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 ヒマジンノ国

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IMAXで、映画「ヒックとドラゴン」を鑑賞。

 

英国の児童文学を映画化した作品です。この実写版に先行して、3Dアニメの映画シリーズがあり、これが欧米では人気がありました。自分も2作目までは観ていると思います。

 

 

↑、3Dアニメ版。全部で3作あります。ここでのアスティ(右端)はブロンドです。

 

人気があるのは分かったうえで、実写版の登場となったようです。ただこの作品も公開前は色々な噂が飛び交い、心配の声があがっていた作品です。

 

最近のハリウッド映画はDEIの問題が多く、原作ありきでも、作る側が勝手に改変して、政治的なメッセージを入れたりするので、観る側も実際に公開されるまでは心配でなりません。

 

たとえば今回もヒロインのアスティ役の女の子が、ニコ・パーカーということで色々な憶測呼んだようです。ニコ・パーカーの母親は女優のタンディウェ・ニュートンで黒人です(父親は映画監督のオル・パーカー)。

 

 

↑、ニコ・パーカーの御両親。真ん中がニコ・パーカー。

 

原作のアスティは北欧のヴァイキングの女の子という設定なので、肌も白く、髪の色は金髪という設定。しかしニコ・パーカーは、肌はいうほど黒くないですが、髪はブラウンヘアーで原作と違います。瞳もブルーではありません。この辺の事情から、色々な憶測が飛び交っていたようです。

 

ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。ここで少しですがDEI( diversity、equity、 inclusion、多様性、公平性、包括性)の政治思想について触れています。

 

最近ではレイチェル・ゼグラー主演のディズニー作品「白雪姫」での失敗が有名です。ディズニーはポリティカル・コネクトネスに配慮し、本来「雪のように白い肌」を持つ、白雪姫にやや浅黒い肌を持つ、レイチェル・ゼグラーを起用。さらに王子役の男性が登場せず、山賊のリーダーに変わっているなど、原作を変えてまですることなのか、分からない点にまで改変を加え、多額の予算を投じたのにも関わらず、興行的には失敗しました。

 

作り手は、観客の好みを顧みず、彼らのいう「平等性」をねじ込みました。しかし結局映画は娯楽なので、楽しみを奪われてまで観たい映画など、ごくごく稀です。本来なら、お金を払ってまで、説教されたくないわけです。

 

今回の「ヒックとドラゴン」にもその懸念が公開前にはあったようですが、ふたを開けてみると、そのような不満はほとんど出ず、高評価の映画となったようです。

 

ニコ・パーカーの件以外は、概ね原作通りだと思います。アニメ版と同じ監督で、ドラゴンのデザインなども、アニメからいじっておらず、可愛いいデザインのままです。

 

ヒロインのアスティについても、確かに北欧の女性なら金髪だというイメージはあります。しかし今回ニコ・パーカーはかなり可愛い子で、茶色い髪色ですが、個人的にはそこまで気になりませんでした。むしろ顔の表情など3Dアニメの印象に近い気もしました。全く悪い気はしない配役だったのではないでしょうか?

 

全体を通しても、普通に面白い映画で、先日のジュラシック・ワールドよりお子さんが観るには良いのではないかと思いました。良心的な映画だと思います。映像もIMAXで観るだけの迫力はあると思います。

 

石破総理が辞職を表明したそうです。いつ辞めるのかは、まだ分かりませんが・・・。周りから色々いわれたようですね。

 

結構石破さんを擁護する声も聞きます。全部だめだった、ということでもないんでしょう。

 

ただ、最近国民の多くが気にしている、「移民問題」や、環境破壊してまでの、「メガソーラー建設」、あるいは水道などのインフラが、民営化されるのではないか?という懸念などには、最後まで何も答えませんでした。

 

答えてるのかもしれませんが、伝わってきません。

 

国の根幹や、規律がおかしくなっていることに対する不安が、前回の参議院選の結果だったと思います。だから選挙に負けたんですよね。辞任は妥当だと思います。自分もそう大したことはいえませんが、それにしても、諸外国やビル・ゲイツにお金を配ったりして、何も勉強してないとしか思えませんでした。勝手やな、とは思いましたね。余談ですが、最近の政治家は、知事や市長も含め、住民の意見を何も聞かないで、勝手に物事を進める人が多すぎますね。別にあなたたちは偉いわけじゃないんだぞ、という話。

