2学期は行事も多く多忙です。
疲れてくると、やはり精神的に弱くなりますね。
このところは台風の影響で天気も悪いので、
気分もパッとしません。( ̄Д ̄;;

そんなとき、数学の能力に秀でた生徒に会うと、
情けない話ですが、数学教師を辞めたくなります。
(もちろん、やめはしません。)
「すごい。もうこれだけの感覚があるのか!」
表現なども、感性の裏付けなのか、
数学的に正しい表現を用いています。
「中1のころは、ちょっと勉強ができるなあ、という感じだったのに。」

子どもが夢中になれる力というのは素晴らしいですね。
なんでも、時間があれば、整数のこととかを考えているんだとか。
幾何の証明なんかも、実際に紙に書くだけではないそうです。
彼らには時間がたくさんある。それが羨ましい

こちらといえば、日々、いろいろな雑務に忙殺されています。
本来ならば授業こそ、私たちのパフォーマンスの発揮の場であり、
そこで最大の集中力を発揮できるように準備すべきですが、
学校にはさまざまな仕事があり、本末転倒になっている気さえします。

才能に恵まれ、時間に余裕があり、
また微力ながら、彼らの才能を伸ばそうとしてくれる教師がいる。
田舎(農村)で、ちょっと数学の点数がいいからといって、
何も考えずに数学科に進み、
「こんなはずではなかった。」と思っている誰かとは違う彼。
彼に嫉妬し、「自分に時間があれば、いまこそ」とか、思う。

過去も未来も同じ自分ですから、
いまから勉強しようとしても結果は同じかもしれないのに。

やっぱり疲れてますね。
元気出して、自分の目の前の仕事を頑張るしかないのだから。
才能のある生徒を伸ばすのも、僕の仕事。
今年も本校の教育実習期間が終えました。
教え子も多く、実習に来たこの3週間。
途中の週末では、元担任陣VS実習生または教え子という、
飲み会も企画され、バトルも展開されました。

飲み会の席では、昔の私の授業風景についても語られ、
「恋は微分」なる、意味不明な言葉が印象に残っているとか。
やばい、やばい、余計なことは言うもんじゃない。
いまもむかしも。
しかし、そういうことがあっての教育。
しかし、その「恋は微分」とのたまった私の影響か、
私の担任したクラスの生徒の「彼女いる率」は高いとか。
他の先生からは、
「おまえはいったい、何を教えてるか?」
と厳しい一言。
「痛~。」
まあ、お酒の席のことですから。済んだことですし。

私のクラスの担任代行をしてくれた実習生には、
我がクラスの生徒からプレゼントが。
1人一言書いた寄せ書きの色紙。
「泣かしてやれ!」と担任の言葉にも、
代表者は動じず、マイペースなお礼の言葉。
実習生もちょっと感激した様子。

これで教師になってくれるといいな。
これで機会があったらウチに戻ってきてくれるといいな。
雑務が忙しくて、
飲み会の席以外ではゆっくり話す時間もなかったが、
立場を代えて、ゆっくりと離せる機会がまた来ることを望む。

二度目の卒業。
普段はあまり読まないが、
「日本一、算数がわかる授業」と「ここにつまずく算数・数学」という
タイトルの教育月刊誌「プレジデントファミリー」。
購入して読んでしまった。

最近、この手の雑誌が増えていて、
「ほんと現在の子育て世代の一番の関心は、教育なのだなあ」と感じる。
似たような月刊の雑誌は、日経キッズ+、アエラキッズなど、がある。
最近は、週刊誌もサンデー毎日だけでなく、アエラも読売ウィークリーも、
そういう世代の読者を意識して編集していると聞く。

話は戻って、「ここにつまづく算数・数学」という内容で、
「中学生は方程式」という記事があった。
おお、っと読み進めると、なんてことはなく、
「中学生は方程式でつまずくことが多い」とだけ書いてあった。
ありゃりゃ、どうして。
どちらかというと算数の関することが多かった。
算数は専門外なので、目の前でつまずく児童を見ていないせいか、
リアリティがない。

ところが、先日、
方程式のミニ・テスト(理解度確認テスト)をしてみると、
なんと方程式の出来の悪さが。
「おお、こんなこと、以前あったか?」
方程式を利用した文章題のミニ・テストも、不合格者が続出した。
「あれれ。」
いや、確かに難しい。文章題はちょっと難しくした。
いわゆる鶴亀算。
しかし、それにしても。

