(続き)
大学に入ってからの2年間で、すっかり自分を見失った。
そんなとき、さらにアクシデントが起きた。
私はもう、大学をやめようと思った。
僕を慰めにきてくれた友人は、
部屋に求人案内の雑誌が散乱しているのを見て驚いていた。

いろんな人の説得もあり、とりあえず後期試験は受けた。
2年間で取得した単位は、
4年で卒業するのにはギリギリの分しかなかった。
大学で3年目の春が来て、
「このままでは両親に申し訳が立たない。
 初心に返って、しっかり勉強しよう。」
と思いはじめた。
教職の単位をはじめ、卒業に必要な要件を全部揃えることにした。

それでも「教育原理」の授業はつまらなかった。
ある暑くなってきた6月の講義の中で、
授業担当の先生が1冊の本を薦めた。
堀尾輝久著「教育入門」岩波新書
どうしてか忘れたが、
この先生の薦める本はいくつか手にして読むようにしていた。
この先生が熱血だったからかもしれない。
大学の帰り、書店に寄って「教育入門」を購入した。
帰りの電車から読みはじめた。
なにか、自分の中の血が浄化されるような感覚に陥り、
その後、部屋に閉じこもって、一気に読んでしまった。
一度読み終えると、もう一度読んだ。

いま思い返してみると、
たしかこの著者も、「大学時代、迷ったことがある」、
とこの本に書いてあった気がする。
それが引き込まれる原因だったかも。
そして、最後のフレーズ。
あるフランスの詩人だか哲学者の言葉
「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと。」
私は、自分の希望する職業を、思いだした。

時が流れ、時代が変わった。
教育に対する考え方も変わった。
ちょうど僕が再び教職を目指し始めた頃、
「新しい学力観」という考えが官庁から発表された。
これには違和感があった。
「どうしてこんなことを言い始めるのだろう?」
と思った。
おそらく、この教育思想で育った世代が成人する頃からニュースで、
「新成人、成人式で暴れる!」という報道がされるようになった。
我慢ができない、我慢する必要がない。
方針は極端に振れたな、と思った指導指針だった。

さらに時は流れ、また学園ドラマが始まった。
私は「金八先生」は見ないようにしている。
あまりリアリティがないからだ。
テレビはテレビ。どうせだったら、楽しめるものがよい。
そう思っていた。
そのときはじまった新しい学園ドラマは、「女王の教室」。
学園ものとは思えない、おどろおどろしさにビックリした。
これが昔、「熱中時代」を放映していた局のドラマか、と思った。
しかし予想に反して、おもしろかった。
いや、勉強になった。
「毅然とした指導。ときには厳しすぎるくらいの罰。」
生徒に聞くと、
「僕も見ています。」
という返事が多く聞かれた。
世間の針は、また大きく振れるのか。

時代が変わっても、変わらなくてよいものが教育の中にはある。
それは教師や教師でなくても大人1人1人の中にある。
官庁がいくら頑張って理論武装し、新方針を打ち出しても、
それは人々の心には響かない。
いくら統制を強めるように、プロパガンダしても、
それは一瞬のことだ。もっと、時代を越える思想を持つべきだ。

いま僕は思い出そうとしている。
もう小学校の先生にはなれないが、僕が受けた教育を、
僕の目の前の生徒たちに教えてあげたいからだ。
(終わり)