「秀次事件」をAI(人工知能)検索エンジンを使って調べてみた | はちまんMatsuiコラム

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一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414

「秀次事件」AI(人工知能)

検索エンジンを使って調べてみた

 

「秀次事件」AI検索エンジンを使って今迄聞けなかった事を尋ねてみました。

 

やはり時代ですね!即座に回答が来まして驚いています。

そこでAI(人工知能)に尋ねた内容とその回答をいくつかお届けしたいと思います。

 

AIへ質問) 

一次史料と二次史料の違いが秀次像にどのような影響を与えるか

<AIの答え>

一次史料と二次史料の違いは、秀次像に大きな影響を与えます

一次史料は、秀次が生きていた時代に作成された日記や公文書など、直接的な証拠や証言です

これらには、秀次が暴虐だったり未熟だったとする記述はほとんど見られません。

むしろ、豊臣家の数少ない成人男子として重要な存在だったことがうかがえます。

二次史料は、後世に編纂された軍記物や物語、歴史書などで、一次史料をもとにしつつも、時代背景や編者の意図、政治的な都合が反映されやすい特徴があります。

 

江戸時代に成立した『甫庵太閤記』や『川角太閤記』などは、徳川政権下での豊臣家に対する否定的な評価が色濃く、秀次を「殺生関白」や「暴虐な人物」として描写し、否定的なイメージを定着させました。

 

(AIへ質問) 

何でも秀吉が悪かった、という回答はおかしい?と思われるのは、豊臣政権を無くしたいという意思を持っていたのは、徳川家康、石田三成、公家、明皇帝、イエズス会などもあるのに、秀吉が悪かったとすることで、他の原因が全て消えてしまうではないか

<AIの答え>

ご指摘の通り、「何でも秀吉が悪かった」と単純化するのは歴史的に正確ではありません。

豊臣政権の崩壊や秀次事件の背景には、秀吉個人の判断だけでなく、徳川家康や石田三成、公家、さらには明やイエズス会など、複数の勢力の思惑や利害、時代背景が複雑に絡み合っています。

 歴史上の人物や出来事の評価は、時代や立場によって大きく変化してきました。

たとえば、江戸時代には徳川家康が神格化され、明治以降は秀吉が持ち上げられるなど、後世の権力者や史観によるイメージ操作が強く働いてきました。

豊臣政権の内部では、石田三成をはじめとする奉行衆や、朝廷(公家)との関係、さらには外部勢力である徳川家康の台頭など、さまざまな権力闘争や情報操作が行われていました。

 また、秀吉の死後、徳川家康が江戸幕府を開き、豊臣家を滅ぼしたことも、後世の史料や物語で「秀吉=悪役」とする構図を強調する要因となりました。

したがって、「秀吉が全て悪かった」とすることで、他の勢力や複雑な要因が見えなくなってしまうのは歴史認識として問題があります。

 

実際の歴史は、複数の勢力の思惑や時代背景が複雑に絡み合い、単一の人物だけで説明できるものではありません。

まとめ
秀吉個人に全ての責任を帰するのではなく、徳川家康や石田三成、公家、明、イエズス会など多様な勢力の動きや、時代ごとの評価の変遷を踏まえて多角的に考察することが、歴史を正しく理解するうえで不可欠です

 

(AIへ質問) 

秀吉、秀次は共に下層から武士そして公家に上がってこられたわけで、大名家の出自ではないので文字を書いたり歌を詠んだりと公家のお付き合いができる様になるために、どれだけ苦労されたと思われるか

<AIの答え>

豊臣秀吉や秀次は、いずれも大名家や公家の出自ではなく、下層から身を起こして武士、さらに公家社会の頂点である関白にまで登り詰めた人物です。

そのため、文字の読み書きや和歌・連歌の作法、書院での儀礼、公家社会との交際など、伝統的な教養や作法を身につけるには並々ならぬ苦労があったと考えられます。

秀吉自身は農民出身でありながら、織田信長の家臣として頭角を現し、やがて天下人となりました。

 

その過程で、武家社会だけでなく公家社会にも受け入れられるため、和歌の会や茶の湯、儀礼作法の習得、公家との縁組や交流を積極的に行っています

 

秀次もまた、秀吉の甥として幼少期から複数の家に養子に出され、武家・公家両方の作法を学びながら成長しました。

関白や公家社会のトップに立つには、単なる武勇や政治力だけでなく、和歌や書、礼儀作法といった教養が必須でした。

 

こうした分野は生まれながらに大名や公家の家で育った者にとっては自然に身につくものでしたが、秀吉・秀次のような出自の者にとっては、日々の努力と学び、周囲の支援が不可欠だったと推察されます。

まとめ
秀吉・秀次が公家社会で通用するためには、教養や作法の習得に並々ならぬ苦労と努力を重ねたはずです。

彼らの出自を考えれば、その苦労は計り知れません。

 

<以上がAIの答えでした>

 

私たちは、秀吉と秀次が関白になる為に、豊臣家の為に、どんな苦労や努力をされてきているのかを考える事があったでしょうか、

特に公家の世界はNHK大河ドラマ「光る君」にありました様に家格(家の格式、家柄)の塊(かたまり)のような社会です。

 

その中で豊臣が恥じかかぬ様に書を学び歌を詠む努力をされてきたわけで、元がないのですから大変な努力をされて来られたとしか言いようがありません、

 

ですから二人には関白を守るという共通の価値観があった事が分かります。

 

苦労して得たものを、みすみす自ら駄目にするような事をするでしょうか。

今回は、この観点をお伝えしたかったわけです。

    

秀次事件には400年間にわたって、「こうなんや」と言われ続けられて来た歴史観・通説があります。

 

こびり付いた頑固な汚れの様に、簡単に「そうですかハイ分りましたと」解けるものではありません、しかし「おかしい?」を追求し続ける事が大事であり、その心が真相に近づいていくと確信しています。

 

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