自分の思い出では、「方程式を立てて、問題が解けた」というのが、
駿台予備校の講師・安田氏の言うところの「解後感が良い」を、
初めて体験するところではないだろうか。
もちろん、中学入試の算数でも、
解後感が良い問題はたくさんあるし、
そういう経験は算数に限らず、パズルでもあるだろう。
しかし、
それでも中学生で習う「方程式」が「初・解後感が爽快」の
単元であってほしいと切に願っている。

教え方に問題があるのか?
授業で例題を教えてない?←そんなことはない。
(例題を教えたからできるというのも、いかがなものか。)

おもしろがって解いてほしいんだよなあ、方程式って。
問題集だって、渡してあるし。

ウンウン、うなりながら式立てて、
だいたい解が整数だったら、十分満たしてるだろう、条件を。
ハイ、答え合わせ。
「オオ、ビンゴニコニコ
俺って、けっこう数学できるじゃないか。
それが、だいたいの勘違いの始まり。

どうして方程式ができないんだろう?
そんなに難しいか、「移項」とか「分母をはらう」って?

もうちょっと、分析してほしいね、教育雑誌にも。
方程式の、式変形の手続きが難しいのか、
それとも、
式を立てるのが難しいのか。
式を立てるのは難しいよ、とくに、速さや濃度などの「比」で式を立てるときは。
比から数量で式を立てるか、比例式で立てるか。
これには相当な理解が必要だろう。
「これで必要十分。」って思えるまで、時間はかかるよね。

負の数の計算も、1つのギャップがあった。
文字式の計算も、やはりギャップがあったようだった。
方程式はどれほどのギャップがあるのだろう。
自分の昔のことは忘れてしまった。
彼らの理解に寄り添いながら進んでいく必要があるようだ。
本来このブログは、
日々の数学の授業について書き連ねるはずだったが、
気がついてみると、
思い出話とかいまの世の中についてとか、
随想的なことが多くなってきたの軌道修正します。

(1)教え子達
かつて僕が担任した生徒たちが、
教育実習生となって戻ってきています。
先日、ある1人の実習生の授業を覗きに行きました。
すぐに済まさなければならない雑件があったので、
それを済ましてから行くと、
授業は残り10分しかありませんでした。
そーっと、教室に入ったつもりでしたが。
途中から、見慣れない先生(巨体)が入ってくると、
教室の空気は変わりますよね。
ちょっと空気が固くなったような気がしました。
やはり、授業は起承転結もあるし、
最初から最後まで見ないと、批評できないですね。
今度は頭から見学しよう。
他の実習生の授業も、抜き打ちで観に行こう。
数学に限らないで。

(2)2学期が始まって
中1の授業は、代数は「1次方程式」、
幾何は「平面図形の証明」となりました。
かなり数学っぽくなりました。
方程式は、最初、関門がありますよね?
移項とか、形式操作だと思えてしまえば楽になりますが、
そう思えない子や自宅学習をしない生徒と
要領を得た生徒との差が、…。
ほんと気の毒です。
幾何の「証明」。
僕はこれが教えたくて、中学の教員を目指したところもあるので、
張り切って、「ユークリッド幾何と言って、…」
なんて話していますが、
生徒の答えを聞いてみると、チンプンカンプン。
そういえば、指導要領では中2に割り当てられている図形の証明。
彼の発達段階にはまだ早い?
彼の理解の具合を見て、進めていこうと思いました。

本日はこれまで。
実家は米作をしています。
だから今回の事件には、つよく憤っています。
なぜ、「事故米」なんてものが存在するのか。
それは米を他国から輸入するからです。
日本の農政の失敗。
減反して、米を輸入して、不正に転売し、
庶民が農薬を口にする。本末転倒もはなはだしい。
だいたい、農水大臣も他のポストに比べ、軽んじられている。
いったいなんだ、あの不祥事の数々は。

この夏、官僚の人の発言を聞いて、目が覚めました。
また、エリートコースを歩もうとしている生徒を見て、気がつきました。
また別の、官僚や他の行政の人との会合に出た人の話を聞きました。
なるほど、この国は、ミス・リードされている。
何もわからない人たちが、何もわかろうとしていない人たちが、
この国をリードしている。現場とか庶民の声は聞こえていないようだ。

