今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、京都府長岡京市にある「楊谷寺(ようこくじ)」です。「西山三山」の1つで(あと2つは吉峯寺と光明寺)、眼の観音様「柳谷観音」として信仰を集めているお寺です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第17番札所「立願山(りゅうがんざん) 楊谷寺」。創建は806年。開基は「延鎮(えんちん)僧都」。宗派は「西山浄土宗」。「十一面千手千眼観世音菩薩像」。
詠歌 「みほとけの なびく柳の 谷水は 汲むにおいせぬ 薬なりけり」
「楊谷寺」は京都「清水寺」を創建した、「延鎮僧都」が開いたと伝えられています。
「延鎮僧都」は日夜、観音菩薩の姿を拝見したいと祈願していたところ、ある夜、夢の中に観音菩薩が現れて、京都の西山へ行けば生身の観音菩薩に会うことが出来ると告げられます。
「延鎮僧都」は夢告に従い西山の地にやって来て、楊(柳)の木が生い茂る谷間から光明が射して、その岩の上を見上げてみると生身の「十一面千手千眼観世音菩薩」が立っているのを発見しました。
「延鎮僧都」はこの場所に堂宇を建立して、自分の眼で見た「十一面千手千眼観世音菩薩」を刻んで、本尊として祀ったのが「楊谷寺」の始まりと言われています。
「延鎮僧都」が「清水寺」へ戻った後、811年に「弘法大師空海」が「楊谷寺」を度々訪れて本尊に参詣し、眼病平癒の霊水「独鈷水(おこうずい)」を成就したことで「楊谷寺」の第二世とされています。
その後、「楊谷寺」は戦国の動乱によって荒廃してしまいますが、豊臣家の寄進により再建し江戸期の元禄年間にかけて再興したものが、現在の「楊谷寺」の寺観のようです。
「楊谷寺」の交通アクセスは少し不便で、電車だと阪急長岡天神駅で下車してタクシーを利用した方が良いかもです。バスだと1番近いバス停からでも徒歩で30分以上かかるようです。
車では境内に無料駐車場があります。「楊谷寺」へは大阪府高槻市側からと長岡天神側からも行けますが、途中に細い道があるんで注意が必要です。
長岡天神方面から柳谷道と言われる府道79号線を進んでいくと、最初の分岐の左手に「弥勒谷十三石仏」があります。
弥勒谷十三石仏。江戸期の石仏。十三仏信仰の石仏を安置している。
「弥勒谷十三石仏」から少し進むと、柳谷道の両側に観音経の「具一切功徳」、「慈眼視衆生」が刻まれた石碑が建っています。
観音様はあらゆる功徳が具わっていて、慈悲深い眼差しで私たちを見守って下さるという意味です。
観音経の石碑から柳谷道を少し進むと、左手に石灯籠が並んでいます。
石灯籠が並んでいる右手側が、「楊谷寺」の境内になっています。
参道を真っ直ぐ北へ進むと、「本堂」へ向かう石段があります。
石段は2つに分かれていて下から中央までが17段、中央から「山門」前が21段あります。
この段数は開基「延鎮僧都」の月命日の17日、第二世「弘法大師空海」の月命日21日を意味しているそうです。
石段の中央(中段)には小さな滝口があります。左側には新西国観音霊場を知らせる石碑、「不動明王像」、「十一面観世音菩薩像」などがあります。
石段を上がりきると「山門(勅使門)」があります。
「山門(勅使門)」の左右には「風神像」、「雷神像」が安置されています。
「山門(勅使門)」を抜けると、すぐに「本堂」があります。
「本堂」は豊臣家の寄進により、1614年に再建されたものです。
「本堂」には本尊の「十一面千手千眼観世音菩薩像」が祀られています。
秘仏ですが毎月17日と18日に開扉されるようです。
「本堂」は土足のまま入ることが出来て、本尊が安置されている厨子の側まで近づき拝めるようになっています。
「楊谷寺」の本尊が眼の観音様「柳谷観音」と言われるのは、「弘法大師空海」が成就した眼病平癒の霊水「独鈷水」が世間に知られるようになったからです。
811年、「弘法大師空海」が長岡京市にある「乙訓(おとくに)寺」の別当だった時に、「楊谷寺」へ度々訪れて本尊に参拝していました。
ある日、「弘法大師空海」は境内にある岩窟の湧き水が溜まっている場所に、猿の親子がいるのを見かけます。
猿の子供は眼が見えないようで親猿が子猿のために一生懸命、湧き水で子猿の眼を洗っていることに「弘法大師空海」は気づきました。
猿の親子は毎日、この場所に来て同じ行動をしているので「弘法大師空海」は、子猿の眼が良くなるように加持祈祷を行うと、17日目に子猿の眼は開眼したそうです。
