先日、息子の通うサッカー教室で
「夏休みのスペシャル練習会」がありました。
私も都合が合ったので、見学に行きました。
この暑いのに、子どもも保護者も熱心なこと。
子どものプレーをビデオ撮影し、すぐさまチェックし、
アドバイスをしている保護者もいらっしゃいました。
約1時間のプログラムを数日だけの集中トレーニング。

私も部活動でサッカーをしていましたので、
熱くなる気持ちもトレーニングの意図などもわかります。
素晴らしいですね。
何がって、まず練習メニューが。
「技術を育む。個人を育てる。」と方針を書いたプログラム。
そうですよ、「個の育成」。
どんなに我慢させて、大人受けする集団をつくっても、
それでは創造的な社会は生まれない。
1人ひとりの技術と心を育てること。
クラスの中の、1人ひとりを育てること。
それが教育。
ああ、話がそれました。

素晴らしいのは、指導者の姿勢も。
目線を合わせ、指示は短く。
実際にプレーさせて、具体的な注意。
声の掛けかもタイムリー。
あれはテンションもあがる。
「楽しいだろうなあ。」

環境もいいです。
最近、郊外に増えてきたフットサル場を短時間借り切って実施。
スタッフも複数。
人工芝グランドは転んでも痛くないし、
服も汚れないからお母さんも安心。

数学の指導に通ずるものがあります。
「Make your Move」ならぬ
「Make your mathemathical Creativity」
個を育てること。
文部官僚の言葉のリフレインで荒れた心に、一服の清涼剤。
やはり、現場には現場の知がある。
そう、「現場の知」。
それを思い知れ、文部官僚。
先日の日数教のシンポジウムのことを、たびたび思いだしている。
パネラーの方は、
小・中・大学の数学の先生、教育委員会の人、文部科学省の人、だった。
新指導要領が発表され間もないので、
フロアからの質問はやはり、指導要領に関するものが多く、
文部科学省の方が返答することが多かった。

シンポジウムが終わり帰ろうとするとき、
一緒にいていた同僚が、
「ロベルトさん、文部省の方の言ってること、わかりますか?」
と聞いていた。
「何をイメージしているかは想像がつくが、
 あの人は数学を軽視しているね。
 芸術って言葉も質問者から出てきたが、多分、その真意は理解できないよ。
 あくまで中央官庁のつくった観念論が
 どれだけ現実と、また理念として整合性があるかアピールしたいだけ何でしょ。
 解説書を読んで下さい、とか、解説書を買う義務があるとか言っていたけど、
 まあ要するに、指導要領読んだだけでは何もわからないということでしょ。
 読んでわからないものをつくっておいて、
 『あなたたち、もっと勉強して下さい』っていうのはないよね。」
「何を言ってるか分からないのは、職場の○○さんと同じ感じだったよ。」
「○○さんもそうだけど、
 他の人と理想とかあるべき姿とかが共有できていないのに、
 『だってさあ、論理的にはこうでしょ。わからないの、バカじゃない?』
 その、『だって~だから』の部分が共有できてないのに、
 記号論理で、自動的にこうなるって言われても、
 生徒を目の前にして、記号論理も何もないよね。
 実際、生徒はあの人のいうこと聞かないし。
 だいたい、『ソノ、だって~』の部分も何言ってるか、わからないし。
 ああ、こういってると○○さんと文部省の方、似てますね。」
「描いているイメージが、まったく違うんだねえ。
 官僚ってのはみんな、ああなんですかねぇ。」
「数学、習ったことあるのかなあ。
 ずいぶんと貧困なイメージだよね?」
「それにしても、○○さんみたいな人、多いんだね。」
「観念の中で生きてる人でしょ。あとオープンマインドじゃない人。
 自分が頭良いと思ってる人。多いでしょ。
 私もそういうところあるし。」
「ロベルトさんは違うよ。生徒にも人気あるし。
 じゃあ、この辺で。私はもう少し郡山の街を楽しんで行きます。」
「それでは、また。」

ドラマ「踊る捜査線」を見てるようだった。
「○○は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ。」
教育というロマンスあふれるダイナミズムを、
つまらない私立中高一貫の卒業生の偏狭な教育観で、
論理的っぽく語られた指導要領なんかどおりに教えたくないよね。
数学はそんな安っぽく活用するものではない。
そんな数学観しか持たないから、
中学生は「数学つまらない」って言うんだよ。
数学の本質を知れ、文部官僚!

