わが子がドンドン大きくなっている。
あるいは卒業生が大学へ行き、
自分の目指すべき道をみつけ、大きく歩み進めようとしている。
こういうのを目の当たりにすると、
大学の教職課程で学んだことは、その通りかもな、と思う。
「教育とは、英語でエデュケーション。
エデュケとは、引き出すという意味。
私たち教師の役割は、子どもの可能性を引き出すこと、です。」
でも、実際は引き出すというのは、また『上から目線』で、
生徒は伸びる芽を持っていて、
乱暴な言い方をすれば、
「絶えず水と光を与えさえすれば、勝手に大きくなっていく」
ようです。
だから、私たち教師の役割は、コンスタントに水と光を与えること。
「人間は植物じゃないんだから、ー。」
という声が聞こえてきそうですが、まあ、たとえですからご容赦を。
とくにこの感覚を持つのは、クラブ活動の指導のときです。
クラブ活動はそれこそ、生徒が好きなスポーツなどをするわけですから、
生徒は自発的かつ積極的に活動します。
みんな、上達したくて仕方がないのです。
私は、昔気質の、上意下達なスポーツ指導をあらためつつあります。
先ほども書きましたが、私のすべきことは、水と光を与え続けること。
いまの彼らに必要なトレーニングをし、それこそ給水させ、
また次のトレーニングに励ませる。
それが効果的なトレーニングかどうかは、生徒の様子を見ればわかる。
練習のための練習ではなく、
その競技の本質に迫るトレーニングであるなら、なおさら。
生徒たちは、主体的に練習をはじめる。
「レディネス」や「エデュケ」といった、
教育原理で聞いた単語が意味を持つと知るまで、10年以上の経験を要した。
一方で、つまづいている子もいる。
もう、心配で仕方ない。
おそらくあの子は道を見失う。もう、クラブ活動もやめてしまった。
日々、怠惰に過ごしているようだ。
能力がないわけではない。むしろ、ある方だ。
ただ、ひたむきに努力できない。
素直に練習に励むより、過剰にこちらの評価を気にする。
「自分は自分で。それでいいだろう。
目の前の課題に取り組め。」
彼には、この言葉が届かない。
意味もわからないだろう。
他人とは違う自分の良さを、絶えず評価を返してほしい。
彼がそういうわけではないが、彼がそう言っているように聞こえる。
「それは無理。」
見当違いのことに飢えている。
足りないのは、親の愛か?
でも、たいがい、この子の親は教育熱心。
「ウチの子はどうですか?」
「いいですよ。才能はあります。でも。」
その先の言葉が届かない。
その子の伸びゆく芽を、大人が先回りして、摘んでいる。
これ以上、不幸なことはない。
大きな実の収穫を待てない保護者。
愛しているようで、愛不在。
教育熱心ようで、教育不在。でも過剰なトリートメント。
あの子に光を気づかせるには、どうしたらよいのか。
あるいは卒業生が大学へ行き、
自分の目指すべき道をみつけ、大きく歩み進めようとしている。
こういうのを目の当たりにすると、
大学の教職課程で学んだことは、その通りかもな、と思う。
「教育とは、英語でエデュケーション。
エデュケとは、引き出すという意味。
私たち教師の役割は、子どもの可能性を引き出すこと、です。」
でも、実際は引き出すというのは、また『上から目線』で、
生徒は伸びる芽を持っていて、
乱暴な言い方をすれば、
「絶えず水と光を与えさえすれば、勝手に大きくなっていく」
ようです。
だから、私たち教師の役割は、コンスタントに水と光を与えること。
「人間は植物じゃないんだから、ー。」
という声が聞こえてきそうですが、まあ、たとえですからご容赦を。
とくにこの感覚を持つのは、クラブ活動の指導のときです。
クラブ活動はそれこそ、生徒が好きなスポーツなどをするわけですから、
生徒は自発的かつ積極的に活動します。
みんな、上達したくて仕方がないのです。
私は、昔気質の、上意下達なスポーツ指導をあらためつつあります。
先ほども書きましたが、私のすべきことは、水と光を与え続けること。
いまの彼らに必要なトレーニングをし、それこそ給水させ、
また次のトレーニングに励ませる。
それが効果的なトレーニングかどうかは、生徒の様子を見ればわかる。
練習のための練習ではなく、
その競技の本質に迫るトレーニングであるなら、なおさら。
生徒たちは、主体的に練習をはじめる。
「レディネス」や「エデュケ」といった、
教育原理で聞いた単語が意味を持つと知るまで、10年以上の経験を要した。
一方で、つまづいている子もいる。
もう、心配で仕方ない。
おそらくあの子は道を見失う。もう、クラブ活動もやめてしまった。
日々、怠惰に過ごしているようだ。
能力がないわけではない。むしろ、ある方だ。
ただ、ひたむきに努力できない。
素直に練習に励むより、過剰にこちらの評価を気にする。
「自分は自分で。それでいいだろう。
目の前の課題に取り組め。」
彼には、この言葉が届かない。
意味もわからないだろう。
他人とは違う自分の良さを、絶えず評価を返してほしい。
彼がそういうわけではないが、彼がそう言っているように聞こえる。
「それは無理。」
見当違いのことに飢えている。
足りないのは、親の愛か?
でも、たいがい、この子の親は教育熱心。
「ウチの子はどうですか?」
「いいですよ。才能はあります。でも。」
その先の言葉が届かない。
その子の伸びゆく芽を、大人が先回りして、摘んでいる。
これ以上、不幸なことはない。
大きな実の収穫を待てない保護者。
愛しているようで、愛不在。
教育熱心ようで、教育不在。でも過剰なトリートメント。
あの子に光を気づかせるには、どうしたらよいのか。