近江八幡は復活できるか!
秀次事件最新情報
「英雄たちの選択」より
豊臣秀次の切腹から430年の時を経て、これまでの通説が大きく変わるような番組が2024年3月6日の(C)NHKで放送されたわけです。そのテーマは
太閤狂乱?「秀次事件」~捜査会議 豊臣家“滅亡”への出発点~
「秀次事件」は大変な事件です。
なぜなら、秀次の切腹がなければ日本の歴史は変わったかもしれないからです。
番組は豊臣家の滅亡の出発点になっている豊臣秀次の切腹の歴史捜査会議という形で論議されています。
なぜ論議になったのか、それはこれまでの「秀吉が秀次に切腹命令を出した」と言われていた事が新資料の提示で
「秀吉は切腹は命じていない、出したのは高野山への謹慎処分である」というものだからです。
では秀吉が秀次に切腹を命じていない?・・・としたら
秀次は「無実なので、その身の潔白を示すために自害された」という解釈が起こり
その解釈が大河ドラマ「真田丸」で取り上げられたわけです。
私は前回のブログで戦前に刊行された近江八幡の「八幡町史」に「秀次は無実であるがゆえに」という「御湯殿上の日記」が載せられているのに、全く市民が知らないのはどうして?という事で疑問を感じていたのですが
NHKの番組では明確に「御湯殿上の日記」の7月16日付けで「無実ゆえ」と書かれている書面がテロップに出されていました。
そこで今回から起こってきた核心的な議論とは
(7月)13日江戸時代に記された小瀬甫庵の太閤記によれば
「秀吉は秀次に謀反については少しも疑いがないと断じ切腹を命じたとある」ところがこの命令が出された前日7月12日に
秀吉はこれとは全く異なる命令を出しているものが明らかになった
これが秀吉が秀次に出した高野山で謹慎すべしという 高野住山令(佐竹家日記)である」と
続いて國學院大学の矢部健太郎氏から野住山令の解説が始まり
「(高野住山令は)主に3個の内容からなっており
一つは高野山に住むにあたって召し使っていい人は(召仕候者 侍十人)こういう人であったと
台所人と書いてあって料理人を含めと書いてある。
あとは高野山に対して番を命じていると
料理人がいること昼夜かたく番をすること
(惣山番之儀)を見るとしばらく長い期間秀次が高野山に住むということを秀吉は認めている
となると 直後の秀次の切腹とう事態とは全く相容れない事なので いわば秀吉は秀次に死刑を命じたのではなくて禁固刑を命じたのではないか、と考えられる
と言われたわけです。
つまり秀吉は秀次に切腹を命じたのではなくて禁固刑を命じたのではないか
そして矢部健太郎氏は資料に際して
「豊臣家の一番のアイデンティティーは摂関家(関白)を継承することその(関白=最高権威の)立場を自ら放棄するするようなことを秀吉がやったことはどうも腑(ふ)に落ちなかった。」
と至られた思いを語られているわけですが
この点が非常に大事なところであるわけです。
つまり、秀次が謀反人という観点よりも、今は秀吉がなぜ自ら豊臣政権を壊すようなことをしたのか?に論点は進んでいると言うことなのです。
司会のNHK杉浦友紀アナ が司会の磯田氏に
「矢部さんの新説をどう考えられますか?」と尋ねると
司会で歴史家の磯田道史氏は「これね、確かに・・・」と重い調子での返答が始まるのですが、それは次回ブログで
歴史を正すところは近江八幡でしょう❣
前回のブログです↓