国産の米を1粒残さず喰ってみろ。
朝日新聞の投稿欄にあったが、1ヘクタールの田んぼを耕して米を作っても、
100万円ぐらいの収入なんだぞ、1年かけての農作業で。

米を輸入する必要なし。
減反政策も止めてくれ。
農家を逃げ出してきた男の言えることではないが、
実家の母や兄を思うと。
「日本人なら、米を食え。」


わが子がドンドン大きくなっている。
あるいは卒業生が大学へ行き、
自分の目指すべき道をみつけ、大きく歩み進めようとしている。

こういうのを目の当たりにすると、
大学の教職課程で学んだことは、その通りかもな、と思う。
「教育とは、英語でエデュケーション。
 エデュケとは、引き出すという意味。
 私たち教師の役割は、子どもの可能性を引き出すこと、です。」
でも、実際は引き出すというのは、また『上から目線』で、
生徒は伸びる芽を持っていて、
乱暴な言い方をすれば、
「絶えず水と光を与えさえすれば、勝手に大きくなっていく」
ようです。
だから、私たち教師の役割は、コンスタントに水と光を与えること。

「人間は植物じゃないんだから、ー。」
という声が聞こえてきそうですが、まあ、たとえですからご容赦を。

とくにこの感覚を持つのは、クラブ活動の指導のときです。
クラブ活動はそれこそ、生徒が好きなスポーツなどをするわけですから、
生徒は自発的かつ積極的に活動します。
みんな、上達したくて仕方がないのです。
私は、昔気質の、上意下達なスポーツ指導をあらためつつあります。
先ほども書きましたが、私のすべきことは、水と光を与え続けること。

いまの彼らに必要なトレーニングをし、それこそ給水させ、
また次のトレーニングに励ませる。
それが効果的なトレーニングかどうかは、生徒の様子を見ればわかる。
練習のための練習ではなく、
その競技の本質に迫るトレーニングであるなら、なおさら。
生徒たちは、主体的に練習をはじめる。
「レディネス」や「エデュケ」といった、
教育原理で聞いた単語が意味を持つと知るまで、10年以上の経験を要した。

一方で、つまづいている子もいる。
もう、心配で仕方ない。
おそらくあの子は道を見失う。もう、クラブ活動もやめてしまった。
日々、怠惰に過ごしているようだ。
能力がないわけではない。むしろ、ある方だ。
ただ、ひたむきに努力できない。
素直に練習に励むより、過剰にこちらの評価を気にする。
「自分は自分で。それでいいだろう。
 目の前の課題に取り組め。」
彼には、この言葉が届かない。
意味もわからないだろう。
他人とは違う自分の良さを、絶えず評価を返してほしい。
彼がそういうわけではないが、彼がそう言っているように聞こえる。
「それは無理。」

見当違いのことに飢えている。
足りないのは、親の愛か?
でも、たいがい、この子の親は教育熱心。
「ウチの子はどうですか?」
「いいですよ。才能はあります。でも。」
その先の言葉が届かない。
その子の伸びゆく芽を、大人が先回りして、摘んでいる。
これ以上、不幸なことはない。
大きな実の収穫を待てない保護者。
愛しているようで、愛不在。
教育熱心ようで、教育不在。でも過剰なトリートメント。

あの子に光を気づかせるには、どうしたらよいのか。

「おまえとしゃべっているとおもしろくない。
 辛気くさくて、後ろ向き。もう、ええかげんにして。」
私が友人だった人に、こう言われることのは少なくありません。
とくに大学生のころは。
現在は、そういう自分が嫌で、
「もうあの頃の自分ではありません。もう細胞は代謝し、生まれ変わりました。」
というくらい開き直っている。

おじいちゃん子だったせいか、
考え方が保守的。何事に対しても辛気くさくて、批判的。
「おれ、最近、こんなんにはまってるねん。」
「それ、なにが楽しいの?」
あの手この手を使って、
「そんなん、おもしろいんか。」
「おまえとは口聞かない。」

