「ロベルト君、君はこの後、どうするんだい?」
「まあ、どこか良い私立学校の教員になります。」
「君は発想がユニークだし、よく本を読んでいるので視野も広い。
 知識の吸収力があるから研究者を目指してもいいね。」
「ああ、ありがとうございます。」
と大学院の先生に言われたことがある。

また別の教授(文系。地方の他大学の先生)の先生には、
「ロベルト君、君ちょっと、M1からうちの大学に入り直さないか?」
「えっ。はああ。
 ちょっと、考えさせてください。」

これは紆余曲折して私の担当教官の耳に入ることになった。
普段は寛容な私の先生もちょっとおもしろくなかったようで、
「ふん。それはロベルト君、君自身が決めることだ。」

正直、迷った。
また別の地に引越し、新たな学問(文系)を一からやり直すのか。
「5年しっかり勉強すれば芽が出る。」
というが、文系の大学院に進んで職はあるのか?
大学院のドクターコースを出て、大学の専任講師になるには、
かなりの年数、非常勤講師などで食いつながないといけないと聞いた。

先日の報道によると、博士課程修了者の就職状況がよくない、とあった。
とくに文系のドクターは厳しいと。
ちょっとゾッとするところがあった。
「もしあのとき、思いきって踏み出していたら、どうなっていただろうか?」

私の先生はこう助言してくれた。
「その分野で日本で5年研究しても、すぐには就職できないよ。
 就職を考えるだったら、いまのテーマで博士課程も進んだ方がいい。
 むしろ研究職で行きたいのなら、
 アメリカに留学してPh.Dをとってきた方が話は早い。
 君がよく読んでる論文の執筆者のいるUCバークレーがいいだろう。
 でも、就職で最後にものを言うのはコネ。
 誰に紹介状を書いてもらうかで、職が決まることもある。
 自分の将来、しっかり考えてな。」
(これからしばらく、UCバークレーへはどうやったら、
 お金もかからず留学できるのか、検討してみた。)

それにしても、やはり私の先生は寛容だ。
付き人ではないが、先生から学ぼうと頻繁に研究室にいたので、
先生に紹介状を書いてもらった人を数人見たことがある。
中には、実は隣の部屋の教授のゼミの出身者もいた。
「こんな紙切れ一枚で、有望な若手の職の道が開けるなら、
 僕は何枚でも書くよ。」

とりあえず僕は、あのお誘いには丁重にお断りを申し上げた。
「東京で勉強してきたいと思います。」
ちょっとこの言い方はしゃくに障ったようで、
「東京でしか勉強できないということはない。」
といわれました。
「いや、私立中学・高校の非常勤講師をしながら、
 教職か研究職か、どっちに適正があるか見定めたいと思います。
 身動きがとりやすい東京にいます。」
「そうか。それならわかる。」
わかってもらえたようだった。

私の先生には、
「とりあえず、このテーマで修士論文は書きます。
 論文を書いてみたいので、マスター(修士課程)は2年で終了します。
 いま非常勤で勤めてる私立学校はとても勉強になります。
 ここで数年、非常勤講師を勤められれば、と思っています。
 それで、とりあえずドクター(博士課程)にあがります。
 D1かD2で、自分自身で将来性を感じなかったら、
 研究職でなく教職に就きます。
 大学でなくて、教員でも研究はできそうです。
 とくにいまの職場にはそういう雰囲気があります。」
先生は笑って言った。
「そう。学校の先生になったからって研究が出来ないわけではない。
 まして君のテーマは。
 そうするといい。現場に行け。
 可能性を広げるとよい。博士課程についてもね。」

当時は大学院拡充政策の時期。
枠が広がり、僕自身も舞い上がっていた。
冷静に考えれば、大学に閉じこもってばかりいては就職は難しい。
私の先生のアドバイスは適切だった。
「現場に行け!」
ドラマ「踊る捜査線」ではないが、教育の研究は現場の方がよくわかる。
おぼれそうだけど。