江八幡を位置づけ直すこと。

歴史の真実を知ることは、この町が本来秘めている底力を知ることであり、それは自ずと、この町に再び輝きと元気が戻ってくることを私たちに教えてくれているのです。   了

 

 

 

近江八幡に未来を感じる若者を育てよう!

城下町近江八幡は復活する!

 

近江八幡でっせ❣

 

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