返す返すも、思い出すたびに怒りが涌いてきた。
公官庁で働いていると、ああいうことしか言えないのか。
傲慢な教育観だ。
だから、旧指導要領の反省があんなことになるんだ。
あれが反省か、ってんだ。
もうちょっと、現場の先生と数学をリスペクトしろ。
8/9、ロシアとグルジアが交戦状態になった。つまり、戦争が始まった。
この日は長崎に原爆が落とされた日で、
10数年前、偶然、原爆祈念日に居合わせた自分としては、
人間として、心を真っ白にするようにしている。
北京オリンピックも始まったその日に、戦争が始まるなんて。

そのロシアとグルジアのオリンピック代表選手が、
表彰台の上で方を抱き合っている写真を見た。
「戦争は政治家がはじめたもの。
 私たちの友情は変わらない。」
と語ったとか。

そうだよな。
戦争は、軍人とそれに近い政治家の都合で始まる。
そして肉親を殺されたりした、近親者の憎しみが争いを増幅させる。

日本はアメリカに原爆を落とされた。
原爆は非人道的兵器である。
被曝して遺伝子に傷を覆えば、その後遺症は後世にまで及ぶ。
非常に恐ろしい。
クラスター爆弾もひどいものだ。
イラク戦争で使われた劣化ウラン弾だってひどいものだ。
(それを日本政府は支援したのだから、私たちも同罪に近い。)
どうしてここまでひどい兵器が考えつくのか?
どんな精神性の人間がこのような兵器を作るのか?

実は、他人の国のこととは言えない。
日本軍が中国東北部の地中に埋めて逃げてきたというドラム缶の中には、
「生きて苦しむ毒」が詰まっているという。
現在この辺は、経済的発展を遂げ、
工場やその働き手の住むマンションを建設するるために地中を掘り起こしている。
その現場で働く人たちが毎日、被害にあっているという。
中国の新聞で、
「今日も日本軍の残した毒に○○人の方が被害に遭い、死傷しました。」
というニュースが記載されない日はない、と聞きました。

もちろん、日本でこの手のニュースが報道されることはほとんどありません。
隣の国の報道機関の隠蔽体質を避難している日本ですが、
民主主義、自由主義経済とはいいながら、
暗黙裏に情報統制・洗脳操作(プロパガンダ)をしているのは、
さして隣の国とは変わらないのでは、とも思うときがあります。
中国の南京で虐殺された現地の人の数も、
たしか原爆で亡くなった方の数とさして変わらなかったと記憶しています。
だから何?といわれそうですが、日本の兵隊も、
これでもかという非人道的な殺略をしたと、小学校のとき、新聞で読みました。
私の祖父の兄は、兵隊にとられ、戦地でなくなったと聞きました。
どこの戦地でどんな任務中、戦死したのかは聞きませんでしたが、
外国の方の命を殺めていないことと、小学生ながら、
初めて聞いたとき、祈りました。

学生時代、大学を辞めて、自衛隊に入隊しようかと考えていたことがあります。
余りにも情けない、弱い心の自分を鍛え直すのと同時に、
経済的に親から独立するために。
そんなとき、大学の講義をさぼってハリウッド映画を見てました。
トムクル-ズ主演の「ア・ヒュー・グッドメン」。
トムクルーズ演ずる弁護士は正義のもとに、
アメリカ軍隊の体質とその結果起きた殺人事件の真相を暴きますが、
それはハッピーエンドではありませんでした。
そこには戦争や人間の生死に隣り合う兵士の現実の精神性が表現されていました。
私はあらためて、自分の甘さを悔いました。
「戦争は人間の精神性や尊厳を破壊する。」
僕はどうあがいても、兵士にはなれません。
いや、なれないという自分で正しいと思っています。

しかしそのころ、
外国の軍隊の傭兵で暮らす日本人のドキュメントをTVで見ました。
「戦いたいと思っている自分に気がつき、
 徴兵制のない平和ボケした日本を飛び出した。」
というセリフが報道されました。
当時の日本(1995年頃)では、韓国の徴兵制にならい、
徴兵制導入の検討がマスコミで騒がれていた頃にあったTV番組です。
これもプロパガンダなのでしょう。
たしか徴兵制批判には映らなかったと、覚えています。
(そのメディアは、先日、「内閣支持率上昇で41%」と報道した、
 同じ報道ネットワークの番組だったと記憶しています。
 また最近、洗脳効果の疑惑を持つのは、
 先日ブログに書いたアイドルユニット「羞恥心」もメンバーに入った、
 統合ユニット「アラジン」の歌う「頑張れニッポン」という歌です。
 フジサンケイグループ、オリンピックの応援ソングに乗じて、
 国威発揚の歌を子どもに擦り込むつもりか、と斜に構えてしまいます。)

