今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、奈良県葛城市にある第11番札所「當麻寺(たいまでら)」です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第11番札所「二上山 當麻寺(当麻寺)」。創建は612年。開基は「麻呂古王(まろこのみこ)」。宗派は「高野山真言宗、浄土宗」。本尊は「蓮糸大曼荼羅(當麻曼荼羅)」。
詠歌 「極楽を いずくととはば 大和なる まるこのさとに ゆきてたずねよ」
「當麻寺」の始まりは不明な点が多いが612年、「聖徳太子」の異母弟「麻呂古王」が河内の国に「万宝蔵院禅林寺」を建立したことからとされる。
681年、「麻呂古王」の孫である「當麻真人国見(たいまのまひとくにみ)」により、「役小角(えんのおづぬ)」のゆかりの地である現在地に移されて、當麻氏の氏寺として建立された。
「金堂」に本尊の「弥勒菩薩像」を祀り、「講堂」、「東塔」、「西塔」、そして現在の「本堂」である「曼荼羅堂」を建立し伽藍が整えられた。
創建当時、「役小角」が「熊野権現」を勧請した場所に道場を開いていましたが、後に「中院御坊」と尊名され、現在は「中之坊」として存在している。
現在の「當麻寺」の寺観は1180年、「平重衡(たいらのしげひら)」による「治承の乱」の兵火で被害を受け、鎌倉時代に再建が完了したもので、それ以降は兵火や天災による被害はなく、「當麻寺」には数多くの国宝や重要文化財の堂宇や寺宝が現存しています。
「當麻寺」の宗派は当初、「三論宗」でしたが823年に「弘法大師空海」が訪れ「真言宗」に改宗し、鎌倉時代になって流行した浄土信仰の影響で、「浄土宗」も持ち込まれ「二宗兼宗」という珍しい形をとっています。
また「本堂」の本尊が仏像ではなく、「當麻曼荼羅」という曼荼羅となっています。
この「當麻曼荼羅」は「藤原豊成」の娘で、「當麻寺」にて剃髪し尼僧になった「中将姫」が作成した曼荼羅と言われていて、「當麻寺」は「中将姫伝説」として有名なお寺だそうです。
「當麻寺」は近鉄南大阪線に「当麻寺駅」があり交通の便は良くて、車では「仁王門」手前まで行くことが出来ます。
まさかの解体修理中の仁王門。残念。
「仁王門」を抜けると広場となっていて、まず日本最古級の「梵鐘」がある「鐘楼」があります。
鐘楼。
白鳳時代作の梵鐘。當麻寺創建時のもの。国宝です。
「鐘楼」の左前方には「中之坊」、「霊宝館」があります。
手前が霊宝館。當麻寺の寺宝を展示している。
中之坊。
中之坊から霊宝館へ入れます。拝観料500円が必要。
「中之坊」ですが7世紀末に「役小角」が開いた道場で、8世紀に「中院御坊」として成立していたものです。
「當麻寺」の本尊である「當麻曼荼羅」を作成した、「中将姫」が剃髪された本堂である、「中将姫剃髪堂」、「香藕園(こうぐうえん)」と呼ばれる庭園があり、重要文化財に指定されている「書院」、「茶室」、そして「写仏道場」などがあります。
入り口を抜けて正面の建屋で拝観料を払う。
書院、茶室入り口。
「香藕園(こうぐうえん)」の拝観ルートは、入口を入って右回りに庭を進んで行って、最後に「霊宝館」で寺宝を拝観するという形です。
まず正面に「中将姫剃髪堂」があります。「中将姫」がこのお堂で剃髪し、尼僧になった場所です。
中将姫剃髪堂。
「中将姫剃髪堂」には「中将姫」の守り本尊である、「十一面観世音菩薩像」が祀られています。
この観音様は「導き観音」と呼ばれていて、人が人生の道に迷った時に行くべき道を示して下さるそうで、就職、進学、結婚などの人生の節目に参拝する人が多いそうです。
また「中将姫」の守り本尊なので、女性の守り仏と信仰があり子授け、安産祈願に参拝する女性も多いそうです。
「中将姫剃髪堂」には他に「大和十三仏」第6番の「弥勒菩薩像」、「大和七福八宝めぐり」の「布袋尊」も祀られているようです。
正面奥に導き観音と言われる十一面観世音菩薩像が祀られている。
「中将姫剃髪堂」の周りには「中将姫」や「役小角」にゆかりのある史跡がいくつか存在しています。
