夏休みです。
このブログの主題は、「授業報告」ですが、その授業がありません。
しかしながら、やっと手に入れた、「毎日ブログを書く時間」。
これを行使しないわけにはいきません。
夏休みの間は、
自分自身のこれまでの回想、あるいは一学期の回想を交えて、
出来るだけ毎日、ブログを更新していきたいと思います。

まず最初は、僕が教師になったきっかけです。
実家は兼業農家でしたから、近親者に教師をしている人もいません。
兄なんかはいまだに、
「おまえもたいへんな職業を選んだなあ。」
とか、
「やっぱり教師はノーテンキでいいなあ。不況も関係ないし。」
とか、まあ会えば適当なことを言います。
その程度の理解の家庭でした。
(こういう話なると、
 同僚の方々の近親者に「親の職業も教師」が多いのは、
 すごくビックリしました。)

教師という職業に興味を持ったのはやはり、
小学校4年生のときの担任の先生が素敵だったからでしょう。
若い男の先生でした。
熱血で、熱心な先生。児童はみんな大好きでした。
ちょうどその前後、テレビで「熱中時代」という、
水谷豊さん主演の教師ドラマが放映されていて、
それが画面を飛び出して、現実に僕たちの目の前で、
楽しい毎日が繰り広げられている感じでした。
それが小学校5年生のときに一変します。
いわゆるM教師が僕たちの担任になりました。
あれは「学級崩壊」のハシリだったと思うし、
私自身、その首謀者だったと思います。
親にしかられましたが、そのうち親の間でも、
「あの先生に問題がある」という認識が広がり、
母親が、「おまえをせめてごめんね」と謝ったのは、
苦い記憶として残っています。
PTAの圧力で、6年生時の担任は、
みんなが大好きだった4年生のときの担任の先生に
返り咲きました。
「こんなこともあるんだなあ」と、正直、思いました。

しかしながら僕は音痴で、また楽器も弾けません。
子ども達に、音楽や体育で鉄棒やマット運動などの器械体操も
教えられそうにありません。
「俺はなんでもできるわけではないから、小学校の先生は無理だ。」
と思っていました。
教師を職業になってみたいけど、俺には無理だな、と思っていました。

時は流れ、中学3年生のとき、成績が下がったので、
業を煮やした母親が、僕の耳を引っ張って塾に連れて行きました。
夏期講習に参加することになりました。
それまでは、まあ適当に数学なんて勉強してましたが、
この塾の数学の担当の先生の授業がすごい!
おもしろい。
話がうまい、わかりやすい。
キャラがおもしろい。
無駄話のオチがすごい。
数学なんて退屈で仕方なかったけれど、
「ああ、こんな数学の先生おんのんか。」
と思いました。はじめて数学の授業が楽しみになりました。
教師次第で授業への心持ちが変わる、
まして数学の授業で、とはじめて認識しました。
それでもまだこのころは、
「数学の教師になる」なんて、まったく決心していませんでした。

高校に入り、数学を熱心に勉強し始めました。
その理由は以前、このブログに書いた気がします。
中学ときの塾の先生のことは忘れてました。
教員になろうかなあ、とはうっすら想像してましたが、
なんの科目の先生になろうか、決めてはいませんでした。
まあ、音楽と体育はないなあ、と思ってましたけどね。
体育も「サッカーだけなら、あるいは球技だけなら」とは
考えましたが、そんなの無理ですよね。

あとは数学を勉強したいし、教師になる可能性を残したいと
いうことで、以前書いたように東京の大学に進学します。

ところが、ここで心境の変化があります。
じつは大学に入り、教職課程の単位習得をやめてしまったのです。
ときはバブルまっさっかり。
「おまえ、教師になるためにこの大学来たの?
 アホちゃう。」
みたいなことを言われ、
純朴な田舎の青年はすっかり毒されてしましました。
「大学なんて、踏み台や。
 おれはこれからビックになるやんや。
 もしかしたら中退するかもせえへん。
 でもな、俺はやりたいことを見つけるんや。
 見つかったら、それにまっしぐら。
 俺は億万長者になるぜ。ビックになるぜ。」
という隣の席の子に、すっかり影響を受けてしまいました。
この隣の席の青年は、たしかに2年後、大学を中退します。
理由はこういうことではなかったですが、
中退したのは間違いない。
私は、すっかり自分の道を見失ってしまいました。 (続く)

今朝も朝日新聞には、
「博士課程修了者(ポストドクター)の就職難」についての投書が掲載されていた。
今後の政策として、公的研究機関は、
「博士課程修了後5年以内の研究者のみ採用」
となるらしく、現在、職に就けていないポスドクには厳しい現実が待っているようだ。