夏休みの夕方、飲んだビールの酔いが回ってきたのでしょうか?
とりとめのないことを書いてしまい、自分の信念を見失いそうです。

でもたった一つ、確かなことが。
自分の家族(とくに子ども)が愛おしいように、
隣の国の人を愛おしく思っている人がいます。
誰にも等しく与えらえた1つの命と生きる権利。
それを奪う権利は、政治家にも兵士にも、誰にもない。

戦争はやめて。
今日の朝日新聞でも、
「わが子はコネがないので教員採用が不利だった」
という記事が載っていた。
出自に寄らず、本人の能力次第で仕事が選べる、
職業選択の自由は憲法で保証された人権の一つではないのか?
まあ、教員に限らず、地方公務員でも
「コネか、金か」の話は有名らしいので、
その批判はこの程度にとどめておく。

私は不正はしない。

先日の、「わが子の大学進学に際しての杞憂」を調査していくうちに、
わかっていたとはいえ、
より鮮明になったのは、
「私立大学に進学できる」というのは、比較的裕福な層だということである。
かといって、国立大は…。

旧帝大といわれる有力国立大に進学できるのは、
これまた、私立中高一貫校に通った生徒が有利だろう。
もちろん、すべてそうではないが、教えてる内容の質と量に差はあるだろう。

うーん、不平等だなあ、世間って。
家庭の経済力や保護者の公教育への関心の高さによって、
子どもの進路は、子どもがその当該学年になって気づく前に、
大学進学かどうかは決まっているようだ。
もうすでに選別(セレクト)がされているのか、能力を計る以前に。
先日の研修での新幹線の中で、読売新聞を開くと
文系・理系の大学入試日程の一覧表が掲載されていた。
「そうだ、そんな時期だなあ。」
と思い、じっくり見ていた。
日本中の全部の大学が載っているわけではないが、
じーっと見ていた。

「あれ、慶應大がない?」
大昔の記憶では2/14は慶應大理工学部の入試だったような。
慶應大の日程は載っていなかった。
その後の朝日新聞には載っていたので、タイミングがずれたのか。
そうだよな、確かプロ野球のジャイアンツは慶應大贔屓。
慶應が載っていないのは、何かの間違いに違いない。

気になってきたので、宿泊先のビジネスホテルのネットで調べてみた。
高いなあ、私立大学の学費。
私も私立の中高一貫校に勤めているので、もちろん保護者には、
安くはない学費の納付を強いているわけだが、
それにしても私立理系大学の学費は高い。
いったい平均でいくらぐらいするのか、
それから各大学いくらするのか、これは調べねば。
というわけで、マイブームは
「きたるべきわが子の大学進学の際の学費調査とその杞憂」
である。

第1回の調査結果は、
「数学の学べる大学」である。
これは数学の教員免許を取得できる大学ではないのでご注意を。
数学科がなくても数学の教員免許を取得できる大学はありますが、
今回は、教員養成系か理学部や理学科のある大学だけです。
なんと、数学が学べる大学は全国で71大学だけ。
知らんかったあ。
そのうち私立大は31大学。
東京で数学が学べる大学は15大学。
そのうち私立大は11大学。

そうなのかあ、そう思えば、私も狭き門を通ってきたんだなあ。
数学を教えられる人って少ないんだなあ。
もう少し、自信を前面に出してやってもいいかな。

さあ、次はこれらの大学の学費の調査だな。
(第2回の調査が行われるかは未定です。
 あしからずご了承ください。)
先日、いま小中学生に大人気の男性アイドル・ユニット
「羞恥心」のドラマを鑑賞している。録画で、計3回目である。
これがよくできているのである。劇中劇。
いや、本当によくできている。おもしろい。
そういえば、最近はフジテレビの番組宣伝番組と仮している
朝のニュース番組「めざましテレビ」で、
このユニットの初ライブが盛況だった、というニュースを見た気がする。
それを思わず思いだしてしまう。もしかして、これホントの話?
なんてね。

