小西飛稟帖(請願書)を知ってますか?石田三成は讒言せざるを得なかった! | はちまんMatsuiコラム

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一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

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小西飛稟帖(請願書)を知ってますか?

石田三成は讒言せざるを得なかった!

 

「秀次事件」の原因は、事件が起こる前にあり!

 

前回のコラムは「秀次切腹命令は秀吉の体が悪い時に出されているので秀吉の名を借りて出された可能性をAIに聞く」でしたが

その回答の中に

「豊臣政権内の力学: 秀吉の晩年、豊臣政権内部では、石田三成に代表される文治派と、福島正則・加藤清正に代表される武断派の対立が深まっていました。また、秀頼誕生による後継者問題も浮上し、政権内部の不穏な空気が高まっていた時期でもあります。このような状況下で、秀次を排除することで、特定の勢力が権力掌握を企んだ可能性も否定できません。」がありました。

秀次事件は「石田三成に代表される文治派と、福島正則・加藤清正に代表される武断派の対立が深まっていました」

という文禄の役(唐入り)の時に起こっていますが

 

AIが「秀次を排除することで、特定の勢力が権力掌握を企んだ可能性も否定できません。」と言っている様な事象が当時の歴史を調べて行きますとなんと!出てくるわけなのです。

 

ただ資料としては膨大なものですので、申しあげたい肝心なところをピックアップする形で述べさせて頂きますが

まず私どもは「豊臣秀吉」が下からトップの関白までになった人物として、すごい!人だと思っていますし

すごい人が作った政権だから完璧な従臣でできているものと思っているわけですが、実際はそうではありませんでした。

 

秀吉は天下を統一してから明を征服に行くわけですが、これは国内の戦いと違い国際的な戦いになります。

 

国際的な戦いになりますと、これまでの国内での戦いで通用していたことが通用しない自体が起こってくるわけです

天下人になった秀吉も中国語は分かりません、戦場も相手の事も外国を知っている者に頼まないと動かない、

 

ということが起こって来るわけです、そしてこの様な事が秀次事件と関係してきます。

 

秀吉は唐入りに際し、小西行長と加藤清正が出陣していったわけですが、最初はものすごい勢いで進軍できたのですが

明(中国)が出てきますと戦線に膠着状態が起こり、両軍は講和の動きになってきたわけです

 

日本は小西行長、明は沈惟敬があたったわけですが、

秀吉軍と明との講和を ウィキペディアで見ますと面白い方向に進んでいます。

それは日明双方の講和担当者が穏便に講和を行うためにそれぞれ偽りの報告をしたとあるのです

例えば、当時秀吉が明へ出した講和の7つの条件は以下のものです

 

  • 明の皇女を天皇の妃として送ること
  • 勘合貿易を復活させること
  • 日本と明、双方の大臣が誓紙をとりかわすこと
  • 朝鮮八道のうち南の四道を日本に割譲し、他の四道および漢城を朝鮮に返還すること
  • 朝鮮王子および家老を1、2名、日本に人質として差し出すこと
  • 捕虜にした朝鮮王子2人は沈惟敬を通じて朝鮮に返還すること
  • 朝鮮の重臣たちに、今後日本に背かないことを誓約させること   

 

この秀吉の要求を小西行長は明に出さないのです、理由は秀吉の要求なんて明皇帝が聞くわけがないと言う彼らの判断からなのです

 

小西行長は明に対し「秀吉を日本国王に任命してほしい」

「属国の王にしてほしい」という書を作って持って行くのですが

秀吉は行長から「明降伏」という報告を受けるわけです、また明朝廷は沈惟敬から「日本降伏」という報告を受けるという

互いに嘘の文書を作って秀吉や明皇帝に報告していたというのです。

ふつう、お使いというのはトップから言われた事を伝えて、その返事や反応をそのままトップに伝えるのが仕事です、

事の最終判断はトップがするものです、使者が考えてするものではないからですこの様な誰がトップなのか分からなくなる様な信じられない状況が起こっていたわけです。

行長は講和を早く実現して明との戦いをやらないようにしようとするわけです。ですから、行長の講和はおかしいと秀吉に伝えようとした武断派の加藤清正は左遷されるわけです。