この手の話しに出されると、
必ずアメリカとの比較になる。
アメリカでは、博士号取得者の就職は良いらしく、
「引く手あまた」らしい。
そうなると、「それに比べて日本は…」という話になる。
しかしながら、現実的には
やはり日本とアメリカでは比較にならないらしい。

よくきく話にだが、
「アメリカの大学は日本に比べ入学するのは易しいが、卒業するのはたいへん。」
というのがある。これは、アメリカに留学した教え子や同僚の話を聞くと、
とても日本で単にいうほど、「なまやさしいなものではない」らしい。
同僚の話によると、
「日々の課題の量が半端でない。
 アルバイトしながら勉強?とんでもない。
 日々、睡眠時間を削って、課題をこなす。
 土曜日がくるとホッとする。
 それでもまだ大学は楽だ。大学院はもっと厳しい。
 毎月、毎月、退学者がでる。
 そのうち数人は体調を崩し、鬱病になったり、
 ひどい場合は自殺している場合もあるようだ。
 アメリカで大学院を修了すると言うことは並みの能力と精神力ではない。
 私もギリギリのところだった。」

かたや日本はどうだろう?
文部科学省主導で、1990年代、国際競争に勝てる研究者の養成ということで、
大学院拡充政策をとった。
ちまたの大学のほとんどに大学院が併設された。
(そのころ私もちょうど学部を卒業することになった。
 また学費は学部に比べ手頃に設定された。)
しかしながら世間では「少子化」が懸念されていた。
そこで大学・大学院は社会人入学枠もつくった。
テレビには「○○大学教授」ではなく「○○大学大学院教授」と、
よりステータスをハッキリとさせるような表現も目立つようになった。
正直、入りやすい大学院が出来た。

隣の研究室は「社会人院生は研究活動に専念できない」という理由から、
社会人大学院生入学を拒んでいたという。
(その研究室の中のヒエラルキーは異質なものを感じたが)

文部科学省はポスドク支援の制度も整備した。
破格の待遇だった。
「これならかなりの生活ができるな。」
私も資料を取り寄せたが、条件を満たしそうになかった。
「社会に役に立つ研究かあ。
 推薦者の書類ねえ。」

修士論文を書くことに対して緊張はあったが、
毎日、眠れなかったということはない。
膨大な量の課題が出るということはない。
(資料探しはたいへんだったし、先行研究の分析も難航した。
 というのも先行研究は、かなりまた絞り込んだ内容だったので、
 「これじゃあ、書きたいことの半分も表現できない。」
 と思ったからだ。まあ、それは若気の至りだったが。)
およそ噂で聞くアメリカの比ではない、と思う。
こんなノーテンキなのは自分だけか、と心配だったので、
隣の研究室の人と付き合ってみると、みんな似たり寄ったり。
全員異苦同音に「将来への不安」を口にするが、
「大学教授になる野望」を持つ者もいて、
「そんなテーマの研究で、
 大学の先生になれる要件を満たす、研究論文が書けるのか」
と、たまの酒の席では口論になったこともある。
ノーテンキだよなあ。

これで国際競争に勝つ研究者になれるのか?
隣の研究室の博士課程の人を見て、
「おい、大丈夫か?」
と思うこともあった。
これも噂の域を出ないが、
リストカットしたりや新興宗教に入ったり人もいたと聞いた。
ノーテンキか強迫神経症か。
また一方で、寛容な日本の大学だからこそ、育つものもあるだろう。
「企業が博士課程修了者の1%しか採用してない」という評もあったが、
それはそうだろう。
アメリカの施策がそのまま適用できるような、大学院の風土なのか。

真面目に勉強さえしていれば博士になれる、というのは言い過ぎだ。
もちろん、
真面目に勉強している人が何かを達成できる世間であってほしいが、
視野の狭い、あるいは器量の小さい人間が
あまり高いステージにたってもらっては市井の人間が困る。

長くなったので結論。
研究をないがしろにするような政策は困るが、
増えすぎたポスドクを一律に救済するような施策も問題あるだろう。
適材適所。
大学の研究室に閉じこもらずに、自分を活かせる職場を見つけ、
そこで自分を磨こう。
それにしても、大学を増やしたり、大学院を増やしたり。
また法科大学院も。
見通しの甘い、現実的でない施策が目立つのは気のせいか。
「ロベルト君、君はこの後、どうするんだい?」
「まあ、どこか良い私立学校の教員になります。」
「君は発想がユニークだし、よく本を読んでいるので視野も広い。
 知識の吸収力があるから研究者を目指してもいいね。」
「ああ、ありがとうございます。」
と大学院の先生に言われたことがある。

