今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、「叡福寺」のすぐ南にある「西方院(さいほういん)」です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第8番札所「南向山(なんこうざん) 西方院(法楽寺)」。創建は622年。開基は「三侍女 善信尼(ぜんしんのあま)、禅蔵尼(ぜんぞうのあま)、恵善尼(えぜんのあま)」。宗派は「浄土宗」。本尊は「阿弥陀如来像」、新西国観音霊場の本尊は「十一面観世音菩薩像」。
詠歌 「むらさきに 雲のにほひて 観世音 在(おわ)しまします 西方の空」
「聖徳太子」が亡くなった後の622年、「聖徳太子」の乳母であった「蘇我馬子」の娘「月益(つきます)」、「小野妹子」の娘「日益(ひます)」、「物部守屋」の娘「玉照(たまてる)」の三姫が剃髪し「善信」、「禅蔵」、「恵善」と称して、「聖徳太子」の廟所がある「叡福寺」の前に「聖徳太子」の菩提を弔うためにお寺を建立し、「聖徳太子」の遺髪を納めて、「聖徳太子」が刻んだ「阿弥陀如来像」を本尊として祀ったのが「西方院」の始まりとされています。
「善信」、「禅蔵」、「恵善」の3人は総称して「三尼公」と呼ばれています。
当時は「叡福寺」の塔頭で「法楽寺」と呼ばれていましたが、やがて荒廃してしまい、1639年に「蓮誉寿正尼(れんよじゅしょうに)」によって再興され、「西方院」と寺名を改めて現在の寺観に至っているようです。
「西方院」は「叡福寺」の境内外にある、「隔夜堂」の横の石段を上がって行きます。
坂道を上がると「西方院」と刻まれた扁額が掲げられている門があります。
門を抜けると「山門」前に辿り着きます。
「山門」を抜けると真正面に「本堂」があります。
「本堂」には本尊の「聖徳太子」作と言われる「阿弥陀如来像」、「三尼公像」、「聖徳太子2歳像」が祀られています。
新西国観音霊場の本尊「十一面観世音菩薩像」は、「本堂」の右手にある「観音堂」に祀られています。
「十一面観世音菩薩像」は平安中期の天台宗の僧、「恵心僧都(えしんそうず)源信」作と伝えられています。
「西方院」のその他の堂宇などを紹介します。
「山門」を抜けて左手には「鐘楼堂」があります。
「本堂」の左手には「納骨堂」があります。
「納骨堂」には「聖徳太子」の御遺髪が納められています。
境内の外に墓地があって、墓地内に「三尼公御廟所」があります。
「三尼公御廟所」には3基の多層石塔があり、中央が1番大きいものとなっています。
最後に「善信」、「禅蔵」、「恵善」の三尼公は、「聖徳太子」の廟所がある「叡福寺」を見渡せる場所に、乳母ですが自分たちの息子のように見守っています。