「おれ、こういうことにチャレンジしてみようと思うねん。」
「そんなん、巻き込まれる方は迷惑やで。」
「おまえとは、よう、口きかん。」

小学一年生から新聞は読んでいた。
祖父も父も、縁側で新聞を読んでいたからだ。
「毎朝、新聞を読んでいる」
と小学校の先生に言ったら、みんなの前で誉められた。
いまでも毎朝、新聞は隅から隅まで読む。
中学生や高校生の時、
孔子の「論語」などが、妙に納得できた。
「さすがにいいこというようなあ、仙人は。」
と同級生に言ったら、
「論語とか面白くない。
 よく、おまえはあんなの真面目に聞いてられるな?」
「ふん。おまえなんか成績の悪い奴に言われたくない。」

就職しても「そんなに、若々しくないね。」といわれる始末。
プレッシャーがかかると、一度脱ぎ捨てたはずの、保守の殻がまた。
「そうだよ、賢人は『先憂後楽』。まず、心配を解消してから。」

もう、そんなんどうでもいい。
既成観念に縛られたら、創造的な仕事はできない。
私の仕事は、未来を育てること。

新聞読んでると気持ちが暗くなる、とくに最近は。
憂いてばかりはいられない。
明るく生きよう。

もういいかあ、新聞読まなくても。常識的に生きられるだろ、もう。
「我、四十にして、人の規を越えず。」
おい、また論語かよ。
昔話です。もう20年も前の話です。
東京の大学に受かり、上京する直前に、
所属していた部活動のOB会がありました。
OBになりたての私は、
親しかった友人を誘って、その会に参加しました。

顧問の先生に挨拶に行くと、
少し年齢が上の先輩が就職が決まったことを報告をしていました。
顧問の先生と同じ大学を出て、
無事に教員になることができたようです。
調子にのって、僕も話に加わりました。
「私も、教職を考えてます。」
「大学は?」
「東京の私立の大学です。」
「そんなところ行っても、就職はないよ。」
「…」

なんで?
地元の教員養成系の国立大学より偏差値は高いのに?
あんなに勉強して受かったのに。
この先輩以外は、
みんな、「すごい、すごい」って言ってくれるのに。

どうしてか、ということは聞きませんでしたが、
地元の教員になりたければ地元の国立大学教育学部に行くのが一番なのだ、
と言いたかったのでしょう。
そういえば、1つ年上の先輩は、そう言ってませんが、実践していました。
その先輩は、あんまり勉強しているようには見えませんでしたが、
いまは立派に地元の先生をしています。
たまに郷里に帰ると、母親がさびしそうにその話をします。

旧師範学校である地元国立大の方が何かと優遇されるのだ、ということは
実際に地元の教員採用試験を受けたときに感じたし、
今回の大分の事件を聞いて、
「やっぱりそうなのか」とあらためて感じることはあります。

それでも、より難しい大学に受かった方が実力はあるわけだし、
たとえ地元への就職のコネがなくなったとしても、
自分の実力を正当に評価してくれる学校に勤めればいいのだ、
と、そののち固く決意することになりました。

「いまごろ、なにを」と思うところがありますが、
大分の事件をキッカケにこれから教員を志望する学生が、
コネや血縁、口利きではなく、熱意と実力本位で、
教職に就くことができる社会となることを期待します。

ところで、実際に教員になってみると、
センター試験で高得点をとるように勉強したことのほとんどが、
意味を持たないことを感じます。それは先日、書いたとおりです。

「先生になるのだったら、いろんなコトを知っていないと。」
「なんでも器用にこなせるようじゃないと。」
「なんでも平均点以上じゃないと。」

僕は僕なりに頑張って、どの科目も平均点以上はとりました。
スポーツも頑張りました。
でも、そんなの、生徒の前に立つと無意味です。
保護者の前では、
「まあ、それなりの人らしいわね。」と好印象に見えるかもしれませんが、
それは本当の仕事の半分も占めません。

数学の才能にあふれた後輩を見ると、
(自分の「器用貧乏」といったらまた自慢に聞こえますが、)
とくに自分の数学の勉強不足には泣かされます。
後輩が、本校の採用試験の際に言った、
「とにかく数学が大好きです。この大好きな数学を子ども達に教えたい。」
の言葉は、いまでも覚えています。

なにか1つのことに夢中になり、一笑懸命勉強すること。
物理や化学、英語が得意でした、国立大はどこを受けました、
と言ったところで、生徒に数学を教えるとき、どれほど意味があるのか?

