ヒマジンノ国 -3ページ目

 ヒマジンノ国

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年始にエプスタインリストが公開されると思っていたのですが、公開されず、先ごろやっと公開が決まったとか。公開されてから、洋楽の音楽ネタを書こうとか思っていたんですが、結局年末になってしまいました。

 

 

↑、ゴタゴタしましたが、一応エプスタインリスト公開にD・トランプ氏も許可を出したとか。しかし、リストの公開だけで世の中が変わるのか?といえば、まだまだ疑問ですね。

 

しかし、このまま待っていてもらちがあきそうにありません。色々問題あるかもしれませんが、今年自分が聴いた洋楽について、また、自分のまとめのためにも書いておこうかと思います。

 

あくまで自分の好みに沿ったことしか書いていません。また2025年のアルバムだけでなく、2024年のアルバムなども含んでいます。

 

 

2025年発売のアルバムで良く聴いたのが、ザ・ウィークエンドの「ハリー・アップ・トゥモロー」です。ウィークエンドも、イルミナティに属しているとかいわれているようで、他にも、ちょっともやもやする部分は多いです。ただ自分は、彼の作る音楽は素晴らしいと思っていて、今年も良く聴きました。

 

3部作のラストにあたるアルバムで、CD2枚に22曲も収録されています。継ぎ目なく音楽が流れていき、一編の音楽詩のようです。

 

ただ内容はどこか自堕落(ジャンキー風の雰囲気)で、人生への悟りも薄い。彼は、自分の人生の成功を実感しつつも、自分自身を信じ切れない、というような告白が多く、内容は厭世的(特に前半)とも取れます。「ハリー・アップ・トゥモロー」のタイトル通り、この歌手の、生き急ぐ人生観を感じさせる内容です。

 

ただ先も書きましたが、音楽は素晴らしいと思います。色んな種類の音楽を重ね合わせて、アンダ―グラウンドで、甘美な、しかしリアリティのある音楽に仕上げています。

 

なんというか、「音楽」と彼の「人生そのもの」がとても近いという印象。この人は、音楽創作無しでは生きられない人だと、感じさせます。歌詞は色々問題あるのかもしれませんが、音楽そのものに嘘はない印象です。

 

アニッタのどこか猥褻な歌詞から始まる、「サンパウロ」、そして、いかにもジャンキーな雰囲気の「バプタイズド・イン・フィアー」を経て、かつての恋に思いを寄せる、「オープン・ハーツ」への、音楽の流れは心を締め付けるものがあります。

 

The Weeknd - Open Hearts (Official Video)

 

男性ヴォーカルのアルバムを聴いたのは、このウィークエンドぐらいです。以下は女性ヴォーカルばかりです。

 

 

ウィークエンドと同じくらい良く聴いたのが、シーアの「リーズナブル・ウーマン」。2024年のアルバムです。

 

個人的にアルバム中間部に数曲、面白くない曲もあると思いましたが、良い曲も多くて、彼女の人生経験を感じさせる曲が多いです。スケールの大きい歌唱と、女性ながらタフな雰囲気のある、恋の曲が沢山含まれています。

 

特に「アイ・フォーギブ・ユー」はとても素晴らしい曲で、挫折を知り、それを乗り越えた人物にしか歌えないような深い歌声が、底無しの愛を感じさせます。歌詞は抽象化されていて、人々の心を鼓舞する力のある曲ではないでしょうか。

 

Sia - I Forgive You

 

 

次はマイリー・サイラスの「サムシング・ビューティフル」。マイリー・サイラスこそエプスタイン・リストに載っていそうですが(というか、載っている訳ですが)、今回はとりあえず無視して書きます。

 

マイリー・サイラスのアルバムは以前1度買ったことがあります。しかし、あまり面白くなったとしか覚えておらず、ほとんど記憶にもありません。今回は店頭で試聴して良さそうだったので、購入。この判断は成功でした。

 

70年代のアルバムに触発された内容だそうですが、自分はその辺りの事情は、良く分からないです。ただ、複数のジャンルの音楽が混じって、独特の雰囲気が出来上がっているのは分かります。音楽的な想像力のある内容ではないでしょうか。

 

歌の入る曲の合間に、何度か音だけの曲が収録されており、幾分闘争的とも思える、インストゥルメンタルな部分が、良い効果を上げていると思います。

 

彼女を気位の高さが出ている「イージー・ラヴァー」とか、自分の成功を隠そうともしない「ウォーク・オブ・フェイム」とかが好みの楽曲です。特に「ウォーク・オブ・フェイム」は、自分の成功と、その喪失を恐れて、うじうじと考えるウィークエンドとは好対照で、いかにもスターな私、という感じです。滑らかな音楽に乗って、恥じらいもなく、庶民の間を通り抜けていくスターの私、みたいな曲。よくそんな自意識の高い曲を書くな、と思いますが、その心持は一般人の我々には知る由もありません。しかし、これぐらい振り切れていると、聴いていて、気持ちが良いです。

 

Miley Cyrus - Walk of Fame (Official Video) ft. Brittany Howard

 

 

デュア・リパの「ラディカル・オプティミズム」。

 

現代のポップ・アイコンとなっているディア・リパの3作目のアルバムです。2024年の作品。

 

前作のレトロ・ポップ調に振れた内容より、1作目の南国のビーチっぽい雰囲気が戻って来たように思います。曲も凝っていて、色々聴かせる感じがします。

 