 

石破さんの場合は、偉そうに書いて申し訳ないけど、勉強してないというか、頭の中が古いとしか思えません。見ていると不安になる人物ではありました。

 

後任とかどうするんでしょう?・・・微妙なメンツばかりしかいないような気が(-_-;)・・・誰かいますかね?石破さんとそんなに変わらない人ばっかりなような気もしますが・・・。

 

とりあえず、上にも書いた、近々の問題に対応してくる人がいれば良いですが。

 

独立行政法人「JICA」が進める、日本の4都市、千葉県木更津、山形県長井、新潟県三条、愛媛県今治をアフリカの「ホームタウン」と認定し、当地からの「移民促進」を図るのではないかという話で、ネットは炎上しています。

 

JICAは移民政策にはつながらない、としていますが、多分これは二枚舌だと思います。

 

前回の参議院選挙で、我が国における「移民問題」が顕在化し、問題視されるようになってきたのに、未だに同じことを繰り返す連中ばかりです。

 

 

他に色々出回っている資料を見ると、多分移民は可能だろうということです。

 

クルド人を始め、ベトナム人や中国人等による、邦人のレイプ、窃盗、殺人、交通事故など、様々な事件が起きているのに、行政や司法は問題視せず、放置しています。アフリカの移民はそれ以上に問題が多いとされ、非常に危険だといわれているようです。

 

このように色々いわれているように、これらの政策を進めているのは本当に日本人なのだろうか?という疑問が浮かびます。

 

個人的には「ホームタウン」計画は白紙一択しかないと思います。

 

現在我が国では40人に1人ほどが外国人だといわれており、これを全人口の10パーセント迄引き上げたいというのが、多くの政治家や、リベラリストたちの意見のようです。これは非常に危険だと思います。

 

米国ではUSAIDが解体され、多くのNGOの資金が断たれたといいます。NGOも政府から独立した機関といいながら、米国民の税金で、実際の理念と違う政治的活動をしていた可能性があり、これがリベラル系の活動家の資金源になっていたということです(彼らも移民政策を行っていた可能性があります、ですのでトランプは移民に対して強権的な指示を出しているようです)。

 

 

そしてJICAを始めとする、日本の独立行政法人も「独立」といいながら政府からの税金で運営されており、大問題だと思います。

 

 

↑、JICAの予算はなんと2・6兆円。そしてJICAは財務省の天下り先といわれています。

 

 

こういう人たちが移民政策を進めているわけです。

 

同時に各都道府県の首長たちも案の定、こうした政策に表立って反対しません。一体どういうお金の流れがあるのか?

 

 

↑、JICAの移民問題に対して、ネット上で質問者に対してマウントを取る、千葉県の熊谷知事。結構なクソ野郎です。この後一部謝罪しましたが、ネットの規制が必要だといい出す始末。

 

 

しかし、なんというか、こういう話を書かなければいけないのが悲しい話だと思います。特に最近は政治の話を書くと、沢山湧いてくる問題に文句ばっかりいわなければならないので、気が重いです。

 

いっそ書かない方が楽で、書いても何ら効果がないのではとも思ってしまいます。しかし、事実はそうではなく、やはり多くの人が発言したり、活動したりすることで動き出している案件もあります。

 

実際民意の盛り上がりで、埼玉のクルド人問題は動きが出てきています。

 

 

↑、違法入国なので強制送還は当たり前だと思います。

 

 

↑、先に強制送還されていた、埼玉のクルド人のリーダー格だったマヒル氏は、本国で既に逮捕されているそうです。犯罪者だったということです。

 

そしてマヒル氏に感謝状などを渡していた、埼玉の大野知事ですが、手のひらを返して、トルコ人のビザ免除停止を求めだしているといいます。

 

 

↑、今さら何を、という感じで頭に来ますが、しかし民意が動くことによって、政治家も動かざるを得なくなった、ということだと思います。ですので、最近嫌なニュースも多いですが、我々は発言を続けていくしかないと思います。

 