(またキャスティングがいい!釈由美子がかわいい。)

話は変わるが、あの「めざましテレビ」の星占いはやめてほしい。
私の星座はいつも最下位だ。
最下位の次はトップ。最下位か、トップ。
そんな星占いはやめてほしい。
娘が小学校に通うようになって、星占いのなんたるかがわかりはじめた頃、
妻と娘と私で自分の星座のランキングを争うようになった。
これは楽しかったが、それにしても報道番組で星占いというのは…。
ましてそのあと北朝鮮の政治情勢とか中国の登録商標の話とか続くと…。
なんでも、あの星占いの「ムーンライトプリンセス」なる人物はいないとか。
じゃあ、あれウソじゃん。
(っていうか、あれを信じてる方がおかしい、と生徒に言われた。
 一応報道番組だろ。朝からエンターテイメント?ドッキリなの?)

というわけで、最近は「ズームイン」を見ています。
私は早起きなので、早朝からニュースを見ています。
やはり最近は、
フジテレビの女性キャスターのタイプがかなりしぼられていたので、
「ちょっと、これは…。」と、
ドン引き気味です。かといって、
とある人気タレントの二日酔いトークや、
野次馬根性丸出しのコメントには辟易するので、
そうなると朝見る報道番組は限られていきます(5:30~7:00)。
(朝食は娘と妻と一緒なので、テレビは消します。)

「あなた、最近、読売系?」
たまに読売新聞や週刊誌・読売ウィークリーを買ってきて、
朝、ズームインを見ているので、妻がそういいました。
「いやいや、そんなことはないよ。」
朝日新聞が家庭でも職場でもディファクト・スタンダード。
ただ、それ以外のニュースソースも気になるので読んでいるだけです。
あのオーナーの新聞ですから、それほど真に受けてはいられません。
(しかし、幼い頃は、正真正銘の巨人ファンでしたから。
 あまり偉そうなことは言えません。)

それにしても、このアイドル「羞恥心」の歌「羞恥心」は面白い。
真逆だよね、日本人の心性と。
娘もクイズ「ヘキサゴン」での、
このアイドルたちの珍解答を大笑いしているらしい。
この録画で見た、ドラマとは関係ないというクイズの場面で、
珍解答はホント面白い。
「これ、シナリオあるだろ!」
もし、ほんとうに本気でああ、答えてるとしたら、
この人たちは、素晴らしく賢い。
ニッポンの未来は明るい。
だって、こんなに素早く機転がきく若者がたくさんいるんだもの。
むちゃくちゃ機微が読めるんだろうなあ。

知り合いの人が言っていた(マスコミ関係)。
「テレビで成功する人は、ホント違うよ。
 テレビで面白い人は素でも面白い。次元が違うよ。」

ああなろうと思ってなれるものでもないのだろう。
でも、あの旬を大事にしてほしい、と思います。
若い頃成功すると、人間、傲慢になるから。

娘にはきつく言ってます。
「おバカタレントっていうな!」
今年の紅白歌合戦の出場は決まっただろうなあ。

(それにしても、このアメブロ、一番人気あるからはじめたが、
 アクセス数とかペタ数とか、ほんとなのか?
 たまに来るコメントも、ほとんど「迷惑メール」と同じ内容ではないか!
 ホントにこれだけのブログ書いている人がいるの?)
日本数学教育学会 第90回総会 
兼 第90回全国算数・数学教育研究(福島)大会
に行ってきました。
えーと、あと2つの大会を兼ねていますがそれは略します。
また、本校ではこの会のことを「日数教」と呼んでいますので、
これからは日数教と表現します。

前回、日数教に行ったのが長崎大会ですから、もう10数年ぶりになります。
あのころは、まだ私も大学院を出たばっかりだったので、
「何、数学教育?現場の先生はどんな研究をしてるんだ。」
と目を△にして聞き回って、ヘトヘトになりました。
「これで研究といえるのか!」
「なんと、こういう観点もあるのか。」
と賛否両論、ケンケンガクガクでしたが、
とにかく暑かったのはよく覚えています。

ケチをつけといてなんですが、当の私の方は、
「さあ、現場で研究するぞ。」
と勇んでいたものの、
クラブの指導やその他の多くの仕事で手いっぱいになってしまい、
探求心はすっかりどこかに行ってしまいました。
そのあと担任(6年間)にはいると、もう教材研究の自転車操業でした。
でも途中、数学史を研究したくなり、
専門書を少し集めましたが、またその心は風化してしまいました。

