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勉強のコツも気功のコツも似ています。
誰も教えてくれないのですが、誰も教えていないのではなく、教師が繰り返し生徒に教えても、生徒が聞こえないのです。聞く耳を持たないのではなく、むしろ聞こえてこないのです。
「聞く耳のある者は聞くがよい」(ルカ8:8)
だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう。(ルカ8:18)
(マタイ効果で知られる章節の前段は「どう聞くかに注意するがよい」という警鐘です)
僕もある程度の期間、塾と予備校で講師をしていたので、表も裏も酸いも甘いも見てきました。
というか、裏ばかり見てきたと言えるのかもしれません。
むしろ、表は良く分かりません。
僕はほとんど塾や予備校に通っていません。
小学生のころは四谷大塚という進学教室の一択でしたし、予備校は新宿にある変わったところに行きました(それも特待生制度とかで学費免除で)。あとはZ会三昧でしたが、ほとんど提出することなく終わるというパターンです。
本題とは無関係ですが、Z会の数学などは非常に難しいので、たとえば高1で終わる基礎的な高校数学をきちんと学んで、繰り返し舐めるように復習すれば、あとは志望校の過去問を解くだけで東大でも行けるといつも思います(高1で高校3年分を終わらせるのは、私立型なのかもしれませんし、今のシステムは良く分かりません。ともかく基礎的な高校数学をきちんとやれば、Z会が想定する応用力とかを鍛錬しないでも良いと思います)。
幸いにも通っていた高校の先生がZ会の出題者であったりもして、Z会の内側の話も少しは聞けました。あれだけの良問を毎月大量に作れるというのはすごいことです。ただZ会は自学自習が可能というモンスターな学生ではないときついシステムです。
四谷大塚にせよ、日能研にせよ、SAPIXにせよ、私立の学生しか入れない各種予備校にせよ、ポイントは「場」だと思います。Z会も通信添削上でヴァーチャルにはなりますが「場」が生じます(もちろんZ会も塾をスタートさせてずいぶん経ちますが)。
私立のトップ校の学生が良いのは自分よりはるかにできる友人を間近で見れること、そして勉強することを是とする空気があることです。
もちろん勉強を是とするということは、そこにヒエラルキーが生じます。成績でカースト制が組まれるのはかなりきつく、一度落ちこぼれるとなかなか這い上がれません。
勉強はほとんど積み上げ式なので、新しい単元になってもリセットされるわけではなく、それまでの学習内容が経験値として組み込まれます。前提とされます。
授業のスピードも量もどんどん増加するので、一度つまずくと、なかなかついていけなくなるという悲惨さはあります。
僕自身の拙(つたな)い経験から言うと、「この勉強にどんな意味があるのですか?」と聞く子供は別にその答えが知りたいのではなく、授業を止めたいか、勉強をしない言い訳が欲しいだけです。
これを創造的回避と言います。クリエイティブアボイダンスという奴ですね。
本当は「お前の人生にどんな意味があるのか?」と聞き返せばいいのかもしれませんが、まあそんなこともできないので、テキトーに回答します。当時の僕は「塾の先生になるのに役立つ(それくらいしか役に立たない)」などと自虐的な「しょーもない」ことを言っていました。まあ生徒も本気で聞いていたわけではないので、僕も本気では答えません。
いまの家庭教師の生徒たちには、「学校に通う以上は成績を取ることが重要である」と言っています。
当然ながら学校に通わないという選択肢も彼らには存在します。
当たり前のことです。学校は学ぶ場であり、どれだけ学んだかは成績で判定されます。
そのような構造である以上は、その構造に最適化するのが人間として必要なことです(というか、それが嫌なら通わなければいいわけです)。