しかし、「甘いものに蟻がたかる」ではないですが、お金のある所に人がたかるって感じでね。何とかならないかと思いますね。

 

弥助問題 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。

 

8月23日、サントリーホールで、アダム・ヒコックス指揮、東京交響楽団で、ショスタコーヴィチ交響曲10番、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲2番(ソリスト、谷昂登)、リャードフ・交響詩「魔法にかけられた湖」を鑑賞。

 

今年後半は仕事の予定が全く分からず、行きたいコンサートを全て断念(泣)。短期的に取れそうなコンサートを、取れれば取りたいと考えています。このコンサートもそんな感じかな。

 

ショスタコーヴィチは、今年6月にやった、ボレイコの交響曲11番を聴きたかったのですが、仕事で無理でした。それならと思い、ショスタコーヴィチ10番をやるので、今回チケットを取ったのですが、調べてみると指揮者のアダム・ヒコックスはまだ29歳の若さだといいます。さすがにあんまり期待しない方が良いかも・・・と思いつつ出かけました。

 

ところが!!これがめっちゃ良かったです。

 

 

↑、アダム・ヒコックス。父親もリチャード・ヒコックスという指揮者(2008年に他界)。今日はヒコックスが登壇した時から、紳士的な感じがしました。英国人。

 

リャードフもラフマニノフも良かったですが、やはりメインのショスタコーヴィチ。個人的にはショスタコーヴィチでいうと、4・5・6・7・8・10・11番の交響曲が好みです。昔は10番が1番好きでしたが、最近は11番に惹かれます。

 

10番を実演で聴くのは初めてです。その辺の喜びもあるので、少し大袈裟になりますが、今日の演奏会は今年1番感動しました。

 

ヒコックスは若いのに、何だか上品な感じで、演奏もエレガントに歌いつつ、機動力も兼ね備えています。また外面的な音作りをせず、音に意味を持たせます。ですのでキンキンする金属的な響きは皆無、音量も必要以上に大きくなりません。その分、音楽を曲そのものに語らせ、内面的な情熱を感じさせました。

 

ウーン、若いのに、最近の人ではないみたいな感じの指揮者です。才能ありの人物だと思いました。

 

 

第2楽章のスケルツォでは、相当なアップテンポながら、統率力があり、速いテンポのリーニフのように、音のつながりを追うだけではなく、曲の内面的な意味も追うので、有機的な躍動感もあり、オケのドライブ感は素晴らしかったです。

 

恐らく彼は、この曲の全体像を自分なりに把握しており、第2楽章も、彫りの深いスケルツォを展開。個人的には今まで、歴史的な録音などで聴いた、この曲のスケルツォと比べても、1番カッコ良いと感じました。若々しく、スポーティでさえありました。

 

第1楽章も、楽章頂点で見せる異様な緊張感も素晴らしく、自分は若干涙ぐみながら、なおかつ微動だにせず、聴き入りました。この辺の緊張感が出ないと10番は台無しですが、この日は巨大な壁画の如く屹立しました。素晴らしいです。大事なところでホルンがミスったので、幾分感動がそがれましたが。

 

他の楽章も素晴らしく、聴き応えがありました。凶悪な強音部も迫力ありです。全体を通して、ショスタコーヴィチを聴いた、とちゃんと思えました。

 

何より曲の内面にある「情熱」を表現してくれたのが、大きいと思います。こういう演奏が最近は少ないんじゃないかと思いますね。終演後のお客さんの反応を見ても、やっぱり皆、こういう演奏を求めているんだ、と感じましたね。

 

感動的でした。

 

 

先日シリーズ7作目となる、「ジュラシック・シリーズ」を映画館で鑑賞してきました。自分は子供の時から恐竜が好きで、図鑑などを読んでいた記憶があります。そのせいか、このシリーズは全作映画館で鑑賞しています。

 

以下簡単に感想を書きますが、ネタバレしています。

 

前作6作目の「新たなる支配者」では、過去作の主人公が総出演し、いかにも「まとめです」的な展開で終了。話の内容も、人間の主人公ら、誰をメインで見てよいか分からずに、勢いだけで進み、本来の主人公である、恐竜の魅力が薄い作品でした。過去の主人公が全員出てくれば、「お客さんも喜ぶだろう」的な考えの、俗っぽすぎる、ハリウッド的作品とでもいえば良いのでしょうか?