あらためて、今回はフル参加して、多くの先生方から、
熱意と探求心をわけてもらおうと、郡山まで行って来ました。

もう1人の同僚と行ったので、私は主に中学部会の方の話を聞くことにしました。
まず基調講演。
なかなかいいですね。
何がいいかというと、資料に科学哲学者B.ラッセルの引用がありました。
よく読むとこれは、「師範学校 数学教育」の史料でした。
いいなあ、この文章。
師範学校の先生方の熱意が、時を超えて伝わってきます。

中学部会講演では清水美憲筑波大学大学院准教授のお話(以下、清水教授)。
なんと同世代。
しかも話は、本人曰く「レトロ調」で「考える教育」。
新指導要領はさておいて、である。
しかも引用は、G.ポリア、A.H.ショーンフェルド。
おお、我が青春の「数学的問題解決」。
ああ、ショ-ンフェルドとM.ランパードの論文は読みまくったよ。
失礼ながら、話の展開はよめた。
これはショーンフェルドの数学教育観のお話ね。
清水教授のオリジナリティは、2つのメタ、かな。
なるほど、私も当時、ショーンフェルドの論文を読んだが、
メタを2つに分類することはできなかったよ。なるほど。
数学教員としてのメタ知識とメタ認知ということね。
しかし、ここで、この内容で講演とは。
ポリアはもとより、ショーンフェルドも全国区だね。
そりゃそうか。私がショーンフェルドの論文を読み始めたのも、
とある先生の引用があったからだもんね。
UCバークレー系の構成主義認知論。90年代前半の研究の再評価ですかね?

翌日、中学の研究部会。
やはり若い先生は、ちょっと大風呂敷を敷きすぎか?
また、
新指導要領のコンピテンシーとかリテラシーという新用語に、
引っ張られすぎた感のある研究テーマが多い。
「それが数学か?数学教育の研究なのか?」
抽象的なテーマから授業実践の報告になるのだから、
そのギャップを埋める論の長いこと、長いこと。
長いわりには論に飛躍があり、
まったくもって、研究授業の主旨と整合性が?です。
まあ、仕方ない。若いし。
一方で、助言者の大学の先生の歯切れがよくてグ~。
「この序文はいらん!」
「新指導要領のことはいいから、もっと数学を。」
いいねえ、新指導要領はさておいて、というのは。
そうそう清水教授のいう、「不易」ね。
流行じゃなくて不易。
私たちは、数千年の人間の営みの所産である数学を教えているのだから。

具体的な授業実践の報告が、失礼ながら、イマイチ。
うーん、理論武装しすぎ。
それにしても、どうしてこうも「数学的リテラシー」とか、
「数学的○○」という用語が多いのか?
(あとで、その謎は解けますが…。)

人だかりのできている会場がありました。
「何だ、この盛況な会場は?」
なるほど、重みがある。
人柄にも、内容にも。
ちゃんと理論的な背景もおさえているが、
報告は、基本的に自分の考え。
生徒に恵まれている感はあるが、それでも内容はグ~。
観点がグ~。
私もこういう研究がしたくなってきた。

最終日。シンポジウム。
大学の先生、小中の先生、文部科学省の役人の方も集まって、
フロアの方も質疑応答できる会。
テーマは「算数・数学教育に期待されるのもの」。
しかし、しかし、である。
初日、研究部会と感じられたものが、この会にはない。
質問が文部省の方に集中する。
この方の返答には、数学への何かが感じられない。
数学への何?
数学への愛、数学に対する尊厳…
リスペクト!
そう、現場の先生や数学あるいは
数学を教えていることに対するリスペクトが感じられない。
これが、生徒のいう「上から目線」かあ。
それは文部科学省、新指導要領の理屈だろう。
数千年の歴史をもつ数学に対して、なんたる軽い扱いか。
まあ、仕方ない。

なるほど、話はうまい。
でも、言ってることの実態が見えない。
観念論だなあ、観念論。
中央官庁やマスコミの表現だよな。
なるほど、「数学的リテラシー」とか「数学の活用」とかいう言葉が出てくるわけだ。
基調講演とは、似ても似つかぬ内容。
これが教育委員会を通じて現場に降りてくるのかあ。
なるほど、上手く伝達が行かないわけだ。
なるほど、現場の先生の研究に「流行りの言葉」が出てくるわけだ。
相当混乱しているね。何を信じていいのか。
信じていいものは目の前にあるのに。数千の人類の叡智の結晶「数学」。