「役小角」が作った「陀羅尼助(だらにすけ)」という、和薬の元祖と言える薬を作るために使用した井戸水が「加持水の井戸」です。
役小角はこの井戸水を使用して陀羅尼助を作った。
「役小角」が「熊野権現」を勧請した、「熊野権現社」もあります。
熊野権現社。
「中将姫」が当時、女人禁制だった「當麻寺」へ入山を請うために観音菩薩のご加護を信じて一心に読経を続け、お経の功徳によって岩の上に足跡が付いた「中将姫 誓いの石」があります。
この中に足跡らしき窪んだ岩があります。
この事で「中将姫」は「當麻寺」への入山を許可され、剃髪し尼僧になった。「中将姫」は剃髪した髪を以って6字の名号を刺繍し、感謝の気持ちを表されたという。 その故事にちなみ「髪塚」が建立されたようです。
髪塚。
「書院」、「茶室」の中側に入ると立派な「香藕園」があります。
香藕園。
「香藕園」は「大和三名園」の1つだそうです。鎌倉時代から造られ桃山時代に完成されたそうです。上部には三重塔の「東塔」があり、その風景は見応えありますね。
左が書院で右が茶室。重要文化財。
写仏道場。写経や當麻曼荼羅の写仏が出来る。
「中之坊」から少し進むと「御来光の松遺跡」があります。
御来光の松遺跡。
これは1684年、「當麻寺」に訪れた俳聖の「松尾芭蕉」が当時、生えていた松に対し「野ざらし紀行」で詠んだ句があります。
「僧朝顔 幾(いく)死かへる 法の松」
「僧は朝顔が何度も死と生を繰り返すように、代々引き継がれて変わったが、仏法の教えは千年も生き続ける松のように、いつまでも変わることはない。」
「松尾芭蕉」が詠んだ松は「御来光の松」のことで、もうすでに枯れてしまって巨大な松の切り株として安置されている。
かなり大きな松の切り株。
「御来光の松遺跡」を進むと左右に「金堂」、「講堂」があります。
金堂。鎌倉時代のもの。重要文化財。
「金堂」には創建当初の国宝で塑像の本尊「弥勒菩薩像」を中央に安置し、四方に重要文化財の「四天王像」を安置し、「弥勒菩薩像」の前には「不動明王像」を安置している。
講堂。鎌倉時代のもの。重要文化財。
「講堂」には藤原時代作で重要文化財の本尊「阿弥陀如来像」を祀り、他にも「地蔵菩薩像」、「千手観世音菩薩像」、「妙幢(みょうどう)菩薩像」などを安置している。
「金堂」、「講堂」の先に「本堂(曼荼羅堂)」があります。
「本堂」は天平時代のもので、1161年に外陣部分を拡張して再建したもので、国宝に指定されている。
本堂(曼荼羅堂)。国宝です。
「本堂」には「中将姫」が作成されたと伝わる、「蓮糸大曼荼羅(當麻曼荼羅)」を室町時代の文亀年間に転写した、重要文化財に指定されている「文亀曼荼羅」を中央に祀っています。
「中将姫」が作成した「當麻曼荼羅」は国宝に指定されていますが、損傷が激しいらしく別の場所に保管されているようです。
その他に重要文化財の「十一面観世音菩薩像」や「中将姫29歳像」、「役小角像」など安置しています。
本堂手前。文亀曼荼羅を拝観するには、拝観料が必要で金堂、講堂もこれに含まれます。
本堂内にはびんずる尊者が。
「當麻寺」には奈良時代の国宝である、2基の三重塔があります。
日本で昔から現存する「東塔」、「西塔」が2基揃っているのは「當麻寺」のみだそうです。
東塔。
西塔。
奥院から見た2基の三重塔。
「當麻寺」には数多くの堂宇などがあり、全て拝観するにはかなりの時間が必要となります。
全ては拝観してませんが、その他の堂宇などを紹介します。
「西塔」の周辺には「西南院」、「護念院」があります。
「西南院」は「真言宗」の塔頭で、十一面観音、聖観音、千手観音の重要文化財である3躰の観音像を祀っていますが、拝観は出来ないようです。
西南院。庭園も見事のようで、関西花の寺、第21番霊場だそうです。
「護念院」は「浄土宗」の塔頭で、「中将姫」の住処と伝えられている。
護念院。ぼたん、つつじ園として有名だそうです。
「金堂」の裏には白鳳時代作で、日本最古の「石灯籠」があります。
金堂の真裏にあります。