 

このシリーズの初めの2本ぐらい(ジュラシックパークとロストワールド)は、遺伝子工学を使いながら、存在していない恐竜を現代に復活させる、という夢のある話で、同時に人類が自分勝手に遺伝子を扱って良いのか?というような問題提起なども感じられた作品でした。

 

しかし、3本目ぐらいからそんな小難しい話はどこかに吹き飛んでしまい、4本目では再び「恐竜のパーク」が復活、案の定そのパークも崩壊、観ている方をバカにしているのか、というべき話の進み方で、この辺も、さすがハリウッド、といったところ。

 

バカな話やな、と思いつつ、自分も結局全部映画館で観ているので、偉そうにできません。

 

要は恐竜ムービーは儲かるので、フランチャイズになった、ということです。

 

今回「復活の大地」もどうでも良い展開ですが、遂にパークは完全になくなり、単純に、恐竜の生息地に向かう話です。この新作は賛否があり、面白くないという人も多いようです(遺伝子恐竜の部分の批判が多いようです)。しかし、今さらこのシリーズの内容をうんぬんして何になりましょうか?

 

個人的には海での恐竜登場シーンなど良かったです。モササウルスが登場します。一応過去作でも出ている海生の巨大爬虫類です。あまりに大きくて、そこからすでにちょっと意味不明です(モササウルスは白亜紀の海トカゲ竜で、せいぜい12メートルぐらいの大きさです)。この映画内では、多分30メートルあるぐらいの設定かと思いますが、ほとんどクジラです。まあ、恐竜の知識がない人にはどうでも良い話でしょうけど。

 

 

↑、無駄に大きいモササウルス。遺伝子操作されているとかの設定でしょうか。

 

スピノサウルスとモササウスルスの登場する、海上でのチェイスシーンなどはかなり面白かったです。

 

このシリーズ、「ジュラシック」となっていますが、アパトサウルス(ブロントサウルス)とか、過去作に出たステゴサウルスとかは、ジュラ紀の生物ですが、ティラノサウルスとかトリケラトプスなどは白亜紀の生物で、そういう時代が前後する生物がごちゃ混ぜになって登場します。

 

ジュラシックといいながら、ジュラ紀だけの生物が登場するわけではありません。

 

恐竜のいた時代は6500万年以上前の、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀を含む中生代という時代で、映画の中では、それらの生物が混ぜこぜになっていますね(我々が住む時代は新生代の第4紀)。

 

今回の主人公はスカーレット・ヨハンソン演じる凄腕傭兵。ですが、初めの海のシーンでボート上から銃を撃とうとして、すぐに落ちそうになったりします。何かと余裕ぶってますが、あんまり凄腕には見えません。正直、人物描写は浅いしかなりグダグダです。その分、前作より恐竜の描写を落ち着いてみることができて、個人的には好きな作品です。

 

登場人物は役割の薄い人物から徐々に殺されてゆき、悪役は暴走して自滅、良く分からない親子は全員助かります。主人公らの恋愛は匂わせ気味で済ませます。いつもの定番メニューで話は進み、何ら変哲もないお話です。そろそろ何か視点を変えた描き方が、欲しいところではあります。

 

一応新機軸があるとすれば、遺伝子操作の怪物でしょうか?この辺は色々いわれてますね。あそこまで行くと、もう恐竜じゃないですからね。

 

米国でのオープニング成績は結構良かったそうなので、多分次回作もあると思います。最近のハリウッドはポリコレに配慮した、ディズニーの白雪姫とか、マーベルの作品などが次々と爆死。そういう中では一応このジュラシックシリーズは昔のままの作品でしょうか?