話は変わって、この夏の研究集会では、
正直、辟易するような発表もありました。
「なんだ、そんなことも知らないのか。」
自分も勉強不足だと思っていましたが、
自分より勉強していない人がいる。
恥ずかしい話ですが、自分もまんざらではない、と開き直りました。
(「そうだ、なにもそんなに卑下することないぞ。
  僕は高校生の時も、大学生の時も、
  それなりに誠実に勉強したじゃないか。
  数学のなんたるかがわからないままだったけど。
  地元の教員になるなら、これくらいの勉強でいい。」
  なんて思わずに、
  自分にできるだけの勉強をしたじゃないか。」)

いまの自分は、これまでの自分の勉強と決心の総体なのだと思います。
まだまだ未熟と、もう言えない年齢になってきましたが、
そうであるからこそ、
自分の未熟さと、また自信とが見えてみました。

「この程度でいい。あとは誰かが何とかしてくれる、就職は。」
と思っている人がいたら、それはやめたほうがいい。

自分がある科目の専門家になりたいのだとしたら、
やはりレベル高く学べるところへ行った方がいい。
いや、僕は教育理論を学びたいんだと思えば、
教員養成系大学へ行けばいいんだど、と思う。

一方、いまの職場に勤めていて、他の人に感じることがあります。
「教育の理論には疎いな。でもこの人、専門知識はすごいな。」
ということです。
高校、しかも進学校ならこれの方がいいのかもしれない。
でも、とくにうちの中学生には、
少しの教育の原理も必要なような気がするときもあります。

理学系でよかったのか、教員養成系がよかったのか。

いまの自分は、これまでの迷いと決断の総体。
「俺は東京へ行く。」
あの決断が正しかったと、
胸を張れるようにもっと勉強しようと思う、秋の夜です。
新学期早々ですが、他教科で試験をするというので、
時間割の都合上、試験監督をしました。
「ああ、そういえば、こんなこと、覚えたなあ。」
ということに、生徒は必死に答えてました。
いまとなってはあんなに必死になって覚えた英単語も構文も、
いまや何の役にも立ちません。
「いつかは世界を股にかけるビジネスマンになるぞ。」
とマンガ「課長 島耕作」を読んで、夢見たこともありますが、
そんなことはありませんでした。
(それにしても、課長島耕作はモテすぎだろう?
 結局、社長になったらしいし。もはや、庶民派ではないな。)

数学教師になった理由をここでもいろいろ書きましたが、
私立学校の教師になった理由もまた、別にあります。
それは学校の異動がないからです。

大学4年になって母校(高校)に戻ったとき、
元担任の先生はもう一人もいませんでした。
数学の指導教官はいましたが、サッカー部の顧問でさえ、
全く知らない人でした。公立高校の寂しさを覚えました。
後輩も教員になったのがいるのですが、先日偶然会ったときに、
「あと数年すれば、母校に異動できそうです。」
と言ってました。すかさず質問して、
「何年ぐらい勤務できるの?」
「8年くらい。長くて10年。」
たった10年かあ。

新しい土地や新しい学校に慣れ、そこで活躍できるようになるのに、
私だったら、どれくらいかかるだろう。
以外と柔軟性がなく、人見知りな私は、3年はかかるだろう。
その間に気の合う同僚は異動するかもしれない。

多くの公立学校に勤めている先生方に、
「甘い」と言われるかもしれないね。

その一方で、「たまには海外出張に行ってみたい。」とか、
「たまには女子校や、提携している他校に勤務したい。」
とか、飲み会の席でほざいているわけですから、
全くどうしようもない私。( ̄_ ̄ i)

話は戻って。
今週から本校は、教育実習期間です。
教え子の数人が実習生として戻ってきました。
(といっても私が高3で担任した生徒は1人もいませんが。)
彼らの困った顔を見るのが、嬉しくてしょうがない。

「異動がなくて良かったあ。(T_T)」

大きな人類の輪廻の中で生きている感じです。
いまの勉強が未来にどうつながっているのかどうか、
なんてわからなくてよい。いまを一生懸命生きれば。
教え子達が戻ってきて、教員目指して勉強している。
それでまた、勉強を教わる子ども達。
教育って、素晴らしい。

*ちょっと、話がまとまりませんね。
 すいません。
v(^-^)v
今日から2学期が始まります。
またこのブログも週2回程度(平日1回と週末)の連載とします。
また内容も、数学の授業について。
それでは、みなさん、よい始業式をヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