ただこのアルバム、自分は初め中々良さが分からなくて、何度か聴き直してみて、好きになりました。どの曲も良いと思うんですが、ディア・リパの声が、彼女の体のスタイルよろしく、スキニーで、楽曲の迫力そのものに、声がついてきていないと感じる場面も、個人的にはありました。まあでも、彼女のポップ・アイコンの地位は、簡単には揺るがないでしょう。上記3枚に比べると、聴いた回数は少なかったように思います。

 

Dua Lipa - Houdini (Official Music Video)

 

↑、2億回以上の再生だそうです。

 

 

残り2枚。1枚はベッキー・ヒルの「ビリーヴ・ミー・ナウ」です。ダンスミュージックを基調した、熱い芸風は前作の1枚目のアルバムと同じです。パワフルな歌声は健在で、自分にはとても聴きやすいです。

 

Becky Hill - Swim (Live From YouTube Music Night)

 

 

もう1枚がザ・ウォーニングの「キープ・ミー・フェッド」。ウォーニングはメキシコ出身の3姉妹による、ハードロック・バンドです。来日もしていた気もします。まだ若い姉妹ですが、音楽の完成度は高いと思います。良い曲が何曲かありました。これも今年繰り返し聴いたアルバムです。2枚とも2024年のアルバム。

 

The Warning - "Hell You Call A Dream" (Live from Pepsi Center CDMX)

 

他にも聴いたアルバムはあるんですが、今回はこれで止めます。初めの3枚のアルバムが、今年聴いたベスト3ですね。

 

フランソワ=グザヴィエ・ロト&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団、によるブルックナーを最近は聴いていました(CD)。

 

現在発売されているのは、交響曲1・2・3・4・7・9番の6曲です。7番は持っていませんが、7番はいらないかなと考えています。

 

ロトの指揮ぶりは、繊細で緻密、現代のブルックナー指揮者の1人という感じがします。ただ、伝統的なブルックナー演奏者かといわれれば、全く違うように思います。

 

まるで古楽器のような、オーケストラの繊細な響き、粘らない旋律。本来ロマン派の時代に生まれた、ブルックナーという作曲家ですが、ロトはそのような「ロマン派」的な、音の引き延ばしを止めてしまっています(しかし、力こぶは良く入っている)。さらに、後に書きますが、交響曲3・4番に関しては、楽章ごとのトータル的な解釈を止めてしまったように見えます。

 

確かにこの緻密な響きで形作られたブルックナーは、ガラス細工のように美しく、新時代のブルックナー像ともいえるのかもしれません。そしてそのようなロトのブルックナーですが、目玉になっているのが、現在、4番と3番の第1稿の演奏でしょう。8番はまだ録音していません。8番も多分初稿で入れるのだと思います。1度聴いてみたいとは思っています。

 

近ごろはこの第1稿をやる指揮者が増えました。ブルックナーの交響曲において、第3、第4、第8の第1稿は、最終稿と全く内容が違うので有名です。

 

昔は、エリアフ・インバルや、ゲオルク・ティントナーが指揮した第1稿の録音が有名でした。しかしこれらは「ロマン派」的解釈の延長線上にある第1稿の演奏で、古いスタイルかと思います(さらに先代の指揮者たちに比べれば、彼らさえ、近代的ではあります。ここでは、あくまで比較論として書いています)。

 

 

↑、エリアフ・インバルと、ゲオルク・ティントナーのブルックナー。彼らも初稿を演奏していますが、中々良さが分かりにくいと思います。これらに比べると、個人的に、ロトの方が比較的聴きやすいかという印象です。

 

ロトは無理して音を粘らず、人間的な運動性に従って演奏しているように思います。その場その場の対応によって生まれる音楽を主体にしているかのようです。これは幾分か「ロマン派」の解釈を離れている演奏かと思います。

 

あくまで「音楽は音楽」、という考え方なんでしょう。昔書いた自分のブログ記事から引用します。

 

<本質的に、ショーンバーグのいうように、「せいぜいのところ、音楽はムードと感情しか表現できない」という事実は、半ば冗談でいえば、エマニュエル・カントのいうところの、「ア・プリオリ」であり、本来人間に備わっている「根本的な音楽的な衝動」こそが、あるべき音楽の定位置のように思えます。音楽が標題無しで理解されるには、このような人間本来に備わっている、「音楽的な衝動」のみで表現されなければなりません。>

 

つまり「音楽」はあくまで「音楽」であり、文学や絵画とは違うわけです。

 

ところがロマン派は、「音楽」は「音楽」という考え方とは違い、音楽と他概念、あるいは、抽象概念との結びつきが密なので、そこも押さえないとやれないと思います。音楽に厳格な一貫性をもたらす、というのは幾らかベートーヴェン以降の、ロマン派の発想ということでしょう。うるさいことをいえば、一貫性を持たせようとする、その時点で、音楽以外の観念が入ってきているということになります。それを詰めて行くと、音楽以外の他概念と関わりが生まれ易い。そうなってくると、音楽家は音楽以外の勉強もいりますしね。

20世紀後半から、ロマン派の解釈を嫌う人が増えた印象です。

 

ベートーヴェンを聴こう。 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。自分はここでベートーヴェンの、第9交響曲の解釈を、第1楽章を「闘争」、第2楽章を「逃避」、第3楽章を「安息」と捉えていますが、このような捉え方自体、「ロマン派」に限りなく近づく考え方です。本質的にベートーヴェンの音楽は「絶対音楽」であり、標題的な「ロマン派」的な解釈で聴くものではない、というのが建前だと思います。しかし、「田園」交響曲のような、非常に絵画的な表現、また第9交響曲のような、高度な哲学的表現を聴くと、既に「音楽は音楽」という範疇から一歩抜け出しているようにも思います。