 

こういった何も考えずに観られる作品というのも、最近の傾向からすれば、悪くないと思います。しかし、あまり変哲のない作品にしかお客が来ないとなると、ハリウッドも斜陽ですね。

 

参議院選挙後、日本の政治は色々カオスになっている感がありますね。統一教会に解散命令が出ましたが、彼らを擁護する人が未だにいます。

 

NHK党の浜田聡氏は優秀ですが、統一教会との関係が噂されています。

 

1955年、吉田茂の自由党、鳩山一郎の日本民主党が日本社会党に対抗して、合併。自由民主党ができます。背景には自由経済の米国と、社会主義のソヴィエトの対立があります。これが55年体制ですね。

 

国際的な背景にある、資本主義陣営の「共産勢力に対抗」する、というテーゼがいつの間にか、日本国内では「保守」という存在の重要な要素の1つとなりました。そこに狙いを定めたのが共産主義と対峙することを旨とした組織、「勝共連合(国際勝共連合)」です。

 

そしてこの、勝共連合の母体が統一教会であり、本来日本の保守とは何の関係もない彼らが、日本国内に忍び込む前提となりました。

 

正直彼らは日本人に良いことなどしていないと思いますが、政治が彼らを守ることによって、彼らはずっと国内で活動してきました。

 

ところが遂に、「親中」とか「媚中」とかいわれる、岸田、石破政権になってやっとのことこの「統一教会」が冷遇されるようになってきたと思います。媚中連中にとっては「勝共連合」は敵ですね。

 

別に岸田政権や石破政権を擁護するつもりはないですが、不幸中の幸いというか、中国と仲が良いことによってなし得たのが「統一教会」の解散命令だったと思います。

 

確かに統一教会だけを狙い撃ちした解散命令を、「宗教弾圧」だという人もいますが、それ以前に「統一教会」という少数カルトが政治に関わっていること自体がおかしいのであって、また再び彼らを復活させようとか、あり得ないと思います。

 

中国共産党と戦うにしても、「統一教会」の協力なしでやれ、という話です。

 

こういうことばっかりやるのなら、浜田さんも応援止めようかな、と考えています。

 

 

↑、統一教会に関係の深い人たちの多くは、日本人は贖罪(!?)のために、税率を上げよ、という発想らしいです。

 

 

↑、実際国民負担率が非常に高くなっているという話ですね。個人的には統一教会は、「ささやき女将」みたいなものだったと考えています。解散命令は妥当だと思うんですが。

 

創価学会とか統一教会とか、少数の活動家の意見が、多数の民衆の意見に反して反映されるってのがそもそもおかしいので、政治家はその辺のけじめをつけないと駄目でしょう。

 

色々応援してみようかな、と思える政治家もちょいちょいおかしなことをしているので、中々本心から応援しようと思えないんですね。浜田さんの話中心で書いてますが、他の政治家も大概です。

 

参政党の憲法草案はかなりひどいし、日本保守党もね、55年体制を引き続きやりたいみたいな保守ですよね。時代遅れ感は否めません。国民民主は初めからダボス寄りでしょう。

 

また他にも、蓮舫の祖母は旧国民党のスパイだし、当選しませんでしたが、平野雨龍氏が香港の活動家であるのはほぼ確定ですね。

 

 

↑、雨龍氏は香港の活動家「周庭」と同じかなと思います。彼らはCIAと関係があるはずです。こうなってくると「スパイ防止法」が欲しいと思う人がほとんどだと思います。しかし「スパイ防止法」を求めているのも、旧統一教会関係者が多いという話で困りものです。「スパイ」が「スパイ」を取り締まるだけの法になりかねませんが。

 

 

↑、かつてビートたけし氏に「台湾経由の中国のスパイ」といわれた蓮舫氏ですが、そのおばあちゃんは第2次世界大戦中のガチのスパイだったといわれています。他の怪しい政治家との関係も浮かび上がってきますがね。蓮舫なんて、得票数も低いのになんで当選させてしまうのか、という話です。一部の人にとっては何か象徴的な人なんでしょうかね?