また別の教授(文系。地方の他大学の先生)の先生には、
「ロベルト君、君ちょっと、M1からうちの大学に入り直さないか?」
「えっ。はああ。
 ちょっと、考えさせてください。」

これは紆余曲折して私の担当教官の耳に入ることになった。
普段は寛容な私の先生もちょっとおもしろくなかったようで、
「ふん。それはロベルト君、君自身が決めることだ。」

正直、迷った。
また別の地に引越し、新たな学問(文系)を一からやり直すのか。
「5年しっかり勉強すれば芽が出る。」
というが、文系の大学院に進んで職はあるのか?
大学院のドクターコースを出て、大学の専任講師になるには、
かなりの年数、非常勤講師などで食いつながないといけないと聞いた。

先日の報道によると、博士課程修了者の就職状況がよくない、とあった。
とくに文系のドクターは厳しいと。
ちょっとゾッとするところがあった。
「もしあのとき、思いきって踏み出していたら、どうなっていただろうか?」

私の先生はこう助言してくれた。
「その分野で日本で5年研究しても、すぐには就職できないよ。
 就職を考えるだったら、いまのテーマで博士課程も進んだ方がいい。
 むしろ研究職で行きたいのなら、
 アメリカに留学してPh.Dをとってきた方が話は早い。
 君がよく読んでる論文の執筆者のいるUCバークレーがいいだろう。
 でも、就職で最後にものを言うのはコネ。
 誰に紹介状を書いてもらうかで、職が決まることもある。
 自分の将来、しっかり考えてな。」
(これからしばらく、UCバークレーへはどうやったら、
 お金もかからず留学できるのか、検討してみた。)

それにしても、やはり私の先生は寛容だ。
付き人ではないが、先生から学ぼうと頻繁に研究室にいたので、
先生に紹介状を書いてもらった人を数人見たことがある。
中には、実は隣の部屋の教授のゼミの出身者もいた。
「こんな紙切れ一枚で、有望な若手の職の道が開けるなら、
 僕は何枚でも書くよ。」

とりあえず僕は、あのお誘いには丁重にお断りを申し上げた。
「東京で勉強してきたいと思います。」
ちょっとこの言い方はしゃくに障ったようで、
「東京でしか勉強できないということはない。」
といわれました。
「いや、私立中学・高校の非常勤講師をしながら、
 教職か研究職か、どっちに適正があるか見定めたいと思います。
 身動きがとりやすい東京にいます。」
「そうか。それならわかる。」
わかってもらえたようだった。

私の先生には、
「とりあえず、このテーマで修士論文は書きます。
 論文を書いてみたいので、マスター(修士課程)は2年で終了します。
 いま非常勤で勤めてる私立学校はとても勉強になります。
 ここで数年、非常勤講師を勤められれば、と思っています。
 それで、とりあえずドクター(博士課程)にあがります。
 D1かD2で、自分自身で将来性を感じなかったら、
 研究職でなく教職に就きます。
 大学でなくて、教員でも研究はできそうです。
 とくにいまの職場にはそういう雰囲気があります。」
先生は笑って言った。
「そう。学校の先生になったからって研究が出来ないわけではない。
 まして君のテーマは。
 そうするといい。現場に行け。
 可能性を広げるとよい。博士課程についてもね。」

当時は大学院拡充政策の時期。
枠が広がり、僕自身も舞い上がっていた。
冷静に考えれば、大学に閉じこもってばかりいては就職は難しい。
私の先生のアドバイスは適切だった。
「現場に行け!」
ドラマ「踊る捜査線」ではないが、教育の研究は現場の方がよくわかる。
おぼれそうだけど。

今年のサッカー欧州選手権で久しぶりにドイツが優勝候補になった。
2002、2006のワールドカップでも
それぞれ準優勝、ベスト4と成績を残しているので、
当然と思われる人が多いかもしれないが、
実は4年前の欧州選手権では、ドイツは予選リーグで敗退している。
その前後、ドイツのサッカーは一時期低迷していた。
理由は、「オーバーコーチング」にあるとされた。
「育成段階の小学生・中学生の頃から、
 各サッカーチームは勝利を目指すために、
 ボールを器用な扱える選手より、身体が大きくて足の速い選手を重宝した。
 その結果、高校生(ユース)年代までに、
 からだが小さくても上手な選手は淘汰され、
 不器用でも体が大きく足が速い選手ばかりが
 強豪チームに集まるようになった。
 そこでコーチは選手達に
 『こういうときはこうしろ』
 と頭ごなしに教えた。
 しかし、サッカーのゴールは
 創造力と卓越した技術を発揮して生まれるもの。
 教えすぎで育てられた不器用な選手からはゴールは生まれない。
 ゴールが生まれなければ、試合に勝利することは出来ない。」
そこでドイツは国(サッカー協会)主導で、サッカーの現代化を図った。
その結果の優勝候補の呼び声である。