日本最古のもので重要文化財に指定されている。
「本堂」の側には「中将姫」の銅像があります。
中将姫銅像。池の中央にあります。
大変、美しい女性だった中将姫。その人生は波乱で、とても短い一生でした。
「中将姫」の詳しい詳細は不明で、本名も分かっていないようで伝説化している人物です。奈良時代の右大臣「藤原豊成」の娘とされ、大変美しい女性だったそうです。
「中将姫」は5歳の時に母を亡くし、継母に育てられることになって悲劇が始まります。
父「藤原豊成」と継母の間に息子が生れてから「中将姫」が邪魔になり、継母から度々の辛い仕打ちにあわされて、終いには毒殺で殺害計画を企てられてしまいます。
11歳の時に父「藤原豊成」が左遷された汚名を継母から被せられて、家臣に「中将姫」を大和国日張山(ひばりやま)にて殺害するよう命じられます。
家臣は日頃から亡き母の供養をしてきた、心優しい「中将姫」を殺害することは出来ず、継母を欺き日張山の「青蓮寺」へ隠し住まさせました。
父「藤原豊成」が都へ戻り、継母から「中将姫」が死んだことを告げられて嘆き悲しみました。
12歳の時に父「藤原豊成」が狩猟で、この地に訪れた時に偶然「中将姫」と再会し、都へ連れて帰ることになります。
13歳の時に中将の内侍となったことで、「中将姫」と言われるようになります。
16歳の時に后妃の勅を賜るが断り、「當麻寺」へ入山し仏門に入ることと決心します。
17歳の時に入山を許可され剃髪し、「中将法如」として仏門に入りました。
そして5色の蓮糸で一丈五尺(約4m四方)の、「蓮糸曼荼羅(當麻曼荼羅)」を一夜で織り上げたと言われています。
29歳の時に生身の「阿弥陀如来」と「二十五菩薩」が現れて、仏道に精進を続けた「中将法如」を生きながら西方浄土へ迎えたそうです。
他にも諸説があり、ここで書いた事が正しいかどうか伝説化しているので分かりませんが、幼い頃から悲劇的な人生であって、仏門に入るも短い一生だったのは共通しているようです。
「本堂」から北西へ進むと、「當麻寺」の「奥之院」である「大師堂」があります。
「大師堂」は「高野山」から移した、等身大の「弘法大師像」を祀っている。
大師堂。
「大師堂」の側から高台へ行く階段があり、階段を上がると「奥院」があります。
「奥院」は「浄土宗」のお寺で1370年、浄土宗総本山「知恩院」に安置していた「法然上人像」を、この地に移転させて「知恩院」の「奥之院」として、「往生院」という名称で建立し本尊として祀ったそうです。
階段を少し上がる高台にある奥院。
階段とは別の南方面に「楼門」がありますが、ここから入ることは出来なくなっている。
楼門。江戸時代初期のもので重要文化財。
奥院側から見た楼門。
階段を上がると「宝物館」があります。
宝物館。期間限定で拝観出来るようです。
「奥院」は「當麻寺」とは別扱いで、再び拝観料を支払わなければいけない。
奥院入山入り口。
入口から直線状に「本堂(御影堂)」があります。
本堂(御影堂)。1604年建立。重要文化財。
「本堂」には「知恩院」から移転された、「法然上人像」を本尊として祀られている。
本堂手前。
本堂扁額。
「本堂」と隣接して「阿弥陀堂」があります。
阿弥陀堂。阿弥陀如来像を祀る。
「本堂」の右側には「庫裡」、「正玄関」、「大方丈(おおほうじょう)」があります。
庫裡。
正玄関。
大方丈。重要文化財。保存修理が行われていました。
「本堂」裏手には「浄土庭園」という、広大な庭園があります。
浄土庭園。奥に十三重石塔があります。
阿弥陀仏石像。
「浄土庭園」は、ぼたん園として有名のようですが、この時期は「四季桜」が咲いていました。
10月から12月にかけて咲く四季桜。秋には紅葉と一緒に見ることができます。
通常の桜より花は小さいようです。
「宝池」にはたくさんの鯉が泳いでいます。
餌付けされているから、人が近寄るだけで鯉が寄ってきます。
ここで紹介しきれなかった堂宇などもあるぐらい、「當麻寺」はかなり広大な寺院となっています。
国宝の堂宇や寺宝もかなり多くあって、とても拝観し応えのある寺院です。
當麻寺の御朱印。