 

本当に日本の政治状況はカオスですね。

参議院選挙が終了し、自公の与党が過半数を得ることができずに、敗北しました。でも自公で47議席あるので、思っていたより酷い負けでもなさそうです。

 

今後はどうなるんでしょうね。後々1度や2度の選挙で世の中良く成るかは疑問です。しかしこの道を通っていかないと、日本の政治の修正はできなさそうです。最低でも10年はかかるんでしょうか。

 

「資本主義と共産主義の戦い」という構図はずいぶん前から壊れているのに、未だに55年体制の自民党が政権与党におり、それが中々改善しません。時代に即していない政治家ばかりとなり、今回一応参政党や日本保守党などが出てきましたが、これから彼らの見極めをして、新しい政治体制を作らなけらばいけない、というのはかなり大変だと思います。残念ながら、今までやってこなかったツケだと思います。

 

今回の選挙で自民党はオワコンとなればまだ良いかもしれません。

 

そして、まずは国民の、政治内容に対する認知がどれ具合のものになるかという課題があると思います。

 

今回自民党にいれたメイン世代の、60代70代の方々は、今後当然減っていきます。別に彼らがいなくなれば良いとか、そういうことをいっているつもりはありません。少し極端に書きますが、彼らの多くは知識のアップデートをしないので、あくまで私見ではありますが、正直政治については、現代に合わない、という認識が自分にはあります。自民党に投票し続ければ、若い人たちに、どうしてもしわ寄せがいくのでは?と考えています。

 

良く若い人たちが選挙に行かないのが良くない、という意見を聞きます。その通りなんですが、それよりも自分が思うのは、彼らの親の世代がちゃんと選挙に行く姿を見れば、若い人も政治に興味を持つようになるんじゃないか?ということです。逆にいえば、今まで親の世代が政治に興味を持たなかったので、若い人らも政治に興味を待たなくなったんじゃないか?とも考えています。自分のことを思い返しても、やはり若い時は政治に興味がありませんでしたし、選挙には行きませんでした。

 

ちゃんと勤労している親の世代が、しっかりと政治に興味を持って、子供も一緒に連れて行っても良いと思うので、選挙に行くとかしたらどうなんでしょう。子供も親の姿を見ていると思うんですよね。

 

リタイアしたから時間があるので政治に興味を持つ、とかではなくて、ちょっと大変かもしれませんが、勤労世代がちゃんと政治に興味を持って、能動的に選挙に行くのが1番大事だと思います。

 

 

立憲の蓮舫氏が当選して、NHK党の浜田氏が落選しました。浜田さんもNHK党に所属しているので、そこは問題だと思いますが、彼は非常に優秀で、参議院で1番質問書を提出しています。こういう人が国会には1番いるんだと思うんですが、23万票以上を取りましたが、落選。

 

 

選挙は本当に知名度で勝負が決まってしまうので、困りものだと思います。オリンピック選手とか正直どうなん?とか思ったりしますが・・・。良い仕事をするのかもしれないので、ここで色々書いても仕方ないとは思いますが。

 

 

こういう誰が仕事をして、していないかという部分ももっとはっきりすると良いと思いますし、各自で調べないとな、という話なのだと思います。

 

今日はサントリーホールで、アラン・ギルバートによるブラームスの交響曲1番・2番を鑑賞しました。オーケストラは東京都交響楽団です。

 

アラン・ギルバートは米国の指揮者で、日米のハーフ。ニューヨーク・フィルの音楽監督だった人です。

 

18、19日はサントリーホールで交響曲1・2番、来週会場を東京文化会館に移して3・4番をやるそうです。自分は今日だけの鑑賞です。

 

以下はあくまで個人的な感想です。

 

さて、1番に関しては、音楽の表情を丁寧に描き分けるやり方で、滑らかで自然な歌のあるブラームスでした。聴いているとほんのり、欧米風の風味を感じます。

 

各所で色々拘っているなと思わせる表現で、表情が多彩でした。強音部も厚みがあり、立派に響きます。フィナーレなどホルンの響きが雄大で、なんだかブルックナーのようなだな、と感じた瞬間もありました。こういうのは北ドイツ共通の、風景画のようなものなんでしょうか。

 

全体を通して聴くと、造形が立派で、何をやりたいか良く分かる演奏でした。

 

しかしどうなんでしょう、ブラームスの交響曲1番にはこの作曲家特有の、くすぶる情熱が、その曲調にも滾っているように思えますが、アラン・ギルバートは非常に冷静に演奏しているようでした。

 

今回、アラン・ギルバートは初めて聴きましたが、個人的には、こういう冷静な演奏は、マーラーとかのブルックナーの方が実りが出るという感じがします。違う作曲家の演奏を聴いてみたいと感じました。特に後期のロマン派辺りなど。