本当に政治の力というのは怖いと思います、白が黒、黒が白に変わるといいますが、当時の文治派と言われる石田三成・小西行長に対する秀吉の信頼度は大きかったわけです

特に石田三成は太閤より絶大な信頼を勝ち取っており、太閤子飼いの重臣である加藤清正や福島正則でも面会を拒否するという事ができたわけですから、小西行長らの不審な動きが太閤には伝わらなかったわけです。

尚、この様なトップを騙すようなことをした中国の沈惟敬は帰国後、明政府によって処刑されてますですから、秀吉に偽りを伝えている事がバレれば石田三成や小西行長も処刑ものですから、さきの加藤清正に対しても「清正は盛んに小西の講和交渉を阻(はば)んでいると」三成は秀吉に讒言をせざるを得ないわけです。

(ざんげん:事実でない悪口を目上の人に告げて、他人を陥れようとすること。)

確かに理由は色々とあるでしょう、明と戦ったら日本がやられてしまう、秀吉政権が危うくなるなどが考えられます。

しかし、そんな公の心でもって明に対峙したのだろうか、と思われる驚く内容が小西行長が内藤如安に持たせた嘆願書 小西飛稟帖(しょうせいひのひんちょう) に書かれているのです

その驚く明皇帝への嘆願書の内容とは

秀吉を「日本国王」に封じる、につづいて

石田三成、小西行長、大谷吉継、増田長盛、宇喜多秀家を大都督(だいととく)に任じてもらいたいというもので、

大都督(だいととく)とは、全国の軍事を統括する最高指揮官を指す言葉)

関白秀次は「大都督」の下の「都督」にしていますので、秀次より格上にして頂きたいとしています。

更にその下の亜都督に徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、蒲生氏郷などの十人の大名をして頂きたいとしていますので

歴史家の徳富蘇峰は著書「近世日本国民史」で

「家康、利家等をして、行長、三成の下に就かしむるも奇怪千萬だ(略)日本の内情を知らぬ明帝ならば兎も角も、小西如安からして、かかる請願書を提出したのは、そもそも如何なる理由によったのか」と言われています、

尚、近世日本国民史では豊臣行長、豊臣三成、豊臣長成(盛)、豊臣吉繼、豊臣秀嘉(家)と書かれています。

この様に行長、三成は秀吉に分からないように講和を進めてきたのですが、秀吉に隠し通す事がどうしても難しいと思われる命令を秀吉が出してきたのです

それが、文禄三年正月十六日の立花文書「羽柴柳川侍従どのへ」なのです、(秀吉朱印)

内容は「文禄三年における軍事活動は、在朝鮮諸将の意見を納(い)れて中止したが、その代わりに

文禄四年には、秀次をして大兵を率い渡海(とかい)せしむ・・・

というものです。

行長、三成は講和講和と時間伸ばしをしてきたわけですが、ついに関白秀次を「明」に行かせるという秀吉の意思が出されたわけです。

これでは行長、三成は自分達の欺瞞が露見してしまう・・・(行かせない様にするには?)

という事から秀次の切腹事件がなぜ文録四年なのかが見えてきますし、秀次事件で三成の讒言があった、という公家の日記の存在にはこの様な秀次を明に行かせたくない!という背景があったことが理解されてきます

ですから、秀次事件の謎を解くには

関白秀次政権と秀吉大名の石田三成らとの政権内でのきしみや秀吉の「唐入り」(元禄の役)の再考が必用なわけです。

                         了

参考サイト:石田三成と小西行長の策謀を秀吉に密告した男(福永英樹ブログ)

                石田三成が関ヶ原を断行したのは信長路線継承のためだった


 

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前回のブログです↓

 

太閤秀吉から関白秀次への(謀反による)切腹命令はあったのか?https://ameblo.jp/matsui0816/entry-12918633390.html

 

「秀次事件」をAI(人工知能)検索エンジンを使って調べてみたhttps://ameblo.jp/matsui0816/entry-12912749977.html

 

秀次の冤罪を立証し近江八幡を城主の顔がある城下町に!https://ameblo.jp/matsui0816/entry-12912522398.html

 

徳川時代の八幡町絵図に「秀次公御城跡」が書かれているhttps://ameblo.jp/matsui0816/entry-12905833324.html
 

近江八幡には「東海道」でない 「京海道」が江戸時代の絵図にあったhttps://ameblo.jp/matsui0816/entry-12904915682.html

 

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