関白秀次切腹の原因は
最高の権威である天皇と
最高の権力である秀吉の
板挟みになったからである
関白秀次が何故切腹されたのか、その原因は最高の権威である天皇と最高の権力である秀吉の板挟みになったからなのです。
なぜ関白秀次が天皇と秀吉の板挟みになったのかについては、まず当時の時代背景をお話しないといけません。
それは前回のコラムでお伝えしました 天皇や公家衆(朝廷)が戦国時代を経て大変に財政的にも窮乏され織田信長や豊臣秀吉という戦国大名の経済的な支援者が出てきてやっと立ち行ける様になってきたわけですが、この様な事から朝廷よりも武家の方が有利になる時代が出来ていたわけです。
さて八幡山城に秀次が入城されたのが天正13年(1585年)ですが、この年に秀吉は関白になっています。
関白は「天皇の代理」として朝廷そのものを動かします。
秀吉は関白になったことで、「天皇に最も近い存在」となり、他の大名を「朝廷の敵(逆賊)」として討伐する大義名分を得るわけです。
ただ「天皇に最も近い存在」になったから天皇の事を熟知しているのか、というのは別でした。
それは1年前の天正12年に秀吉は当時の正親町(おうぎまち)天皇に大坂城を作ることと、その際
「天皇に安土に劣らぬ立派な邸を作りますので、御所からお移り頂きたいと」言われたことがあったのです。
天皇は秀吉に「感謝はするがその身を國外に移すことは(三百年以上の間、先祖が行わなかったこと故)新奇であり、
思慮が足りぬと評されかねず、日本のすべての君侯貴族と協議すべきであり、彼らがこれを承認した後、内裏(天皇)は
その可否を考えるであろう(記録フロイス)」と答えられたとあります。
何故天皇が断られたのでしょうか、そこを調べますと、
天皇の身体は「玉体(ぎょくたい)」と呼ばれ、単なる個人の肉体ではなく、国家の安寧を司る神聖な器とみなされており
天皇の最も重要な職務は神事(祭祀)であり御所(禁中)に身を置き、清浄を保ち作法を遵守することが求められていて
穢れは神事の妨げとなり、ひいては国家の災いとなると考えられているとあり、本来天皇を御所の外に連れ出してはいけないのです。
この様な天皇が日常で守るべきルールが『禁秘抄(きんぴしょう)』に細かく記されているのですから、上記の「御所からお移り頂きたい」と天皇に言われた事は一番近い関白秀吉がこの様な大事なことを知らないで関白をしているという事になるわけです。
ですから、大坂へ移動で天皇からNO!と言われてますのに、秀吉は唐入り(明征服)で天皇を中国に移すと一方的に決めていますから、これを知られた後陽成(ごようぜい)天皇にとって日本という「神国」を離れ、異教の地である中国へ行くことなど
到底受け入れられるものではなかったと思います。
ただ天皇は秀吉に対して、面と向かってNO~とは絶対に言われないのです。相手が気づき自ずから変わるのをお待ちになります。
後に天皇からの手紙(宸翰・しんかん)で秀吉に「明(中国)に行くのは他の者でも良いのではないか」などと何度も遠回しの言い方でお断りを伝えられています。
しかし、秀吉は聞いていても聞いてないふりをするという感じですから、天皇もお困りが続くわけでお体も悪くされるわけです。
そして秀吉の次に関白になった秀次も関白になることで公家との付き合いも多くなる事から天皇のお困りを知るようになってくるわけです
言われなくても天皇からは秀次殿、秀次殿からも何とか辞めるように言ってくださらんか、という言葉でない雰囲気を伝えられるのでしょう、特に秀次も体を悪くしています.侍医の曲直瀬玄朔(まなせげんさく)は天皇と秀次の苦しみの原因(秀吉)を知っていますので
天皇と秀次と曲直瀬玄朔に何とか出来ないかという輪が出来てくるわけです、しかし秀吉はその雰囲気に嫌悪を感じて玄朔に注意を
するわけです。
