長音と日本語と留学生と。。。
日本語を学ぶ留学生にとって、長音の発音や表記はかなり難しく感じるようだ。日本語教師としては指導に苦労する。
とはいっても、長音の発音は日本語話者であっても、必ずしもきちんと1モーラ(*)分伸ばしているわけではない。
たとえば、「東方見聞録」を発音する際、早口で話す場合は「トーホー」ではなく「トホ」(徒歩?)に近くなるだろうが、たいていは文脈で判断できる。しかし表記については、「工場(こうじょう)」の場合、「こじょう」では明らかな間違いになってしまう。しかも、発音は/ko:/、または/koo/なのに「こう」と書かなければならないので、やっかいだ。
近年、ネパールからの留学生が急増しているが、彼らの英語の発音が流暢であることに気づく。黙字のR(スペル)を発音する傾向があるものの、日本語話者よりもかなりネイティブに近い。ネパールでは多くの小学校で早くから英語教育や英語での授業が行われているらしい。ネパール語では教育のための語彙が足りないからなのだろうか?
そんなことを考えている折、興味深い情報に出会った。例えば英語の”live”と“leaf”の母音部分を比べてみる。そうすると、Lindsey(**)の研究によると”leaf”より”live”のほうが長いのだそうだ。(***)わかりやすくカタカナで書くと、
・発音時間が「リブ」>「リーフ」
ということで。無声子音の前の母音のほうが短くなるとのこと。これには、/li:f/という発音記号に慣れたものにとってはショックだった。日本語と違って、英語には同じ音素を伸ばす(長音)か伸ばさないかで区別するという考え方がないのだそうだ。
ネパールだけではなく、フィリピンの人も英語に慣れ親しんでいる。母語以外に英語感覚も獲得しているようだ。あらためて世界を見渡すと、むしろ音素の長短にこだわる日本語話者が孤独に思えてくる。
(*)モーラ:発音するときの時間的な一拍
(**)Lindsey:音声学者
(***)大名力(おおなつとむ)2023『英語の発音と綴り』中公新書・中央公論新社
平板型アクセント勢力の拡大
1) 「今日は暑い一日となりました。」
(2022年4月25日・東海TV・ONE)
という天気予報で一瞬、「厚い」かと思ってしまった。
アクセントがLHH(*)だったからだ。東京語(いわゆる標準語)では、LHLが基本だ。
(*)アクセント表記:L=低音、H=高音 を表す。
2) 「北陸地方を中心に雪になるでしょう。」
で、「雪に」をLHHと言っている例もあり、同様のアクセントがどんどん増えている印象がある。
私たちの日常生活では各地出身の人が入り混じっており、個々のアクセントは多様なのだが、放送業界では東京語を基本とし、特にNHKでは放送開始当初から厳格なマニュアルで運用されていたはずだ。ただ、お笑い芸人は関西勢が主力となったため、大阪弁が圧倒するようになったが、アナウンサーだけは規範的に東京語で話すよう教育されているはずだった。
1)、2)共に、本来の尾
高型(LHL)が平板
型(LHH)に変化している。2)では
名詞(雪)に後接する助詞(に)の高さが変化することによって、アクセント
の類型が変化している。膠着語に分類される日本語独特の変化である。
平板型の増加は、ドラマ(LHH)、ギター(LHH)などが嚆矢と思われる。いわゆるギョーカイの集団語によるもので、それが一般化しつつあった。金田一春彦氏によれば、親しみを覚えた言葉から平板化するとのこと。
ワイドショーのMCが局アナとは限らなくなったこともあり、局側ディレクターも東京語アクセントにこだわらずに追認してしまうのだろう。
ちなみに、宮崎地方ではほとんどの言葉を平板アクセントで話されているので有名だ。中央から遠い所に分布しているのは古代の言葉が残されているからだというのが定説だ。
。。。。ということは昔のアクセントが復権してきたということだろうか。
(**)集団語:限られた組織名でだけ通じる言葉のことだが、この例ではアクセントを対象としている。
揺れ動く日本語「爪痕を残す」(受難表現の前向き用法)
テレビで坂道系(*)のメンバーが、近々行われるライブの宣伝をしていた。曰く、「がんばって、ぜひ私たちメンバーの爪痕を残したいと思います!」と宣言していた。筆者は瞬時に「間違って覚えているなぁ~」と思った。爪の痕は台風などによる被害のことを言うのに決まっている。