翻って、本校の数学の授業について。

補習が終わった。
ほんの数日の補習で、
数学の成績が芳しくない子が抜群の成績になるなんて、
そんなことがあり得るだろうか?
しかしながら、保護者と面談していると、
「夏休みの補習には出たんですけどねぇ…。」
と、こっちの指導力不足を成績不振の理由にされることもある。
いつもの「授業のリピート」の補習ではなく、
彼らが勉強したくなり、
抜本的に『学習観が変わる』補習が出来ないものだろうか?
そうずっと考えて、それを実践した。

それは「教えない」こと。
教えて、「こうすればいい」というようには語らないこと。
もっと過激に言えば、黒板に数式を書くことをしない。
黒板に書くことは、
「勉強することは自分のためになるんだ」
というようなポジティブなことだけ。
話すことも、
「自分が中学生だったとき、どんな風に数学を感じ、
 どうして自分が数学を勉強しようと思ったか。」
なんてことばっかり。
彼らの目線と同じ頃を思いだして見た。

プリントを数種類用意してみた。
手探りでこれを実践してみた。
毎回、ミニテストを実施。
テスト実施後、プリント配布。計算練習。
こっちはその間、ミニテストの採点。
採点終了後、不合格者にはまちがった問題の自己添削をさせる。
計算プリントについても解答を配布。
詳解はつけてない。自分で添削し、正答を得る方法を考える。
それぞれ引っ掛かるところは私に質問してよい。
それぞれ各種プリントは終了後提出。
回収した私は、補習後、それぞれのプリントの出来具合を確認。
生徒には、帰宅してもまた勉強が出来るように同じプリントを配布。
「明日、この問題の中からテストに出すぞ。」
テストには、途中の計算を必ず書くように指示。
「過程が大事。」
それを繰り返す。
途中質問に来た子に、「ここが違う。こうなるだろ。」
と教えてあげた。
席への帰り際ぼそっと、その子が隣の席の生徒につぶやくのが聞こえた。
「ロベルト先生、わかりやすい。」
正直うれしいが、事実はそうではない。
君が数日、この教室に通って、こういう補習を繰り返すことで、
「文字式の計算はこうすればいい」ということがわかりかけていたんだ、
その最後の一押しを僕がしただけ。

教育原理という教育の理論の言葉に、
「レディネス」という言葉がある。
「準備する=ready」の名詞形を意識した造語であったと、記憶している。
学生の頃、この「教育原理」の授業が嫌いでしかたなかった。
まったく何を言っているのかわからなかった。
熱心な講師が、熱く、教育愛について語っているように見え、
失礼ながら、「現実的でないね」とタカをくくっていた。
今頃になって、この辺りの言葉の重さを感じている。
彼らが理解できるのは、彼らの中に「レディネス」が出来たから。
成長段階・発育段階に即した方法でタイムリーに教えなくては?
たしか、小平邦彦さんも何か本の中でそう言っていた。
「生徒の理解度を無視して、過度に論理的に教える必要はない。」

1990年台前半、アメリカの算数教育の研究者マーガレット・ランパードが、
教室で児童が算数を理解していく授業の様子を叙述する、
という研究手法を発表した。
これは、
それまでの心理学的(ほとんど統計学)な教育評価・教育方法の研究手法で
いったい何が検証され、なにがわかるのか、
ということに気づいていた人たちから、
一躍脚光を浴びることになった(と記憶している)。
当時、M1だった私は、この話を聞き、
このエスノメソトロジカル研究をしている
アメリカの算数・数学教育の研究者の論文を探すために、
東京中の大学の図書館を歩いた。
「コグニション&イストラクション(認知と教授)」という雑誌。
(この雑誌は東大の教育学部図書館にたくさんあった。)
認知の社会的構成という考え方。


大学で勉強したことが今頃、役に立っている。
やはり理論は必要だ。
いや理論に裏付けられた自信に満ちた方法論というべきか。
「彼らが自己教育力を育むことできるような補習」
また、何かに一歩近づいた。
また、何の罪もない市民が通り魔の犠牲になった。
被害者の方の冥福を祈る。
ところで、あの報道も何だ!
「仕事がうまくいかなかったので、人を殺した。
 誰でも良かった。」

