こんにちは
まーにゃです![]()
江戸初期には300程度の町が
中期のころには1600以上に増えていました!
庶民は
江戸の町割のわずか15%程の広さの中で
ひしめいて暮らしていました。
(武家地70%、寺社地15%)
超過密状態の町人地の治安は
どのように維持されていたのでしょう❓
町木戸
町の表通りの両脇にある木戸。
歌川広重/日本橋 東海道五十三次
町の木戸は開けられ大名行列の一行が朝の日本橋を渡ります。遠くには朝焼けの空に浮かぶ火の見櫓も見えます。
木戸は昼間は開けてありますが
犯罪人が逃げ込んだり
喧嘩(けんか)など非常の際は
閉鎖して交通を遮断していました。
通常は
夜四つ(午後10時) 〜朝六つ時(午前6時)の
夜間は閉じられました。
夜間は
番太郎に理由を伝えて
くぐり戸を通ることが出来たそうです。
『守貞漫稿』にみる木戸番
『守貞漫稿』 巻3 喜田川守貞著
木戸番小屋
町の境界線にあった町木戸の横にあった
木戸番人の小屋。
木戸の番人にとっては自宅兼職場でした。
木戸の開け閉めから
盗み人の見張り
迷子の世話までおこないました。
番太郎
木戸番のことです。
木戸の開閉や
拍子木を打ちながら町内の夜警をし
時刻を知らせていたそうです。
片岡我堂/夜回り鐘釣吉
こんな人が夜回りしていたら安心ですね^ ^
給金が安かったことから
副業として草履や駄菓子や雑貨の
販売が許可されていました。
「江戸のコンビニ」と言ったところですね![]()
火事などの有事の際は
連絡や炊き出し場になっていました。
いざ火事が起こると、火消人足たちは自身番所に集まり
火消しの道具を持って火事場へと向かいました。
自身番
各町ごとに設けられていた
私設交番のようなもの。
長屋の大家や番人らが交代で詰め
犯罪の疑いのある者をここに連行し
町奉行所から同心が来るまで
管理していたそうです。
突棒などの捕物道具や
火事に備えて竜吐水や纏(まとい)なども
備えていました。
半鐘はんしょう
自身番の上にあった
火の見櫓の鐘のことです。
火の見櫓ひのみやぐら
火災発生の有無を監視したり
火元を確認したりするための櫓。
10町にひとつずつありました。
家事の火元が近い時は乱打
遠い場合は間隔をあけて
鎮火したらゆるく2回、と
状況により打ち方を変えていました。
町と木戸、火の見櫓などが描かれています。
夜鳴き蕎麦屋や按摩なども
夜四ツまでに仕事を終え帰宅しなければ
木戸は閉められてしまったそうです![]()
メガ都市お江戸の町人は
町ごとに木戸で区切られ
徹底的に管理されて
治安がまもられていたようです![]()
治安の良い環境があったからこそ
さまざまな庶民の文化が花開いたのでしょうね![]()
✨江戸関連✨





















