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今回は無料のライブ情報!

私が所属する「井上義之とザ・スターライツ・オーケストラ」の
今年初ライヴです。

 2011年2月20日(日) 午後3時30分頃
「きんぷく&フォーフェスタ」
 豊島区勤労福祉会館(池袋駅西口徒歩7分・池袋消防署隣り)
 http://www.toshima-mirai.jp/center/e_kinrou/index.html

 入場無料
  演奏曲:ジャズ、ラテン、昭和歌謡
  ゲスト歌手:ともょ (山本リンダ衣装)

勤労福祉会館のお祭りです。
他に陶芸・工芸・絵画・彫刻などの展示、卓球・エアロダンス・皮工芸・藍染などの体験教室、そしてコーラス・マジック・バグパイプ演奏・落語などが催されます。

今年初のライブ出演!

三軒茶屋ブルーシャトウ(ブルーコメッツ・トリビュート
バンド)、今年初のライブのお知らせです。

◆三軒茶屋ブルーシャトウ(105th)
2011年2月5日(土)
OPEN 18:00/ START 18:30
charge \2,000+DRINK ¥600

出演時間は 20:50~21:30

新宿・たかのや にて
http://www.takanoya-records.com/live/top/
(旧厚生年金会館のすぐそばです)

*サプライズ・ゲストの予定あり*

*photo by GREEN瀬戸(2007)

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揺れ動く日本語~「ドラ」語の増殖

「ドラ」語の増殖

2010年の書籍ベストセラーのひとつに「もしドラ」がある。
「もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」という長いタイトルが「もしドラ」と略された。このような場合、タイトルが長すぎて、読者にわかりづらいだろうという心配は無用で、内容さえ良ければユーザーやマスコミが勝手に省略呼称を作ってくれる見本である。

・・・・この続きは
    出版社ロゼッタストーンのサイト(連載第3回)でごらんください。
    http://www.rosetta.jp/
MARK AKIYAMAのブログ-揺れ動く日本語

アレンジは世につれ世はアレンジにつれ~はっぴいえんど等~その3

私のホームページ所収の"アレンジは世につれ、世はアレンジに
つれ~日本のポップス45年史"の1980年代に加筆、修正しました。

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(1月7日の日記から続く)
1981年になって、細野晴臣作編曲による「ハイスクール・ララバイ」(松本隆作詞、イモ欽トリオ歌)という傑作が大ヒット。YMOで実験精神を発揮して作ったコンピュータ音楽の見事な大衆化である。
イモ欽トリオ三人組の振り付けにはスネアとハイハットを叩くしぐさや、アナログシンセサイザーの結線を入れ替える様子まで採り入れられており、すぐ後に訪れる
MIDI音楽全盛時代の伏線となったと言えよう。

さらに細野は1983年には「ガラスの林檎」(松本隆作詞、大村雅朗・細野晴臣編曲、松田聖子歌)、「禁区」(売野雅勇作詞、萩田光雄・細野晴臣編曲、中森明菜歌)で、リズムアレンジを担当する。大村雅朗、萩田光雄によるブラス・ストリングスなどの上物(うわもの)アレンジとの共同編曲である。

http://www.youtube.com/watch?v=O0ABBSFt6mk

1970年前後にコマーシャリズムへの反旗で始まった細野の進取の精神は十余年かかって
最も大衆的な歌謡曲を聴く客層に抵抗なく受け入れられると、レコード会社スタッフに判断されたのである。
ちなみに大村、萩田は共にヤマハ作編曲教室出身であり、この細野とのコラボレーションは1970年代にポプコンで新しいサウンドを追求した両アレンジャーの面目躍如たりとも言えよう。1978年「みずいろの雨」(八神純子作詞作曲)の編曲で注目された大村雅朗は1997年に46歳の若さで急逝、その才能が発揮される道が途絶えたのは残念である。

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全文は

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~sancha/index.html
で、お読みください。

アレンジは世につれ世はアレンジにつれ~はっぴいえんど等2~

私のホームページ所収の"アレンジは世につれ、世はアレンジに
つれ~日本のポップス45年史"の1970年代前半に加筆、修正しました。

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(前文から続く)

この後、細野は鈴木茂、松任谷正隆、林立夫を誘って、キャラメルママを結成し、自らが表に出るというよりは新しい時代のポップス伴奏を作り出していく。

細野は、後述する後藤次利(サディスティックミカバンド)と共に、地味な存在だった歌謡曲におけるベースという楽器の存在を大きく変えた。それまでは定型的な演奏を強いられたベースをドラムとの共同作業によるリズム作りというジャズ的手法によるアレンジに進化させたのである。

1973年歌手デビューの荒井由実(現・松任谷由実)のLP「ひこうきぐも」、「ミスリム」(1974年)にはキャラメルママのメンバーがクレジットされている。
これはキャラメルママが南正人、吉田美奈子に続いて歌手のバックを努めたLPで、当時としては画期的なセッション的雰囲気で録音されたレコードである。

プロデュースはGS(グループサウンズ)時代に"エメラルドの伝説"などの作曲で名をあげた村井邦彦であった。
彼は後にプロデューサとしてYMO(イエローマジック・オーケストラ)(1978年~)も世に出し、まさに近代日本ポップスの産みの親である。

当時、歌手のバックと言えばジャズ畑出身のミュージシャンによるビッグバンド+クラシックを本業とするストリングス編成がほとんどであったのと違い、リズムセクションのみによるヘッドアレンジ感覚であった。

厭世観漂うユーミンの詞、それなのに決して暗くならないメージャー7thコードの多用、頻繁な転調を駆使するユーミンの曲メロディーづくり、その全てが新しかった。それまで、歌謡曲の間奏は歌メロを繰り返すのが、定番だったのが、このLPでは1コード(いわゆる一発)、または2小節単位2コードに乗ったアドリブ風フレーズが目立った。

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全文は

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~sancha/index.html
で、お読みください。
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