学校とはどれほど多様性を装っても、基本的には成績至上主義です。成績を取れば上のカーストにいけるし、好きなことができます。ある程度の自由が檻の中で確保されます。
どちらにせよ学校に通う限りはやらなきゃいけない勉強なので、人より先に理解し、成績で一番を取り、友達に勉強を教えるくらいになれば、友達からは感謝され、教師からは歓迎されます。スポンサーである親も喜びます。
だから「好き嫌いではなく、必要なものだから勉強せよ」と伝えています。
個人の生活を考えても、勉強ができれば、比較的時間は自由になります。
勉強ができなければ、どんどん勉強が分からなくなり、どれほど勉強時間を注いでも、効率が悪くなります。逆に勉強ができる側になれば、勉強の効率はどんどん良くなります。自由時間が増えます。
勉強が分かり、成績が良ければ、悪い気はしません。
どうせやらなきゃいけないことなら、積極的にやればいいのです。
「頭の良し悪しではなく、システムの問題なので、勉強はしましょう」と教えています。
そもそも人生にも勉強にも意味などありません(そこに意味を見出すのは自由です)。
ただのゲームだと思って、テキパキとやりましょう。楽しいとか楽しくないとかどうでもいいことです。勉強に楽しみを求めるのは、八百屋に肉を求めるようなものです。結果的に「楽しい」と思うのは自由ですが、最初から楽しみを求めるのは倒立した論理です。
「この勉強が人生の何に役立つのか」と思って悩んでいる時間があれば、一問でも多く問題を解くことです(実際には学校で学んだことで無駄なことなどほとんどありません。そういう最大公約数的な基礎知識を国家は国民に与えます)。
役に立つかどうかなど本質的には誰にも分かりません。
自分がこの先、どんな人生を過ごすのかも分かりません。
ただ明日がテストならば、試験勉強をすればいいですし、来年が入試なら受験勉強すればいいのです。嫌なら学校を止めればいいだけです。
とは言え、どこまでドロップアウトしても人間として生きていこうと思ったら、どこかで勉強は必須です。だったら、ぐちゃぐちゃ言わずに学べばいいと思います。
「この勉強に意味があるんですか?」という質問以上に、分かりにくくクリエイティブアボイダンスなのが、「もっと良い勉強法」についていつも考えることです(睡眠学習法とか、新しい教材や参考書などを言ってくれるのはいつも出来の悪い子でした。僕も学生時代はいつもスゴイ学習法を求めていました)。
もっと良い勉強法、もっと良い暗記法、もっと良い教材、もっと良い塾、もっと良い先生がいるはずだと思ってしまうのです。
これはあながち間違っていないだけにちょっと厄介です。たしかに実際にもっと良い勉強法、もっと良い教材、もっと良い塾、もっと良い先生は世界のどこかには確実にいるでしょう。
しかし、重要なのは自分が「もっと良い生徒」になることです。きちんと学ぶ生徒ということです。
僕も塾や予備校、家庭教師で働いていたので、「もっと良い解法」「もっと良い暗記法」「もっと良い勉強法」を伝えてきました。というか、それを看板にしてきました。
そして、自分から学ぶと、勉強の時間が圧縮され、効率的になるというイメージを流布してきました。流布だけではなく実践もしてきたと自負しています。
しかし、カラクリはシンプルです。
結局、勉強はやるしかないのです。手を動かして問題を解いて、覚えるべきを覚えて、考えるべきを考えるしかありません。
魅力的な新しい解法、新しい勉強法、新しい暗記法をちらつかせながら、感動させながら、勉強するモチベーションを上げつつ、実際に手を動かさせるのが僕等教師の仕事です。実際に地道に愚直に一問でも多く解いたほうがいいのです。それをそうとは気付かせずにやらせるのが良い教師のポイントです。
分かった気にさせて、楽しく問題を解かせて、すごい解法や分かりやすい解説をスパイスにして、手を動かさせるのです。
ですから平たく言えば、「素晴らしい解法」を時間をかけて学ぶよりは、一問でも多く解いたほうがいいのです。