「仕事がうまくいかなかった」ということが人を殺す理由になるのか!
理由にもならないことをおもんぱかって、
(行間を読みとって)記事にするとはどういうことだ。
想像するに、
「仕事がうまくいかなかったのでイライラしていた。
 イライラしたので、『場当たり的に暴力を振るいたくなった』。
 その結果として人が死ぬことになってもかまわなかった。
 その後の自分の人生がどうなってもよかった。」
ということなのだろう。
しかし、そうであっても納得はいかない。

仕事が上手くいかないからと言って、
場当たり的に暴力を振るっては困る。
自分が被害者にだったとしたら、どうなのだろう?
そんな想像力も働かないのか?
いや、そもそも「仕事がうまくいかないこと」は誰にでもある。
そんなストレスを「他者への暴力」として表す、
それで致命傷受ける人がいる、ということが
「そういう意味です。そう読みとりましょう。」と思える報道
というのはいかがなものか。

「最近、通り魔事件が増えましたね」という姿勢の記事にも腹が立つ。
そんなのは絶対に許せないんだ、
本人だけじゃなく、生育責任者にも事件の責任はあるだろう、
といった報道ではないのか?
現在の雇用状況とか社会的背景とか、
妙に事件の背景を理解してあげるような論調が目立つ。
ちがうだろ!
他者に刃物を向けるというのは、
平和な日本においては異常な行動だろう!
誰にも他人の生命を奪う権利はない。
そんな当たり前のことが、軽く踏みにじられるなんて。

理由のない殺人に、理由があるように書くな。
理由にならないことを理由になるように書くな。
道理(理屈)になっていない。
報道機関としてどういう姿勢で社会に相対している!
もっと表現を考えろ。
最近は数学の話題でなく、
「世間」や「教育一般」のコラムばかりになっているので、
今回はこのブログの主旨である、数学の授業について。

現在は補習中です。
守秘義務が発生するので報告は難しいですが、
まあ簡単に言うと、
1学期の数学の成績が芳しくない生徒を呼んで数日、
数学の授業をします。
心掛けたのは、「怒らないこと」。
ただでさえ学校へ呼び出しで凹んでいる彼ら。
またほんの数日、数時間ずつ補習したところで、
何か劇的に成績が上向くなんてことがあるだろうか?

7月の頭から、移動教室「登山」の準備と平行して、
ずっとこの補習が実のあるものとなるように考えていた。
どんな教材を用意し、どう伝えれば、
彼らの学習観が変わり、自発的に勉強するようになるのか?

「勉強は、自分でするのもの。自分のために。」
教室いっぱいに入った生徒にまず言ったことはこれです。
計算プリントを配布しました。
「途中の計算は必ず書こう。間違えた問題は解き直そう。」

数学の勉強をしたことをある人なら当然だと思うことですが、
受験塾や過保護な親に手厚くされてきた生徒はこれが出来ません。
またいくつの塾では、
知識・技術を消費するように大量の計算プリントを配り、
計算を間違えても、「どこをどのように間違えたか」なんてことを反省させず、
計算ミスが減るまでまた別のプリント配り続けるとか。
とにかくプリントやらせ、その提出の報告を母親にさせる。
そういう相互通信で、保護者の不安を解消する、とか。

私はまったく逆の手法をとりました。
学校にいる時間に、出来るだけのことをする。
計算、自己採点、解き直し。
そのプリントは回収しました。
こちらの意図したことが出来ているかどうかを確認するために。
彼らには、同じプリントと解答例を配って、
「復習するように」と伝えました。
翌日の最初は、まずそのプリントから同一の計算問題のミニテスト。

彼のレディネスが出来てきたようです。
彼の学習観が変わってきたようです。
これがチャンスか。
それにしても暑いですね。
天気予報には、「最高気温35℃」の表示が乱発されています。
暑いですが、本校は補習期間、「数学チャレンジ教室」。
エアコンが効いているので室内は快適ですが、
ネーミングのわりには生徒は苦悶の表情。
教える側も忍耐。
クーラーがなければお互い暴動を起こしそうな勢いです。
(冗談です。それなりに楽しくやっています。)

暴動と言えば、オリンピックを控えた隣国は大変そうですね。
なんでもテニス大会会場に、国旗掲揚の装置を付け忘れたのが
いまごろ発覚したとか。関係者によると、
「以前に気づいた人がいたに違いないが、
 ○○が怖くて申告できなったのだろう」と。
やはり自由に声を発することが出来ないというのは、問題を抱えますね。