 

第2次世界大戦時、現代アートを「退廃芸術」として避けたナチス。また社会主義的リアリズムを芸術に強制したソヴィエトなど、芸術と音楽は、昔から、政治に結び付けられ、歪まされてきました。現代のハリウッドなども、リベラル思想が強くなり、以前に比べると力がありません。

 

音楽において、第2次世界大戦後、ロマン派的な傾向は、ナチス(ドイツ)や、ファッショ(イタリア)と結びついて考えられるようになり、意識的に避けられるようになったと思います。そしてそこに現れたのが、無調などを基礎に置いた「現代音楽」です。これらは西側世界に「音楽」は「音楽」である、という強い意識を植え付けてきたように思います。

 

その教育のせいか現代は、ロトのような、あくまで「音楽」を「音楽」で、解釈する演奏家が増えてきたと思います。日本にいる、ジョナサン・ノットやファビオ・ルイージなんかも、そんな感じに見える時があります(日本にはこの手の指揮者が集まりやすいのかもしれません)。

 

ロトのブルックナーを聴いてみると、第4、第3交響曲の演奏とも、そのような純音楽的な解釈が効いており、従来の指揮者の第1稿の解釈よりもずっと聴きやすいと思いました。

 

第4交響曲の第1楽章など、その場その場で対応して聴けば、新鮮な旋律が次々と現れてかなり面白いと思います。従来のロマン派的な聴き方ではなく、ベートーヴェン以前の、バロックを含めた時代のような音楽だと思って聴くと、それなりの効果が出ていると思います。

 

第3交響曲の第1稿の方が、そのような聴き方で聴くと、比較的違和感なく聴き通すことができました。

 

ただ第4交響曲のフィナーレのようになってくると、錯綜の度合いが大きすぎて、ついていくのが大変です。さすがに音楽自体に、無理があるかなと感じます。改訂稿を聴くと、一貫して音楽が聴けるように、修正されているのが分かります。また実演でインバルの演奏した、第4交響曲の1稿を聴いたことがあるのですが、スケルツォに、この曲全体の頂点とも思える盛り場があり、そこだけ聴いていると大変興奮しますが、曲全体として見てみるとバランスは壊しているように思えます。改訂稿はその辺の不自然さも改修していますね。要は、改訂稿は、3・4・8番交響曲共に、ロマン派の時代に合うように改修されている、ということなのでしょう。

 

ブルックナーの交響曲は、最終稿が最適解だと思います。そのサブで、こういったロトの演奏など聴くと面白いと思います。

 

しかし余談ですが、来年、ミンコフスキやインバルが第8交響曲の初稿を、実演でやるらしいのですが、ちょっと本邦で初稿をやる人が多すぎる気がしています。今年、ノットやルイージもやりましたよね?個人的には普通に聴きたいです。

 

初稿をやること自体悪いとは思いませんが、少し頻度が多いように思います。多分ここが日本だという事実と関係ある気もしていますが、もうちょっと伝統をおもんばかったことも、やってほしいかと思います。

 

高市首相が、中国の台湾侵攻問題に関して、「存立危機事態」だと答弁。自衛隊の派遣を匂わせてから、中国の高市内閣への脅しが続いています。

 

「存立危機事態」宣言自体、個人的に正しかったかどうかは分かりません。曖昧のままにしていても良かったという意見もあります。

 

同じようなことを以前も書きましたが、高市首相の発言は、これが米国のカラマ・ハリス政権の時だったら、怖い発言だな、と思いますが、現在トランプ政権なのである程度まで、あの発言は仕方なかったのかなという感じがします。

 

バイデンやハリスなどの、軍産複合体と密な関係の政権だと、中国の台湾侵攻になれば、当初米国は参戦しますが、途中から距離を取ってオブザーバーとなり、日本主体で事にあたらせるつもりだったと思います。紛争の長期化を狙って、軍需産業が儲かるためです(ジョセフ・ナイのレポートなどによる)。いわゆる、第2のウクライナになるという予想です。

 

しかし、トランプ氏も軍需産業と関係がありますが、民主党時代ほどひどくないようには見えます。また、ハリスやバイデンはあからさまなパペット政治家でしたが、トランプ氏は自分で物事を判断しているように思えます。ですので、高市内閣の発言も、意味合いがかなり変わってきているとも見えます。

 

政局 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事。

 

だからといって、日本が完全に大丈夫かは、不透明です。対応を間違えると、どうなるかは分かりません。

 

中国のレポートによれば、ここ10年で台湾侵攻ができなければ、その後はほぼ侵攻不可能になるだろうという予測があるそうです。そうなると今出回っている情報を元に考えるならば、2027年から2035年間のおよそ8年ほどの間、中国軍を抑え込めれば、中国は身動きが取れなくなる可能性があるということだと思います。他方、彼らが動くならその8年の間しかないということになります。

 

田母神氏によると、陸の軍隊が他国に攻め入るには、敵側の、およそ2倍の軍事力が必要とのこと。これが海を挟むと5倍の兵力が必要だといいます。台湾侵攻には、軍事力が整った上で、更に最低でも半年の準備が必要で、これは衛星などを使って分かるといっていました。

 

四中全会が終了 |  ヒマジンノ国

 

↑、中国国内も内政は不安定で、特に軍隊を始め、どうなるかは分からないと思います。

 

