こんにちは~元片付けられない女。
勝間まなみです
今回は、●なぜ、片付けをしようとすると気が重くなるのか?の続きです。
前回、見た目がきれいになるという意味での片づけなら、難しくないことがあると書きました。
誰かが訪ねて来る時なら、簡単に片づけができてしまうという状態です。
でも、それは片づけではありません。ヤッパリ
とりあえず、机の上のものを引き出しや本棚にすべて押し込んだり
汚れた衣類を洗濯機に押し込んだり
・
・
・
こういうやりかたは一時的にきれいに見せるための、たんなる作業です。
全てのものを詰め込んで床に何もない状態になれば、一見するときれいになるので、本人は片づけたと思います
「どうよ」
が、
物を押し込み詰め込んだだけでは、いざ何かを使おうとしたとき、どこに何があるかわからず
どこ
結局、何かを使おうとするたびに、あちこち探しまわり
たくさんのものを引っ張り出しながら取りだすことになって
いま、ドキっとしたあなた
心あたりありますね
片づけるということは見た目をきれいにするということもありますが
物を使いやすくし効率を上げるためにする行為のことです。
片づければ、便利で使いやすい空間ができ快適になる。
そんなことは、みなさん当然のことながらわかっています
よね
そんなことは、百も承知
・
・
・
ですよね
でも、片づけようとすると気が重くなって
体が動かない・・・
ですよね
わかります
わかりますウンウン
私もそうだったウンウン
安心してください。
片づけができないのは
あなたがズボラだからでも
なまけものだからでもありません。
これらはすべて
「片づけへの抵抗」
からくるものです。
では、いったいなにが
片づけの抵抗をしているのか
私は、その正体を知りたくて知りたくて
調べて調べて調べまくりました
そして、わかったのが
片づけられない原因~その1
【幸福の否定】でした。
聞きなれない言葉だとおもいます。
幸福の否定の例がいくつかありますので
あげてみます。
・母親と一緒に食事に出かけ
好きなものを食べなさいと言われて
・高級な服はポンポン捨てられるのに
・お金に不自由していないのに
安いものばかりに目がいき
・誰かが自分に何かをくれそうになると
それをもらうのがいやで
・人からほめられそうになると
このように
自分を幸福にしてくれそうなものから
自分を遠ざける行為のことを
幸福否定というそうです。
(私は一瞬、貧乏性のこと とおもったのですが、それとは違うようです。)
なぜ、幸福を否定してしまうようになったのかは家庭環境やもともとの性格など
いろいろなパターンがあって人それぞれなのですが
幸福否定の根本には
自己否定というものがあるようです。
この自己否定が酷くなると
だんだと自滅的になっていきます。
そして
自分には
自分には
自分には
自分には
こうした自滅的な志向を持ってしまうと
何を食べようが
どこへ出かけようが喜べなくなります。
はたから見て喜んでいるように見えたとしても
「こういう時にはこうするものだ」という知識に基づいて演技していることが多く
そして、これらの人々は
趣味のない人たちに
趣味を持たせるのがきわめて難しいのは
まじめすぎるからでも堅物だからでもなく
そもそも自分を楽しませることを
避けているからなのです。
自分のようなものは
楽しんではいけない
・
・
・
とおもっているのです
・
・
・
無意識に。
他にも似たような現象で
自分のためになることを
人にしてもらうことも自分ですることも
難しいというパターンがあります。
このような人たちは
人の面倒見がよく不平不満を漏らすこともあまりないため
人のためなら
自分のこととなると
また、ものをねだらない子どもも
このような人たちと
同質の問題を抱えていると言えます。
このような子どもたちは
親にものをねだりたいのを我慢しているというよりは
意識の上に
そういう願望自体が昇ってこない場合が多く。
そのため表面的に見ると
ものわかりのよすぎる
子どもらしいところのない
変におとなびた子どもとなります。
そして、このような子どもたちの多くが
後年
※参考書籍
![幸福否定の構造](https://m.media-amazon.com/images/I/41HZVD6NN1L._SL500_.jpg)
私自身も上記のパターンのようなことがたくさんありました。
私は、ものをねだらない子供でした。
ねだるという願望そのものがありませんでした。
物欲がなかったのか
といえばそうではありません。
お願いをするという行為そのものが苦手だったのです。
そして、人からほめられたりすると
なんだかムズムズして居心地が悪くなり
逃げだしたくなります。
人のためには一生懸命がんばりますが
自分のためには、なにもしようとしません。
というか自分のためになんて
考えることもありませんでした。
なぜなら、自分のことよりも
人のことを優先してやってあげるのが
良い人だと思っていたから。
私は、優等生的な自分を演じて
いい人になったつもりでいたのです。
でも、自分の気持ちは自分が一番知っています。
本当にそうおもってやっているのか
それとも上辺だけなのか・・・
私は、だんだんと
やってることと思っていることのギャップが大きくなり
いい人の振りをするのがつらくなってきました。
そして、そんな自分が嫌で嫌で
たまらなくなってきました・・・
だって、それって偽善者だから・・
そして
幸福否定
↓
自己否定
↓
自滅志向
↓
鬱
↓
何もしたくない
↓
片づけられない・・・
となったのです。
もちろん
当時はそんなこと知りません。
片付けられない原因が
幸福否定からきているなんて
ただこれは
「片づけられない原因」の
ひとつ目であり
「片づけられない原因」はあと2つありました。
次回は、2つ目の原因のお話です。
片づけられる女になりたくて
頑張っているのに
うまくいかない〜って方。
汚部屋から脱出したいと思っているのに
うまくいかない〜って方。
見に来てね
では、また
まなみ
【書 籍】
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