
10月1日、新国立劇場でプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を鑑賞。
今年は中々仕事の予定が決まらないので、11月、12月などはコンサートの予定など一切立てられず困っています。
年末、外国のオーケストラを1つぐらいは聴きたいと思っていたのですが、多分全滅。ウィーン・フィルみたいな人気のあるオーケストラなど、半年前から予約受付が始まるとなると、自分は諦めるしかありません。歌劇場の引っ越し公演なんかも厳しいです。あちらは値段の問題もありますが・・・。今回ワンチャン、チェコ・フィルが取れるかもと思っていたのですが、仕事が被さって結局諦めました。
そういうのに比べると、新国は予約時間が比較的公演近くなので、ずっと取りやすいです。色々批判はあるんでしょうが、国内でプロダクションを運営してくれるのは助かります。
自分は個人的に、生のオペラ公演鑑賞を5・6年前ぐらいから進めています。オペラの生観劇は初心者みたいなものなので、基本的な名曲のオーソドックスな演出ということに絞って選んでいます。椿姫、薔薇の騎士、サロメ、トスカ、さまよえるオランダ人、ときて、今回のボエームなので6曲目でしょうか。この中で「薔薇の騎士」と、「さまよえるオランダ人」は若干不完全燃焼ではありますが、他は結構良かったですね。
ラ・ボエームは是非聴きたいと思っていた演目ですので、今回聴きに行ってきました。多分今回逃すとまた2年後とかでしょうかね。ただ、新国のボエームはずっと同じ演出を繰り返しているらしく、良くいく人には飽きられているそうです。まあ、とりあえず、自分には関係ないですが。
また、今回オペラパレスの新シーズン初日ということもあって、秋篠宮ご夫妻が臨席、2階席中央は国会議員などを含む要人席で貸し切りとなっていました。我々一般人の会場入場も手荷物や、金属探知機での検査などがあり、いつもと違った雰囲気でした。公演前に文化庁長官からの挨拶などもありました。

演奏はすごく良かったです。最高です。初めてのボエーム生観劇というので、いつも通り、「おのぼりさん的感想」ではありますが書いていきます。
指揮者はイタリア人のパオロ・オルミ。割とゆっくり目で、曲を解きほぐすような演奏で始まりました。音もそんなに大きくありません。少し心配になりましたが、じきに慣れました。だんだん分かってきたのは、あのやや遅めのテンポは、歌のスペースを作っているからなんですね。オーケストラの音量も歌を邪魔しない感じです。後半、その芸風の効果が出ていると思う瞬間が、何度もありました。
実際今回歌手たちは声が良く出る人たちばかりで、素晴らしかったです。あれぐらい声が良く出る人たちでないと、オルミの指揮にはついていけないと思います。
ただ第2幕の街の雑踏を含む、カフェ・モミュスのシーンはかなりリズミックな指揮が要求されると思いますが、この辺はちょと微妙でしたかね。響きが浅かったり、合唱がずれたりした気がします。
歌手はルチアーノ・ガンチを始め、マリーナ・コスタ=ジャクソン、マッシモ・カヴァレッティ、伊藤晴、アンドレ・ペレグリーニ、全員良かったです。詳しい方には色々あるんでしょうが、個人的にはすごく楽しめました。
1幕の後半、「冷たい手を」から始まる、ロドルフォとミミのアリア、ガンチは安定感のある良く通る声で歌い上げました。ソプラノのコスタ=ジャクソンは初め、ちょっと声が上ずった響きのように聴こえ、癖のある声に思えました。この時はガンチに圧倒的な拍手があり、コスタ=ジャクソンには皆さん、遠慮気味の拍手だったように思えます。しかし声は出ていました。

↑、ルチアーノ・ガンチ。オペラ全体を通じて安定した歌唱を披露しました。コスタ=ジャクソンとのコンビも良かったです。

↑、マリーナ・コスタ=ジャクソン。3幕以降、素晴らしくて、ミミのキャラクターとしては少し派手目な感じもありましたが、舞台姿も美しくて、とても良かったです。演技も悪くありませんでした。
日本人の伊藤晴さんのムゼッタも全然良くて、びっくりしました。第2幕後半のマルチェロとのやり取りも感動しました。
しかし、個人的には今回第3幕が1番感動しました。オルミの指揮も、交響曲でいうアダージョたる、この3幕が1番合うように思えました。切々と雪が降りしきる中で、もめる2組のカップルの美しい4重奏のアリア。声の出ない歌手が歌うと、オペラの場面は画面が引っ込みます。すると背景のセットが単なる装置にしか見えなくなります。しかし、声の飛ぶ歌手が 、歌声で場面をマスキングしだすと、今度は背景の演出が一段と美しく見えだしますね。
「私がオペラに見い出すものは、祝祭的な雰囲気のなかで味わう、純粋に美的な楽しみだ。つまり、まぎれもない、愛好家としての楽しみである。」(「オペラティック」ミシェル・レリス著)といったフランスの学者がいますが、今回、このオペラの中で、そういう瞬間が確かにあったと思います。
あとはやはりプッチーニの音楽の素晴らしさということでしょう。プッチーニのことを思想哲学に無縁で、劇場の収入と、お涙頂戴に終始する作曲家という人もいます。しかし本当にそうでしょうかね。
プッチーニに似た叙情性を持った音楽で、チレアの「アドリアーナ・ルクヴルール」があります。しかしこの音楽は美しいにもかかわらず、プッチーニほど感動しません。チレアに比べると、プッチーニは、自分の胸襟を開く勇気があるんですね。それも底なしの、同調力というのか。感動を聴き手全員と共有しようという力が、ものすごく強いんですよね。チレアの作品が1曲しか残っていないのはその辺と関係がありましょう。
プッチーニの音楽は、劇場の大画面でやられると、圧倒されますね。正直何度か泣きそうになりましたが、我慢して最後まで聴き終わりました。
こういう美しさは映画がどんなに頑張っても表現できない、美の世界かと思います。
大満足した公演でした。
ボエームのレコード | ヒマジンノ国
↑、おまけの過去記事です。