中国にも、米国だけなら何とかなるかも知れないという目論見はあったそうですが、日本が関わるかどうかで、その成功率が全く変わってくるとのこと。ですので今回高市内閣の発言はある意味、中国の急所を突いていたわけです。

 

おかげで、といっては何ですが、中国は本性むき出しとなり、沖縄は日本ではない、とか、尖閣諸島も中国のものだ、とかいいだしました。流石に酷いと思いますね。獣同然のものいいだと思います。

 

ですが現状の中国に何かできるかといえば、ほとんど何もできないはずなので、あんまり相手にしない方がよさそうです。

 

いってきているのは、パンダを貸さない、とか、中国の観光客を引き上げるとかで、使ってきている脅しの言葉の割にはどうでも良いことばかり、制裁のつもりでやって来ているように見えます。台湾なんかはずっと中国の脅しにあってきているそうですが、結局何もしてきてないそうです。

 

やはり当面は前にも書きましたが、超限戦に対する対策の方が重要かなと思いますね。

 

11月は外国の有名オーケストラが多数訪日して話題ですが、自分は全て乗り遅れで、チケット全滅でした。それでも直近で行けそうなコンサートを探して、昨日はオペラパレスまで行ってきました。

 

ヴァイオリニストのジャニーヌ・ヤンセンと ピアニストのデニス・コジュヒンのリサイタルです。

 

 

自分はヤンセンのアルバムは1枚だけ持っています。

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮で入れた、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のアルバムです。しかしこれはあんまり感心しないアルバムで、ヤルヴィの解釈に歌がなさ過ぎて、管弦楽は成功していないと、個人的には思います。他方でヤンセンのヴァイオリンは引き締まっており、クリスタルな音色で、古楽器のように聴こえて面白いなと思っていました。

 

そのヤンセンが9年ぶりの来日だそうで、席も少し空いていたのでチケットを得ました。

 

 

この日のプログラムはシューマンのソナタ1番、ブラームスのソナタ2・3番、クララ・シューマンの小品3曲でした。

 

ヤンセンはオレンジ色のドレスで登場。コジュヒンはチラシの写真だと、茶髪のオールバックに見えますが、舞台にはブロンドのロン毛で登場し、写真とは別人にしか見えません。髪が長いと、少し若くも見えるんですね。

 

(写真は借り物です)

 

シューマンのソナタが始まって、ヤンセンのヴァイオリンの音色がややくすんで聴こえてくるので、少しびっくりしました。多分録音と違う感じの音色でしたので、そう思ったのでしょう。しばらくして慣れます。

 

シューマンのソナタ1番は聴きやすい曲で、第1楽章ではランドマーク的なフレーズあり、第3楽章はシューマン特有の焦りにも似た追い込みのある曲で、お客さんも盛り上がりやすいと思います。

 

ここで思ったのは、ヤンセンのヴァイオリンが、録音で聴いたようなクリスタルな感じではなく、味わいのある豊かな響きだということでした。録音の方はヤルヴィの解釈に合わせているのかもしれません。

 

明るいが、底辺には焦燥感もあるシューマンのソナタの後は、非常に落ち着いた雰囲気のブラームスのソナタです。出だしのコジュヒンのピアノから、大人の感じがあります。

 

ヤンセンのヴァイオリンは、ブラームスのソナタ2番の方が、その味わいが生きたように思います。2番は牧歌的で、陰影もありますが、まろやかな音楽です。ヤンセンの音色は淡い秋晴れの雰囲気を保ち、心に染みるものがありました。ただどこか爽やかさもあり、根っからのブラームス党にはどう聴こえるかは、自分には分かりません。個人的には美しい表現だと思います。コジュヒンのピアノも水晶のように響き、安定感もあり、安心して聴いていられるものでした。

 

クララ・シューマンの小品を挟んで、ラストはブラームスのソナタ3番です。

 

自分はヌブーのレコードを持っていて、たまにこのソナタ3番を聴きます。ヌブーの演奏は弦に弓が吸い付いたように、1音ずつ慈しむように弾いています。これぞブラームスという感じでしょうか。

 

今回は予習も兼ねて、ヌブーの演奏を聴き直してから出かけました。

 

ジネット・ヌヴーの演奏 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。

 

ところがヤンセンは、ヌブーと異なって、この曲を颯爽と弾き始め、この日一番の熱量で演奏し始めました。決して作品の雰囲気を崩すほどではないですが、この曲に、こんなに攻撃的な部分あったかな、と思うところもあり、驚きます。その様子は、高身長である彼女が、ヴァイオリンを弾いている、戦乙女のワルキューレのようにも見えます。

 

力が入りだしてから、より響きに味わいが増し、弦の音色の密度が増しました。ぎゅう、と絞り出すような音色が美しいです。特にこの3番の第2楽章はヴァイオリンの音色を誇示する場面がありますが、その場面も豊かで美しい響きで、素晴らしかったです。特に心に残りました。

 

正直、生で聴くとこんなにヴァイオリンの音色の味わいが濃いのかと、とても驚きました。秋晴れの香りがするリサイタルでした。

 

アンコールのドヴォルザークも美演でした。

 

やはりこういうのを聴くと、プロの演奏は凄いんだなと思います。独自の美の世界があるなと思います。

 

 

中国の重要会議である、「四中全会」が、10月20日から23日にかけて開催され、終了したそうです。これは中国共産党の5年に1度の「党大会」に次ぐ、重要な会議だそうで、中国共産党の重要政策や人事を決定するそうです。5年の間に、年度ごとに1・2回行われ、今回4度目にあたるので、四中全会というそうです。8月に開催するといわれていたのですが、10月に変更になった模様です。