 

ですので、この演奏における造形の立派さは、その冷静さ(客観性)に支えられていると思います。他方、ブラームスの持っている熱い情熱のたぎりは、やや後退し、そこは個人的にはちょっと物足りなさを感じました。人によっては内容空虚と捉える人もいるかもしれません。

 

所沢で聴いた、ルイージのブラームスには熱っぽい情熱を感じたので、その辺の差は面白いと思います。ルイージなんかはマーラーとか、ブルックナーみたいな音を広げる作曲家には、本来向かないかなというのが、個人的な感想です(だからといって、悪い演奏とはいってません)。竹を割ったような表現になりやすいというか。

 

 

上述の、音楽の表情を描き分けながら、良く歌う表現というのは、交響曲1番よりは2番に適している表現かと思います。

 

ですので、2番の方がより自然で、奇異な感じのない演奏に聴こえました。しかし同時に、1番で色々表情を付けているな、と感じるほど、こちらは拘っていなかったように思えます。歌の多い曲を、さらに良く歌っても、くどくなるという感じなのでしょうか?

 

ですのでかなりオーソドックスで、ブラームスの第2交響曲らしい内容だったと思います。特に第2楽章辺りは美しく響いていました。また、第4楽章の最後の追い込みは、熱っぽく盛り上げて楽しませてくれました。

 

終演後は皆さん拍手喝采でした。あれを見る限りお客さんはかなり満足だったようです。自分は、皆さんほどは、格別、というところまではいきませんでした。人間、感じ方は10人10色だと思いますので。

 

 

7月20日は参議院選挙の投票日です。

 

最近は現政権への批判が増え、新興政党が人気のようです。自民、公明だけでなく、維新や立憲なども批判されています。こうした批判が起こる背景は、国内のリベラリズムに対する批判かと思います。

 

自分も、「国内の状況」は大分前からおかしかったと考えていますが、大衆にもその認識が広まってきたように思います。しかし、こうして大衆に不満が広がるまでに、随分時間がかかりました。

 

今の世の中が「おかしいのではないか?」という人が増えたのは、割と好意的な変化のように見えますが、「喉元に匕首」みたいな状況にならないと、変わらないというのも、困りものかと個人的には思います。

 

そして、こうした変化が急激に起こっているためか、SNS上では「自分の推薦する政党こそが正しい」という論調ばかりになり、各政党支持者同士で 喧嘩のようになってきています。議論が活発、という見方もできるのかも知れませんけども。

 

これも個人的な見解ですが、選挙は「推し活」とか「信仰告白」でもないので、あまり思い入れが強すぎるのもどうかと思っています。

 

自分がこの選挙の全体像で、重要だと考えていることは、第1に、問題があれば民意が動いて、政権も変わりうる、と政治家に思わせること。これは政治家に緊張感を持って、政治をやってもらうには必要なことだと思います。当然今回当選しても、いったことをやらない政治家は次の選挙で落選させねばなりません。ですので、各政治家に思い入れが強すぎ、「何処までもあなたを信じます」、みたいなことになると、それはそれでおかしなことになりかねません。

 

第2に新興勢力の議席が伸びることによって、今ある日本の問題点が はっきりするのではないかということです。旧来の自公政権での論点は「夫婦別姓」というような、意味不明の論点でしたが、今回新興勢力が勢いを増しているおかげで、「移民政策」のおかしさがやっと大衆に認知されるようになってきたと思います。こういう点が非常に重要だと思います。

 

マスコミは現政権のいう「夫婦別姓」などの、不要な議論を大衆に押し付けようとしてきました。これは洗脳なんだと思います。マスコミがこうした意見で、世の中をマスキングしてしまうと、中々民意が出来上がりません。

 

しかし新興勢力の掲げる公約によって、次々と問題点の可視化が進むのは良いことだと思います。

 

今話題になっている新興勢力は、「参政党」とか「日本保守党」でしょうかね。今回の選挙でこの辺の議席が増えるのでしょうか。

 