でも東北アジア全般に「人権意識の低さ」というのは言えるそうです。
NHKのドラマ「おしん」が海外で好評という話もありましたが、
(どこの国に行ってきた人だったか忘れましたが)
そのドラマにおける主人公の人権無視のシナリオが不快だ、
と猛抗議を受けたと言っていた人がいました。
また別の隣国の抑圧された体制への批判のニュースや記事を見かけますが、
じゃあ日本はどうなのか、と思うことは近所でも新聞記事でも
頻繁に考えさせられます。

ところで、地方発の「教育に関する問題」ですが、
いったい誰がどんな目的で漏洩しているのか、ということを
以前、全国的に問題になった「世界史の単位未習得問題」のときから考えてました。
前回はたしか富山県発。今回も、都市圏や首都圏でなく九州・大分。
おそらく、推測の域を出ませんが似たような状況は、都市圏でもあるでしょう。
でも、問題は地方発。
謎は深まるばかりですが、
今日のニュース(NHKではない)のコメンテーターの発言を聞いて、ハッとしました。
「教育委員会の制度は見直した方がいいですね。」
なるほど、そういうことか。
教育委員会制度が機能してるかどうかは別にして、
たしかそれらは、行政から独立した機関として位置づけられているはず。
なるほど、「当局」の狙いは、教育委員会の既得権の剥奪か?
道州制導入と同時に既存の面倒なシステム・組織を精選する狙い?
また、来年当たり、地方の教育問題(教育委員会絡みの問題)が取り上げられるでしょう。
(まさか、このブログも摘発・削除?)

言論の自由を尊重してほしいですね。
そうか、そうなのか。メディアの報道によって、
こんなにも教員採用試験が注目されて初めて、
その非・公正明大さが知らしめられるとは。

採用試験の内容が非公表であることは、教職希望者には有名なことでした。
それでも、一般の書店で採用試験対策の問題集が販売されているわけですから、
予備校の先生が大学入試センター試験を受けることで速報がネットに流れるように、
採用試験対策問題集の出版社の社員が採用試験に潜り込んで試験を受け、
その記憶を元に採用試験対策問題集が作られていることは、
私個人としては、当然かつ有名なことと思っていました。

学生当時、「なぜ試験問題まで回収されるのか?」と思いました。
大学入試や高校入試で、試験問題が回収されるなんてことはありませんでしたから。
当時の友人に聞いたとき、
「多くの人に見られると困るからだろ?」と答えました。
「へぇ~」で終わりました。

一般の方々に知られていないようですが、
教員採用試験対策の月刊誌というのもあります。
それを数ヶ月ほど購入すれば、
教員採用試験の全容はわかります。

大学生の頃は誰しも、非社会的な生活を送っていますから、
就職活動や採用試験の準備をするにあたり、
社会に適合しようと勤めます。
それが普通の大学生だと思います。
「こういうふうになっています。」と言われれば、
「そうなのか」と思い、
それに適応できるように自分の心も姿も変えるしかありません。

私も学部4年のとき、地元・地方自治体の教員採用試験に応募しました。
書類は、直接手渡しでした。
大学の試験期間の最中、地元に戻り、
これまたへんぴなところにある教育委員会の事務所に
持って行かなければなりません。
「めんどうくせぇ。郵送じゃあ、なんでダメなんだろう?」
と思いましたが、それはあとでわかることになります。
その書類提出の日、
私は例によってオレンジのポロシャツにハーフパンツ、
リュックからでた耳元に届くウォークマンのヘッドホンという出で立ちで、
その事務所に向かいました。7月の上旬の暑い日でした。

実家から非常に遠い場所にあり(最寄り駅からも20分)、
また県庁所在地からも1時間かかるところにその建物はありました。
ついてビックリ!
その受付に来た受験生と思われる方々が数名並んでました。
みんな紺色のスーツを着ていました。
「しまった!」
しかしいまさら実家に戻ったことろでスーツは持って帰ってません。
とにかく並んで書類を提出しました。
5名ほどでしょうか、職員の人の数は。
書類を出し、手続きはほんの数秒でおわりました。
「ごくろさまでした」
と言われましたが、その並んだ受験生の中で僕の服装は異様でした。
心なしか、職員の方々の目が冷たかった気がします。
仕方ありません。
そういう服のセンスですし、その日は暑かったから。
あの日に上下スーツを着てくるなんて信じられません。
気がふれているに違いありません。