 

SNS上で話題になっていたのが、中国の国家主席、習近平氏の身の処し方でした。軍部と必ずしも関係の良くないといわれる、習近平氏は、国家主席の地位を下りるのではないかという噂が、数多くありました。結果、習近平氏は国家主席にとどまり、まずは3期目の任期にあたる2027年までは変わらないだろうということです。

 

中国の国家主席は2つの権力基盤からなり、1つが中国共産党のトップである「総書記」で、これは政治的な権力のトップを指します。もう1つが中国人民解放軍のトップである、「中央軍事委員主席」です。当然これは軍隊のトップに当たります。習近平氏は現在、「総書記」と「中央軍事委員主席」の地位にあり、両権力のトップにいます。

 

しかし、習氏は軍部の幹部に、自分に近い人物を配置してきましたが、これに旧軍部が反発、次々と習近平派は粛清され、現在では習氏に近い軍幹部のほとんどが、空席になっているといいます。「四中全会」になってもこの軍幹部は、1人を除いて補充されず、海軍などではこれを統合する人物がいないといわれています。

 

こうした反習近平を進めてきたのが、「中央軍事委員副主席」であり、軍部では習近平に次ぐナンバー2である、張又侠(ちょうゆうきょう)という人物であるとされています。

 

張又侠のバックには経済政策を重要視する、温家宝や胡錦涛などの重要権力者がおり、これらが習近平氏と権力闘争を行っているという話です。

 

中国の行方 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。

 

国家主席の地位は、「総書記」あるいは「中央軍事委員主席」どちらのポジションが欠けても、降りなければならないという慣例があるそうで、今回の「四中全会」では習近平氏の「中央軍事委員主席」の地位がどうなるか見ものでした。この地位が剥奪されれば、当然国家主席の地位も降りなければなりません。

 

しかし、習氏は中央軍事委員の主席にとどまり、一応軍部のトップという地位を死守しました。

 

ただ、この会議の参加者の中央委員の欠員の補充に、軍事関係者はほとんど選ばれていないといわれており、軍関係者を習氏は冷遇しているようです。現状でも、習近平氏は軍部と必ずしも仲が良くないのは明白だと思います。

 

また重要な軍部の幹部がいないというのは、軍部の統制が取れていないのではないかという話でもあると思います。

 

台湾の統一は習近平氏の悲願だといわれているようですが、軍部はもっと現実的な見方をしているようで、当然、台湾侵攻をすれば、少なくとも、米国、あるいは日本と交戦する可能性があるので、簡単ではないとみているようです。

 

少し前の話ですが、日米の合同軍と、中国軍が全面的に戦った場合、日米は3分の1の戦力を喪失しますが、中国軍は半壊するというシュミレーションがあるそうです。長期戦になっても米国が絡むと、必ずしも中国は有利とはならないようなので、中国軍軍部は慎重になっているものと思われます。

 

そしてこういったことが、習近平氏が望む強硬路線とは、一線を画しており、軍部と国家主席との間で統制が取れていない原因でもあるのでしょう。

 

昨日はセミヨン・ビシュコフ率いる、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団を鑑賞。元々聴く予定は無かったのですが、思いの外仕事が早く終わり、ネットを見ると残席があります。迷ったのですが、11月はコンサートを1つも取れなかったせいもあり、聴きに行くことにしました。10月は色々予算オーバーです。

 

正直、ビシュコフならショスタコーヴィチを聴きたいと思っていましたが、22日は仕事でした。

 

昨日の曲目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と、チャイコフスキーの交響曲5番。

 

前半のドヴォルザークは、しかし、久しぶりの海外オケで中々耳が慣れませんでした。本来この曲の曲調は、もっと泥臭い曲だったような気がしたんですが、この日のチェコ・フィルは、随分滑らかな解釈だったように思えます。お国モノだし、もっと雰囲気が出るのかなと期待していましたが、それほどでもありませんでした。


自分は生でチェコ・フィルを聴くのは、コレが初めてです。録音だとノイマン辺りを良く聴いていたんですが、あの頃にあった、チェコ・フィルの土の香りみたいな感じは後退してるんですね。ビシュコフのせいでしょうか。

 

自分は、普段日本のオケばかり聴いているせいか、その違いに自然と耳が行きます。日本のオケは(全てではないですが)音の頭出しとか、音の高音部に意識があり、そのせいで曲の形がはっきりすることが多いと思います。しかし、昨晩聴いたチェコ・フィルは音のボディそのものに意識があり、いくらか響きがかすんで聴こえます。

 

そこに、華やかでない、少し土臭いような響きが加わって、独特な音になっていました。演奏も日本のオーケストラような妙な緊張感が薄く、「おおらか」といって良い様な演奏でした。アンサンブルも少し緩めのような感じです。

 

チェロ協奏曲の独奏者は若い女性の、アナスタシア・コベキナ。このドヴォルザークの協奏曲の解釈は、やはり彼女のものなんでしょうか。滑らかで流れが良すぎるきらいがあり、情熱的に弾いているようでしたが、滑らかすぎて伝わりにくい感じに見えました。アンコールでやった、タンバリン伴奏の民族的な小曲のほうが、彼女のチェロのコブシの入った節回しが聴けて、面白いように思えました。

 

前半はコベキナのトークなんかがあって、アットホームな感じで終わりました。楽しげな雰囲気はありましたかね。どうも彼女の父親が本国では有名な作曲家らしく、その話を彼女自身がしていました。アンコールはその父が作った曲のようです。