ところがNHKの調査(2020年)(**)によると、この表現を十代の62%が「おかしいと思わない」とし、「おかしいと思う」のは18%とのこと。もはや、世の中はそういうことになっているのかと知って愕然としたのだが、さらに驚いたのは六十代以上で「おかしいと思う」人が47%しかいないことである。
この言葉、元々は爪でひっかいた(傷)痕を比喩的に「台風の爪痕」などと言い出したはずだ。
辞書によっては「爪跡」という表記になっているが、本来は「爪痕」という漢字がしっくりくる。「跡」だと傷が治った後の状態という感じもするからだ。
近年では冒頭の発言のように「(ライブの)成果を残す」意味に使うことが増えているようだ。最近はアスリートもよく使うらしい。もともと業界の誰かが「つめあとをのこす」という言葉を聞きかじって、使い出したのだろう。
たぶん、足跡(あしあと、そくせき)との混同による用例が増えたのだと思われる。
昔は読書によって知らず知らずのうちにコロケーションを学んだ。ある言葉は他のある言葉と組み合わせて使うという法則だ。ところが今は文章や発言の断片がSNSやネットニュースで氾濫しているので、前後関係を考えずに使い出すのだろうか。
折から、「台風の爪痕」報道がマスコミやSNSを賑わせている。これを機に伝統的な使い方に気づく人もいるだろう。
。。。が、世代はどんどん交替するので、もう後戻りはすることはないであろう。
(*)乃木坂46櫻坂46(旧・欅坂46)などのグループ名の総称。
揺れ動く日本語「~すぎる」(感動表現の追究)
揺れ動く日本語 「~すぎる」
(感動表現の追究)
近年、目立つようになったのが、
・ さすが駅前ビルのヌシがオススメするだけあって、お好み焼きも他の一品料理も美味(おい)
しすぎました。(*)
というような表現である。
従来の感覚だと、限度を越して楽しすぎたら、例えばその次に
終わった後の虚無感のような描写を予想するのが普通だった。
しかし、最近は味が非常に良かったことだけを言うために「~すぎました」を使うことが普通になった。
もともと、2007年4月に当選した藤川優里議員を某マスコミが「美人すぎる議員」と形容したのが新しい「***すぎる」の嚆矢だ。
この延長線上の「***すぎる」はもっぱら名詞修飾節内の表現だったが、ここへきて主節の述語に用いられるようになってきたのだ。
留学生への日本語教育でよく使われるテキスト、「みんなの日本語初級」(スリーエーネットワーク)では44課に「~すぎる」が現れる。
その使い方に登場するのは、
・お酒を飲みすぎました。
・お酒を飲みすぎて、まっすぐ歩けません。
という例文だ。
つまり、限度を越したことによる失態に代表される後悔感や釈明である。
後文は皆、否定文である。
ところが、近年の用法では、
・きのうの食事会は楽しすぎて最高だった!
というように後悔の微塵もないのだ。「チョー楽しかった」や「バリ楽しかった」を超える感動表現を求める飽くなき欲求で生まれた表現だ。「チョー」や「バリ」よりは大人が書くに堪えうる言葉なので今後長く使われるに違いない。
(*) 金子恵美オフィシャルブログ(2022年10月27日)
揺れ動く日本語「心に刺さった」(受難表現の前向き用法)
前回に続いて、受難表現の前向き用法として「心に刺さった」をとりあげる。
・学生時代、本を読んで心に刺さった言葉を紹介したい。
というような使い方で、何かの表現に感動した時に使われる。
・「この歌詞が刺さった! グッとフレーズ」(TBSテレビ番組)
のように、「心」が省略されることも多い。
この「刺さる」も「まみれる」と同様、従来の受難表現に前向きな感動表現が加わったのだ。辞書に載っている意味は
(*)「とがったものの先が何かの表面を突き破って、中に入る」内容が多く、「感動、共感する」意味は掲載している辞書としていない辞書とに分かれる。
この感動の「刺さる」が出現する前は「心の琴線に触れる」が大流行(はや)りだった。あまりにも一つ覚えのようにみんなが使っているので、もっと強力な言葉が求められたのだろう。同じような意味なのだが、「触れる」に比べて「刺さる」は語感が強い。
ところで、筆者は中学生時代、某教師に筆者の容姿をある動物に例えられたことがあり、その時の言葉が未だに心に刺さったままだ。
この「刺さった」を、ゆめゆめ新「刺さった」意味で解釈しないでいただきたい。