正直言って「ってか、それ使わないよね」という華やかなテクニックを覚えるよりは、地道に単語を覚え、一ページでも多くの英文を読んだほうがいいのです。そして集中する時間を長くするように身体を鍛えることです。それだけです。
というか勘違いされがちですが、トップレベルの塾で教えている華やかなテクニックというのは、一種の清涼剤みたいなものです。もしくは勉強の合間のスパイスです。息抜きみたいなものです。
他の膨大な時間は地道な計算、地道に膨大な基礎的な問題のために割いています。
彼らはそれが当たり前なので、意識に上らないだけです。
我々が呼吸をするのが当たり前なのと同じです。
勉強時間も桁違いに多いですし、それが小学生のころから続いているので、当たり前なのです(海外のエリートとなるとその規模も量もまた桁違いになるのが面白いところです)。
塾も予備校も家庭教師も表向きは、新しい解法、新しい教材、新しい勉強法を提示しますが、実際のところは「猛烈に長い時間、勉強せよ」ということに尽きるのです。
もちろんその勉強の仕方を良く修正すると効率は驚くほど上がります。ただそれは猛烈に走っている人に対して効果的なのです。
寝転びながら「新しい解法」や「新しい勉強法」をネットで探しているウサギよりも、地道に問題を解いてるカメのほうが先にゴールします。
というかカメはいつまでもカメではなく、トコトコ歩いているうちに気付いたら、ウサギを凌駕するミュータント・タートルズになっています。だいたい数年もあれば攻守交代します。
気功も同じです。
新しい技術、新しい考えかた、新しいパラダイムではなく、地道に目の前のクライアントを癒やし、自分の身体を改良し、自分のベッドに結界を張りながら、綺麗にベッドメイキングすることです。
大量に気功を使い、結果を出している人は外からみても分かります。
非常に浅薄な言い方をすれば、気功の能力はそれに注いだエネルギーで決まります。
エネルギーは集中力と時間です。
時間は可視化できるので、時間だけ考えてみましょう。
たとえば100時間やると経験値がアップして、次のレベルに移動します。
そうするとそのレベルでしか分からないアドバイスが分かるようになります。
気功の教師もそのレベルにある生徒が達したら、そのレベルに合ったアドバイスを新たにします。
そのレベルでまた1000時間やれば、次のレベルに達します。
そうすると教師もそのレベルにふさわしいアドバイスをします。
しかし100時間以内の人に、次のレベルのアドバイスをしても、意味不明なのです。全く荒唐無稽か、もしくは耳に入らないのです。
ですから、ひたすら愚直に気功を日々楽しくやることです。
起きて水を一杯飲むなら、そこに封入すれば良いですし、シャワーを浴びるならば、バスルームに結界を張り、シャワーヘッドに浄化の伝授でもすればいいですし、それを日課にすればいいのです。シャワーから出て、裸で鏡に全身をうつしたら、センターや腸腰筋を発火させれば、身体の変化が克明に見ることができます。ありとあらゆることに気功を無意識に使えるようになるまで、ガンガン使えばいいのです。
そして身体の変化を記録すればいいと思います(フィードバックは重要です。記録する行為が大事なのであって、それを何かに使うことは大事ではありません。意識に上げるのが大事です。コストをかけて意識にあげて、記録する行為がRゆらぎになるのです)。
「誰も教えてくれなかった勉強のコツ、気功のコツ」とはひたすらに勉強なり気功をやるということです。特に目の前の課題に真摯に全力に取り組むということです。幸せの青い鳥は目の前にいます。
このコツは誰も教えてくれなかったのではなく、誰もが当たり前だと思いすぎていて、軽視しすぎているのかもしれません。
しかし、本当のコツは意外と身近なところにあります。
今日もテキストを開いて、気を流しましょう。
まず自分が「もっと良い生徒」になりましょう!!
まずは良い気功師になりましょう!!
*現状(Status Quo )の外へ飛び出しましょう!!
今年最後の1Dayスクール「気功ブート・キャンプ」でもお待ちしております!!