「弘法大師空海」は湧き水が眼病平癒に効験のある水だと悟り、眼病に苦しんでいる人の為に霊水にすることを決め、独鈷で深く掘り広げて17日間溜まった湧き水をかき混ぜながら加持祈祷を行い、眼病平癒の霊水「独鈷水」に成就したと言われています。
江戸時代に「霊元天皇」が「独鈷水」で眼病を治癒されたそうで、これをきっかけに「独鈷水」は都が東京に遷都するまで天皇家に献上し深い関係をもっていたそうです。
「楊谷寺」を囲む塀には天皇家と深く関わる寺格の証拠である、白い線(定規筋)が5本引かれています。
白い線を引かれた塀のことを「筋塀」と呼び、白い線が多いほど寺格が高く、最高5本の線が引かれるそうです。
「独鈷水」は「本堂」の左手に入口があります。
奥へ進むと「弘法大師修行像」があります。
「弘法大師修行像」から右手に進むと、「独鈷水」の入り口があります。
「独鈷水」は自由に持ち帰ることが出来るようですが一度、本尊にお供えしてから持ち帰り、本尊にお祈りしながら眼を洗うと眼病平癒に効験があると言われています。
その他の堂宇や史跡を紹介します。
「山門(勅使門)」を抜けると左手に「手水舎」、「鐘楼」があり、右手に「地蔵菩薩像」が安置されています。
「本堂」の左手には「庫裏」があります。
「本堂」の右手には「阿弥陀堂」、「お茶所」、「寺宝庫」があります。
「阿弥陀堂」は本尊に「阿弥陀如来像」を祀り、かつて「念仏堂」と言われていたようです。
「阿弥陀堂」の厨子は「淀殿」が寄進したものと伝えられていています。
かつて「本堂」の厨子として使用されていましたが、徳川の時代になって厨子の扉に豊臣家の家紋が入っているので、遠慮して「阿弥陀堂」へ移したと伝えられています。
「お茶所」は参拝者が休憩する場所ですが、中に「お火除けさま」という仏像が安置されています。
「お火除けさま」は「奥ノ院」に祀られていた四国八十八ヶ所の本尊の模刻仏で、1915年に「奥ノ院」が火災で焼失した中で奇跡的に難を逃れた仏像だそうです。
「阿弥陀堂」の左手には「護摩堂」、「経堂」、「地蔵堂」があります。
「経蔵」の左手に「中陽門」があります。
「中陽門」を抜けると右手に「弁天堂」、「麗顔成就の水」があります。
「弁天堂」には「弁財天」が祀られていますが、お前立ちとして「淀殿」の人形が安置されています。
「淀殿」は「楊谷寺」の本尊を信仰し寄進などされたという話を聞いた信者さんが、この「淀殿」の人形を寄付したそうです。
「弁天堂」の左手に「麗顔成就の水」があります。
「麗顔成就の水」で顔を洗うと女性は美人に、男性は男前になるそうです。
龍の口から水が出るのではなく、下の蛇口から水は出るようです。
「弁天堂」から石段を上がると、「眼力稲荷大明神」が祀られています。
「眼力稲荷大明神」からは坂道になり、「奥ノ院」へ向かっていきます。
坂道の初めには小さな池があるんですが、この小さな池に天然記念物モリアオガエルが産卵するそうです。
「奥ノ院」へ行く坂道を登っていくと「納骨堂」、「十三重石塔(多宝塔)」があります。
坂道を上がりきると「奥ノ院」があります。
「奥ノ院」は1912年に建立されて、江戸期の「中御門天皇」が両親の追善供養のために自ら刻んだ、「十一面千手観世音菩薩像」を本尊として祀ったそうです。
「奥ノ院」は1915年に火災で焼失し、1930年に再建されたものです。
奥ノ院手前。洛西三十三ヶ所観音霊場、第10番札所に指定されてる。
「本堂」の左手にある「庫裏」の裏に「書院」があるのですが、「書院」から「奥ノ院」まで回廊で繋がっています。
この回廊は「あじさい道」と言われ周辺にあじさいが植えられていて、6月には「あじさいまつり」が開催されるようです。
現在、回廊周辺が工事中で回廊には入れませんでした。
「あじさい道」は6月に開催される「あじさいまつり」だけでなく、京都府指定名勝に指定されている「浄土苑」を拝観するためにも利用されます。
お寺にお願いして「あじさい道」まで行けませんでしたが、「書院」から「浄土苑」を拝観させて頂きました。
「奥ノ院」の裏には「奥ノ院眼力稲荷大明神」、「愛染堂」があります。
愛染堂。愛染明王像を祀る。恋愛、縁結び、家庭円満に御利益がある。
最後に「愛染堂」の前には「あいりきさん」と言われる、石板を背負わされている「天邪鬼」が安置されています。
「あいりきさん」の頭を撫でると、夫婦間の様々な問題を解決してくれる御利益があるそうです。
「あいりきさん」は男性のシンボルをむき出しにしていて、夫婦間の様々な問題のうち、特に性愛の解決に御利益があるそうです(/ω\)
あいりきさん。さすがにそのままは載せませんのでモザイク処理。
石板の表には寄付された方の名前が刻まれているのですが、女性の方の名前がほとんどで驚きましたね∑(゚Д゚)