揺れ動く日本語「~すぎる」(感動表現の追究) | MARK AKIYAMAのブログ

揺れ動く日本語「~すぎる」(感動表現の追究)

揺れ動く日本語 「~すぎる」

  (感動表現の追究)

 

 近年、目立つようになったのが、

・ さすが駅前ビルのヌシがオススメするだけあって、お好み焼きも他の一品料理も美味(おい) 

しすぎました。(*)

 

というような表現である。

従来の感覚だと、限度を越して楽しすぎたら、例えばその次に

終わった後の虚無感のような描写を予想するのが普通だった。

 しかし、最近は味が非常に良かったことだけを言うために「~すぎました」を使うことが普通になった。

もともと、2007年4月に当選した藤川優里議員を某マスコミが「美人すぎる議員」と形容したのが新しい「***すぎる」の嚆矢だ。

この延長線上の「***すぎる」はもっぱら名詞修飾節内の表現だったが、ここへきて主節の述語に用いられるようになってきたのだ。

 

 留学生への日本語教育でよく使われるテキスト、「みんなの日本語初級」(スリーエーネットワーク)では44課に「~すぎる」が現れる。

その使い方に登場するのは、

・お酒を飲みすぎました。

・お酒を飲みすぎて、まっすぐ歩けません。

という例文だ。

つまり、限度を越したことによる失態に代表される後悔感や釈明である。

後文は皆、否定文である。

 ところが、近年の用法では、

・きのうの食事会は楽しすぎて最高だった!

というように後悔の微塵もないのだ。「チョー楽しかった」や「バリ楽しかった」を超える感動表現を求める飽くなき欲求で生まれた表現だ。「チョー」や「バリ」よりは大人が書くに堪えうる言葉なので今後長く使われるに違いない。

 

(*) 金子恵美オフィシャルブログ(2022年10月27日)