正直この2つの政党も、おかしなところは沢山あると思っています。ただ今そんな話をしても仕方ないのかな、というのが実感です。その辺の話は選挙が終わってから書こうかと考えています。(追記:当初、冒頭で投票日を8月20日として書いてました、7月20日が投票日の間違いです、すいません。修正しました(^_^;)) 

 

7月5日、日本沈没の日に聴く、サントリー・ホールでのコンサート。指揮者はカリーナ・カネラキス、ピアノ、アリス=紗良・オット。

 

今回も席は1階席後方。いつもながら席を取るのが遅いので、大体後方か、前方の両翼のどちらかになるのが、自分の通常運転です。しかも今回は指揮者が女性とは知らずにチケットをゲット。大分後になって知りました。でも写真を見ると、見たことある人です。多分ネットか何かで見たことがある人なんだと思います。

 

 

しかし、カネラキス、アリス共に美人で、最近のクラシック業界の商魂を見る思いがあります。グラモフォンなんか美人ばっかりデビューさせてないかね?

 

アリスは日本でも世界でも有名なので、あれなんですが、ドイツ人と日本人のハーフですかね。基本はドイツ語圏の人間なんだと思うんですが、こうやってコンサートなんか聴くと、表現とか音色とか、アジアっぽい感じが強い人なんだと思います。

 

音色は角が取れていて、ナチュラル。良く欧米の女性演奏家にある、ピアノの音色の厚みとか、異常なまでの理知的なフォルムとか、そういうのがないんですね。そのかわり、オーガニックでインスピレーションのある表現は、我々日本人にも馴染みやすいと思います。

 

ラヴェルのコンチェルトは意欲的に弾いていらっしゃいました。個人的には想像した通りの演奏だという感じです。名演だと思います。

 

 

他には、演奏する姿を見ていると、結構微妙なバランスで生きている人なのかという感じがしました。変わった世界観を持っていそうです。まあ、自分でも良く分からないですが、そんなどうでも良いことばかり気になりました。アンコールはペルトでなく、サティでした。

 

後半はカネラキスのマーラー、交響曲1番「巨人」です。こちらは前日、酷評が多く不安でしたが、実際に聴いてみて、個人的には結構良かったと思います。

 

カネラキスは音楽の運動性が少なめで、旋律を主体とした演奏だったように思いました。今年聴いた、他の女性指揮者リーニフは、非常に運動神経が良くて、反射速度も速く、前のめり的な演奏でしたが、カネラキスは真逆といって良いような演奏。

 

おかげでメロディが生きます。今回も第1楽章は良くなかった、という方が多かったようですが、自分は良かったと思いました。ああいうやり方だと、第1楽章の持っている「交響詩」的な内容が強調されて、面白いと思いました。

 

第1楽章といえば、「朝霧の中の森」、「鳥のさえずり」、「巨人の気配」、というようなキーワードが浮かびますが、それらが正攻法の演奏で、じっくり聴かせる感じで演奏されたので、映像のように聴こえる部分も多数ありました。しかも旋律の歌わせ方が優美で、女性独特の優しさを感じさせる部分もあったと思います。エレガントな感じでしょうかね。こうなってくると、力強いマーラー像とは一線を画し、鋭さも少ないので、好みは分かれるのかもしれません。

 

確かにリズムを必要とする、第2楽章のスケルツォなど、少し隙間風も吹くかな、と感じたりもしました。第3楽章は響きが薄く感じられる瞬間もありました。

 

ただ全体の感銘を壊すほどでもなかったと思います。フィナーレは迫力も充分加味した名演で、彼女の丁寧なアプローチが生きた楽章だったように思います。この曲のフィナーレは燦然とした強音部の輝きと、行進曲風の迫力が欲しいですが、かなり満足のできる感じで再現していたんじゃないでしょうか?音は大きく強音ですが、鋭くないので、聴きやすかったです。中間部の詩情も、しっとりと歌い、強音部とソフトな部分の描き分けも良くできていました。

 

個人的には第1楽章と、第4楽章が素晴らしく、中間の2つの楽章はちょっと落ちるかな、とは感じましたが、充分感銘を受ける演奏だと思いました。

 

ということで満足したコンサートでした。

 

今月は他にアラン・ギルバートのブラームスを、1度ですが、聴く予定があります。