八幡祭の十三郷は応神天皇政権の自治組織だった | はちまんMatsuiコラム

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一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

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八幡祭の十三郷は応神天皇政権の自治組織だった

八幡祭十三郷は現代的に言えば国造りを進められていた応神天皇政権の自治組織だった、と言える事が米作りに必要な水が十三郷に行き渡るシステム(井之島・鷹飼町)が作られていた事からわかってきました。

 

米作りに必要な水が十三郷に行き渡るシステム・井之島水系については、前回の「八幡祭にはユネスコに登録したかった争いのない文化があった」をご覧頂けるとわかり易いと存じます

 

前回のブログで

「大石力先生が驚かれたのは土地が高いために堰(せき)をしないと水が流れて来ない郷が十三郷にはできるわけで、稲作に必要な水を自然に得られない仲間なのにも関わらず水争いのないシステムが構築されている事を発見されたからなのです。

と申し上げました。

 

この事を井之島を語り継がれておられる鷹飼町の中江修一郎氏は講演の中で >資料①

「私は実際に旱魃(かんばつ)にあったとき果たして、中立的な立場で地元が水に困っているのに使える水を使わずに、敢えて下流に放水するという聖人君子のような考えを、殆どの鷹飼の人達が常に持っていたとは考えにくい、そこには、何らかの外からの優位な代償を伴った圧力とか・強力な指導力が働いていたのではないかと考えている

と語られています。

 

そして、この疑問が今回の発見につながるのです。

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やはり地元の人間だけでできるようなシステムではないと言えるのは、地域在郷の勢力をまとめる力(政治力)や水利・測量と土木の技術力や国単位の財力が必要だからです。

 

そこで出てくるのが天皇の行幸と神功皇后に船を献上された豪族・船木氏の存在なのです。

 

天皇の行幸につきましては天理大学・大谷歩先生の論文から

「天皇の行幸は、初代神武天皇にはじまり、それぞれの天皇の専権的な儀礼として成立している。この天皇の行幸が「幸」という漢字によって表記されるのは、天皇が行幸することにより、その土地に幸いがもたらされるという考えによるものである。」(中略)

「その目的は多様であるが、多くの行幸における基本的な目的は、神祀りにあることが知られる。」

(二「日本書紀」にみる天皇行幸の特質」より)

「その第一義は、天皇がある目的のために宮処を離れてある場所に出掛けるという意味である。」とあります。

                                 資料 古代天皇行幸の理念的性格の位置付け 論文 大谷歩 文学博士

 

ですから、天皇の「ある目的」で、十三郷が選ばれ、天皇の命を受けて、測量土木の技術も持つ船木氏(天皇に仕えた豪族)がシステムを完成させ、それが出来たので天皇の行幸が行われた!という事が伺えるわけです。

 

つまり、天皇は行幸頂ける「段取り・準備」が出来ていないとお越しにならないわけですから、

近江に行幸された 応神天皇六年(275年)の時には、井之島は出来ていた ことになります。

 

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井之島は近江八幡駅南土地区画整理事業で昭和63年には消滅していますが、事業認可の昭和56年(1981年)までは存在していたわけですから、1981年-275年1706年間存在していたがわかります。

 

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祭りを知らべて行くうちに八幡祭十三郷が天皇によって作られている神事である事がわかってくる事に驚きを覚えるとともに何故、八幡祭に左義長が入れなかったのかという理由(元の違い)がわかってくるわけです。

 

ですから十三郷の衆は天皇がお越しになりお作り頂いた事に、とても感謝と誇りを持っておられたのではないでしょうか。

 

400年前の築城で馬場村(或いは願成就寺村)がなくなり

十二郷になっても今日まで十三郷の名前が続いてきたのは

奇跡みたいなもので、深い先祖の想いを感じざるを得ないわけなのです。

 

今も八幡山の山上に

皇室と関わりの深い格式高い門跡寺院・瑞龍寺がありますが

 

近江八幡は天皇や皇室関係者、更に

時の将軍などとの歴史も深いところなのです

 

八幡祭の「水仲間」は無くなりましたが

「祭り仲間」は1700年たった今も存続しています

これを1800年2000年と

伊勢神宮に負けずに続けることに意義が出てくるわけです。  了

 

 

前回のブログ>八幡祭にはユネスコに登録したかった争いのない文化があった
https://ameblo.jp/matsui0816/entry-12855656434.html

前前回のブログ>八幡祭の不思議 御幣が付いている太鼓と付いていない太鼓がある
https://ameblo.jp/matsui0816/entry-12850187865.html

 

 

                             近江八幡市鷹飼町 「鷹飼の歩み」 より                            
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参考 資料① 日牟礼13郷の水源「井之島」について 講演資料 中江修一郎氏

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