滋賀県近江八幡市から日本国のリフォーム     ブログで言うDay 一級建築士・松井秀夫 

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滋賀県近江八幡市から地域の文化価値を活用し地域の活力を作る
近江の町家活用の事は、一級建築士・松井秀夫にご相談を。ID:yqy414

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松井秀夫のブログで言うDay


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2021年・万葉集・大伴家持の正月が雪の年は吉事の年という文化の日本

2021年の正月は私の住む近江八幡市も雪に覆われてしまいましたが、万葉集大友家持の歌に「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事という歌がございます。


年の初めの雪は吉事という言葉が万葉集にあるという事は、当時の多くの日本人が「なるほど」あるいは「そうだね}と共感されるものであったからでしょうね。

日本の文化は縄文時代から連綿と続いています、しかも遺跡調査から同じ土地に縄文や弥生から平安時代にいたる土器や中には漆を使った日常道具などが発見されて、時代と共に変化した道具の変遷が記録されています。

つまり住民同士の争いや外部からの破壊がなかったという様な状況が長く長く続けられていたからではないか、という事が理解されてきます。

全くなかったかというのは難しいかも知れませんが

神武天皇の時代より何千年と以前から日本には文化があったわけで、日本人が「道」と理解している「あたりまえ」の意識も

何代にもわたる人間の生き死にを見て、人というのはこうあるべきだよ、という生き方の碇石を意識の中に構築してDNAにも書き込まれてきたのではないかと私は見ています。

しかし、歴史を学びますと日本には文字がなかった、などと言われたり、何でもかんでも中国などの大陸から文化がもたらされて来た、というものの見方が存在しています。

しかし、その様な日本の歴史は浅いという意識を底辺にしていては日本文化の本質を知る事はできないわけです。

特に稲作でも、水稲といわれる私達が食べているお米も、稲作以前に日本では陸稲が栽培されていたことが調査から分かって来ています。

つまり、陸稲を作っていたから水稲を移入することができたというわけで、日本の遺跡からはキチンと耕作された陸稲と水稲が同時に存在したという、陸稲から水稲への移動期にあたるモノも出土しています。

国際化の時代において、自分たちのルーツを知る事は自分たちの文化の成り立ちを説明する為にはとても大事な事です。

最近は、信長を討ったと言われていた明智光秀の功罪が見直されてきています、また織田信長の延暦寺焼き討ちに関しても、今日の延暦寺が存在できるのが、信長の焼き討ちのお陰である、という事が言われるようになってきています。

「新生比叡は信長に功あり」
https://www.news-postseven.com/archives/20160916_448629.html/2

要は、人というものが「こうれはこうだ」という「思い込み」から発想してしまうというところがあるという事なのですね。

あの関ケ原の戦いでも、「それはなかった」という事が歴史学者から言われるようになっていますが、
特に、「日本の戦史 関ヶ原の役  旧参謀本部」という本があります様に、
参謀本部(国の機関)が書いているのだから、という事で事実が書かれていると思っているところがあるようです。

また秀吉が「唐入り」と言って中国(明)入りをする為に朝鮮に通せとした事が、いつの間にか朝鮮への戦いになってしまっていまが、それを書いた本が「朝鮮の役 旧参謀本部」となっています。

本には戦いが主に朝鮮半島であったから、朝鮮の役というタイトルになった事が書かれているのです。

つまり、旧参謀本部という国の機関が書いたものだからという思い込みが、参謀本部の方々は歴史家の集団ではなかった、という視点・観点を判断に入れることを忘れさせたのではないかと思われるわけです。

秀吉は朝鮮を一方的に侵略した様に書かれたものが多いですが、朝鮮から一方的に、何度も日本が侵略されて来ていたことが伝わっていません。

特に、16世紀に日本に来たイエズス会が日本の歴史を調査し彼らの布教の為に作られた本がありますが、そこには天皇の歴史のところに何々天皇の時に朝鮮が攻めてきた、という記述がいくつも見られます。

やはり秀吉は天皇から「困った事」として、朝鮮からの侵略の事を聞いておられたのではないか、という事を考えたりできるわけです。

事実でない歴史の偽りを事実と違うにもかかわらず、「そうだったんだ」という、政治家や教育、そして新聞マスコミの情報で「思い込み」状態にならされているので、折角の過去の事象を未来への考察に使えない現状が出来ているという側面が現在にも存在しているのではないでしょうか

近江八幡にも八幡祭礼(太鼓祭り)というのが毎年春に行われています、私は地域歴史研究の一端としてそのルーツを研究していますが、

何と、応神天応の時代に、当時大臣でもあった武内宿禰の大嶋郷と、三韓征伐の時に神功皇后の船を建造するなどの豪族船木氏の舩木郷が合体し、まさに応神天皇をお迎えする共和国の様な水争いのない組織が存在していて、それが八幡の祭りとして今日まで連綿と1000年以上続けられています。

(船木町の漢字は戦前までは船ではなく公の舟のごとく「舩」が使われていて「舩木町」が使われていました)

しかし、応神天皇や武内宿禰、舩木氏が登場するにもかかわらず、実際行われているし、日牟礼八幡宮が存在しているにもかかわらず
日本書紀にも古事記にもどこにも記載が見当たらないのです。

やはり、日本の建国は神武天皇からと言われていますが、それよりもずっと以前から、纏まりのある地域共和国が存在していたわけですが・・・

今日の様に中国からの圧力などから国として、それらをまとめる国際的必要性があった時に聖徳太子が中国との共通文化としての仏教を取り入れられて、世界と向き合える日本の国の姿が形作られて来たのではないかと思われるわけなのです。ドキドキ





コロナで始まりアメリカ大統領選挙が未決のままで2021年という今
https://ameblo.jp/matsui0816/entry-12647320966.html