世界標準研究を発信した日本人経営学者たち | MBAによるキャリアチェンジへの挑戦

世界標準研究を発信した日本人経営学者たち

神戸大の小川進先生が、経営学の分野で世界的に高い評価を受け、被引用回数が多い伊丹敬之先生の「見えざる資産(Invisible Assets)」、一橋ICSでお世話になった野中郁次郎先生と竹内弘高先生の「Knowledge Creating Company(知識創造企業)」、東京大学の藤本隆宏先生(とハーバードのクラーク教授)の著書 「Product Development Performance(製品開発力)」、延岡健太郎先生(とダイヤー)の研究論文が生み出されるまでの過程につき記載している本。特に、第1章から第3章までが、とても興味深い。

 

第1章の伊丹敬之先生については、Darden Business Schoolに交換留学をしていた時に受講したStrategy Seminarのクラスで、伊丹敬之先生の本や論文が引用されていることが多いということを気付き、「伊丹敬之先生の経営学に対する貢献はかなり大きい」というブログ記事を書きました。伊丹敬之先生の一橋の学生時代からの経歴が書かれてあり、今では、伊丹先生は、経営戦略論の先生で数字を使うというイメージがないが、昔は、数学や経済学などの数字を使うプロで、管理会計の分野で、米国においても高い評価を受けていたことにとても驚いた。伊丹先生は、カーネギーメロンの博士課程では、学生時代のオペレーションズ・リサーチから管理会計が専門の井尻雄士先生の指導を受けるため、管理会計に専攻を変え、数理計画法のモデルを予算管理に適用して博士号を取得。博士論文に対するアメリカ会計学会の評価は高く、1977年にアメリカ会計学会からは博士論文をもとにした本が出版され、その書籍は1978年の日経・図書文化賞を受賞する。スタンフォード大から就職のオファーもあったが断り、一橋大学に就職をすることにした。その後、スタンフォードで管理会計の授業を教えていた時に、数学を経営に応用することを考えるのをやめることにし、管理会計から足を洗う。そして、神戸大の吉原先生、加護野先生、一橋大の榊原先生と一緒に行った「企業の多角化戦略」の共同研究を通じて、情報的資源の考えが生まれ、伊丹先生の見えざる資産(Invisible Assets)の概念が生み出される。伊丹先生の著書をたくさん読んできたが、伊丹先生は、数字にも強く、これほどまでに頭の良い日本人の経営学者はいたのか?と思ってしまうほど、伊丹先生の頭脳に対する驚きと感動の話であった。

 

第2章の野中郁次郎先生の学者としての歩みについては、日経新聞の2019年9月に掲載の「私の履歴書」にも書いてあったし、一橋ICSのMBAのクラスで野中先生や竹内先生が「知識創造企業」の著書が生まれる過程につきお話をされていたので、ある程度、知っていたが、この本では、「知識創造企業」の著書が誕生するまでの過程につき、「日米企業の経営の比較分析」の共同研究者の話を含めながら、整理されて書かれてある。個人的には、1986年にハーバードビジネスレビューで竹内先生と野中先生が発表された「New New Product Development game」という今のアジャイル開発の原点と呼ばれる論文が、次章の主人公である藤本隆宏先生に強い影響を与えたハーバードビジネススクールのアバナシー教授からの「米国企業と比べると日本企業の製品開発はリードタイムが短くスピーディーに新製品を市場に投入してくる謎を解いて欲しい」という要請がきっかけだったというのが、興味深かった。アバナシー先生の目の付けどころが凄かったということを示唆するエピソードだと思う。

 

「知識創造企業」が出版された当時(1995年)の一橋大学の商学部には、野中先生、竹内先生、伊丹先生など世界的に有名な経営学の先生達が在籍していたことを考えると、一橋商学部がとても輝かいていた時代で、そのような凄い教授陣がいる環境で経営学の勉強をすることができたことは今から考えると夢のような話だったと思う。

 

第3章は、自動車研究で世界的な権威となる東大の藤本隆宏先生。藤本先生は、学生時代に農村の実地研究をし、三菱総研では入社後、自動車業界の調査を担当する。藤本先生の三菱総研時代の仕事ぶりは伝説化されるほど超人的だったとのこと。入社して2年目くらいの時に、憧れのハーバードビジネススクールのアバナシー教授が、藤本先生の好奇心の高さとハードワークのコミットメントから、藤本先生にハーバードビジネススクールの博士課程にお誘いをしたが、藤本先生はお断りしてしまう。その数年後、ハーバードビジネススクールの(後年、学長になる)クラーク教授から、再度、藤本先生にハーバードビジネススクールの博士課程へのお誘いの声がかかり、藤本先生はハーバードの博士課程に進学をすることを決める。そして、藤本先生は、世界中の自動車メーカーの新製品開発の研究をし、「重量級プロダクト・マネージャー」という概念を生みだすことになる。藤本先生は三菱総研時代の仕事ぶりが、米国のハーバードの教授陣から高く評価されるほど、ハーバードビジネススクールの博士課程に入学する前から凄く優秀であったというエピソードが強く印象に残った。また、この章を読み、若くして癌でなくなってしまったアバナシー教授が、「人と違うすごいことを考える」人であったことや人間としても魅力のある方であったことが、藤本先生のエピソードを通じて、十分すぎるほど伝わってきた。

 

経営学の分野で世界的に高い評価を受けた伊丹先生、野中先生、藤本先生のコンセプトが生み出されるまでの過程を紹介するこの本を通じて、改めて、世界的に有名な経営学のコンセプトの話は面白いと思った。

 

 

なお、最後に、ご参考までに、類書として、経営戦略論の進化の歴史を描いた「経営戦略の巨人たち-企業経営を革新した知の攻防」を紹介しておきます。ボストンコンサルティングのPPM、マッキンゼーの大前研一、ハーバードビジネススクールのマイケル・ポーターやミシガン大学の教授だったC.K.プラハラードやゲイリー・ハメルの話が出てきます。MBAで一通り、経営戦略論を学んだ方であれば、知的興奮を覚えながら、最後まで読むことができると思います。

 

 

 

以下は、世界的に高く評価された本のリンクです。