 

 

↑、アナスタシア・コベキナ。休憩中、比較的若い男性2人組がコベキアが綺麗だといって話をしているのが印象的でした。ソニーと契約中らしいです。

 

後半はチャイコフスキーの交響曲5番。

 

出だしは、先のドヴォルザークのような、おおらかな出だしで、テンポは遅すぎるという感じでもないのですが、野暮ったくて、眠くなるかもと感じました。しかし、徐々に迫力を増し、だんだん面白くなっていきました。

 

自分は前日の仕事せいで、少し頭がぼやけていたんですが、やっとこの曲の第2楽章になって耳が慣れてきました(遅すぎですが)。先も書いた「おおらか」な雰囲気というのは、アンサンブルに緻密さを欠くものの、奏者たちはのびのびと弾き出しますので、音が放射状に広がり、ホールを満たします。その音量の大きさなど、日本のオケだと中々こうはいかないですね。

 

第2楽章から弦の音色の広がりに魅力を感じ始めました。やや野暮ったいテンポのせいで、音が広がりをみせる時間も長く、官能的な雰囲気も出ます。こうなってくるとあのテンポの設定も分かるかな、という感じです。チェコ・フィルを聴いているな、と思った瞬間ですね。

 

第3楽章のワルツを経て、第4楽章が1番面白かったです。

 

あの解釈をチャイコフスキーだといって良いのかは分かりませんが、オーケストラは厚みを増し、綺麗ごとでない迫力を見せました。野人のような感じというのか。洗練はされてないですが、音の広がりなんかは聴き応えあるな、と思います。せっかく聴きに来た自分にはこういった迫力あるシーンを楽しみにはしていたので、チェコ・フィル特有の味わいある響きが、壮大に鳴る場面を聴けて満足です。


演奏後のビシュコフはかなり疲れていた印象です。

 

チェコ・フィルを聴いて改めて思うのは、良い悪いは別として、日本のオーケストラは、先日聴いたヴァイグレなんかもそうですが、緻密ですが小型だなということでしょうかね。

 

カーテンコールの写真は禁止されていて撮れませんでした。

 

 

自民党は維新の会と連携を組むらしいですね。維新の会は竹中平蔵が作った党ですので、今後政治に絡んでくる可能性があると思います。これは良い情報ではないですね。むしろ最悪かな。

 

他方、公明党が連立から離脱。これは良かったと思います。小泉進次郎なら、公明党、維新の会両方ぶら下げて、彼が首相になった可能性があり、超最悪は回避できたという感じでしょうか。

 

ただ裏側は「創価学会」VS「統一教会」みたいな構図ともいえますか。お互いがお互いの首を絞め合っている。こうやって双方、勢力を削っていくんでしょう。

 

これは、日本国内で起こっている、「拝米主義」対「媚中」ともいえなくもないと思います。

 

石破茂内閣で統一教会の解散命令を出し、片や高市総裁で公明党が離脱。今後スパイ防止法なんやらを始めるかもしれません。自民党内でやり合っています。スパイ防止法は短期的には中国対策でしょう。

 

とはいえ、スパイ防止法には不安がありますよね。以前書きましたけど。

 

カオス |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。

 

まあしかし、しばらくはそっちの方に流れるのかと。治安維持法みたいなことにはならないとは思います。米国もトランプ政権になって、色々変わっていると思うので、日本国内への関与も減り、いうほど酷いことにはならないかもしれません。

 

確かに現状、中国は「超限戦」を国家主導でやって来ています。公明党党首が中国大使館にお伺いを立てにくなんてのは、正ににその証でしょう。

 

「超限戦」というのは、軍事力だけでない、SNSやインフラ、その他諸々社会情勢などまで利用した戦術で、直接的な軍事力で、戦争せずに、「他国に勝つ」という、中国の思想です。SNSでは公明党アゲの垢が大量に湧いていますが、止めてほしいよ。

 

これは確かに喫緊の課題だと思います。

 

中国が台湾有事で、中国軍の、戦力の見込みがあると思える段階に来るだろう、といわれているのが2027年。しかし、中国は中央政府だけでなく、地方政府にある負債がそれだけで2京円であると、2024年ぐらいに欧州で暴露されていたと思います。地方の負債は中央政府の負債の報告には載っていません。故に隠れ借金です。

 

それに加えて、最近の反日思想の強化などがあります。南京の虐殺が無かったかどうかは何ともいえませんが、中国人が南京で虐殺されたとして、死亡した人数を盛り始めたのが、天安門事件以降といわれています。要は政府に向く不満を逸らせるために、反日感情を利用したわけです。

 

同様に、現状の中国の経済の失速から来る内政の不安はまた、反日感情に利用されていると思います。反日感情を盛っているのはその分、中国の内政が良くないから、ともいえるからだと思います。その上で2027年になっても台湾有事を起こせるか?といえば、微妙でしょう。中国の内政は、かなり不安要素多めだと思います。

 

そうなってくると「超限戦」に彼らが力を入れてくるのは自明で、我々はこの対策をすべきでしょう。中国人問題を含む外国人の問題はやはり「法整備」だと思います。ルールを厳しくすれば、自然と問題は減っていくと思います。

 

「超限戦」を封じれば、中国は自滅の可能性さえあるでしょう。その辺見据えて、政治家にはちゃんとしてほしいと思います。

 

