待望のワンピース海賊無双3の発売日。
PS4をまだ持っていないから、PS3で泣く泣く我慢したけど、まぁ十分楽しめるだろうかと。
とりあえず、チョッパーを使えるようにしなければ!!
今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、兵庫県揖保郡太子町にある「斑鳩寺(いかるがでら)」です。「聖徳太子」が建立した由緒ある古いお寺です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第32番札所「いかるが 斑鳩寺」。創建は606年。開基は「聖徳太子」。宗派は「天台宗」。本尊は「釈迦如来像、薬師如来像、如意輪観世音菩薩像(新西国観音霊場の本尊)」。
詠歌 「かみつ代の 聖の徳は いかるがの 蓮(はちす)の花と かをるなりけり」
「斑鳩寺」の創建ですが、606年に「聖徳太子」が「豊浦宮(奈良県明日香)の橘寺」にて、「推古天皇」へ「勝鬘経(しょうまんぎょう)」を3日間講じたところ、大きな蓮の花が降り積もり、「推古天皇」は大いに感服し「聖徳太子」へ、播磨国揖保郡の水田を百町与え、「聖徳太子」はこの地を訪れて「鵤荘(いかるがのしょう)」と名付け、この地を管理するために「法隆寺」の別院として、伽藍を建立したのが始まりとされています。
創建後、七堂伽藍、数十の坊庵を有する大寺院でしたが、室町時代後期の1541年に、赤松氏と山名氏の争乱によって灰燼と化してしまいます。
その後、龍野城主「赤松政秀」などの寄進により、「楽々山(ささやま)円勝寺」の「円光院昌仙」によって再建されたものが、現在の「斑鳩寺」の寺観となっています。
「聖徳太子」が創建して以来、「斑鳩寺」は「法隆寺」の別院でしたが、争乱による焼失からの再建の際に、「円光院昌仙」が「天台宗」の僧侶だったので、この時に改宗したようです。
「斑鳩寺」の交通アクセスですが、電車だとJR山陽本線網干駅で下車、バスに乗り換えてバス停の鵤で下車して徒歩約5分ぐらいの場所にあります。
車だと国道179号線(出雲街道)を斑鳩小学校前で左折すると、「仁王門」前に到着します。「仁王門」前には無料の駐車場があります。
国道179号線(出雲街道)を左折する場所に石碑が建っている。
「仁王門」には「仁王像」が安置されています。
「仁王門」の左手には「伝教大師最澄」の言葉、「一隅を照らす」の石碑があります。
この筆跡は兵庫県揖保郡太子町に生まれた、第253世天台座主「山田恵諦」氏のもので、「一隅を照らす」運動を推進した人物だそうです。
「仁王門」を抜けると、真正面に本堂に当たる「講堂」があります。
「講堂」は1556年に再建された後、1765年に修復された建築物です。
「講堂」には本尊として秘仏の「釈迦如来像」、「薬師如来像」、「如意輪観世音菩薩像」の三尊が祀られています。
この三尊は「鞍作止利(くらつくりのとり) 」が、一刀三礼で刻んだものと言われていて重要文化財に指定されています。
本尊は毎年、2月22日と23日に開扉されるようです。
「仁王門」を抜けて左手には「聖徳殿」があります。
「聖徳殿」は「前殿」、「中殿」、「奥殿」と別れていて、「前殿」は1551年に再建された後、1665年に修復された建築物で、「中殿」と「奥殿」は1916年に増築された建築物です。
「聖徳殿」には「聖徳太子」が16歳の時に、父「用明天皇」の病気平癒を祈る姿の「聖徳太子十六歳孝養像」が祀られています。
「聖徳太子十六歳孝養像」は「聖徳太子」が自ら刻んだものと言われ、自らの髪を像に植えたことから「植髪太子像」とも呼ばれています。
「奥殿」は「法隆寺」の「夢殿」を模した八角二重円堂の建築物で、「聖徳太子十六歳孝養像」は「奥殿」に安置されています。
「仁王門」を抜けて右手には「納経所」、「弥勒堂」、「三重塔」があります。
「三重塔」は1565年に、龍野城主「赤松政秀」により再建された「斑鳩寺」最古の建築物で、重要文化財に指定されています。
「三重塔」の周辺に、西国三十三ヶ所観音霊場の本尊の石仏が安置されています。
「三重塔」の左手には「鐘楼」、「手水舎」があります。
「鐘楼」の左手には「赤松政秀、赤松広英の供養塔」があり、後方には「聖霊権現社(稗田(ひえた)神社御旅所)」があります。
「聖霊権現社(稗田(ひえた)神社御旅所)」の後方には、「庫裏」があります。
「庫裏」の左手には「阿弥陀堂」、「聖宝殿」があります。
最後に「聖徳殿奥殿」の後方は広場となっていて、遊具などが設置されているんで公園となっているようです。いくつかの建築物などもあったんで紹介しておきます。
第33番札所 船越山南光坊 瑠璃寺