官僚の人って、頭いいね。幸せなんだろうな。
自分の言ってることが絶対に正しい、って思えるって幸せだよなあ。

ガッカリもしたけど、それ以上に勇気づけられた会だった。
来年は京都かあ。
来年は発表しようかなあ。
とりあえず、足は運ぼうかなあ。
アディオス('-^*)/
昨日、息子とちょっとした電車の旅をした。
JRだけでなく、私鉄や地下鉄、路面電車、バスを乗り継いで、
ちょっとした名所めぐり。
途中、ある大学前を通ると、ものすごい人の数。
「夏休みなのに…。」
私たちもうちわをもらった。
「オープンキャンパス。」
なるほど、今日は大学公開の日だったのか。
私たち、第2次ベビーブーム世代の受験期には、
なかったこの手のサービス。
少子化で、全入時代ともなると、
大学には入りやすいし、サービスは手厚しで、いうことなし。
なんだったんだ、我々の「受験冬物語」と「就職氷河期」。

新聞報道によると、「私立大学の47%が定員割れ」とか。
もはや学校経営が安泰なのは、東京の一部の有力私大だけとか。
そうだよなあ、地方の庶民ではもう私立大の学費は払えない。
私立大学の学費は、
バブル崩壊後、日本は実質的なデフレだったのにもかかわらず、
右肩あがりで上がり続けた。
私が大学に入学した頃、
私立理工系の学費(初年度納付金)は120万円だったと思う。
あれから約20年。同じく私立理工系の学費(初年度納付金)は
180万円近くになっている。物価が40万円も上がったというのか!
(ちなみに本校の学費はここ数年、ほとんど上がってません)

話は変わって、最近の駅舎は私鉄もJRもキレイになった。
昔、駅のトイレといえば、もうひどいもんだったが、
国鉄の民営化に伴い、サービス精神が向上したのか、
トイレをはじめ、駅舎全体がキレイになった。
地下鉄も、初乗り運賃が20円単位で値上がりしたが、
平成も20年となると、地下鉄もずいぶんと明るくなった。

先日、通り過ぎた大学も建物は近代的でとてもキレイだった。
学費が高そうなだけはある。
でも学費を上げれば、優秀で謙虚な庶民の子ども達は、
どこかへ行ってしまう。

暑いせいではない。
やっぱこの国の行政はおかしい。
能力のある若者が、適正な額で教育を受けることができるように、
制度を構築すべきである。
選挙のために、老人にばかり媚びていないで。
7月も終わり、数学教師もいよいよ夏休みとなった。
思えば7月は忙しかった。
期末テストの採点・評価、林間学校(登山)、補習。
夏休みになると、クラブの指導、
大会引率、そして大会の役員(審判など)。
大会も終わり、そして季節は夏、真っ盛り。
学校の方針に従い、この八月上旬はクラブ活動は自粛。
やっと夏休みである。

さっそくわが子たちとプールに行ったり、
また夜は家庭で花火をしたり、そのあとはカブトムシを捕りに。
昼間、目をつけていたポイントで
早々にカブトムシをつがいでゲット。
息子もご満悦。

さて、今後であるが、
久しぶりに研修として日数教(郡山大会)に参加することにした。
いつかこのブログに書いたが、
もともとは教師の傍ら、研究も続けるつもりだった。
しかしながらクラブ指導など、
教師の仕事は多岐に渡り、多忙極まりない。
もし、すべてを手抜きせずに生真面目にこなしていたら、
多分、過労死する。言い過ぎかもしれないが…。

話は戻って、
今回は同じ教員仲間が研究に励んでいる様子を見て、
自分の研鑽に渇を入れに行こうと思います。
いま、要項を確認していますが、
聞きたい研究・テーマが多すぎて。
また中学部会と高校部会が別会場というのが痛い。
最近は公立でも中高一貫校が増えてきたのだから、
できるだけ同じ会場で研究発表して欲しい。