昨日はセバスティアン・ヴァイグレ指揮による、読売交響楽団を鑑賞。曲目はモソロフ交響的エピソード「鉄工場」・ハープ協奏曲、チャイコフスキー交響曲「悲愴」。

 

前半のモソロフ目当てのお客さんが結構いたという話。「鉄工場」、「ハープ協奏曲」共に珍品で、ロシア・アヴァンギャルドを代表する名曲(鉄工場)と2018年に発見されたばかりの、ほぼ新曲(ハープ協奏曲・2019年全曲初演)の組み合わせです。

 

「鉄工場」は、ロシア・アヴァンギャルドとはいうものの、始まると、まさに「工場」を思わせるガチャガチャする感じの、分かり易い標題音楽でした。ラストは鉄板をぶら下げた楽器、「サンダーマシン」をガンガン叩いて効果を出します。ホルンは立奏で、見た目の面白さもある曲でした。3分程度。

 

ハープ協奏曲は、打って変わって穏やかで美しい音楽。1楽章と2楽章途中に長いカデンツァがあり、あんなに沢山ハープの独奏を聴いたのは、人生で初めてです。

 

しかしこの曲、4楽章もあるのにもかかわらず、どこも同じような曲想で、金太郎飴みたいな、立体感に乏しい音楽でした。35分以上の長丁場で、感動できるかといわれれば、かなり厳しいのではないでしょうか。

 

ソリストのグザヴィエ・ドゥ・メストレは男前のハープ奏者。解説には「世界最高峰のヴィルトオーゾ」とありますが、世界中にハープの独奏者なんてどれぐらいいるんでしょう?ハープ独奏者の演奏を、ガチンコで聴いたのは今回が初めてでした。

 

 

↑、グサヴィエ・ドゥ・メストレ。長身のハンサムなハープ奏者。大きなハープを傾けたりして演奏していたせいか、50代ながら、体は鍛えられていて、まるでスポーツ選手のような出で立ちでした。

 

後半はチャイコフスキーの名曲「悲愴」です。

 

ヴァイグレは、この曲が持っている、「メランコリー」や、「センチメンタル」な感情とは無縁の、充実した迫力ある音楽として再現。聴き応えのある名演だと思いました。

 

第1楽章は、曲想を場面ごとに描き分けつつ、中間部の迫力ある悲劇的な部分は、引き締まった緊張感を持続させます。第2楽章は滑らかな響きのワルツでした。

 

第3楽章は爆発力を持った演奏で、巨大な音の構造物として再現、勢い込んだ迫力など素晴らしかったです。そしてそのままアタッカで、フィナーレに突入。やや速いテンポながら、深い呼吸と筋肉質な響きで充実した響きを奏でました。泣ける感じとはちょっと違いますが。

 

第3、第4楽章については、音がうねりを見せるような部分もあり、自分は好きな演奏でした。ヴァイグレは全身を使った指揮ぶりで、終演後袖にはける彼の横顔には疲労の色がありました。かなり全力で挑んだ演奏のように見えました。

 

迫力のある名演でした。

 

 

高市早苗氏が自民党の新総裁に選ばれたそうです。当然今後日本初の女性総理大臣になると思います。

 

個人的に高市さんをそんなに信用はしていません。今までこのブログで色々書いてきました。

 

しかし決戦投票で、相手が小泉進次郎との決戦投票になり、高市氏が勝ったと聞いたとき、正直かなりほっとしました。

 

これは本当にそうで、ありえないでしょ、小泉進次郎氏が総理大臣とか。理由を書けば色々ありますが、彼は完全なグローバリストですよね。一応高市さんは右寄りということで、イタリアのメローニではないですが、日本もその傾向にやや傾いてきてるのかもしれません。

 

ただこの件で、自民党が変われるか?といわれると、相当怪しいですけども。

 

それ以上に、菅義偉から、河野太郎、小泉進次郎のラインは個人的に最悪のラインだと考えていて、ジャパン・ハンドラーズのパペットにしか、自分には見えません。

 

菅内閣で某ワクチンを散々国民に打たせ、その後、移民政策を進めました。

 

 

これが何を意味するかという話です。こんな話書いても、ほとんどの人には意味が分からないと思いますが、彼らは日本人を減らして、他国人で埋め合わせる気じゃないのか?という話でね。こういういい方は良くないかもですが・・・まるで死神みたいな内閣だったのでは?と考えています。

 

案の定、小泉氏が総理になったら維新との連携もありうるとかいってましたよね。小泉進次郎氏が総理大臣になれば、菅内閣と同じようなことを引き継ぐだけではないか、と考えていました。

 

とりあえず高市さんで、その流れは一旦止められる可能性があると考えています。そう信じたいですが・・・。

 

偉そうに書いてきて申し訳ないですが、長期的には高市さんの内閣も色々心配があります。しかし、今回の新総裁について、過去に色々書いてきているものの、短期的には一旦は歓迎したいと思います。

 

10月1日、新国立劇場でプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を鑑賞。

 

今年は中々仕事の予定が決まらないので、11月、12月などはコンサートの予定など一切立てられず困っています。

 

年末、外国のオーケストラを1つぐらいは聴きたいと思っていたのですが、多分全滅。ウィーン・フィルみたいな人気のあるオーケストラなど、半年前から予約受付が始まるとなると、自分は諦めるしかありません。歌劇場の引っ越し公演なんかも厳しいです。あちらは値段の問題もありますが・・・。今回ワンチャン、チェコ・フィルが取れるかもと思っていたのですが、仕事が被さって結局諦めました。

 