「○○県の中学教員。募集人数は若干名。」

「これは落ちたな。なるほど、受験生本人が持参の理由がわかった。」
ただでさえ、1次試験の問題の対策をする気が起きないのに、
まして、すでに不合格候補では…。
「どうして1次試験対策の勉強に身が入らないのか!」
と母にも質問されましたが、
「それは問題見ればわかる。
 こんな設問に答える気にはなれない。」
と小さな声で言いました。
デューイがどうしたとか、
ペスタロッチの教育理念がどうとか、ならまだ良い方です。
ベトナムの首都とか県の花とか鳥とか。
どうしてこういう問題にマークシート形式で答えなければいけないのか?
こんなことで、教員としての資質のなにがわかるというのか?

それでも試験前は、仕方ないので対策問題集を開きます。
でも、30分もすればそのナ○セ○スさに飽きてしまいます。
「俺っておかしいのか?」
優秀な友人に電話などで愚痴ってみますが、
「そういうもんでしょ。じゃあ頑張って。俺も追い込みだから。」
予備校などで対策講習を受けた友人は、
社会に適合しようとしない私に冷たいです。
結果は明らかでした。
以前、このブログに書いたように、
私は地元の公立学校の教員になるのを諦めました。

当時、同じ頃に出身高校の恩師に
「おまえは高校の数学教員になれ!」
と言われたので、考え直すところもありました。
「どうして中学教員採用試験を受けるのか?」
という恩師の質問には、
「中学の幾何の証明を教えたいからです。
 あそこに数学のエッセンスがある気がするからです。」
と答えました。でも恩師は、
「幾何も大事だが、微分積分も教えなければならないんだぞ。」
と言ったような気がします。
私もこの恩師に微分積分を習ったので、数学が好きになったところがあったし、
この先生も私が微分積分を熱心に勉強したのを覚えていたのでしょう。
教育実習の終わりぎわのことでした。
半ば、説得されたような気がしました。
「幾何も微分積分も教えたいです。
 また、この母校にも帰ってきたいです。
 でも僕は、ある1つの学校に骨を埋めたいのです。」
もう、答えは出ていました。
1990年前半のその年、僕は
「私立の中高一貫の学校の先生になるつもりです。」
とお世話になった先生に言いました。
恩師は少し寂しそうな顔をしましたが、
「そうか、中高一貫か。それならおまえの考えが実現できるな。
 おまえは俺の後輩だから。
 おまえがどこかで数学を教えてくれればそれでいい。
 大学院へいくのか。
 そうだな、もっと数学を勉強しろ。
 正直、大学時代、数学を勉強していないだろ。
 もっと数学を勉強しろ。
 大学には○○先生がいるだろ。あの先生は素晴らしい。
 しっかり勉強してこい。
 もう、この学校に戻ってこなくていいから。」

地方自治体の教員採用試験の資料を集めるのはやめました。
また社会的にも新卒の就職が厳しい時期(就職氷河期)でした。
実家は米作農家でコネもないし、不合理な試験を受ける意志もない。
大学院で数学や数学教育論を学んで、
非常勤教師で経験を積んで、希望の私立学校の採用試験を受ける。
これが俺の生きる道。

話がまた、自分の昔話になってしまいましたがあらためて、
各地方自治体の教員採用試験の非・公正明大さが明らかになって、
ホッとするやら、情けないやら。
またこんな倍率でありながら、「優秀な人材」は採用できてないようで、
M教○や、すぐにやめてしまう新○教師はたくさんいるようです。
(また敵を増やすようで申し訳ないところもありますが、それでも)
ちゃんと採用しているのでしょうか、優秀な人材を。
これだけ学校現場が荒廃しているのには、
行政ももちろんですが、教員の採用・育成にも問題があるのではないでしょうか?

また今回、大分県が話題に上がったのは、
もしかして、またしてもスケープゴート?
世界史の未履修問題もそうですが、
地方からこの手の問題が発信されることに、
なにか悪意を感じるのは私だけでしょうか?