秀次は天皇にお使えする関白なのに天皇の立場に立つと秀吉の足を引くことになるので、出来ない。しかし、秀吉には有り難いけれども天皇のお気持ちになって頂けないものかと腐心するわけです。
秀吉の「世俗的な野心」と、天皇が守られている「神聖の御心」とは、まさに水と油の関係に思われるとあります。(AI)
この様な天皇と時の権力者の間に挟まって苦しまれた方が400年前におられました。
それが平清盛の嫡男・平重盛(しげもり)なのです。
重盛は「平清盛亡きあとも、平重盛さえいれば平氏は安泰」と称されるほど、高い評価を得ていた人物と記されていますが
天皇と権力者の父の板挟みになった時の心境が残されています。
それが「忠(ちゅう)ならんと欲(ほっ)すれば孝(こう)ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」『日本外史』という言葉でして
「主君(後白河法皇)への忠義を尽くそうとすれば、父(清盛)への不孝になってしまう。逆に、父への孝行を尽くそうとすれば、主君への不忠になってしまう。
どちらを選んでも道に背くことになり、身の置き所がないという意味になりますから秀次の心情と重なると思います。
秀次に謀反なんてコレッポッチもありません、どうしたら良いのかグズグズと引き伸ばして秀吉に気づいてほしいと願っておられたと思いますが大陸での戦況の悪化はそれを待ってくれなかったわけです。
何故秀次は動かないのか、これが謀反では?という疑いにつながってくると思われますが、これは大陸で戦っている戦場からも届いていたかもしれません
しかし秀吉に「天皇が苦しまれる唐入りをやめよ」と伝えてやめてくれれば良いのですが言った後に秀吉から何が天皇に及ぶかわかりませんので絶対に何も言えません。
天皇を苦しい思いにするという事は豊臣家にとっても良くないことだと秀次は心を痛めておられたかもしれませんが、心外にも謀反の疑いをかけられ秀次は天皇にも秀吉にもお仕えする事ができない状況に陥ってしまいました
そこで、公家の日記が出てくるわけです。
『兼見卿記』(かねみきょうき)や『言経卿記』(ときつねきょうき)などの書物には、秀次は自らの身の潔白を証明するため、自発的に高野山へ赴いたことが記されています(矢部健太郎先生のサイトより)
先の重盛においては、天皇と清盛との対立で父の清盛に重盛は「自分は天皇の方に付きます」「どうしても天皇を拘禁されるのでしたら「自分の首をはねてほしい」」と告げたとあります(平家物語より)
ただ重盛は息子であり、父親の清盛に直接諌(いさ)めるということが出来ますが、秀次は秀吉の甥であり遠慮というものがあったと思われます。
重盛は天皇を困らせる親の息子、秀次は天皇を困らせる叔父と甥という関係の違いがありましたが、秀次がいれば豊臣家も、重盛がいれば平家も、もう少し長く存在できたのではと言われています。
この様に同じ様な事件が400年前にあったわけですから歴史は怖いものです。
切腹に際し秀吉の母であった大政所(仲)が眠る高野山の青巌寺に行かれたのは、誰にも言えない理由をお伝えし
許しを乞われたのではないかと思います。
秀次の切腹は謀反ではありません、関白としての責務を全うし自身の潔白を晴らす心境にたっしてしまわれたからです
ただ秀次は天皇へ圧力が及ばないようにと誰にも理由を伝えることをしなかった為に秀吉は秀次が何故切腹したのか理由を知ることが出来なかったわけです。(慌てて政権内で理由づくりをする)
きっと秀吉は、あれだけしてやったのにと、裏切られた気持ちを持たれた事でしょう。
了
関白豊臣秀次は謀反人ではありません!
秀次の冤罪を晴らし名誉を回復すれば
城下町近江八幡は復活する!
近江八幡でっせ❣
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