そういうのに比べると、新国は予約時間が比較的公演近くなので、ずっと取りやすいです。色々批判はあるんでしょうが、国内でプロダクションを運営してくれるのは助かります。

 

自分は個人的に、生のオペラ公演鑑賞を5・6年前ぐらいから進めています。オペラの生観劇は初心者みたいなものなので、基本的な名曲のオーソドックスな演出ということに絞って選んでいます。椿姫、薔薇の騎士、サロメ、トスカ、さまよえるオランダ人、ときて、今回のボエームなので6曲目でしょうか。この中で「薔薇の騎士」と、「さまよえるオランダ人」は若干不完全燃焼ではありますが、他は結構良かったですね。

 

ラ・ボエームは是非聴きたいと思っていた演目ですので、今回聴きに行ってきました。多分今回逃すとまた2年後とかでしょうかね。ただ、新国のボエームはずっと同じ演出を繰り返しているらしく、良くいく人には飽きられているそうです。まあ、とりあえず、自分には関係ないですが。

 

また、今回オペラパレスの新シーズン初日ということもあって、秋篠宮ご夫妻が臨席、2階席中央は国会議員などを含む要人席で貸し切りとなっていました。我々一般人の会場入場も手荷物や、金属探知機での検査などがあり、いつもと違った雰囲気でした。公演前に文化庁長官からの挨拶などもありました。

 

 

演奏はすごく良かったです。最高です。初めてのボエーム生観劇というので、いつも通り、「おのぼりさん的感想」ではありますが書いていきます。

 

指揮者はイタリア人のパオロ・オルミ。割とゆっくり目で、曲を解きほぐすような演奏で始まりました。音もそんなに大きくありません。少し心配になりましたが、じきに慣れました。だんだん分かってきたのは、あのやや遅めのテンポは、歌のスペースを作っているからなんですね。オーケストラの音量も歌を邪魔しない感じです。後半、その芸風の効果が出ていると思う瞬間が、何度もありました。

 

実際今回歌手たちは声が良く出る人たちばかりで、素晴らしかったです。あれぐらい声が良く出る人たちでないと、オルミの指揮にはついていけないと思います。

 

ただ第2幕の街の雑踏を含む、カフェ・モミュスのシーンはかなりリズミックな指揮が要求されると思いますが、この辺はちょと微妙でしたかね。響きが浅かったり、合唱がずれたりした気がします。

 

歌手はルチアーノ・ガンチを始め、マリーナ・コスタ=ジャクソン、マッシモ・カヴァレッティ、伊藤晴、アンドレ・ペレグリーニ、全員良かったです。詳しい方には色々あるんでしょうが、個人的にはすごく楽しめました。

 

1幕の後半、「冷たい手を」から始まる、ロドルフォとミミのアリア、ガンチは安定感のある良く通る声で歌い上げました。ソプラノのコスタ=ジャクソンは初め、ちょっと声が上ずった響きのように聴こえ、癖のある声に思えました。この時はガンチに圧倒的な拍手があり、コスタ=ジャクソンには皆さん、遠慮気味の拍手だったように思えます。しかし声は出ていました。

 

 

↑、ルチアーノ・ガンチ。オペラ全体を通じて安定した歌唱を披露しました。コスタ=ジャクソンとのコンビも良かったです。

 

 

↑、マリーナ・コスタ=ジャクソン。3幕以降、素晴らしくて、ミミのキャラクターとしては少し派手目な感じもありましたが、舞台姿も美しくて、とても良かったです。演技も悪くありませんでした。

 

日本人の伊藤晴さんのムゼッタも全然良くて、びっくりしました。第2幕後半のマルチェロとのやり取りも感動しました。

 

しかし、個人的には今回第3幕が1番感動しました。オルミの指揮も、交響曲でいうアダージョたる、この3幕が1番合うように思えました。切々と雪が降りしきる中で、もめる2組のカップルの美しい4重奏のアリア。声の出ない歌手が歌うと、オペラの場面は画面が引っ込みます。すると背景のセットが単なる装置にしか見えなくなります。しかし、声の飛ぶ歌手が 、歌声で場面をマスキングしだすと、今度は背景の演出が一段と美しく見えだしますね。

 

「私がオペラに見い出すものは、祝祭的な雰囲気のなかで味わう、純粋に美的な楽しみだ。つまり、まぎれもない、愛好家としての楽しみである。」(「オペラティック」ミシェル・レリス著)といったフランスの学者がいますが、今回、このオペラの中で、そういう瞬間が確かにあったと思います。

 

あとはやはりプッチーニの音楽の素晴らしさということでしょう。プッチーニのことを思想哲学に無縁で、劇場の収入と、お涙頂戴に終始する作曲家という人もいます。しかし本当にそうでしょうかね。

 

プッチーニに似た叙情性を持った音楽で、チレアの「アドリアーナ・ルクヴルール」があります。しかしこの音楽は美しいにもかかわらず、プッチーニほど感動しません。チレアに比べると、プッチーニは、自分の胸襟を開く勇気があるんですね。それも底なしの、同調力というのか。感動を聴き手全員と共有しようという力が、ものすごく強いんですよね。チレアの作品が1曲しか残っていないのはその辺と関係がありましょう。

 

プッチーニの音楽は、劇場の大画面でやられると、圧倒されますね。正直何度か泣きそうになりましたが、我慢して最後まで聴き終わりました。

 

こういう美しさは映画がどんなに頑張っても表現できない、美の世界かと思います。

 

大満足した公演でした。

 

ボエームのレコード |  ヒマジンノ国

 

↑、おまけの過去記事です。