今回、紹介する新西国三十三ヶ所観音霊場は、大阪府高槻市にある「神峯山寺(かぶさんじ)」です。
客番札所「安岡寺」と近いので、「安岡寺」を先に拝観してから「神峯山寺」へ拝観するという形になっていて、「安岡寺」で「神峯山寺」への行き方が書いてある地図を頂けます。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第14番札所「根本山 神峯山寺」。創建は697年。開基は「役小角(えんのおずぬ)」。宗派は「天台宗」。本尊は「毘沙門天像」。新西国観音霊場の本尊は「聖観世音菩薩像」。
詠歌 「かぶの山 すずしき音の かよひ来て 心のそこに ひびく滝つせ」
「神峯山寺」の始まりは葛城山で修行していた「役小角」が、北の方角に五色の雲がかかり、黄金の光を発しているのを見て霊感を感じ、「役小角」がこの地を訪れた時に1人の「金比羅童子」と出会い、「金比羅童子」が示した霊木で4躰の等身大の「毘沙門天像」を刻んだ。
4躰の「毘沙門天像」は京都の鞍馬山、奈良の信貴山、神峯山の北峯へとそれぞれ飛び去り、1躰のみが留まった「毘沙門天像」を祀ったのが「神峯山寺」の始まりとされています。
774年、「安岡寺」の開基である「開成皇子(かいじょうおうじ)」が、父「光仁天皇」の命により「神峯山寺」の住職となって、本堂などの伽藍を建立し本格的な仏教寺院となったようです。
「光仁天皇」以降、歴代天皇の勅願所として、「足利義満」や「淀殿」のなどの寄進で繁栄し、仏教の聖地として比叡山や葛城山などの七高山の1つに数えられ、七堂伽藍、僧坊21、寺領は1,300石と大きな寺院になったそうです。
現在の「神峰山寺」の寺観は1756年に火災で焼失し、1776年に再建されたもので、かつての繁栄の大きさはないようです。
「神峯山寺」には車で「山門」側の第1駐車場、「山門」から少し離れた「金比羅大権現」が側にある第2駐車場まで行くことが出来ます。
徒歩では府道6号線のバス停から「山門」まで、約30分かけて歩いて行かなければいけません。
この鳥居から約800m坂道を登って行く。車では楽だけど、徒歩ではしんどいと思います。
「鳥居」の側には「牛地蔵」があります。
昔はこの付近を「京坂越え」と言って、牛や馬などに重い荷物を引かせて急な坂道を行き来したそうです。その労わりと感謝の気持ちを込めて牛の地蔵を祀ったそうです。
第2駐車場付近には「勧請掛」や「金比羅大権現」があります。
「勧請掛」は縄に樒(しきみ)を結びつけて、聖地との境界を意味しているそうです。
大阪商人たちはその縄の高低長短によって、毎月の米価を占ったと言われているようです。
「山門」付近には「役小角」ゆかりの「笈掛石(おいかけいし)」があります。
案内やHPなどに説明がないので分かりませんが、いろいろ他のブロガーの方が書かれているのを見ると、「役小角」が修行している際に、悪魔が修行の邪魔をしてくるので怒ると、悪魔は逃げだし後を追いかけると、この「笈掛石」で袈裟を残し姿を消し、「役小角」が袈裟を触れると「弁財天」の声が聞こえたという。
山門を歩く被衣(かずき)を被る女性の後を「役小角」が後を追いかけると、この「笈掛石」に被衣に掛けて姿を消した。
いろいろ説はあるようですが、「衣を掛ける」、「追いかける」から名がきているんでしょうね。
第1駐車場側には「山門」があります。
山門前には寺名を知らせる石碑。神峯山寺は日本で最初に毘沙門天を祀ったお寺です。
「山門」には「仁王像」が安置されています。
阿形。金網で非常に撮り辛い。こういう仁王像を撮影するのは非常に難しい。
「山門」右手には「真珠院跡庭園」があります。
「山門」を抜けると一直線の参道があります。
参道を少し進むと左手に「寂定院」、右手に「嶺峰院 回向堂」があります。
嶺峰院 回向堂。阿弥陀如来を祀り、葬儀や法事を行う場所のようです。
少し進むと左手に「宝塔院(本坊)」、右手に「龍光院」があります。
「龍光院」の側には「筆塚」、「白龍王社」があります。
「神峯山寺」にはカリンの木が多くあって、参道にたくさん落ちていました。
かなり多く実っていて落ちてくるんで、頭上注意の注意書きがあるほどです。
「本坊」で入山料を支払うのですが、御朱印代を支払えば入山料は支払わなくていいみたいです。
「本坊」から石段があって上がると「本堂」があります。
「本堂」には秘仏(絶対秘仏かもしれません)である「毘沙門天像」を3躰、毎年秋に開扉される秘仏の「毘沙門天像」1躰を祀っているようです。
他に重要文化財の「阿弥陀如来像」、同じく重要文化財で新西国観音霊場の本尊である「聖観世音菩薩像」2躰など、様々な仏像が祀られているようです。これらの仏像は事前予約していれば、住職さんの説明と共に拝観できるようです。
「毘沙門天」は戦勝の仏神なので、南北朝時代には「楠木正成」、室町時代には「足利義満」が帰依したと伝えられているそうです。
「本堂」右手には「東堂」があります。
「本堂」よりさらに石段が続いており、上がると「開山堂」があります。
「本堂」からは「観音堂」へ行く廊下が繋がっています。「本坊」にも繋がっているようです。
本堂から廊下があって下方向は本坊、左上方向は観音堂と繋がっている。
「観音堂」の側には「光仁天皇」の分骨が収められている、「十三重石塔」があります。
「十三重石塔」の上には「開成皇子埋髪塔」があります。
山の斜面上にあり道もなく、案内のマップには載っているのですが、山の斜面は関係者以外立ち入り禁止になっているんで注意が必要です。
「観音堂」の上には「鐘楼堂」があります。
「鐘楼堂」下には「水子地蔵」があります。
最後に「本堂」の東側には、「九頭龍滝」という滝があります。
「役小角」はこの「九頭龍滝」の水しぶきが光るのを見て、この地へやってきたと伝えらているようです。