小説の設定はきわめてシンプルです。
深刻なパンデミックが起こる中、医療知識の十分にある軍隊が感染源に入り、敵と戦闘しつつ事態の把握と沈静化のために動く。
十分な防護服は着ているものの狂った感染者に襲われて防護服が破れ、彼らの汚染された血を浴びることで感染する。
共に闘ってきた仲間が致死性の感染に襲われ、「出血して死にかけている」。
そんな状況です。
(引用開始)
ずっと一緒に戦ってきた仲間の一人がからだ中から出血して死にかけている時、それを悲しいと思わない兵士はいない。彼らは深く悲しんでいる、だが、悲しいとは言わないし、悲しい表情も作らない。悲しい悲しいと叫び大声で泣くことによってミツイが助かるならば彼らはそうするだろう。UG兵士はシンプルな原則で生きている。最優先事項を決め、すぐにできることから始め、厳密に作業を行ない、終えると次の優先事項にとりかかる。悲しいときにただ悲しい顔をしていても事態の改善はないことを彼らは子供の頃から骨身に染みて学んできたのだ。アメリカのテレビでおなじみの光景、災害や事故や犯罪の現場でレポーターが被災者や被害者の家族に聞く、悲しいですか?悲しいでしょう?最優先事項がなく退屈な人々はそれを見て今自分が悲しくないことを確認して安心する。(p.237 村上龍 ヒュウガ・ウイルス 幻冬舎文庫)
(引用終了)
「アメリカのテレビでおなじみの光景」と著者が書くのは、この語り手がアメリカ人であるからです。
「災害や事故や犯罪の現場でレポーターが被災者や被害者の家族に聞く、悲しいですか?悲しいでしょう?」というのは、もちろん普遍的な我々の姿の痛切な批判でしかないし、「最優先事項がなく退屈な人々はそれを見て今自分が悲しくないことを確認して安心する。」とはパンとサーカスを引き合いに出すまでもなく、パスカルの「悲惨」というキーワードを出すまでもなく、普遍的な事実でしょう。
「シンプルな原則」、「最優先事項」、「すぐにできることから始め、厳密に作業を行ない、終えると次の優先事項にとりかかる」というのは魅惑的ですが、誤解されやすい感覚です。その後ろに走っているアルゴリズムは抽象度の高さであり、プラグマティズムです。すなわち「悲しい悲しいと叫び大声で泣くことによってミツイ(引用者注:仲間の感染者)が助かるならば彼らはそうする」からです。
「最優先事項がなく退屈な人々はそれを見て今自分が悲しくないことを確認して安心する。」とは痛烈な批判です。「最優先事項がなく退屈な人々」という言い方には僕は(以前も紹介した)小林秀雄のロンドン五輪の話を思い出します。
ロンドン五輪の選手と観客の鮮やかな対称性が小林秀雄によってえぐり取られています。
(引用開始)
先日、ロンドンのオリンピックを撮った映画を見ていてが、そのなかに、競技する選手たちの顔が大きく映し出される場面がたくさん出て来たが、私は非常に強い印象を受けた。カメラを意識して愛嬌笑いしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現わす。むろん人によりいろいろな表情だが、闘志などという低級なものでは、とうてい遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでもはいって行こうとする顔である。この映画の初めに、私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手だけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。かようなことを選手に教えたものは言葉ではない。およそ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である、芸であります。見物人の顔も大きく映し出されるが、これは選手の顔と異様な対照を現わす。そこに雑然と映し出されるものは、不安や落胆や期待や興奮の表情です。投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか。彼らは征服すべき自己を持たぬ動物である。座席に縛りつけられた彼らは言うだろう、私たちは戦う、しかし征服はしない、と。私は彼らに言おう、砲丸が見つからぬ限り、やがて君たちは他人を征服しに出かけるだろう、と。また、戦争が起こるようなことがあるなら、見物人の側から起こるでしょう。選手にそんな暇はない。(pp.122-123 小林秀雄「私の人生観」角川文庫)
(引用終了)
「とうてい遂行し得ない仕事を遂行する」「自己の世界にどこまでもはいって行こうとする選手は、「自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。」
鏡に写る自分の顔を見ながらジョブズは毎朝「今日が生涯最後の日だったら、いましようとしていたことを私はするだろうか」と問うたそうですが、そこに「投げるべき砲丸を持たぬ」「醜い顔」を見たくないものです。
(引用開始)
I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
毎朝、洗面台の鏡をのぞき込みながら自問する。「もし今日が人生最後の日ならば、今日やろうとしていたことはやりたいことだろうか」と。
(引用終了)
蛇足でしょうが、この前後のジョブズの物言いをきちんと聞くならば、いわゆる偉人のメンタリティが透けて見えるかもしれません。
(引用開始)
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
17歳のときだった、こんな感じの引用を読んだんだ。「もし君が毎日をあたかも生涯最後の日のように暮らすなら、いつの日かそれはその通りとなる」。この言葉に強く打たれた僕はそれ以来、33年間、この習慣を欠かしていない。毎朝、洗面台の鏡をのぞき込みながら自問するんだ。「もし今日が人生最後の日ならば、今日やろうとしていたことはやりたいことだろうか」と。「いや違うな」と思うような日がもし続くとしたら、何かを変えなきゃいけないって分かるんだ。引用はスタンフォード大HPより。
(引用終了)
引用に出会うことからはじまったのです。
かつてジョブズの代名詞のようにさかんに言われたStay hungry, stay foolishも廃刊される雑誌の裏表紙の印象的なフレーズでした。すなわち引用です。
シンプルな原則です。
偉人のメンタリティとは、貪欲に取り込み、それを丁寧にトレースする中で全く新しいものを創りあげてしまうということです。単純化して言えば、OriginalではなくRemixということです。
ピカソは他人の作品を模写し模倣し続け、ピカソとなり、モーツアルトは当時の楽曲を片っ端から書き直してモーツアルトになりました。
ゲーテはより鮮やかに言います。
(引用開始)
最も恵まれた天才とは、すべてを吸収し、すべてを取り入れながら、たえず自己を革新し、自己のあらゆる可能性を発展させる者のことだ。
(引用終了)
ジョブズは「“Good Artists Copy, Great Artists Steal” 良いアーティストは真似、偉大はアーティストは盗む」と言いました(ちなみにこれもまたピカソの引用として。ピカソから盗んだものとして。ピカソも自分以外からは何を盗んでも良い=模倣して良いというポリシーの持ち主でした)
“Good artists copy, great artists steal. And we have always been shameless about stealing great ideas.”
40秒あまりの動画ですので、再生する価値はあると思います。Fullでも4分足らずです。
「悲しいときにただ悲しい顔をしていても事態の改善はないことを」、「子供の頃から骨身に染みて学んできた」我々としては、「最優先事項を決め、すぐにできることから始め、厳密に作業を行ない、終えると次の優先事項にとりかか」りましょう。投げるべき砲丸を持ち、偉大なアイデアを盗み、毎日が生涯最後の日として生きましょう。実際にこの瞬間は永遠に戻ってこないわけですから。
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