ごぶさたをしています、ロベルトです。
というのも、この数日、林間学校で登山をしてきました。
このあとの補習を終えれば、1学期も終業です。
本校は6年一貫教育ですから、われわれ担任は、
プロジェクトの1/18を終えたことになります。

林間学校の帰り道、資料館の見学の際、
その付近の見回りをしていました。
まだまだ時間があったので、
多くの一般のお客さんが流れてくる道の方へ行ってみました。
そこには大きな池と桟橋、そして涼む場所がありました。
その先には田園地帯、さらにその奥には湖が広がっていました。

田んぼの稲は、もうかなり成長しています。
膝の高さぐらいはあるでしょうか?
じつは、私の実家も稲作農家です。
(母と兄が細々と営んでいます。)
田園の風景は、そんな郷愁の気持ちをわき上がらせます。

私の近くに生徒が寄ってきました。
私がこれくらいのころは、
夏と言えば釣り(川魚釣り)に明け暮れていたような…。
彼らは数学に限らず、理科や社会科で、
公立学校の生徒が習うこと以上の多くのことを学んでいます。
自分がボーっと過ごしていたことと比較して、
この子たちは、幸なのか不幸なのか。

おそらく生家の空にもつながっている青い空を見て、
ちょっとそう思いました。
(でも、数学の難問が解けることは、そんなに悪いことではないよな)

バスに乗りこみました。
帰り道のバスの中では、係の生徒が作ってきた音楽テープを聴きました。
「えっ、テープ!」
と思った人もいると思いますが、
まだまだバスにはCD再生機とか、DVD再生機(ましてiPod)なんて
積んでいないので、このテープ作成も一苦労だったでしょう。

懐かしいメロディーが流れてきました。
尾崎豊のアイラブユー、
ボウイやサザンの唄。
この企画は別の先生のものです。
彼らの音楽の幅を広げるのが目的とか。
もちろん、ビートルズの曲もありました。

僕は楽器が弾けません。
歌も音痴ですから、人前で歌うのははばかれます。
音楽のことなんて…。
まあでも、良い曲はわかります。
時代を越えて伝わる流行歌なんてのもあるでしょう。
良い曲、たとえばサザンのtsunamiなんて曲は、
クラスのみんなが口ずさんでました。

自分自身の貧困な音楽観を省みて、
生徒たちはこの夏休みを、
「自分の音楽の幅を広げる」という点で過ごしても良いかなあ、
と思いました。
いまと比べて比較的時間のあった大学生時代は、
オートバイに関心を持ち、購入し、
生活のほとんどをローン返済のためのバイトに明け暮れました。

もしそうでなくて、当時親しかった友人のように、
ギターを片手に過ごしていたら、
もうちょっとキャンプファイヤーのときも、
格好良く、生徒から人気がある教師でいられたかもしれません。

たおやかに流れる時間の中で、
自分の中の音楽を見つめるのも1つのあり方かな、
と思った今日でした。
妻もブログを複数書いています。
それが理由かわかりませんが、パソコンの動作が遅くて、遅くて。
思いきって、パソコンにインストールしてあるソフトで、
使用頻度の低いものを削除することにしました。

ほんと、知らず知らずのうちに、
画面にいくつのもショートカットがありました。
○ーテックの廉価版パソコンとはいえ、
職場で使っているパソコンより5年は新しく、
能力は飛躍的に高いはず。
何が動作を重くしているのか。

Web作業のためのタグは全部削除しました。
OfficeXPでさえ、一度削除しました。
家で使うのはWordとExcelだけ。
職場で重宝している○研出版の○ダディエイドも削除しました。

うーん、まだまだ重い。
重い原因はこれだよな。
実際必要なのか?
WindowsXPもSP3までダウンロードできるよな。
ウィルス対策も万全だよな?

○ートン・インターネット・セキュリティ。
思いきって全削除。
助かった?ことはあったのか。
明らかに動作が遅い原因であった。
しかし画面もそうだが、
どうもXPに馴染んでいるとは思えない動作。
もはや家庭ののパソコンはWebマシン。
それを考えると、ウィルス対策は必要だが、
日々のストレスを考えると。
とにかく、これでクリーンナップ完了。

おお、6GBも空き容量が増えた。
画面もスッキリ。
エクスプローラもアウトルックエクスプレスもサクサク動く。
これまでの重い動作は何だったのか。

人間と一緒で、知らず知らずのうちにため込んだ脂肪。
それで動作が遅くなったのか。
ああ、廉価版とはいえここまでサクサク動いてくれると嬉しい。
ドンドン、めくるぞ。

じつは私本人もクリーンナップが必要。
今年の健康診断の結果は、
尿酸値が高い。痛風罹患の可能性あり。
医者の診断を仰ぎ。薬を飲んでいます。尿酸値を下げる薬。
心なしか、尿の色が濃いです。
もうすぐ終業日。
この多忙もあと少し。
(夏休みは体脂肪のクリーンナップもしよう。)
とりあえず毎朝、ミネラルウォーター飲んで、
薬を飲んで、尿酸を排出、排出。
サクサク動かねば。