もう1人一緒に行く方からは、
「ロベルトさんは中学生の担当だから、中学部会ね。」
といわれているが、どちらかというと高校数学カリキュラムの方が気になる。
それは本校でも、大学入試&高校数学のカリキュラムは第一の検討課題なので。
しかし一方で、新学習指導要領についての分析も、立場として聞かねば。

個人的には、「生徒の学習の評価」についての研究が聞きたい。
評価といっても統計的推測はボツ。つまりノーサンキュー。
たとえ解釈学的な見解として意見が割れたとしても、
生徒の理解をどう評価するか、ということを研究している人、いないかな。
あとは中学&高校での幾何というか図形の指導法かな。

クラブ活動では勝ったり負けたり、と自分の指導などの積み上げが、
試合の結果としてすぐに表れるので、面白し、
勝ったら、生徒もそうだが、楽しい。
一方、数学の授業は日常。
気がつくと、週末のクラブの試合のことばかり考えてしまう自分がいる。
部活動も勉強も両立。
生徒にそういっているのだから、数学の授業の力量ももっと上げないと。
さあ、わずか3日間。
数学のことばかり考えて、スキルアップと今後の研究生活の展望を開きに行こう。
(続き)
大学に入ってからの2年間で、すっかり自分を見失った。
そんなとき、さらにアクシデントが起きた。
私はもう、大学をやめようと思った。
僕を慰めにきてくれた友人は、
部屋に求人案内の雑誌が散乱しているのを見て驚いていた。

いろんな人の説得もあり、とりあえず後期試験は受けた。
2年間で取得した単位は、
4年で卒業するのにはギリギリの分しかなかった。
大学で3年目の春が来て、
「このままでは両親に申し訳が立たない。
 初心に返って、しっかり勉強しよう。」
と思いはじめた。
教職の単位をはじめ、卒業に必要な要件を全部揃えることにした。

それでも「教育原理」の授業はつまらなかった。
ある暑くなってきた6月の講義の中で、
授業担当の先生が1冊の本を薦めた。
堀尾輝久著「教育入門」岩波新書
どうしてか忘れたが、
この先生の薦める本はいくつか手にして読むようにしていた。
この先生が熱血だったからかもしれない。
大学の帰り、書店に寄って「教育入門」を購入した。
帰りの電車から読みはじめた。
なにか、自分の中の血が浄化されるような感覚に陥り、
その後、部屋に閉じこもって、一気に読んでしまった。
一度読み終えると、もう一度読んだ。

いま思い返してみると、
たしかこの著者も、「大学時代、迷ったことがある」、
とこの本に書いてあった気がする。
それが引き込まれる原因だったかも。
そして、最後のフレーズ。
あるフランスの詩人だか哲学者の言葉
「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと。」
私は、自分の希望する職業を、思いだした。

時が流れ、時代が変わった。
教育に対する考え方も変わった。
ちょうど僕が再び教職を目指し始めた頃、
「新しい学力観」という考えが官庁から発表された。
これには違和感があった。
「どうしてこんなことを言い始めるのだろう?」
と思った。
おそらく、この教育思想で育った世代が成人する頃からニュースで、
「新成人、成人式で暴れる!」という報道がされるようになった。
我慢ができない、我慢する必要がない。
方針は極端に振れたな、と思った指導指針だった。

さらに時は流れ、また学園ドラマが始まった。
私は「金八先生」は見ないようにしている。
あまりリアリティがないからだ。
テレビはテレビ。どうせだったら、楽しめるものがよい。
そう思っていた。
そのときはじまった新しい学園ドラマは、「女王の教室」。
学園ものとは思えない、おどろおどろしさにビックリした。
これが昔、「熱中時代」を放映していた局のドラマか、と思った。
しかし予想に反して、おもしろかった。
いや、勉強になった。
「毅然とした指導。ときには厳しすぎるくらいの罰。」
生徒に聞くと、
「僕も見ています。」
という返事が多く聞かれた。
世間の針は、また大きく振れるのか。

時代が変わっても、変わらなくてよいものが教育の中にはある。
それは教師や教師でなくても大人1人1人の中にある。
官庁がいくら頑張って理論武装し、新方針を打ち出しても、
それは人々の心には響かない。
いくら統制を強めるように、プロパガンダしても、
それは一瞬のことだ。もっと、時代を越える思想を持つべきだ。

いま僕は思い出そうとしている。
もう小学校の先生にはなれないが、僕が受けた教育を、
僕の目の前の生徒たちに教えてあげたいからだ。
(終わり)