気功の上達とは、無意識を鍛え上げることであり、一方、無意識は意識できないから無意識 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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気功の上達を何か知識によってなされるものと考えている人もいます。
本質的には情報なり知識が自我という関数を変えるので、知識によって気功が上達するというのは間違っていません。

しかし、たとえばこんなケースを考えてみましょう。
Aさんにとって、気功が爆発的に上達したある情報があるとします。それは言語で表せるもので、仮に「a」としておきます。
この情報「a」によって、Aさんは大いに上達し、その知識無しにはいまのAさんの活躍はなかったとします。
「a」では、情報が具体的にイメージできないとしたら、具体的な例で考えてもいいでしょう。たとえば、「宇宙は情報でできている」「It from bit」「気功はプラセボである」「情報が物理を変える」「気は情報でできている」「神は愛である」「アルゴリズムの操作が気功」などの何らかの知識なり情報です。

この「a」によって、Aさんは大きく変わったとします。

じゃあ、この貴重な情報によって、隣のBさんはAさんと同じような爆発的な成長を遂げるのでしょうか?

これがたとえば、ゲームの攻略法であったり、宿題の解法であったり、漢字の読み方であったり、幾何学の問題の補助線ならば、多くの人にとって同じ情報が役に立つでしょう。しかしそのような例は稀です。

気功なり、ある程度の抽象度が必要なもの。踊りでも、歌でも何でもいいのですが、身体性を伴うものは知識や情報が一律に効くわけではありません。

「答えを教えて下さい!」、「本当のことを教えて下さい」という人はおそらくは幼児的な世界か、学校の試験の世界を生きているのでしょう。言葉は符丁に過ぎず、その符丁が共有されている場を共有しない限りは、符丁だけでは無意味なのです。文脈が必要であり、それが分かるだけの知識と抽象度が必要です。

オペラ座の伝説的とも言われる振付家のピエール・ラコットさんの振り付け風景を見学したことがあります。そのときラコットさんがしきりにおっしゃっていたのが「cinquième」でした。「5番ポジション」ということです。足のポジションである5番ポジションを正確に踊るというのは、ラコットさんだけではなく、世界中のバレエ教師が言っているでしょう。しかし、その言葉は街のお教室とバレエ団のリハーサルでは明らかに違います。
逆に言えば、そこでラコットさんが示した情報と、文字通り同じ情報を我々が受け取っても、劇的な成長は期待できないのです(そうでない場合は別として)。

当然ながら、情報や知識の軽視をしているわけではありません。
「知は力なり」と「まといのば」でも考えますし、正しい情報は必須です。

ただ、情報を単なる文字情報であると考えると、足元をすくわれます。文字情報でもありますが、そのコンテキストとセットで「情報」としての価値や意味があります。

その意味で、知識だけで気功が上達すると考えていると、足元をすくわれるのです。

そうではなく、無意識の錬成が必須なのです。

何が変わったのか分からないけれど、気付いたら上達しているのが気功です。別に気功に限りません。むしろ、表面的な文字情報だけで何とかなる世界のほうが限られています。

無意識を徹底的に鍛えていく中で、ある瞬間に圧倒的に成長していることに気付きます。
その気付きに対して、ある情報「a」を符丁として用いるのです。
これに気付けたから、自分は成長できたのだ、と。
ただ、それは単なるトリガーであり、単なる圧縮です。しばしば解凍不可能な圧縮です。
成功体験が他の人に役に立たないのはこれが理由です。解凍不可能な圧縮は役に立ちません。


もちろん、無意識の錬成なり、無意識を鍛えるというのはどうすればいいのか?これは大きな問題ですが、本稿のテーマではありません。ただいつもながらで、まずゴールありきです。心から渇望するゴールがあれば、世界が変容します。